覚悟と資質(2)
「ちょっと、どこに向かってんのよ!」
「シロウの所だよ。シロウの手も借りたい。JJ、どこにいるか知らない?」
「鍛え直すって言ってたから、多分鉱山じゃないかしら……って、まさかこのまま鉱山まで走るつもりじゃないわよね!?」
「それが一番速い」
青ざめるJJ。こんな状態で――俗に言うお姫様抱っこをされたままで走り回られるなど、正気の沙汰ではない。引きこもりたい少女にとって、こんなのはあまりにも惨たらしい苦行であった。
「いぃーっ、やぁーっ!」
何度目かわからない悲鳴を上げるJJ。しかしレイジは聞く耳持たず、しっかりとJJを抱えたまま鉱山を目指していた。
精霊の強化を受けた状態の脚力、持久力は通常時とは比べ物にならない。それでも人一人抱えての強行軍はレイジを疲労させるに十分であった。鉱山に入りシロウとアンヘルを見つけ出す頃には、すっかりレイジの息も切れていた。
「シロウ、アンヘル……」
「……レイジか。何しにきやがった」
鉱山の道中、レイジはシロウ達を発見した。魔物を倒した直後なのか、シロウの足元からは黒い光の粒が空に舞い上がっている。
「もう一度あの竜と戦いたい。シロウにも力を貸して欲しい」
ゆっくりと振り返るシロウ。そこには以前のような無鉄砲な明るさはなく、神妙な面持ちでレイジを見つめ返した。
「ミサキの仇討ちか?」
「それもある。でもそれだけじゃない。彼女の気持ちを無駄にしたくないんだ。だから彼女の為に、全員で力を合わせてあいつをぶっ潰したい」
「お前……なんか少し変わったか? JJ持ち運んでるしよ……」
そこで自分の状況に気付き暴れるJJ。レイジはシロウから目を離さないままJJをその場に下ろした。行き場を失ったJJはダッシュでアンヘルの後ろに飛び込んでいる。
「あいつに勝つためにはシロウの力が必要になると思う。シロウには炎を無効化する能力があるんだろ? あいつのブレスを防げるのならチャンスはあるよ」
「…………かもな。でもよ、悪いんだが……俺にはお前と組む資格がねえんだわ」
「どうして?」
後頭部をがしがしと掻き、シロウはレイジの傍に立つ。山道からは遠くまで広がる平原が臨め、二人の視界からはダリア村も、三日前の戦場も容易に見つける事が出来た。
「俺がバカだった。その所為でミサキっていう大事なダチを失っちまった」
「美咲とは……友達だったの?」
「現実じゃ知り合いでもなんでもねーがな。ただ、あいつはなんていうんだ。裏表がないっつーかよ……俺、女はジトジトしてて苦手なんだが、あいつはカラっとしてて気持ちのいい奴だった。一緒に戦ってて……楽しかったなあ……」
シロウもレイジもお互いを見ようとはしなかった。ただ平原を臨み語る。
「もっとあいつと一緒に戦いたかった。このゲームをクリアしたかった。直ぐ熱くなって周りが見えなくなるのは俺のどうしようもねえ欠点だ。その所為で一人でバカやって、俺が死ぬんなら別にいい。でもよ……ダチが傷付くのは耐えられねえよ」
「シロウ……」
「正直よ、レイジ。俺は今心底落ち込んでんだ……。自分のバカさ加減と弱さがどうしようもなく我慢ならねえ。ずっと戦ってねーと、自分でも何をどうすりゃいいのかわかんなくなっちまいそうで……怖ぇんだ」
肩を大きく落とすシロウ。それから自らの額に片手をやり自嘲気味に笑う。
「ちくしょう。こんな気分は滅多に味わえねえな。この俺が一方的にやられちまうだなんて……悪い冗談にしたって程があるぜ」
「シロウは……シロウは強いから、そうなのかもしれないね」
レイジを見やるシロウ。レイジは遠くを見つめたまま、寂しげに語る。
「俺は弱いから……子供の時からそう。ずっと弱かった。いや、誰かと戦った事なんかない。いつも衝突を避けて、自分の気持ちを曲げて、そうやって生きてきた。だから俺はシロウが羨ましかったよ。自分に自信があって、強くて……美咲の隣に居ても遜色ない。お似合いだったよ、あんた達は」
「……お前」
「シロウ、このままでいいの? 負けっぱなしでいいの? 俺は……俺は嫌だよ。このまま何もしなかったら全部手遅れになる。もう、手遅れかもしれないけど……それでもさ、やれる事がまだあるって信じたいんだ。それをやれるって、自分を信じたいんだ。逃げ出した俺だけど……それでも、美咲の気持ちを無駄にしたくないんだよ」
