偽りの翼(1)
こうしてダリア村の人々を巻き込み、双頭竜の迎撃作戦は加速していった。
「作戦はシンプルよ。実際に直接戦闘で奴を叩きのめすのはシロウの役目。問題はいかにしてその直接戦闘を有利に運ぶかって事ね」
神殿内の円卓を囲む勇者達。そこにオリヴィア姫と付き添いのじいやを混ぜ、JJを中心に作戦を組み立てていく。
「まず竜が進行してくるルートだけど、これは既に判明しているわ。今まで集めた情報を総合的に整理すると、前回と全く同じ道を使うであろう事が予測出来るの」
「前回と同じ道か……って、その肝心の前回のルートって奴はわかるの?」
JJの言葉に疑問を投げかけるレイジ。JJは机の上に地図を広げる。そこには予めペンで予想ルートが書き込まれていた。
「わかるのよ。前回、奴の進行ルートを記録していた奴がいるから」
誰とは言わず視線で応えるJJ。その先に立っているのは遠藤だ。
「僕の精霊の能力でね。まあ、物を調べたり記録するのは得意なんだ」
「遠藤さん、前回竜の動きを記録してたって事ですか? って事は、一部始終見てたって事ですよね……?」
段々と驚きから疑惑の視線に変わるレイジ。それもその筈、ずっと見ていたという事は助けに入るチャンスがあったかもしれないという事なのだから。
「俺達が必死に戦ってた時に何やってたんだよ、オッサン」
「まあまあ。お陰でわかった事もあるんだしいいじゃないか。怪我の功名だよ」
「怪我の功名……そのように使うことわざだったでしょうか?」
小首を傾げるアンヘル。遠藤は咳払いを一つ、身を乗り出して地図を指差す。
「君達が前回奴と交戦した場所はここ……ダリア村の北側に広がっている南ダリア平原という場所だ。そして奴が平原に入ってくるのは……ここ。アムネア渓谷という場所だ」
地図は現地民、即ちダリア村の人々が使っていたものだ。村近辺の範囲しか網羅はしていないが、その分精度は信頼出来るという。
「このアムネア渓谷はアムネア鉱山とも通じていたのだが、村人達は以前この村に逃げ込んだ時に渓谷の幾つかの道を封鎖しているそうだ。故にルートは一つしかないよ」
「前から気になっていたんだけど……つまりダリア村の人達はあの竜がやってくる事を事前に予期していたって事?」
レイジの言葉に頷くオリヴィア。それは当然予想していた事である。そうでなければおかしい、説明のつかない事があの村には多すぎるのだから。
「お察しの通り、我々はあの竜を知っています。というより、あの竜から逃れる為にこのダリア村に避難したのです。元々我々はこのダリア村ではなく、アムネア渓谷を挟んで北側に存在する北ダリア平原の奥、クィリアダリアという場所で暮らしていました。しかし双頭竜を初めとした魔物の襲撃を受け……この僻地にまで追いやられたのです」
「村人達は以前から独自の警戒網を敷いていたの。今回はそれを応用させてもらうわ。そうすれば早期警戒も可能だし、何より手っ取り早いから」
色々と下調べをするとなればそれ相応の時間が掛かってしまうが、今回は村人達という人手がある。更に彼らは長年蓄積してきた対襲撃用の警戒網を持っており、それをそっくりそのまま利用するだけで十分に活用が可能であった。
「んだよ、そんな便利なもんがあるなら最初っから手を貸してくれりゃあよ」
「そう言ってあげるなよシロウ君。彼らにとって我々に手を貸すという発想そのものが異常なんだ。そういう風に作られていない物を、無理を言って動かしているのだからね」
「チッ。まあ、過去の不甲斐なさを指摘してても仕方ねえ。俺も人の事は言えねーしな」
申し訳無さそうに俯くオリヴィア。レイジはその肩を優しく叩いた。
「それでJJ、策はあるの?」
「あると言えばある、無いと言えばないわ」
「おいこらパツキン! てめえそいつどういうこった!?」
