愛にすべてを(4)
「惣助おじさんならそこの棺桶の中に入ってるよ」
ケイオスが指さしたのは座の上に浮かんでいる無数の棺の一つだった。
この世界の中心……否、世界と対話するための神の座にはこれまでに異世界で戦死した者達の“現実の肉体”が停止した時の中で保存されている。
勿論、それは中に魂を持つ者であっても例外ではない。黒須惣助は異世界に自らの肉体ごと転移していた。彼をこの時の牢獄に閉じ込める事はそう難しくなかった。
ケイオスが手を翳すのを合図に棺の一つがゆっくりと降下する。蓋を開けばそこには眠ったままの黒須の姿があった。
「念のため確認しますが……黒須惣助は生きているのですね?」
「勿論さ。大好きなおじさんの命を奪うなんて僕にはできないよ」
「あなたはいちいち胡散臭い物言いですね。その大好きな人をこうして氷漬けに閉じ込めておいてよく言う」
「惣助おじさんの有能さは僕も理解しているからね」
睨めつけるミユキもどこ吹く風、ケイオスはにこりと笑みを浮かべる。
「それに惣助おじさんだけじゃない。ここに存在する勇者たちの肉体は全て本物だし、まだ生きている」
「しかし、魂が消失した抜け殻なのでしょう?」
頷くケイオス。そも、ここにわざわざ現実の肉体を召喚するのは証拠隠滅の為だ。
ゲーム内……即ちこの異世界ザナドゥで命を落とせば仮初めの肉体と本物の魂を失う事になる。
だがこれはあくまでもゲームであり、本物の死とは切り離して考えさせなければならない。その為、プレイヤーが死亡した際には自動的にHMDなどの周辺機器と、それに繋がれたリアルの肉体を召喚するようにシステムが形成されていた。
「それは肉体を保全する為じゃない。あくまで証拠隠滅。それプラス、何かに再利用できないかと思って保存していただけさ」
「……結果、魔王アスラのベースには笹坂美咲を使う事になった」
「彼女の肉体は本物だし、生存もしているよ。ただ載せている魂が違うだけでね」
「ならばここにいる全ての勇者に命を再び与える事も可能なのでは?」
「不可能ではないけれど……この世界で散った全ての魂は、世界の循環の中に戻される。この世界は止まった世界であると同時に、繰り返しの世界でもある」
この世界は滅亡と再生を繰り返している。もしこの滅亡が一方方向の消費するだけのものならば、魂も命も世界を構成する全ての要素がいずれは潰えてしまうだろう。
世界はその自らの消滅を阻止するため、あらゆる構成要素を再利用している。魂もその中の一つだ。
「この世界で肉体を失えば、魂はこの世界に漂う事になる。世界は異世界に興味を持っているから、その異世界人の魂をわざわざ元に戻したりはしないだろうね」
「では、世界はそうしてこれまでに得た魂を何に……いえ、まさか……」
「そのまさか。地上で今暴れているあの黒い怪物。あれは世界そのものであり、同士にこれまでの異世界人全ての魂の集合体でもある」
世界は自らの上で失われた全てを拘束し、自らの一部としている。
ザナドゥという存在そのものが、抜本的に全てを取り込もうという強い意思の下に動いているのは、神であるロギアを拘束したような動きからも明らかだ。
本来は自らの一部がどうなろうと、異世界人がどうなろうと、魂がどうなろうと世界がその保持に乗り出す事は在り得ない。それこそがこのザナドゥの世界としての構造的欠陥なのだ。
「束縛の楽園……まさに人造世界」
「実に人間くさいけどね。これが世界の本能としてなされているというのが実に面白いところなんだ。知れば知るほど興味深いでしょ?」
再び睨めつけるがやはりケイオスは動じもしなかった。ミユキとしてもこの男に反省など求めてはいないのだが。
「だけど、魂の束縛には例外もある。そう、レイジ君の精霊、ミミスケだ」
ミミスケの“モノを出し入れする能力”は、この世界の根源的な欲求に限りなく近いものだ。
即ち、この世界の内、外に限らず、あらゆる性質を自らの内側に取り込み、再利用する力。アレは最初から間違いなく、この世界そのものと同じ能力だった。