シロウへ向き合いながら歩み寄り、その手を握り締める。真っ直ぐに相手の目を見て。気持ちが伝わるよう、はっきりと声にする。
「俺、強くなりたい。だから力を貸して欲しい。一緒に戦ってくれシロウ。俺を強くしてくれ。もう負けて泣くのは沢山だよ」
「レイジ……だけどよ。だけど、俺はよぉ……」
俯きながら歯を食いしばるシロウ。そこへ咳払いを一つ、JJが歩み寄る。
「……あのさ。私もレイジに協力する事になったから」
「あ? お前がか?」
腕を組んだまま頷くJJ。彼女と彼は正に犬猿の仲であったが、今はこれまでとは少し様子が違っているようだ。
「レイジの言う通りよ。あんたの炎を無力化する能力は絶対に役に立つ。またあんたが一人で突っ込んだ所で負けは見えてる。でも、私ならその力を上手く使ってみせる」
振り返るシロウ。JJは真っ直ぐにシロウの目を見つめる。彼がそうしたように、彼女がそうしたように。そうしようと思ったわけではない。自然とそうなったのだ。
「私の言う通りにするって約束出来るなら、あんた達を勝たせてあげるわ。正直ハイリスクではあるけどね……今でも私の本音はやり過ごすべきってものだし」
髪の先を指で弄りながらちらちらと二人を見るJJ。暫く沈黙した後、意を決するように大きく息を吸い込んだ。
「私も……ミサキの仇討ちをしたい。だから勘違いしないでよね。私は私の為にあんた達と言う道具を使って戦うの。ただ……それだけなんだから」
「おいレイジ知ってるか? これツンデレってやつだろ?」
「うっさいわッ!」
ちょっと引いた感じで話すシロウ。JJはその足を蹴飛ばすが、防御力の方が勝りすぎていて逆に足を抱えて蹲る事になった。
「パツキンクソチビの態度が偉そうなのは気に食わねーが……ミサキも言ってたしな。JJの力を借りなきゃ勝つのは難しいってよ。あいつが信じた奴だ。俺も信じてみるか」
「……ミサキも私に言ってたわよ。あんたの力がなきゃ、あいつには勝てないってね」
睨み合い、それから笑い合う二人。そうして自然に互いの手を握り締めた。
「一時休戦という事でどうかしら」
「へっ、乗った!」
にやりと笑いながら振り返るシロウ。それから少し間を置き、レイジに手を差し伸べる。
「俺の力が必要なんだろ? 手を貸すぜ、レイジ」
「シロウ……ありがとう。さっきまでへこんでたくせに、もう強気だね」
「俺は気持ちから入るタイプなんだよ。やるぜ、相棒!」
更に拳を突き出すシロウ。レイジがそれに拳を合わせると男は以前と同じ、勝気な笑顔を浮かべるのであった。
手を離したレイジは次にアンヘルに目を向けた。しかしアンヘルはすぐに目を逸らす。
元々レイジとアンヘルは仲が良かったわけではない。だがこうして意図的に視線を外されるのは始めての事で、少しだけ戸惑ってしまう。
「アンヘル……その、出来ればあんたにも手を貸して欲しいんだ」
「……承知でございます。わたくしは元より皆さんをお手伝いする所存でございますから。ただ……」
一度言葉を区切り目を瞑るアンヘル。そうしてゆっくりと名残惜しむかのように、その言葉を吐き出した。
「ただ……もっと早く皆さんが手を取り合っていれば……彼女を失う事もなかったでしょう。そう思うと、わたくしは残念でならないのでございます……」
「アンヘルも……美咲の事、悲しんでくれるんだね」
「悲しい? 悲しい……のかもしれません。どちらにせよわたくしに彼女の死を悼む資格などありはしないのでございますが」
首を横に振り微笑むレイジ。そしてそっと右手を差し出す。
「一番資格がないのは、傍でただ見ていただけの俺だよ。そんな俺が情けなくまだ踏ん切りをつけられないままこうして足掻いてる……本当、笑っちゃうよね」
「いえ……わたくしは……」
「俺が何を言っても信じてもらえないかもしれない。だけど……あいつに勝ちたいって気持ちは、美咲を想う気持は本物なんだ。アンヘルも俺の事は嫌いかもしれないけどさ。でも、美咲への気持は一緒だろ?」
差し出された手を見つめるアンヘル。感情のない能面のような顔でただ沈黙を守る。
「力を貸して欲しいんだ。俺のためじゃない。ミサキの為に……」
「……了解でございます。いえ、元より私はそのつもりであると、既に明言していますが」
手を握り締めるアンヘル。その手の力が思いのほか強く、レイジは少し驚く。
