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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【愛にすべてを】
119/123

織原礼司(3)

 巨人は無数の腕で一気に異世界への境界を破壊しに入った。もう残された時間はほんの僅かしかない。

 世界の終わりを背景に、シロウと東雲は拳を交える。相変わらず東雲の拳は一方的にシロウを打ちのめすが、シロウは血反吐を吐きながらも決して後退しない。

 次から次へと繰り出されるコンビネーションを前に東雲は息切れをしていた。次の瞬間、シロウの拳は鋭く刃のように東雲の頬を切り裂く。


「種は開かしちまえば簡単だ。お前が絶対無敵の奇跡を起こし続けるのには、やっぱり条件がある」


 反撃の拳がシロウのを打つが、シロウはそれを両腕を揃えてガードする。絶対に避けられない事はわかっているので、先に自ら体を当てていく。防御部位はこちらで選択すればいい。


「精霊器が煙草だってんなら、あとは簡単だ。お前はいつも戦闘を短期決戦で終わらせる必要性があった。何故かというのは、お前の呼吸を見ていればわかる」


 東雲は攻撃中も防御中も口に咥えた煙草以外に煙を吐き散らかしてはいない。つまり、吸い込んだ煙をずっと肺に溜め込んでいるという事。

 攻防の切れ目に、これまでずっと息を止めていましたと言わんばかりに煙を吐き出し、また直ぐに煙を吸い込んでいる。それだけ見れば答えは簡単だ。

 東雲の精霊器、ゴッドラックは絶対無敵だが、その効果が得られるのは煙草の煙を肺に入れている間だけ。

 それでも普通は一発二発で相手をノックアウトできるから問題なかった。例外となるこの男の異様なまでの戦闘勘と、持久力さえなければ。

 攻撃にはフェイントを混ぜる。奇跡が発動するのは攻撃判定が行われる瞬間だけだ。しかしそれがいつ来るのかわからなければ東雲は息継ぎをすることが出来ない。

 どんなに肺活量に自信があろうと限界はある。その息継ぎを出来るように攻防を組み立てたとしても、シロウはその上を往く立ち回りを見せた。

 それはまるで詰将棋のようなもの。続ければ続けるだけ東雲は苦しくなり、呼吸困難で意識が朦朧としていく。

 シロウはどんなに殴られても倒れないし、後ろに引くこともしない。歯が吹っ飛んでも鼻血をぶちまけても顔面が変形しても骨が折れても内臓が破裂しても、絶対にだ。

 脂汗を浮かべながら東雲は目の前の敵を見つめる。あの魔王ですら三回殴れば気絶したというのに、この男はもう何十回殴られたというのか。

 化け物……その他に形容する言葉が思いつかない。次々にシロウは距離を詰める。血を流しながら、全く怯まずに。


「詰みだぜ?」


 軽いジャブが頬をかすめ、目の前で拳が停止した。フェイント――わかってても呼吸を止めていた。次の瞬間限界を悟った体が、半ば強制的に煙を吐き出した。

 その一瞬だけで十分であった。シロウの拳が顎を打ち抜き、女の体を軽く空に舞い上げた。威力はさほどではない。これまでの人間離れしたシロウの一撃に比べれば加減も甚だしい。

 だがそれだけで十分だった。唇から零れた精霊器が空を舞う。まともに東雲に入った拳はたった一発。シロウは宣言通り、東雲をパンチ一発で倒して見せた。


「に……んげん、か……お前は……」

「誰がどこからどう見たって人間だろうが」


 二人の背後では怪物が異世界へ向かおうとしている。シロウはそれを見つめ、眉を潜める。


「レイジ……」

「どうやら、君達の負けのようだな……。時は来た。私ももう役割を終える……」

「あんた、バウンサー化もしてねぇのになんでこっちに残ったんだ? なんで邪魔をした?」

「戻る場所が……ないからな。私にはあちら側に残した物等何もない。戻った所で……フッ、借金取りにでも追われるのがオチだ……」

「借金あんのか? セカンドテストの優勝賞金はどうした?」

「黒須からは受け取った。が、どうでもいいんだ。元々は病気の弟の手術費用に当てるつもりだった。弟は私がセカンドテストに打ち込んでいる間に、息を引き取っていたがね……」


