ログイン(1)
「えっと、彼で……六人目? これで全員揃った事になるのかな?」
神殿の大広間に、光源は一つしかない。真上に吹き抜けた先にある大きな天窓がそれで、不思議な模様が描かれたガラスを通過した光は真っ直ぐ卓の中心に落ちている。
それにしては広間全体はぼんやりと明るい印象を受ける。それはこの神殿の素材となっている石が不思議な光の照り返しを行なっているからだ。
足元から、側面から、まるで波打つように光が俺達を照らしている。この場に居るのは彼女の指摘通り、俺を含めて六人。俺が最後の一人として卓から少し距離を置いて立っており、残りのメンバーはそれぞれが石造りの椅子の上に腰掛けている。
唯一俺と同じく立っているのは先ほど挨拶をしてきた女の子。長い黒髪、きりりと整った顔立ちがいかにも日本らしい美しさを醸し出しているが、服装はどこかファンタジックだ。それもその筈、このゲームが開始された時から、俺達の服装は勝手に変化させられていた。かく言う俺も例外ではない。
「今ね、メンバーの顔合わせをしていた所なの。私たち多分、“仲間”なんじゃないかな?」
「多分って……えーと、それじゃあ、あなた達も……」
「うん。さっきこのゲームに入ったばっかりなの。それで、ここに集まったってわけ」
他のメンバーの顔色を伺ってみるが、彼女の言葉に否定は入らなかった。
要するにここに居る面子も俺と同じくログイン……と言っていいだろう……をしたばかりであり、なんとなくここに集まった、という事か。
「俺で最後っていうのは?」
「あ、うん。えーと、本当は五人で全員じゃないかって話だったんだけど……」
少し困った様子で視線を逸らす女の子。彼女が目を向けた先には小柄な少女が腰掛けている。金髪に青目、外見は完全に外国人な様子で、年下なのかそういう個性なのか、中々に小柄な体格をしている。
少女は自分に話を振られたのだと察知したのだろう。いかにも億劫といわんばかりの緩慢な動作で口を開き、こちらに目を向けないままで言った。
「……この円卓には椅子が五つあるわ。ただそれだけの事よ」
なるほど、道理で俺の座る椅子がないわけだ。恐らくそれに気を使って、この黒髪の彼女は立ったままで手持ち無沙汰にしているのだろう。
「みんなは偶然ここに集まったの?」
「なんか、そうみたいだね。えーと、でもそれって多分意味のある事っていうか……そういう風に仕組まれてたんじゃないのかなって、そんな話をしてたんだよね?」
黒髪の少女はしきりに他の面子に会話を振っているが、どうにもやりとりは続かない。お世辞にも仲良しという空気には見えなかった。
「とりあえず、座る? 私は立ってるから、君ここに座っていいよ」
「え? いや、悪いし……遅れてきたのは俺だから……」
「いいのいいの! ほら、私って元気有り余ってるから!」
なにがいいのかさっぱりわからなかったが、強引に背中を押され椅子に座るように促される。結局俺が腰掛ける事になり、黒髪の彼女だけが立っている状態に収まった。
その後訪れたのは沈黙であった。只管の沈黙……。
重苦しい空気の中、俺は疑問を口にする事も出来ずに居た。この状況はなんなのか? 俺達はどれくらい情報を共有しているのか? これから何をすべきなのか……。
卓を囲んでいる連中の事は気になるのだが、じろじろ見ては何を言われるかわからないような空気で、結局俺は腕を組んで机を見つめていた。きらきらと不思議な光を放つ机は見ていても飽きない……いや嘘をついた。飽きる。飽きるが、他にする事もない。
なんだか嫌な汗が出てきた。俺は何をしているんだろう。わけがわからない……。
「……なにやら、重たい空気ですなあー」
そんな時だ。背後から奇妙な声が聞こえたのは。
「良くないと思いますなあー。みんなもっと仲良くした方が良いと思いますなあー」
