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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【愛にすべてを】
122/123

さよならのかわりに(3)

 ――世界を変えるには、膨大な時間が必要だった。

 ザナドゥと同化したミミスケは、私達に全面的に協力してくれたけれど、世界の成り立ちを全てゼロにすることはできなかった。

 最初に彼が行った事、それは世界をリセットする事。これまでの世界がそうであったように、滅びに瀕した世界をまたゼロに戻したのだ。そうして私達の戦いが始まった。

 この大地の上に生きる人間は、自らの意思を持たない。自我に覚醒した人々も、死んで再生すればまた元通り、ただの傀儡へ還る。

 私達は考えた。少なくとも、状況は以前よりはマシだ。何故ならば人間でありながら、王でありながら、その力を有したまま、世界のループを超えた私という存在があったから。

 オリヴィア・ハイデルトークは、人間である事を捨てた。

 天空に浮かぶパンデモニウムから世界を見下ろし、人々に意思を与える戦いが始まった。そうして私はようやく、ロギアの苦悩と絶望を知ることになる。

 この世界の人間は、誰もが神による救済と永遠を当然としている。それが特別な事なのだと示し、理解させるのには酷く時間が掛かった。

 ザナドゥは変化しない世界を認めない。変化を望む為には人々に自立が必要であり、同時にその自立が血の歴史を刻まぬよう、感情を制御する必要があった。

 ダモクレスの剣と、アンヘルが私にくれた永遠の生命……。その二つだけを頼りに、私は神を名乗って世界への挑戦を始めた。

 私はあらゆる国を旅し、あらゆる人々に会い、彼らに教えを説いた。人が人である為に必要な事。大切な事を。

 神が手の触れられる場所にいるという事。それが争いの火種に成ることもあった。私はそうした人間を自らの意思で刈り取って言った。


「俺達の世界には神様がいなかった。だからこそ人間は自分の存在を信じ、自らの力で歩き始めた。そしてその前進が、人間同士が殺しあう仕組みでもあった」


 それを望まないのであれば、全てを支配するしかない。そんな彼の言葉はまさしく真実だった。

 私は平和を祈り、その傲慢さで人々を支配した。時を流し、人々に死の恐怖を与え、しかし彼らがお互いを憎み合わぬよう、制御し続けた。

 進化のためにはどうしても競争が必要だ。私は人々が競い合うように発展を促した。だがその競争の中には必ず憎しみが生まれる。それはどうしようもない事だった。

 神という立場の人間が作り上げた人間を制御する為の軍隊は天使と呼ばれ、それらはパンデモニウムから地上を監視する。

 多少のいざこざ、多少の死や憎しみは許容せねばならないと悟り。私は地上を歩くことをやめた。

 私という存在が彼らに身近でありすぎれば、彼らはまた神を頼る。だからこそ私は彼らを突き放したまま、しかし神話を誇示し続ける必要があった。

 この世界がどのようにして成り立ったのか、私は包み隠さず全てを神話とし、人々に伝えた。

 勇者と呼ばれた者達のこと。世界と対話し、救った救世主の事。

 私は人々が崇拝する神、ロギアを名乗りながら、自分たちに都合よく曲解した歴史を人々に伝え、偽りの平穏を作り上げた。

 私達はその罪深い楽園を見下ろし続けた。あらゆる膨大な可能性から未来を予知し、滅びの枝葉を切り、育て続ける日々が千年過ぎ去った。


「新しいオリヴィアは、新しいダンテと結婚し、二つの国が一つになる、か」


 パンデモニウムの庭園に作られた地上を映し出す鏡。そこではオリヴィアとダンテが双方の国々に祝福され、同じ指輪を輝かせていた。

 多分それは、あったかもしれない私の未来。泉を同じく覗き込むアスラはゆっくりと顔を上げ、それから私に目を向けた。


「人間は相変わらず油断すれば直ぐに殺し合おうとする。それが本質なのだろう。その本質を制御した結果作られた、神という罰の存在する世界……か」

「歪んでいますね。何もかもが。けれど、ありのままにすれば、恐ろしい歴史が繰り返されてしまう」

「世界を納得させるだけの変化がなければまた魔物が生まれ人々は滅びてしまう。どうあっても生命は互いに潰し合うさだめなのかもしれないね」


 そう。本来あるべき形を歪め、私は私の自己満足のために生き長らえている。

 本当に、真にあるべき幸福とはなんなのか。救いとはなんなのか。私はずっと考え続けてきた。

 でもわからないのだ。そしてそれはきっと答えを得られるようなものではないのだと知る。

 ロギアがそうであったように。足掻き、試行錯誤する中で、結局は滅びの道こそ真実なのだと、私もいつか悟る時が来るのかもしれない。

 二つの世界は閉ざされたけれど、ザナドゥが自らの可能性に絶望した時、またあの悲劇の続きが始まるだろう。それだけはなんとしても阻止しなければならない。

 結局のところ、ひょっとしたら、二つの世界が一つに成る事こそ、一番の解決策だったのかもしれない。世界が本能でそう望んでいたように……。

 けれど私達は自らのエゴで、自分たちにとっての最良を求め、そしてその裁量の中で手を尽くし戦った。そうするしかなかったから。

 世界はどこまでも残酷だ。生命はどこまでも残酷だ。私達は存在する限り、その存在に否定され続けている。


「世界が変化を促す為に魔物を生み出した意味が、今なら何となくわかるような気がするんです。世界はきっと、ロギアや、最初にこの世界を作った神様の意思を尊重しようとしていたのではないでしょうか」

「人間同士が憎みあい、殺しあうのではなく、人と人とが分かり合える理想郷のまま、そのままに、新しい脅威を作りたかった……という事か」

「人が一つに成るためには、異なる考え方の者達が心重ねる為には、彼らが共に憎むべき存在が必要だったのです。人は憎しみだけで分かり合うことができる。もしもそれが真実なのだとしたら……世界はやはり、自らを生み出した神も、自らが生み出した人も、共に愛していたのでしょうね……」