 自嘲染みた笑みを浮かべ、仰向けに倒れたまま空を見上げる。


「そんな事はもうどうでもいいんだ。人は……どんなに悲しくとも苦しくとも、その生命活動を止める事は出来ない。私はただ自らがあの世界に戻りたくないという理由だけでここに留まった。後悔はないよ」


 そんな東雲の視界に見下ろすシロウの姿が入った。シロウは屈んで、そのまま東雲に手を差し伸べた。


「この世界を逃げ場所にした所で、結局は意味なんかねぇんだ。誰だって現実に戻る必要がある。辛かろうが苦しかろうが、自分自身の人生から逃げる事は誰にもできねぇんだ」


 差し伸べられた手。逆光の中に見る青年の姿は、嘗ての友を思わせた。

 セカンドテストの中で失ってしまったもの。それを終わりに出来ず、終わりを認められずにただ彷徨ってきた。それが永遠ではないとわかっていたのに。


「……だが、世界はもう終わりだ。二つの世界の境界が取り払われ……全てが壊れた新しい世界へ生まれ変わる。私の逃避行もここで終わる」

「そうはならねぇよ。ダチがあそこにいる」

「信じるのか? あの少年を。それは彼が救世主だからか?」

「違ぇよ。あいつは……織原礼司は、俺が信じる俺の最高のダチだからだ。あいつは絶対に逃げない。どんな結末だってひっくり返す。俺はそう信じてる。仮にあいつが失敗するとしてもだ」

「失敗を認めないだけではないか」

「そうじゃない。失敗したっていいんだ。だけどな……誰か一人でも、信じていなきゃいけねぇんだ。どんな時でも、どんな状況でも。愚直にあいつを支える奴がいなきゃいけねぇんだよ」