「世界は取り込んだ全てを再利用する。命も、力も、物体も、法則もね。ミミスケは言わば小さな世界そのものだと言っていい」
「何故そのような精霊が存在するのですか?」
「……それはねぇ。多分、世界そのものの意思だったんだろうね」
ミユキの疑問に答えたのはいつのまにやら眠りから覚めた黒須であった。
あくびをしながら棺から降りるが、久々の運動に身体がついてこない。ケイオスはその身体を支え、悪びれもなく笑う。
「おはよう、おじさん」
「いやぁ~、してやられたしてやられた。僕を閉じ込めるなんて、ホントよくやるよケイオス」
「……あなた達どういう関係性なのか……もういいです。それよりも今、世界そのものの意思だと言いましたね?」
ケイオスに支えられながら立ち、黒須は頷く。
「思うに、世界は世界なりに自分の状況を変えようともがいていたんじゃないかな? だからこそ神に“権能”を与えていたのだし、僕という異世界人の存在も、異世界とのリンクも許容していたんだよ」
元々、上位世界と下位世界が繋がる事はあってはならない。故に余程のイレギュラーがなければ二つの世界が交わる事は在り得ないのだ。
それに付け加え、上位世界に異世界人であるメリーベルが転移してきた時に発生するように、世界は自らの上に異世界の存在が入り込んだ時、それを排除しよう、制限しようとする動きが見られるのが当然だ。
「だけど、この世界には異世界からの侵入者を排除する抗体としての動きがないんだ。世界そのものがそれを望んでいるとしか思えないだろう?」
「まるで世界に個としての意思があるような口ぶりですね」
「世界には、“救世主システム”という、異世界、特に上位世界から人間を召喚する仕組み、救済措置がある。けれど僕は救世主じゃあなかった。本来であればこの世界が救世主システムで召喚したのはロギアだよね。彼女に救世主以上の権限を振り分けた結果、彼女は2番目の神という本来在り得ない存在になってしまったけれど……とにかく、僕は救世主じゃあない」
「……救世主ではない人間、しかしそれを世界は排除しなかった」
「それもその当時の世界の新しい判断だったと言える。この世界は何度も繰り返し死と再生をまどろむ中で、確かに前進しようともがいていたんだよ」
それはオリヴィアにとっても衝撃的な見解だった。世界が変わろうとしている? 世界がこの状況から脱しようと努力していた?
今となってはだからどうしたという話だ。その努力の結果、この世界は変化の方向性を異世界に見出し、自らの上に生きる命を見捨てたのだから。
だが世界も自分と同じように悩み、滅亡と再生という、人間の規模では考えられないシミュレーションの中で答えを模索していたのだとしたら……。
「ロギアもまた、自らが救われようと必死だったんだ。だけど君達……この世界の人間もそう。そして、世界もまた、自分が救われたかった」
「私達は皆、自らの事を一番に考え、自らの存在を最優先としてきました。皮肉ですね。もしも神も世界も人間も、同じように痛み合う事ができたのなら……お互いを信じ、頼る事ができたのなら……“今”は違ったのでしょうか」
目を反らし、自嘲するように笑うオリヴィア。そう、確かに……確かに、お互いの事を想い合う気持ちはあったはずなのだ。
ロギアが人を導こうとした時期があったように。人が神を、そしてこの世界を愛し信仰したように。死を避ける為、世界がそれら全てを何度も再生させたように。
けれどそのどれもが少しずつ思い届かずすれ違い、力足りず理想に至れない。まるでイタチごっこだ。
「まるで喜劇です……」
「その喜劇って言葉もさ。ロギアが君達に伝えたものの一つだよ」
「え?」
思わず顔をあげるオリヴィア。黒須は穏やかに微笑む。
「ただ繰り返すだけの世界に“本”も“劇”もいらない。文化も文明も要らない。食べ物だってその辺に落ちてる物を食べればいい。多分この世界は本来そういうものだったんだ。だけどロギアが手を加えた。君達に最初に心を与えようとしたのは、多分彼女だよ」
唖然とするオリヴィアからミユキへ視線を戻し、黒須は「もう大丈夫だ」と言いながらケイオスから離れる。