 私が作った歪んだ箱庭。私が作った、偽物の愛がある世界……。

 その全てにどんな価値があるのかはわからない。もしも全てが無価値なものだったとしても、私には……。


「君が正しかったのかそうでないのかは、誰にもわからないよ。少なくとも君達は自らを犠牲に願いを……約束を果たしたんだ。それは誇るべき事なのではないか?」


 アスラの言葉に笑みを返す。そう。それでも私達は選択し……成し遂げたのだ。

 後悔なんてしない。許されるはずもない。私は全てを犠牲にして……やっと、この未来に辿り着いたのだから……。




「レイジ様」


 パンデモニウムの玉座で、彼は眠っていた。

 安らかな表情で、小さく寝息を立てている。まるでうたた寝のようなそれが、死よりも重い絶望に囚われている事を私は認めたくなかった。

 彼が彼のままでいられたのは、本当に最初の方だけ。数百年が経過する頃には、彼はどんどん自らの自由を失っていった。

 ゼロだった世界に無数の可能性が生まれ、世界そのものの制御装置となった彼は、自我を保ったままでそれを保存出来なくなっていった。

 異世界へ勇者達の逆召喚を続けながら、ザナドゥに新しい歴史を刻む事は途方も無い事だ。人間のままで出来る事ではなかったから、世界は彼を人ではなくすのに躍起になった。

 人の形をしたままで、少年の姿形のままなのに、彼はもう人ではなかった。世界という牢獄に囚われ、ありとあらゆる人権を剥奪された装置。それが、救世主の末路だった。


「レイジ様……」


 その傍に跪き、彼の膝に手を重ねる。

 彼は私を救うために、この世界に残ってくれた。自らの人生を、自らの過去をすべてかなぐり捨てて。

 その選択がどれほど彼にとって、彼の身近な人達にとって過酷なものであったか。それなのに彼の善意と救済の果てがこんな静寂だなんて、なんて悲劇。なんて……残酷。


「レイジ様…………」


 あなたはあらゆるものを愛し。あらゆるものを救おうとして。その結果、自分の何もかもを全部誰かにあげてしまって。

 もう、どこにもいなくなってしまって。もう、どこにも帰れなくなってしまって。

 皆が皆救われる為に。皆の願いを叶える為に。あなたが本当に望んだ物は何一つ帰らずに。あなたの愛は、誰にも届かずに……。


「きみ……は……」


 声に顔を上げると、うっすらと瞼を開いた彼が虚ろな瞳で私を見ていた。

 震える手を両手で包み微笑みかける。これは、彼じゃない。彼だったものの中に残っていて、時々思い出したように顔を覗かせる幻だ。


「オリヴィアですよ、レイジ様」


 それでも私は微笑みかける。少しでも彼の見る死の夢が安らかであるようにと、そんな偽善の為に。


「オリ……ヴィア? だれ……だ……っけ?」

「あなたをお慕いし……常に共にある者です。その名はもう、忘れてしまって構いません。それでも私は……ずっとずっと、あなたの傍にいますから」


 力なく彼は私の手を握り返し。そっと、安らいだように瞼を閉じた。