 状態だけ起こした東雲の隣にどっかりと座り込むシロウ。あぐらをかき、両腕を組み、口の端をニヤリと持ち上げて。


「あいつはやり遂げるさ。今に見てろよ。そこに座って、あんたの言う世界の終わりってやつを」


 シロウは全く疑いもしない。不安さえも感じない。それはある意味において白状で、異常な事かもしれない。

 それでも男は信じ続ける。信じて送り出した友が出す、彼なりの結論を。それが例え誰からも拒絶されるような物語だったとしても。

 最後の最後のその瞬間まで信じ続けよう。例え隣に立つことが出来なくとも。その背中を守ることさえままならなかったとしても。


「私も……共に見届けさせて貰っても構わないだろうか」


 そこには傷を庇いながら歩み寄るアスラの姿があった。三人は同じように遠巻きに光の巨人を見つめる。

 世界の終わりを肌で感じるこの瞬間、三人に出来る事はもう何もなかった。それはきっと自分たちの役割ではないと、そう知っていたのだ。




 東京上空の空が崩れ、質量を持たない世界の欠片が降り注ぐ。

 眩く光を乱反射させるそれらを見上げ、JJ達は世界が一つになる最後のその時を見つめていた。


「レイジ……あのバカ!」

『JJ、聞こえますか!?』


 突如再び開かれた通信に目を向けると、そこにはオリヴィアの姿が見えた。


『ロギア、今も権能の力を束ねる事は可能ですか!?』

「殆どが既に世界と救世主に偏っていますから、残されているのは僅かですが……」

『それだけで構いません! JJ、先ほどあなたがクロスに任せた作業が、間もなく一時的に完了します! その“道”を使って下さい!』




 叫ぶオリヴィアの背後、ミユキが握り締めたのは遠藤の精霊器であるクリア・フォーカスであった。

 クリア・フォーカスは結晶の弾丸を撃ち出す銃だ。そして、情報を伝達し、共有するという能力を有している。

 遠藤がずっと隠していたクリア・フォーカスの真の力。人の想いを乗せた弾丸を発射するその力があれば、遠く離れ、闇に包まれたレイジにも想いを届けられるかもしれない。


「引き金を引けば、誰にでも銃を放つ事は可能だ。僕にはもう銃を構える力は残されていないけど……君達の想いを弾に込める媒介にはなれる」

「遠藤さん……」

「急ぐんだ……僕の体はもう、もたない……」


 頷き、ミユキは遠藤と手をつなぐようにして銃を握りしめる。そこに遠藤を支えたままイオが小さな掌を重ねる。


「レイジのお陰でここまで来られたんだ。それに……レイジには奇跡を起こしてもらわなきゃ困るからな」

「レイジ君と世界、そのどちらが支配者になったとしても僕は構わないんだけど……まあ、個人的にはレイジ君のファンだからね」


 そんなことを言いながらケイオスも銃に手を重ねる。それぞれの想いが光となり、クリア・フォーカスを包み込む。

 一方、JJ、クビド、カイゼル、ファングの四人も手をつなぐようにして仲介役のロギアに触れていた。

 それぞれがレイジの帰還を、そして勝利を祈る。厳密な意味でその結末は望まないものかもしれない。けれども、今ここで彼が消えてなくなってもいいなんて思わない。


「レイジには、色々なモンを背負わせちまったなあ……」

「ええ。だけどきっと彼はそれでも未来を勝ち取ると信じているわ」

「レイジ……こんな所でギブアップなんて絶対に認めないわよ。あんたが……あんたが、この世界にちゃんと帰ってくるまで……負けなんて認めないんだから!!」


 通信を閉じたオリヴィアが駆け寄り、銃身に手を重ねる。そこへアンヘルが束ねた想いが降り注ぐ。

 世界中の元勇者達の願いを再び束ね、祈りとして弾丸を成す。遠藤の体はまばゆい光にかき消されるように、みるみるうちに消滅していく。


「遠藤!!」

「ありがとう、イオ……それから……瑞樹に……ごめん……と……」


 消え去った遠藤の姿に涙を零すイオ。立ち上がったミユキは片手で銃を構え、遥か彼方の闇を睨む。


「ミユキ……私も一緒に」

「オリヴィア……」


 寄り添うように立ち上がったオリヴィアはミユキの肩を抱き寄せ、二人は丁度両手で構えるような格好で一つの銃を握りしめる。


「私達に出来る事は、本当に僅かしかないけれど……!」

「それでもあなたを想う人達がここにいる! だから……っ!!」

「「 帰ってきて……レイジ!! 」」


 願いを込めて引かれた引き金。限界を超えた祈りが銃身を粉砕しながら発射された。

 それはまるで流星のように世界の最果てに向かって飛んで行く。淡く儚い小さな希望は巨大な絶望の胸へと吸い込まれて行った。







 ――世界の始まりから終わりを、何度も繰り返し見せつけられた気分だった。

 人間の受け入れられる情報量じゃない。脳が何度も破裂して、鼻から耳からドロドロ流れ落ちていきそうだ。