何をトチ狂ったのか知らないが、例の黒髪の少女が発信源である。腕を組んだまま、あれは……恐らく顎鬚をいじっているのだろう。いや顎鬚なんてあるはずもないので、架空の顎鬚……空髭なのだが……とにかくそれを弄りながら眉間に皺を寄せ、なんとも言えない表情で誰にとでもなく語りかけている。
「わしらは、せっかくこの世界で出会えた友ではないかあー。きっとこれから手を取り合い、力を合わせねば乗り越えられぬ試練とかがあるに違いないぞー」
……空気が死んでいた。
恐らく彼女は何か場を和ませようとやっているのだろうが、どんな顔をしたらいいのかわからない。笑えないし、なんかもうどんどん汗が噴出してくる。
誰か早くこの地獄を終わらせてくれ……そう節に願っていたその時である。
『全員、揃っているようですね――』
どこからともなく声が降ってきた。周囲を見渡す俺達、しかし声は意外な場所から聞こえてきている事がわかった。
『今、そちらに姿を見せましょう。少々お待ち下さい』
声は光の中から聞こえたのだ。天窓から降り注ぐ光の下、何者かのシルエットが浮かび上がった。それは光を編みこむように、像を結ぶように、中心で重なり合って一人の人間の姿を浮かび上がらせる。
白いドレスを着た女だった。ドレスといっても半端なものではない。重ね着に重ね着を繰り返した、まるで十二単のようなドレスだ。顔は青白い面で覆われ伺う事は出来ない。ただ、声とシルエットからなんとなく女だと、そう判断するしかなかった。
『これで良いでしょう。さて……初めまして、皆さん。先ずは自己紹介から始めるとしましょうか』
突然の事に全員が黙り込んでいた。否、彼女の次の言葉を待っていたのだ。
右も左もわからぬままの俺達に彼女へ質問できる事はそう多くない。だがそんな事より、彼女がここに現れた意味……理由。それが自分達にとって重要なのだと、誰もが無意識の内に悟っていたのだ。
『私の名前はロギア。この世界の……“神”をしている者です』
「神……?」
『はい。皆さんにも伝わりやすい言い方をすれば……“ゲームマスター”、という事になります。即ちこのゲーム……ザナドゥの管理者という事ですね』
俺が思わず呟いた言葉に彼女……ロギアは言葉を続けた。
ゲームマスター。それはオンラインゲームの世界では必須と言ってもいい役職である。
要するにそのゲームを管理する側の人間。特別な権限を持ち、プレイヤー達と同じ土俵にグラフィックを置く事はあっても、その存在は根本的に異なる。
このゲームにおけるゲームマスターがどの程度の権限を与えられているのかはわからないが、なるほど……あながち神という言葉は間違いではないと言えるだろう。
「ゲームマスター……管理者? それが神様なの?」
しかしどうやらあまりこの手のゲームに詳しく無いらしい黒髪の少女は状況を把握出来ていない様子である。ロギアはそれに対しても優しい口調で応じていく。
『ええ。神……という設定なのです。しかし実際は皆さんと同じ“人間”であり、今は皆さんと同じ様にフルダイブによってこの世界、ザナドゥにアクセスしています』
「えっと、よくわからないけど……とりあえず話を最後まで聞く事にします!」
『賢明な判断だと思いますよ』
黒髪の少女は挙手しながら堂々とそんな事を言い放った。後はもう観戦モードに入ったのか、気をつけという感じに俺の背後で棒立ちを決め込むつもりのようだ。
『さて、まずはザナドゥへようこそ。我々は皆さんの存在を歓迎します』
「我々って……あんた達、トリニティ・テックユニオンなの?」
俺の疑問を代弁してくれたのは金髪の少女だ。猜疑心剥き出しの眼差しでロギアを睨みつけ、恐らく全員が気になっていた事を指摘する。
そう、このゲームはなんなのか。誰が作ったものなのか。俺達は恐らく同じ様にゲームのテスターに応募した人間だ。だが結局このゲームについては何もわかっちゃいない。
このゲームを造ったのがトリニティ社だというのなら、まだ少しは安心出来る。否、それくらいの事は、誰が作ったのかなんて事は、開示して然るべき情報のはずだ。だが……。