 それ以上彼が私に何か言葉をかけてくれる事はない。もう何百年もずっと、私は彼とまともに言葉を交わしていない。

 それでいいと決めたのだ。それだけのわがままを通したのだ。なのにどうしても悲しくて、どうしても哀れで、涙が溢れてしまう。


「レイジ様……」


 思い出してほしい。本当はまた、あの頃のように笑いかけて欲しい。

 あなたとの記憶は全て私の中で、褪せることなく輝いています。

 あなたと初めて出会った日の事。あなたたちが私の為に戦ってくれた事。

 大丈夫と言って手を退いてくれた事。ごめんと言って抱きしめてくれた事。

 ありとあらゆる思い出が愛おしい。あなた達がそばに居てくれた事、私は絶対に忘れません。


「どうか…………わずかでも。安らかな夢を…………」


 強く握り締めた手が私に答えを返す事はない。

 俯き涙を流しても、彼がもう一度私に笑いかける事はない。

 私はただ諦める為だけに彼のぬくもりを確かめる。もう、彼ではなくなってしまった抜け殻を抱きながら。

 それが私という、世界の全てを変える事を願った人間への――永遠の罰だった。


「むっきゅい」


 涙を拭い、振り返る。そこには一匹の精霊が転がっていた。傍らにはアスラの姿もあり、彼女は餅のような精霊を抱き上げ歩み寄る。


「どうやらザナドゥ様からお話があるようだぞ、オリヴィア」

「え……?」




「メリーベル! 例の装置に反応があったって本当か!?」


 スーツ姿の清四郎が飛び込んだ部屋の中ではメリーベルとロギアが大型モニターを見つめていた。

 トリニティ・テックユニオンという企業は、先の事件の後、バテンカイトスによって買収され、現在は異世界事件対策の隠れ蓑として機能していた。

 そこにはあの日から機能を拡張され、しかし保存されたままのダイブ装置が並んでいる。メリーベルは振り返り、清四郎に目を向けた。


「本当よ。三年で反応があるとは思いもよらなかったけど」

「間違いなくザナドゥの反応です。三年前のJJの仕込みは無駄にならなかったようですね」


 ぱっと明るい表情を浮かべる清四郎を押しのけ部屋に入ってきた東雲が煙草に火を点ける。


「反応があるのは構わないが、まさか先の侵攻の続きではないのだろうね?」

「そんなわけあるかよ。レイジとオリヴィアなら絶対、世界を何らかの形で変えてるはずだ」

「君はあれから三年間異世界関連の事件に携わってきたのに前向きだな……」

「お前が後ろ向きすぎんだよ」


 二人はバテンカイトスとして、そして鳴海機関の一員として、この世界で続く怪奇事件に携わってきた。

 この世界は無数の平行世界、そして上下世界に囲まれている。一年間に発生する異世界関連の事件はバテンカイトスが把握しているだけで五十件を超える。

 年々増加傾向にあるこれら異世界がらみの事件をこの世界の政府が人々に隠し通すことが出来る時間は間もなく終わるだろう。

 清四郎は自分の経験から、同じように異世界との関わりで困っている人々を救うためにその拳を振るう事を決めた。東雲は他に行くアテがなかった所、清四郎に誘われただけだが。