 五感という五感がとっくに振りきれて、自分が立っているのか座っているのか、どこを向いているのかもわからない。

 いや、そもそも俺という存在はまだここにあるのだろうか? 感覚だけが残されて、既に肉体はどこかに消えてしまったのかもしれない。

 ずっとずっと、長い長い夢を見る。救えなかったもの、救おうとしたもの達。

 何度手を伸ばしてもこぼれ落ちていく。思い通りにならない世界。痛みと苦しみの記憶。

 絶望を何度も踏み越えて、そこにあると信じて手を伸ばし続けた希望は、本当に俺を救ってくれるものだったのか。それさえも今はわからなくなりそうだった。


「……そう。確かに君は、あまりにも自分勝手でした」


 誰かの声が聞こえる。暗闇の中に漂う俺の意識に誰かが触れようとしている。


「君が否定した人の闇。それは間違いなく君の中にも渦巻いていた。君は自分は違うと言いながら、結局のところ、その人間の本質とも言えるエゴを覆い隠していただけでした」


 そこに居たのは……クラガノだった。嘗て俺達を裏切り敵として立ちはだかった男。そして、俺達が殺してしまった人。

 クラガノは俺を責めるでもなく、ただ手を差し伸べた。触れた瞬間、曖昧になっていた自分の輪郭がはっきりしていく。


「僕と君の間にどれだけの違いがあったでしょう? どんな願いにも貴賎はない。例えそれが醜くとも、世界は肯定する」


 そうだ。今になってやっとわかる。クラガノをハイネやマトイが信じていた理由。

 彼は誰よりも真っ直ぐで正直だった。自分の闇を、愚かしさを飼いならし、人生の中で同居しようとしていたんだ。

 過ちを、嘘を、自らの欲望を認め、受け入れる事。それは俺達が後に目覚めた心願精霊器の発現方法でもある。彼はそれを俺達よりも早い段階で成し遂げていた。


「僕に心願精霊器が現れなかったのは、僕自身の願いがどこまでも空虚だったからです。僕には君達のような明確な願いも、強い感情もなかった」


 クラガノはそう言いながらぼやけた俺の背中を強く押した。まるで無重力空間に漂うかのような俺の意識は、その力に逆らわずどんどんクラガノから遠ざかっていく。


「自分は違うと、君はそう言いましたね。ならばそれを証明して見せてください、願いの有無で、何かを変えられるのだと……」


 彼には言いたいことが山ほどあった。謝りたい事も。だけどそれさえも許さず幻は遠ざかっていく。


「クラガノの言う通りだ。テメェは生命を奪い、他人の願いを踏みつぶしてここまで来たんだろう。だったら最後までその歪んだ願いを叶えてみせろ!」


 誰かにぶつかった途端、また俺の輪郭は少しはっきりする。俺の道を塞ぐように立つそいつは、白い歯を見せ笑みを作る。


「テメェは醜悪で邪悪な存在だ。他人に、その他大勢に押し付けられた願いの体現者だ。気に食わねぇし気色悪ィ。テメエの言う願いってやつはな、テメエ自身のものじゃねえ。誰かに都合よく利用されている中で作られた願望だろうが」


 こいつには言い返したいことが死ぬ程ある。ていうかお前にだけは言われたくないんだけど……ハイネ。

 だけど言葉は紡げない。手も足も動かない。というか、まだない。男はまたクラガノと同じように、俺の背中を強く押した。


「間違っていようが、それが呪われていようが……それでもやるんだろう! テメエの選んだその道がどんな絶望に続いているのか……テメエの内側から見ててやるよォ!!」


 ひゃっははー見たいな独特の笑い声が遠ざかっていく。なんなんだろうあいつ。何をしに出てきたんだろう。

 だけどおかげさまで少し肩の力が抜けた気がした。自分の手が見える。自分の足を感じる。重力のない空間、その流れに身を任せていると、寄り添うように進むマトイの姿が見えた。


「レイジ君は、確かにこれまで間違えてきたのかもしれない。だけどね、私はそんなレイジ君のことが大好きだよ。間違えても、苦しんでも、一生懸命に進む君が好き」

「マトイ……」

「ね? 私達はずっと君のそばにいるよ。君が私達を感じられなくなったとしても、それでもずっとそばにいる。君を守り続ける。聞こえる? 感じる? 皆が君の背中を押してる事……」


 マトイは俺の背中を撫で、頬を寄せて笑う。彼女が耳元でささやくと、音は格段に大きさを増していく。

 遠くから光が降り注ぐのがわかる。俺の行く先を照らしてくれる光だ。それは闇の向こうから俺を引きずり出そうと待っているようだった。


「君がどんな未来を選んでも、君を待ち望んでいる人達がいる。君が悲しい結末を祈ったとしても……それでもきっと、皆が君を信じてる。だから……ね? 大丈夫だよ。自分を信じて……もう一度だけ……!」


 力強く背中を押すマトイの掌の感触に思わず涙が溢れた。闇の向こう、光の道が続いている。その道の向こう、たくさんの優しい手が俺の体を掴み、光の向こうへと引っ張りこんでいった。