「早とちりしないでくれる? 策だなんて呼べるほど上等なものはないってだけよ。勝つ算段なら用意してあるわ。行き当たりばったりもいい所だけど」
食って掛かるシロウを押し退けるJJ。そうして一同を眺め、確認を取る。
「おっさん、“連絡網”はバッチリでしょうね?」
「ああ、言われた通りのポイントに設置したよ。万事問題なしさ」
「シロウ、言われた通りに採掘した?」
「……おぉ。お前がつけた印通りにやったぜ。とっくに終わってらあ」
「“新技”の方はどうなの?」
「そっちの方が先に終わっちまったよ。一人で特訓するのは得意なんでな」
頭の後ろで手を組みながらニヤリと笑うシロウ。続けJJはレイジを見やる。
「物資の輸送と準備はどうなってる?」
「言われた通りにしたよ。あの餅野郎にも死ぬ程水を飲ませといた」
「姫様、装備と連絡は全員に行き渡ってる?」
「問題ありません。私も現場で指揮を執ります」
「そう。アンヘルは有事に備えて姫様についてて。本格的な戦闘が開始したらシロウのバックアップについてもらうから、足を用意しておいて」
「合点承知で御座います」
準備は整っている。しかし準備をしたそれぞれの人間は自分の行いがどのような意味を持つのかまでは把握していなかった。ただJJに言われた通りに事を進めただけだ。
「JJ、何と無く予想はつくけど……そろそろ肝心の流れを教えてよ」
「そうね。ふふふ……あんた達、よく私の言う通りに頑張ったわね。早速スケジュールを渡すから、こいつを頭の中にバッチリ叩きこんで置きなさい」
そう言ってJJはカードを取り出した。光を帯びたカードはふわりと舞い上がり、それぞれの手の中に一枚ずつ収まる。そこにはこの作戦の手順と目的がそれぞれにわかるように記されていた。
「そのカードは私から離れても消滅しない上に私が念じれば遠距離でも絵柄や文字を変化させる事が出来るの。ま、簡易的なメールだとでも思ってもらえばいいわ」
「へぇ。要するにこいつで指示を飛ばすってわけか」
「それだけじゃないけどね。あとは……レイジ。あんたは他の人より色々とやるべき事が多くなってるわ。つまりこの戦い、あんたが要ってわけ」
カードを眺めているレイジに目を向けるJJ。その眼差しは真剣そのものだ。
「ぶっちゃけた話、あんたがダメだったら全部がオジャンってわけ。レイジ……リーダーとして、私達を率いる者として、あの竜に立ち向かう覚悟は出来てる?」
自然と全員の自然がレイジに集まった。
そもそもこの作戦の言いだしっぺはレイジである。彼が仲間達に頭を下げ懇願し、彼らがそれを承諾する事でようやく成立した状況なのだ。
誰もがそれを口にする事はなかったが、レイジには彼らを引っ張ってきた責任がある。更に言えば前回は逃げたという、拭いようのない汚名もある。故に。
「覚悟なんて大それたもの……多分、出来てないと思う」
正直に、嘘偽りなく心を明かした。それが正しいのか間違いなのかはわからないままに。
「戦おうって気になったのもゲームだからさ。結局現実であんな化物出てきたら、多分またビビって逃げると思う。でも……それでも、上手く言えないけど……俺、戦おうって思うんだ。かっこ悪い自分のままなんて、我慢出来ないから。皆には信じてもらえないかもしれないけど……俺……」
「なーに言ってんだよ。そんなんの互い様だろうが」
レイジの肩を強く叩くシロウ。更に反対の肩を遠藤が優しく叩く。
「僕たちは訓練された兵士でもなければ選びぬかれた英雄でもない。不安は一緒さ」
「それでもやろうって立ち上がったんでしょ? 覚悟……なんて重たい言葉使ったけど、私だって死ぬのは怖い。例えゲームだとわかっていてもね」
微笑むJJ。オリヴィアは左右の拳を握り締め、目を瞑り叫ぶ。
「信じます! 他の誰がなんと言おうと、私は皆さんを……レイジさんを信じます!」