「異世界の感知装置はメリーベルと黒須のお陰で随分進歩したそうじゃないか。だったら間違いってこともないんじゃないかな?」

「シロウ! 久しぶりだな!」


 更に部屋に入ってきたのは遠藤と葵だった。葵がシロウに駆け寄ると、二人は拳を合わせて笑い合う。


「葵か! デカくなりやがって……今は中学生だっけ?」

「中一だよ。シロウ、顔になんか傷跡増えてる?」

「色々危ない目に遭ってるからな! メリーベルの人使いの荒さはちょっと異常だぜ」


 頬についた刃物のような傷跡を指先で撫でながらシロウは笑う。遠藤はそんな二人を横目にモニターに近づき。


「それで? 彼は呼びかけに応じるだろうか?」

「わかりません。私も既に、あの世界からは完全に解き放たれた立場です。彼の存在を感じ取る事はできませんから」

「だとしても……きっと彼なら応えてくれるさ。祈ろう。彼の祈りがあの日僕達を救ってくれたように……僕らの祈りが、彼に届いてくれるようにと」




「レイジ……レイジ!」


 随分長い時間、眠っていたような気がする。

 人が生まれて死んでいく、世界が始まって終わっていく夢を見た。あの時、ザナドゥの中心で自分を失った時のように、輪郭もなく漂う自分に声が聞こえた。

 俺に触れる人がいる。それは俺と同じ姿をした、もう一人の自分。そいつはまるで俺に自分自身を与えるみたいに光を放ち、俺の存在を闇の中で確かめていく。


「ミミスケ……?」


 代わりに彼はとても小さくなってしまって、まるで餅巾着のようになってしまった。小さな彼の体を両手に乗せて、俺は自らの存在を自覚する。


「悪いな。頑張ったんだけどよ、ザナドゥから抽出出来たお前はそれだけだった」

「それだけって……?」

「お前は今状況を把握できて居ないと思うが……お前は俺と一体化し、世界そのものの制御システムになっちまったんだ。それは覚えてるか?」


 わからない。そうだったような、そうでなかったような。まだ頭がぼんやりしている。


「お前は自分自身を手放してまで、皆の願いを叶え続けたんだ。その結果自分を失っちまったんだよ」

「そうだったの?」

「そうなの。だけどな、レイジ。お前がそんなんになっちまっても、沢山の人が悲しむだけだった。わかるか? お前は皆を救ったけれど、お前自身が救われない事で沢山の仲間に傷を残してしまったんだ」


 わかっている。それが俺の罪であり、罰なのだと。

 わがままを通すために生命の法を犯した。そうまでしても未来を作りたかったから。


「そしてな。こうなることを予想していた奴らがいたんだ。JJとオリヴィアだよ」


 掌の上でぴょこんと跳ねた餅は、俺に背を向けて遠くを見ている。


「オリヴィアが自分一人で世界に反旗を翻したのは、お前たちと戦ったのは、お前がきっとこういう未来を選択するとわかっていたからだ。そしてJJも、お前をあの日ザナドゥに転送したら、きっと戻っちゃこないだろうと悟っていた」


 遠く、暗闇から差し込む光。あの光に俺は覚えがあった。あの日、あの決戦の日。俺を闇の奥底に眠るザナドゥの元へ導いてくれた光だ。


「二人はお前がザナドゥと対話している間に手を組んだ。黒須とロギアの力を借りてな。二人は道を隠していたんだ。元々、お前たちの世界から派生した下位世界であるザナドゥは、異世界へ通じる道を持ってる。へその緒みたいなもんだ。そこからザナドゥは自分の意思でロギアを召喚した。黒須が作った召喚システムもそれを利用したものだ。大規模な転移はできなくても、そういう小さな道が残っているんだよ」

「だけど……そんな道を俺みたいな大きな存在が通過すれば、世界の壁を壊してしまう……」

「だから、それを俺が制御する。俺がこっち側から、お前を逆召喚する」


 ミミスケは俺の掌からぴょこんと闇に弾んで、再び人間の姿を取った。


「俺が俺自身を騙す。黒須の召喚システムが世界に異変を悟らせないように騙していたように。今度は俺が召喚システムになって、ザナドゥに誤認させ続ける。なぁに、ちょっとした子守みたいなもんだ。今の俺にならワケないさ」

「どうして……?」

「なあレイジ。ミサキは俺に名前を与えてくれた。そしてお前は俺に人間という物を理解させてくれた。世界そのもの、ザナドゥそのものである俺に、お前は希望を見せてくれた。そしてお前はみんなの希望になって、ここでいつまでもそれを守り続けてきた。だけどよ、もういいんじゃねえか? もう、十分やっただろ?」


 少年は俺の肩に手を置き、優しく笑いかける。彼は俺の苦しみを知っている。俺の嘆きを知っている。だって彼は、俺の心から生まれた、世界の一部なのだから。


「二つの世界はほぼ完璧に遮断されたから、そのへその尾が調和する一瞬を待つのに千年もかかっちまった。だけど俺はこの時の為にずっと力を溜めてきたんだ。レイジ……お前をあの世界に戻してやる為にな」