 光をくぐった俺の感覚は急速に現実味を帯び、空中を舞いながら、しかし落下していく感覚を確かめることが出来た。

 何もない光の空間。その中をゆっくりと落ちていく。やがてふわりと地に足をつくと、そこには見たことのない、美しい庭園が広がっていた。

 何となく今はわかる。ここがこの世界の始まりの場所。ザナドゥという世界が発芽した――創造主が最初に創りだした場所なのだと。

 そこには一人の男が立っていた。年の頃は三十前後くらいだろうか。男は布を束ねたような見覚えのない格好をしていて、その布を引きずりながらゆっくりと振り返った。

 多分それは、元々この世界を作るためにザナドゥが召喚した神様だったんだろう。だけどその神様はもういない。だからそれは、神様を模しただけの存在。


「何故我々の邪魔をする? 我々と同じ願いを持つ存在である君は、我々になる事こそ幸福であるはず。我々はただ望んでいるだけだ。変化のある世界。痛みのある世界を」

「お前が何を望んでいるのか……そしてその望みを誰が与えてしまったのかはわかっている。全部俺の責任だ。だからこそ、俺はその責任を果たしに来た」


 ゆっくりと、一歩一歩。体の感触を確かめるように前に進む。

 世界はまるで俺が近づくことを拒むように、強い圧力で俺を吹き飛ばした。空を舞い、大地に背中を打つ。痛みはない。立ち上がり、また歩き出す。


「お前が、異世界と一つになる必要はないんだ。だってお前の中で生きるたくさんの生命には、俺達と同じ無限の可能性があるんだから」


 また目には見えない衝撃が俺を拒絶する。背後に吹っ飛び、体を起こす。痛みはない。けれど、世界に拒絶されたという大きな衝撃が、俺の体を軋ませていた。

 ここは世界の中。あの絶望の中心だ。皆の生命が……皆の祈りが、精霊を通して俺を包み込むように守っているのがわかる。皆が俺の背中を押してくれる。だから体が壊れたとしても――心が壊れたとしても、何度だって立ち上がれるんだ。


「君を包むその光は、本当に君の生命を願っているものなのか? 君を守りたいのならば、前に進ませるのではなく、ここから切り離すべきだ」

「……そうだな」

「君を支えると、君を守ると言いながら、人間達は君を絶望と死に追いやろうとしている。その矛盾を抱く存在こそ、我々が欲した進化の緒」


 三度目の衝撃が俺の魂を貫いた。一瞬意識が飛び――もう体は動かない。だが無数の光の手が俺の体を無理矢理にでも立ち上がらせる。


「希望の傀儡。君はまるで生きた絶望のようだ」

「お……れ、は……」


 それでも俺は、皆に感謝している。皆を信じてる。皆を愛している。

 例え俺が都合のいい救済装置に過ぎなかったとしても。俺のこの身を犠牲にする事でしか世界を救えなかったとしても。

 それでも構わないんだ。俺はそれを承知で願い、祈った。あらゆる犠牲を払うことを由として。


「それは……嘘なんかじゃ、ない」


 偽りなんかじゃない。


「俺達がここまで歩いてきた日々は……」


 誰かに強制された物なんかじゃない。


「俺は! 俺は、自分の意思で選んだんだ! 矛盾も! 過ちも! 何もかもの犠牲も!! 俺は……この生命も、魂も壊れたとしても! どんな代償を払ったとしても! 必ず……必ず、この祈りだけはッ!!!!」