「み、みんな……。なんか……こういうの、ちょっと恥ずかしいね」
そっぽ向くJJ。遠藤はウインクをし、シロウはサムズアップしている。アンヘルはいつも通り無表情に頷き、オリヴィアは興奮した様子でぴょこぴょこ飛び跳ねていた。
でこぼこなメンバーだが、今はそれぞれを尊重し合えている……そんな風に思う。実際の所どうかはわからない。でも今はそのフィーリングを大事にしたいと思った。
「――やろう。ミサキの敵討ちだ。双頭竜を倒す……俺達の手で!」
……無論、彼らの心は一つではなかった。
彼らの中にはまだ解決されていない問題があり、立場があった。故にこの結束は偽装。沈黙の上にしか成り立たない儚い絆である。しかし今この時、誓いの言葉が真実か虚偽かなどという事は瑣末な問題であった。
言葉は力になる。それがどんな偽りであろうと、震える足を前に進ませ足り得るのであれば構わない。それは間違いなく、彼らの中の共通認識なのだから――。
北ダリアと南ダリアの平原を遮るアムネア渓谷。二つの平原を渡すこの渓谷には、確かに幾つかのルートが存在している。だがしかし巨大な竜の身体を許すほどの幅を持つ道となれば、選択肢は大幅に狭められてしまう。
いよいよ双頭竜が動き出したという情報が届いたのは、プレイヤー達のログイン日数で言えば三日後の事であった。その日は前回の襲撃時と同じく分厚い雲が空を覆うどんよりとした天気の日で、まるで彼らの不安を体現しているかのようだった。
北ダリア平原からアムネア渓谷へと歩みを進める竜。それは最早双頭の竜ではなかった。前回の交戦でミサキが斬り落とした右の頭は既になく、切断面からは黒い霧状の光が尾を引くようにして漏れ出している。
「こちら遠藤おじさん。目標は無事ポイントAを通過中。それと朗報が一つ。やはり奴さんの首は片方消失したままのようだよ」
アムネア渓谷の入り口付近に立つ一本の木。そこから遠藤の声が聞こえている。しかしいくら目を凝らしてみてもそこに遠藤の姿を認める事は出来なかった。
故に巨竜は一切の反応を見せずのしのしと渓谷に入っていく。その後姿が遠のき始めたのを確認し、遠藤は自らを対象として発動していた能力を解除した。
木の根元の部分の空間がぐにゃりと歪み、僅かに虹色の光を放った。するとそこにすっと浮かび上がるようにして遠藤の姿が現れたのだ。
『了解。ポイントBとCの連中に連絡して。あんたはこのまま目標を追跡。行動に異常がないか監視を続けて』
「はいはい。了解したよ指揮官殿……っと。さあて、お役目はきちんと果たさないとね。大人がしゃんと約束を守らないと、子供に示しがつかないってものさ」
笑みと共にパチンと指を鳴らす遠藤。するとその背後にゆっくりと何かが現れ始めた。
先の遠藤と同じ様に、“光”を屈折させて空間に潜んでいた物。それは全長3メートル近い、巨大な蜘蛛の怪物であった。
蜘蛛と言ってもその身体はまるで鏡のように磨きぬかれた金属物質で構成されている。本来ならば周囲の景色を写し取る筈であるその美しい身体の彼方此方には、“ここ”からは遠く離れた別の場所の景色が写りこんでいた。
この怪物こそが遠藤の持つ精霊。その能力は“情報の制御”である。
遠く離れた人間に映像や音声を届ける事もその能力の範疇だし、自らの存在を偽装し、情報を遮断する事も同じ扱いである。
戦闘力は低いが利便性は非常に高く応用が効く。尤も外見があまりにも魔物然としている為、村人達の前では迂闊に出せないという悩みもあるのだが。
「ポイントBに先回りしようか。遅れるとJJにどやされてしまう」
男は一息に跳躍し大蜘蛛の背中に飛び乗った。同時に蜘蛛は金属が擦れるような奇妙な鳴き声を上げ、ずかずかと渓谷に向かって走り出す。
アムネア渓谷はいわば巨大な一つの岩だ。南と北の間にどっかりと居座る横幅10kmほどの赤い粘土質の岩。ここに入った無数の亀裂が道となり、水を通して川を作っている。