「だけど、世界のルールを……世界の壁を壊すわけには……」

「お前が手にした全ての力は俺が貰う。俺自身をお前と世界に誤認させる。ま、同一存在だから誤認っつーか、リソースの問題なんだけどな。出来る限りお前の人間性をかき集めて突っ込んだ。お前というただの人間を元の世界に返すだけなら、それは世界が元々持ち合わせている自然な動きだ。だからそいつを乗っ取って、不必要に境界を傷つけないようにする。心配すんな、全部上手くやってやる」

「ミミスケは……一人になるってこと? そんなの……」

「あのなレイジ。俺はそもそも一人っつーか、世界の一部なんだよ。俺そのものがザナドゥなんだ。これからは俺の中にいる“俺達”と上手くやっていくだけだ。お前との旅は楽しかったぜ。本当に楽しかった。だけどよ、出会いがあれば別れもあるんだ。大人になるっていうのは、そういう事なんじゃないか?」


 ミミスケが触れている肩から、少しずつ空っぽだった自分が埋められていくのを感じる。それに伴い、俺は意識を覚醒させつつあった。


「この世界はずっと、親にすがりついていた子供だった。だけどお前たちの世界がそうであるように、もう親離れしなきゃいけない時なんだ。例えその結果、望まない未来に辿り着いたとしても。血で血を洗う歴史を刻んだとしても。お前たちが作ろうとした理想郷はきっと、この世界の人々の胸にも刻まれ続ける。お前たちの世界の神話が今でも人々の胸を打つように。お前たちのしてきたことが、きっとこの世界の誰かに受け継がれていく」

「ミミスケ……」


 彼の手を握りしめる。それは俺とおんなじ手だけど、きっと違う。同じ体、同じ生命を共有してきたけれど。彼は膨大に渦巻く彼らの一つに過ぎないけれど。彼の存在を、個をハッキリと感じる。


「お別れだ、相棒。今度こそ、これで終わりにしよう。お前達が作ってくれた千年は、きっと永遠にしてみせる」

「俺は……戻ったところで、俺みたいな奴に……」

「グダグダいいっこはナシだ。あんまり時間もねぇ。次のチャンスはまた千年後だ」


 ミミスケは白い歯を見せ笑う。そうして俺の胸を、拳で強く叩いて。


「“またな”、相棒。ハッピーエンドっていうのはな。皆が救われなくっちゃ、意味がないんだぜ――?」


 急速に遠ざかる彼の姿に手を伸ばしても届かない。少年は遠くで手を振り、あっけらかんと笑う。

 叫び声は音にならなかった。ただ零れ落ちた涙の雫が、次から次へと闇に吸い込まれ、俺の意識は光の中へと引き上げられていった。




 急停車した軽自動車から転がり落ちるように飛び出した深雪はトリニティ社へ走る。


「ミユキ、先に行ってなさい! あいつに言いたいことが山ほどあるんでしょ!」


 頷き、JJに礼を行ってエントランスへ飛び込む。ガードマンに止められるも、直ぐに開放されたのは傍で氷室が待っていたからだ。

 そんな事はお構いなしに深雪はエレベーターへ飛び込み、目的地へ急ぐ。過ぎ去っていく階層のランプを見つめ、焦る気持ちを抑えながら。

 胸の鼓動は激しく脈打っている。こんなに生きている事を感じるのは久しぶりだった。ずっとずっと、本当は待ち望んでいた。諦める為に熱をそぎ落として。

 扉が開くのを待ちきれずに隙間に体をくぐらせ、つんのめりながら走った。廊下を走りながらハイヒールを脱ぎ捨て、髪を振り乱し走る。

 部屋の向こうから仲間達の歓声が聞こえる。大きな自動ドアをくぐると、そこにはずっと待ち望んでいた景色があった。

 ある日当たり前みたいに、ぽんと戻ってきた彼が。仲間達に囲まれてそこにいる。そんな都合のよすぎる夢を見ていた。

 これがもしも夢でも構わない。それでも彼がそこに居る。触れることが出来る。慌てて駆け寄り、彼が横になったベッドに縋り付いた。

 あふれる涙を止めたいなんて思いもしなかった。手を握り締めると、体温を感じる。誰もが願った救済がそこにある。


「――おかえりなさい、レイジさん」


 ゆっくりと瞼を開いた少年に、祈るように少女は告げた。

 力なく握り返す指先は熱く。零れた涙は指先を伝い、乾いた心を潤すように、そっと少年の掌を濡らした。

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なつかしいやつです。
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