「――もう、頑張らなくてもいいんだよ」


 声が聞こえた。思わず前に進もうとする足が止まってしまった。その人は俺の直ぐ隣に立って、俺の肩を優しく叩く。


「もう……無理しなくてもいいんだよ」


 どうしてそんな事を言うんだ。どうして……固めた決意をふいにするような事を。


「礼司君は――とってもとっても、とーっても……頑張ったんだから」


 震えながら首を回す。そこにはずっとずっと会いたかった人がいた。

 何度も夢にまで見た人。優しくて太陽のような暖かさを持った人。俺の弱さが犠牲にしてしまった人。

 彼女ともう一度会いたかった。ただそれだけで、そのためだけに、俺はここまで走り続けてきた。

 声を聞きたかった。もう一度、もう一度その笑顔を見たかった。謝りたくて、想いを伝えたくて、ここまできたっていうのに。


「どうして……そんな事を言うの? ミサキ……」


 涙が止まらない。彼女は俺を優しく見つめている。

 そうだ、これもザナドゥが見せる幻なんだ。こいつはこのザナドゥを守る為に俺を邪魔する為に現れた幻。

 なのに、大きく両腕を広げ、大げさな動きで俺を抱きしめる仕草が。そのにおいが、暖かさが、どうしようもなく彼女は本物だと叫んでいた。


「ごめんね。ずっとずっと……無茶をさせちゃったね。辛かったね……寂しかったね。苦しかったね……」

「ミサ……キ? ミサキ……なの……?」

「そうだよ。ミサキちゃんだよ。ずーっとずーっと、苦しめちゃったね。ごめんね。本当に本当に、ごめんね……」


 その手を握り締め、もう立っていられなくて、俺は膝をついた。ミサキはそんな俺に合わせて膝を着いて、泣きじゃくる俺の頭を抱きかかえる。


「どうして……? どうして今なの……? 会いたかったんだよ……ずっと、ずっとずっと……ずっと!!」

「うん」

「ミサキを救う為にっ! もう一度……やり直すためにぃ! がんばってきたのに……どうして……どうして、今……っ」

「うん」

「俺……俺っ! 君に謝りたくて……! ごめんって……あの時助けてあげられなくてごめんって……っ

「うん。いいんだよ、もう。何も苦しまなくていいの。もう、許してあげるから。もう……自由にしてあげるから」


 もう止まらなかった。涙も、彼女への気持ちも。

 我慢していたんだ。ずっとずっと、押し殺していたんだ。

 涙も嘆きも痛みも。本当はもうこらえきれないくらい、俺の胸の内側はグチャグチャだったのに。

 必死になんとか立ち上がって、平静を保ったフリをして。強がって、前に進まなきゃって。

 でもミサキに抱きしめられた瞬間、全ての嘘が壊れてしまった。だって俺は……ただ、彼女に会いたくて。ただ……彼女に謝りたくて、ここまで来たのだから。


「……世界さん。ううん、ザナドゥさん。はじめまして……じゃないね。私はミミスケの中に入ってから、ずーっと君の存在を感じてたんだから」

「救世主ミサキ。何故ここにいる? 否……何故ここで形を成している?」

「精霊ミミスケの中に取り込まれた物は全てが保存される。精神も魂もって、それくらい知ってるでしょう? ここは言っちゃえばミミスケの中と地続きみたいなものだからね! それに……今は、彼を導こうとするたくさんの人の光があるから。それを目印に、えっちらおっちら来てみたわけです」


 ミサキは俺を抱きしめたまま顔だけ向けてザナドゥと対話しているようだった。もう彼女が何を言っているのかよりも彼女に会えたことに集中したかった俺だが、そういうわけにもいかない。


「ミサキ……何をしに来たの?」

「何しにってひどいな礼司君は~……。みんなが……あ、ここで言うみんなっていうのは、マトイちゃんとかクラガノさんとかギドさんとかの事なんだけどね。とにかく、みんなが私をここまで連れてきてくれたの。礼司君を引き寄せながらね」


 だからここに私を連れてきてくれたのはギドさんだよ、なんて言いながら笑うミサキは相変わらずマイペース過ぎて思わず笑いそうになる。


「私達はね、ずっと君の傍にいたんだよ。ずっと君を見守ってきたの。だから、君をこんなになるまで追い詰めてしまったのが私だって事もわかってる。だからね……礼司君。もう、いいんじゃないかな?」

「何が……?」

「例え二つの世界が一つになってしまったとしたって、君がいなくなってしまうよりはずっといいよ。自分を犠牲にしてまで……君が犠牲になってまで守る程、あの世界には価値があるの?」


 思わず黙りこんでしまう。それから何故かこみ上げてきた笑いにミサキはきょとんとしている。


「ミサキらしいね。ホント、自分の事は棚に上げちゃってさ」

「う……。それは……一番辛かったのは礼司君だよ。だけど私だって辛かったんだよ。君を追い詰めてしまったのは私の責任だから……」

「いや、違う。それは違うんだよ、ミサキ。俺は追い詰められたんじゃない。俺は、世界の言うとおり。追い詰められる事で成長して、前に進んだ。進化したんだ」


 ゆっくりと立ち上がり、ミサキの手を握り締めて正面から向き合う。

 不安げに、俺を心配して見つめるミサキの瞳を見つめて。ああ、今ならば言える、今度こそ本物だ、間違いなく俺は――。


「俺は、君のことが大好きだ。君に出会えなければきっと、俺の人生はとてもつまらないものだったに違いない。その確信があるからこそ、俺は――それでも、前に進めるんだ!」

「礼司君……どうして? 世界とここでぶつかり合っても、君の心が壊れてしまうだけなのに……! 私はもう、礼司君に傷ついて欲しくなんか……!」


 俺は涙を拭い、ミサキの手を離す。それから笑顔で彼女の肩を叩き、頷く。


「来てくれてありがとう、ミサキ。お陰で俺は自分の気持ちを確かめられた」


 世界へ向き合う俺を彼女はすぐ隣で不安げに見つめている。俺は深呼吸を一つ。全身に生命の力を行き渡らせながら、迷いなく答えた。


「世界! お前は俺が変えてやる! 俺の中に来い! 俺がお前に変わる未来を見せてやる!!」

「礼司君……!?」

「俺はもう、昔の俺じゃない。そりゃ辛いことはいっぱいあったさ。逃げ出した事もね。だけど、みんなに支えられてなんとかここまでやってきたんだ。それは……ミサキ、君の為だけじゃない。俺は俺の為にここに来た。その意思は歪んでもいないし間違っても居ない! 俺は過去をやり直す為にここに立っているわけじゃない! みんなの未来を作るために――俺は、ここにいるっ!!」