「わたくしも皆さんの為に戦います。それがわたくしの成すべき事なのですから」
「えっと……よくわかんないけど、ありがとう。これから宜しくね、アンヘル」
頷き合う二人。そして四人は輪を作り互いの顔を見合わせる。
「これで四人ね。ま、一人一人突っ込むよりはずっとましじゃない?」
「いいえJJ、それは違います。何故ならば、わたくし達は五人だからでございます」
振り返るアンヘル。そこには片手をひらひらと振りながら笑う遠藤の姿があった。
「あれ、遠藤さん?」
「やあ少年少女諸君。話は僕も聞かせてもらったよ。おじさんも一肌脱ごうじゃないか」
「あんた……一体いつからそこにいたの?」
「JJがレイジ君にお姫様抱っこされて飛び出していくのを見て慌てて追跡したのさ」
むっとした表情で遠藤を睨むJJ。しかし男はさらりと視線をかわし、レイジの傍に歩み寄る。
「最初に言っておくとね。僕は別にNPCがどうなろうと構わないと思ってる。所詮ゲームだしねえ。
そんな事にいちいち熱くなるには、おじさんは歳を取りすぎたのさあ」
「遠藤さん……」
「だけどね、僕はまだこのゲームを終わらせるわけにはいかないんだ。それにはまあ、諸所の個人的な事情があるのだけれど……。とにかく、君達に全滅されてしまうのは僕としてもうまくない。だから可能な限りの支援は惜しまないつもりだよ」
「はい。事情は何でも構いません。俺達に手を貸してくれるのならそれだけで十分です」
握手を求めるレイジ。遠藤はポケットに突っ込んでいた手を引っこ抜き、ズボンで擦ってから笑みを浮かべた。
「こんなおっさんですが……どうぞ宜しく頼むよ、レイジ君」
「こちらこそ。頼りにさせてもらいますね」
しっかりと握手を交わす二人。遠藤はそこから手を放し、レイジと肩を組む。
「さあてこれで全員集合だ。ところで君達、あの化物に対する勝算というものはあるのかい? まさか無計画に突っ込むわけじゃあないんだろう?」
「ふん……当たり前でしょ? この私が指揮を執る以上そんな事は死んでもさせないわ。可能性が低いならこじあける。それが優秀な人間の才覚というものよ」
「偉そうなクソチビは気に食わねーが……俺はバカなもんで何も考えつかん。とりあえずはてめえの言う通りにしてやる」
「わたくしもJJの言う通りにするのが最善かと存じますでございます」
「でも、リーダーは俺がやるよ」
挙手するレイジに全員が目を向ける。少年は真っ直ぐに仲間を見つめ、再び告げた。
「リーダーは俺だ。JJはそうだな……軍師って事でどうかな?」
「別にリーダーに拘る理由はないし構わないけど……どういう風の吹き回し? レイジ」
「俺自身、リーダーの資質があるかどうかと言われると疑わしい。だけど……自分を信じてくれる人がいるのなら、その想いに応えたい。俺はミサキがそう願ってくれたようになりたい。だから……彼女の為に、彼女の代わりに、俺がリーダーをすべきなんだ」
「罪滅ぼしのつもり?」
JJの言葉に俯くレイジ。今日初めて見せる弱気な態度に溜息を一つ。少女は少年に背を向ける。
「別に誰がリーダーでも構う事はないわ。でも作戦は私に任せてもらうわよ。あんた達凡人のやり方に付き合って、こっちまで危ない橋を渡るのは御免だから」
「ありがとう。みんなも……それでいいかな?」
顔を見合わせる三人。誰もが頷くだけで、異を唱える事はなかった。
「決まりでございますね。今後とも宜しくお願いします、リーダー」
「そ、そういうのはいいよ。一応形式上だけそうしたいってだけだから……頭上げて!」
深々と頭を下げたアンヘルに慌てるレイジ。少しだけ和らいだ空気を引き締めるようにJJは目を閉じて手を叩く。
「やるからには準備が必要よ。私達には何が出来て何が出来ないのか、何を出来るようにならなければならないのか……。今日の残り時間は無駄なく使いましょう」
「おう。んで、俺達は何をすりゃあいいんだ?」
「一度負けた主人公達がやる事なんて、大体相場が決まってるでしょう?」
自らの精霊を取り出すJJ。無数のカードが光を帯び、少女の周囲を回転する。
「――まずは修行よ。あんた達の能力、それを基礎から暴き出す。本当は何が出来て何が出来ないのか……自分の持つ力を理解し、高め、完成させなさい」