遠藤を乗せた蜘蛛はこの壁に無数の足を突き刺し見る見る間に上っていく。高度はまちまちだが、凡そ20メートル程上れば岩の上に立つ事が出来た。
亀裂沿いに走れば道を歩いている竜を確認出来る。アップダウンの激しい岩盤の上を器用に駆ける蜘蛛の背中に乗り、遠藤はその様子をじっと監視していた。
「こちら遠藤。奴さん予定通りのルートを進行中だよ。十分もしないうちにポイントBに到達するんじゃないかな?」
遠藤が声をかける先にはJJの言うポイントBという場所がある。そこには遠藤の精霊を小型簡略化したような小さな蜘蛛の精霊が座っており、その傍らに村人達が準備を終えて待ち構えていた。
場所は遠藤が走る場所と同じく高所。竜が通過するルートを挟むように左右に展開しているのがポイントBとCである。
B側、C側共に崖の淵には大きな岩が設置されている。およそ人間の力ではこのような高所に巨大な岩石を設置する事等不可能だが、ミミスケと呼ばれるレイジの精霊ならばそれが可能であった。
シロウが切り出した巨大な岩をミミスケが丸呑みにし、レイジがここに設置させる。ただそれだけで本来ならば何日……いや、何週間もかかるはずの作業を完了する事が出来た。
「お姫様、やるべき事はわかってるわね?」
「は、はい! えっと、ここから岩を落として竜を攻撃するんですよね?」
「ええ、それだけわかっていれば上出来。タイミングはこっちで指示するから、それまでは慌てず脅えずしっかり隠れていなさい。アンヘル、そっちは宜しくね」
ポイントBにはオリヴィアとアンヘルが、そして向かい側のポイントCにはJJが控えている。それぞれが十名程の村人を連れており、その時が来るまで屈んで竜の到来を待っていた。
「岩落としでどれくらいの効果があるかはわからないけど、全くの無傷って事はないでしょ。それに本命は別にある……ここでは少しでも相手を消耗させられればそれでいい」
ここに連れてきたのは弓矢の扱える村人達だ。実際に岩を落とすのは常人よりも膂力の高いアンヘルとJJが担当し、村人達は弓での援護攻撃を担当する。
とはいえそもそもダリア村にはまともに戦う事の出来る男集が殆どいなかった。これまでの長い逃亡生活とダリア村近辺の防衛の為に殆どの若い男を出払ってしまっていたからである。結果、集まったのは女や子供、老人ばかりであった。
鍛冶師のズールは鏃だけではなく弓を作るのもこなれていたが、いくら立派な弓を持たせたところで所詮は戦闘経験の殆どない一般人。あてになるかと言えば微妙な線だ。
「ま、相手はあれだけデカブツ。こっちは上を取ってるんだから、外す方が難しいでしょ。レイジ、そっちの準備は?」
ポイントB、Cの手前、二つのポイントからぎりぎり目視できる地点をポイントDと称し、レイジとシロウはそこに立っていた。他のポイントが高所であるのに対し、このポイントDだけは竜の進行上にあり、真正面から対峙を迫られる位置にあった。
「へっ、あいつが来るのが待ち遠しいぜ。まだかまだかって拳が唸ってやがる」
「……こちらレイジ。シロウが一人で盛り上がってるよ」
『シロウ、わかってるんでしょうね? あんたが一人で飛び出したら、私達の計画は全部台無しになるんだから。絶対に指示があるまでそこを動くんじゃないわよ』
「うっせーぞチビ! 俺だって同じ失敗は二回も繰り返さねーっつーんだよ!」
『どうだか……。信用ならないからしっかり手綱をつかんでおいてね、レイジ』
通信機の役割を果たしている遠藤の子精霊がここにもあった。それに向かってシロウとJJはいがみ合っているのだから一見すると間抜けである。溜息を一つ、レイジは気持ちを切り替えた。