 俺を奮い立たせる光も、俺を飲み込もうとする闇も、俺の愛した彼女さえも、俺にとっては関係のない話だ。

 そうだ。俺は自分で選択した。未来を作る為にここに来た。その願いが例えどんなに悍ましい輝きを放ったとしても――俺はこの決意を後悔しない。


「俺と一緒にやり直そう! 自分以外の誰かに、どこかに逃げ出したって何も変わらないんだ! 真に変わらなければいけないのは……ザナドゥ! お前自身だ!」

「我々自身……?」

「いつまでも親である神様や上位世界におんぶ抱っこで自立を知らないからお前はダメなんだ。俺がつきっきりで教えてやる。一人前の人生の歩き方ってやつを」


 差し伸べる手に迷いはなかった。こちらから迫っても拒絶されるのなら、ここで俺は手を差し伸べ続ける。

 俺の力は受け入れる事。俺は他人を背負って受け入れる事に関しちゃ天下一品、間違いなく超人的天才だ。

 俺は俺の力を信じる。俺を誰も信じてくれなくたって構わない。俺はここで、今ここで、自分の過去と決別する。


「ミサキ、これまでありがとう。ずっとずっとありがとう。だけど俺は、君のためだけにここまで来たわけじゃない。みんなの為でもない。俺は自分の手で未来を切り開く為に来たんだ。だから本当に悪いけど、君の言うことは聞けないな」

「――礼司君、ほんと、すごいなあ。いつの間にかもう、立派な男の子だね。私なんかが護ってあげる必要は、なかったんだね」

「そうさ。だから君も、君の為に救われていいんだ。俺の為なんかじゃない。誰かに救われない理由を着せるのはもうやめよう。それがきっと、大人になるって事なんだよ」


 そうだ。だからきっと、俺達はずっと子供だった。

 痛みも苦しみも絶望も、現実を思い知る為にある。それがどんな規模であったとしても、何も変わらない。

 俺は俺だ。誰に望まれなくとも、誰から否定されても、一人の人間として生きていかなければならない。その理由を他人任せにしちゃいけない。

 願いも祈りも自分の為だけにあればいい。だから俺は、もう希望も絶望の全て自分のものにする。


「全てを包み込む力……それが君が旅路の果てに得た答え……」

「ゴチャゴチャうるせーよ! いいから俺に……ついてこい!!」


 ゆっくりと歩み寄っていたザナドゥへ一歩踏み出しその手を掴んだ。その瞬間、俺の手が触れた部分からザナドゥの姿が変わっていく。


「……っぷああ! 完全に同化されるかと思ったぜ!! 迎えに来るのがおせーぞ、相棒!」


 それは俺自身の姿。つまり、俺の精霊ミミスケの姿だった。

 今や世界の主導権は俺達に渡り、ザナドゥのアバターはミミスケに変化した。この異世界はその動向を俺達に委ねる方向で結論を見出したのだ。


「異世界の門を閉じる。できるか、ミミスケ?」

「まだザナドゥになったばっかでよくわかんねーが、やってみっかあ。二人共、俺の中からとりあえず出とけや」

「どうやって出ればいいの?」

「迎えは来てるぜ」


 ミミスケが指差す先、小さな光の結晶が落ちてくる。それはクリア・フォーカスからこの世界に打ち込まれ、俺をここまで導いてくれた光。

 その結晶を握り締めると同時、闇の彼方へ続く道が開かれた。俺はミサキの手を取り、強く引っ張りながら走りだす。


「礼司君!?」

「帰ろう、ミサキ! 俺達の未来へ!」


 ミサキは少し驚きながら満面の笑みを作り、ぎゅっと強く俺の手を握り返した。


「うんっ! 一緒に帰ろう、礼司君!」


 光の向こう側、俺達を呼ぶ声が聞こえる。みんなの祈りは確かに俺を死地に追いやるものだったけれど、それだけじゃない。

 祈りの形は一つじゃない。希望も絶望も全ては表裏一体。だから俺は、この光を迷うことなく掴み、信じられる。

 果てしない闇の向こうへ続く希望の道。じれったくなった俺はミサキを抱きかかえ、一気にその先へと駆け抜けた。

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