五人の中で最年少、最も小柄な少女は一同の前で仁王立ちする。そして告げた。
「始めるわよ。一分一秒たりとも無駄に出来るとは思わない事ね!」
双頭の竜を倒す為の修行が始まった。
残されている猶予は恐らく長くはない。限られた時間の中、JJの指示の下プレイヤー達は己の力を理解し、鍛え、そして竜に対する策を練っていった。
「あの……勇者様。少しだけ、お時間を宜しいでしょうか?」
ダリア村の傍にある川に佇むレイジ。細長い棒から縄を垂らした釣竿のような道具を片手に振り返ると、少し距離を置いた場所から声をかけるオリヴィアが見えた。
「姫様か。いいよ、こっちに来たら?」
頷いて歩み寄る姫。そこでレイジが何をしているのか確認し、慌てふためく。
「レ、レイジさん! 何をなさっているのですか!?」
「何って……餅を川に浸してるんだけど……」
「し、死んでしまうのではないですか!?」
「大丈夫大丈夫。これもJJの指示だからね。大丈夫さ……多分」
見ればレイジは精霊を川に沈めていた。耳に縄を括られた精霊は必死にもがいているのだが、レイジは気にせず釣りの真似事を継続している。
「JJさんが……と言う事は、何か深いお考えが……あ、ああ……かわいそう……」
頬を両手に当てわなわなと震えるオリヴィア。レイジは苦笑し、片手をポケットに突っ込んだまま竿を軽く上下させた。
「それで、どうしたの」
「は、はい。その……一体何からお訊ねすれば良いのか自分でもわからないのですが……」
「美咲の事?」
驚きながらも頷くオリヴィア。レイジは無表情に川を眺めている。
「ミサキさんは……どうなってしまったのですか? 私はその場に居なかったもので、何がどうなったのかさえわからなくて……」
「美咲は死んだよ。もう戻ってこないんだ」
身震いすると同時に唇を噛み締めるオリヴィア。その言葉は彼女も予想していた。だが……まさか神の使徒である勇者が死ぬなどと。そんなまるで人間のような事があるはずがないと、心のどこかで思い込んでいた。
それは必然。仕組まれた摂理。故にオリヴィアに非はない。彼女はそのように作られた者であり、それ以上も以下も許されぬのだから。だが……。
「勇者様は……死ぬと、どうなるのですか?」
「消えるんだ。この世界には戻ってこられない」
「そんな……。では……その、私達とは……違うのですか?」
オリヴィアに目を向けるレイジ。そこには不安と苦悩に喘ぎ、泣き出しそうな顔の少女の姿があった。
「この世界の命は、死すれば必ず神の御許に還るのだと言われています。だから悲しむ必要はないと。私の父も母も、その父と母も、ずうっとそう信じていた筈です。ですが……」
彼の兵士が死んだ時、オリヴィアの胸には形容し難い暗い感情が渦巻いていた。哀しみや諦め……絶望とでも呼ぶべきその感情の名を、少女はまだ理解出来ずにいる。
「ミサキさんが死んだと聞いた今、私はどうしようもなく不安になりました。神に疑いを持つ余りにも罪深い思想です。それでも私は……死の先を考えずにはいられません」
「死の先、か……。そうか。君たちは死んだら神様のところにいけるのか」
「はい。そしてこの世界の一部として溶け合い、永遠を得るのだと……違うのですか?」
「それは俺にはわからない。だけど永遠ってやつが曖昧であるって事くらいはわかるよ。この世界の死者の魂が世界と一つになるとしても、それが目に見えないものなら別れは悲しいと思う。大切な人がいなくなるという事実に変わりはないんだから」
「大切な人が……いなくなる……」
「俺は後悔してる。ミサキがいなくなって悲しいんだ。神様とか世界とかそんな事は俺にはよくわからない。だけどあの時彼女にしてやれなかった事がずっと胸に突き刺さってる。痛くて辛くて悲しくて……だから今、なんとかしなきゃいけないんだって思う」
胸に手を当て戸惑いながらもレイジの言葉を噛み締めるオリヴィア。ある筈のない胸の奥に疼く伽藍を心を呼ぶのなら、確かにオリヴィアの中にそれは息吹き始めていた。
「ミサキは本当に凄かったよ。何せたった一人であの化物を追い返したんだから」
水面で弾ける日の光から記憶を遠ざけるように目を閉じる。ただそれだけでまるで今この瞬間もあの時の中にいるかのように思い出せる。
暗がりの空。降りしきる雨。そして巨大な悪意と、それに立ち向かった一人の勇者の事を……。