「シロウが本気で暴れたら俺なんかじゃ止められないよ。だから手綱を握るのなんか無理。だけどシロウの言う通り、同じ失敗は二度もしないって信じてるから」
「……レイジ」
鼻の頭を撫で、それからシロウは自らの拳を突き出した。
「ダチの信頼には応えるのが男の義務だ。誓うぜ。俺は……いや、俺達は今度こそあの化物をぶっ倒す! だからお前も誓え、レイジ」
「ダチって……なんかもうシロウはいちいち熱いなあ」
苦笑を浮かべながら拳をあわせる。そうして二人して笑顔を作った。
「やっちまおうぜ、相棒!」
「……うん。そうだね。やっちまおう。やっつけて……ぶっ倒しちまおう」
竜がいよいよポイントBとCの中間に差し掛かる。
巨大な竜が大地を踏みしめる音は皆の心に不安を抱かせた。伏せた姿勢のまま冷や汗を流すJJ。これまでは神殿に引き篭もっていたから偉そうにふんぞり返っていられたが、こうして現場に出てしまえばリスクは均等。どうしても心音は高鳴っていく。
「大丈夫です、JJ。きっと上手く行きます」
その時聞こえて来たのは向かい側に寝そべったアンヘルの声であった。意外な人物からの励ましに苦笑を浮かべ、取れた緊張の代わりに不遜さを取り戻した。
「――言われるまでもない。レイジ、作戦開始! 派手にやりなさい!」
JJの叫び声が響く。レイジは精霊であるミミスケを取り出し、それを足元に置いた。
「おい、餅巾着。よく聞け。これは俺とお前の大事な話だ」
地べたに転がっている精霊はだらりとしたまま振り返る。その視線に覇気はない。
「確かにお前は腹立つ精霊だよ。なーんの役にも立たない、まともに戦う事も出来ないクズ精霊さ。正直何度外れを引いたと思ったかわからない」
「むっきゅー……むきゅきゅい」
「だけどさ、俺にはお前しか居ないんだよ。俺がこの世界で生きていく為にはどうしてもお前を頼らなきゃならないんだ。それに……俺は自分で言った言葉を忘れていた」
目を瞑り、ミサキの姿を思い出す。
いつも笑顔を浮かべていたミサキ。いつも自分を守ってくれたミサキ。結局最後の最後の瞬間まで、彼女を救う事は出来なかったけれど……。
「よう、ミミスケ。お前は美咲が好きだったろう? 俺もさ。俺も美咲が大好きだった。だからさ……ミミスケ。何度だってお前の名前を呼んでやる」
正直に言えば、ダサい名前だと思う。ミサキのネーミングセンスは少し不思議な感じだった。けれどもその名前は彼女が心を込めて呼んだ名前だ。この無能の餅巾着にも、ミミスケという名前が確かにあったから。
「俺は……お前の力を信じる。お前を肯定する! だからミミスケ、俺に力を貸してくれ! 俺とお前は二人で一人だ。二人で……あいつをぶっ倒すぞッ!」
拳を握り締めて叫ぶ。足元に転がっていたのは最早餅巾着ではなく、レイジの持つ精霊、ミミスケであった。ふにゃふにゃと柔らかくなっていた身体に活を入れ、今ミミスケは燃える闘志を隠そうともせずに勇ましく雄叫びを上げた。
「むっきゅううーーーーぅい!」
「……なんかしまらねぇなオイ」
背後で冷や汗を流すシロウ。だがレイジとミミスケは燃えていた。レイジはミミスケを抱きかかえ、そしてシロウに告げる。
「シロウ、俺の身体を後ろからがっちり固定してくれ」
「お? お、おう。任せろ!」
背後から腕を回しレイジを支えるシロウ。レイジは息を呑み、視界の端に見え始めた黒い異形を睨んだ。
「行くぞミミスケ。開門用意!」
「むっきゅ!」
顎が外れたように巨大な口を開けるウサギ。その奥からゴゴゴという何やら迫力のある音が漏れ出している。
「……放て――ッ!」
「むっきゃああああ!」
まるで爆発音のような轟音が渓谷に響き渡った。だがそれは決して炎が爆ぜた音ではない。ミミスケの口から放出されたもの、それは――大量の川水であった。
まるで光線のように放出される夥しい量の水。それは壁を、床を抉りながら猛然と竜へ襲い掛かった。