『――その質問にはお答え出来ません』
ロギアの返答は穏やかな口調の割に俺達の度肝を撃ち抜いた。
「答えられない? そんなので納得するとでも思ってんの?」
『思ってはいません。ですから納得いただけないのであれば、このままお帰りいただくだけです』
顔は見えないが、にこりと微笑んだのが仮面越しにもわかる気がした。これまた度肝を抜く発言だ。一体こいつは何様なのか。
いや、自称神様ではあるのだが……あくまでもこのゲームは試作運用段階にあり、俺達はそのテスターだ。俺達はどう考えたってお願いされてテスト“してやっている”立場だというのに、そんな当たり前の質問に答えないだなんて、どうかしている。
金髪の少女も相当カチンと来たのだろう。元々釣りあがっていた目尻が更に釣りあがり、なんだかもうそれだけで誰か殺せそうなくらいの視線を向けている。
『我々はトリニティ・テックユニオンとは無関係……ではありませんが、関係があるとも言い切れないのです。その辺りは色々と込み入った事情がありまして……』
「ふざけないで。どこの馬の骨が作ったのかわからない未知のシステムのゲームなんて、安心して遊べるわけがないでしょ?」
『はい。ですから、それでテストを中断するというのであれば致し方ありません』
どちらも一歩も引かず。ロギアも笑顔ではあるが、一切の譲歩を見せない。結果、真正面から殴りあうように二人の視線が互いに突き刺さっている。
「誰が作ったのかなんてのはどうでもいいんだけどよー」
ここで第三者が会話に乱入する。ずっとダンマリを決め込んでいた赤髪の青年だ。有体にいえば柄の悪い感じで、今も組んだ両足を机の上に放り出すという奇天烈な姿勢で参戦しようと試みている。
「このゲームは何をするゲームなんだ? 俺達は何をすりゃいいんだよ?」
『はい。まず、このゲームは……ジャンル的にはロールプレイングゲーム、という事になります。より限定すればMMORPG……とでも言うべきでしょうか』
その言葉を聞いた時、予想通りという気持ちが半分。そうでなければ良かったのにと感じる気持ちが半分、同時に俺の胸中を渦巻いていた。
ファンタジー的な世界観だって事はゲーマーならアホでもわかる。そしてそこに集められた何人かの人間……RPGで何人か集まれば、やる事はそりゃ一つだ。
『特にこちらから指定した遊び方は存在しません。何をするのも皆さんの自由です。世界を思うままに探索し、存分に開拓し、皆さんなりの世界を作り上げてください』
「バトルはあんのか? 戦闘だよ、戦闘」
ロギアのスーパー投げっぱなし攻撃にも一切怯まず、赤髪の男はまくし立てる。
『勿論ありますよ。この世界には皆さんが倒すべき“敵”も、敵と戦う為の“力”も用意してありますから』
そう言ってロギアは光の中に手を翳した。すると空中に幾つかの光の弾が浮かび上がり、それらはロギアの周囲を回転し始めたのだ。
『私はその力を皆さんに授けにやってきました。さあ、受け取ってください』
光は回転を停止し、同時に俺達の目の前に飛来した。それぞれが受け取ったり、卓の上に落としたりと授かり方というのは様々だったが、光は確かに俺達全員へと行き届いた。
『さて、私のすべき仕事は終わりました。これからどうするのか……そもそもこのゲームに参加するのか。それらは皆さんで話し合い決定してください』
「……ちょっと待ちなさいよ! そんな一方的な……!」
立ち上がり身を乗り出す金髪の少女。ロギアは彼女へ新たに作り出した光を投げ渡した。
『大まかな事はそのマニュアルに書いてあります。それでは、いずれまた……』
「ちょ……っ!」
少女が二の句を告げるより早く、ロギアの存在は光の中へと消えていた。
呆然とする俺達。再び場を支配した沈黙。今度の沈黙は先ほどまでの物とは意味が違う。
「えーと……それで……これからどうしよっか?」
背後からの声に振り返る。黒髪の女の子はのほほんとした様子で俺達に笑いかけていた。