「このように、世界は望んでいたんだ。そして努力していた。自らの状況を変える可能性を異世界に見出した彼、ないし彼女は、召喚した勇者達の心に触れて、そして彼らに適切な能力を授けた」
召喚した勇者に精霊を与えたのは神でも惣助でもない。どんな権能が発現するのかは本人の願いに依存している。
そう、精霊器は願いの器だ。そして願い人は勇者だけではない。その勇者に何かを変えて欲しいと祈り願った、世界の意思もまた精霊には宿っている。
「ミユキ君の精霊器にも、君の意思の願いと一緒に世界の願いも込められている筈だよ」
ミユキは自らの弓に目を向ける。
これは紛れも無くミユキの願望そのものだ。姉から逃げた“剣”をねじ曲げた“弓”。そして時よ止まれと、あの頃に戻れという祈りが力の源泉にある。
ミユキの能力が強力なのは彼女の資質以上に“世界の願望と一致している”からだ。望まぬ結論を書き換えたいと繰り返す事を願う世界。その一部がそのままミユキに宿っている。
「では、姉さんは……」
「彼女の能力について、君はあまり詳しく知らないだろう。僕もそうだ。ただ、推測する事は出来る」
ミユキは雷を扱う刀の精霊を持っていた。だがあれは厳密には“雷”ではなかった。
光。それこそ彼女の本質だ。“自らが光になる事”、そして“誰かにとっての光になる事”こそ力の源泉。
「彼女は一人で戦っている時より、二人や三人で戦っている時の方が全然強かったんだよね」
誰かと繋がる事で、誰かと想い合う事で力を増すという性質。それこそが彼女に授けられた願いだ。
そしてそれがカテゴリーSだったというのなら、きっとそれは世界が本来持ち合わせる願いの一つに近い。ミユキの巻き戻す力と同じように、その繋がる力も世界の強い意思の一つだったとしたら。
「世界はやっぱり、皆とつながりたがっていた。そしてその力で何かを成して欲しかったんだよ。ミサキという勇者は、世界が望んだ光だ。そしてレイジ君が得た精霊もまた……」
レイジがミサキに惹かれたのはきっと偶然ではなかった。レイジの願い、そして世界の願いが彼女を求めていたから。
「“拘束する力”は、きっと光に憧れた世界の影みたいなものなんだよ。誰よりも世界の恐怖を、祈りを、願いを強く抱いている。それがミミスケとレイジという人間なんだ」
レイジに付き従い、ミミスケは戦いの中で多くの願いや祈りを自らに取り込んだ。それは世界の願望そのものだ。
世界の末端として、渦巻く世界の意思の一つとして、ミミスケは実験を繰り返した。レイジという道化は世界が置いた自らの代行者となるキャラクター。だからこそ、世界は彼に強く依存する。
「世界とレイジ君はお互いに惹かれ合い、支え合う存在だ。同じ光を求め、同じ光に狂わされる。だからこそ彼らは通じ合い、“世界と人”の対話者として成立している。そしてザナドゥという世界は、彼と共にある自らの一部が得た劇的な変化に心惹かれた」
「だから異世界に想いを馳せる……いえ、それでは……」
「そう。彼がいるから世界は狂い、彼がいるから救われ、彼がいるからザナドゥは異世界を求める。原因であり、解決策であり、全てであり、人間でもある。彼はそういう、どうしようもない矛盾の中にいるのさ」
「皮肉……ですね」
胸の前で手を組み、オリヴィアは祈るように空を見上げる。歪んだ空間に空はなかったが、世界と通じる座の上には光の球体が浮かんでいる。
「私達は皆、誰もが……世界すら、確かに愛を叫び、祈ったというのに……思いは届かず、すれ違い、互いを憎み傷つけ続ける。けれどもそれこそが祈りであり、願いであり、愛情だなんて」
ありとあらゆる存在が、例外なく己の愛を優先するだろう。
だからこそ、全ての願いは同時には叶わない。その願いが純粋であればあるほど、愛が深ければ深いほど、世界は矛盾していくのだから……。
地上に飛び出したレイジは一度息を整える為に足を止めた。見れば戦闘はまだ続いている。シロウはたった一人で世界と渡り合い、イオは遠藤と戦っているようだった。
『……ちっ。あれが全部俺なんだと思うと、なんかこう、変な気分だぜ』
「“お前達”はホントめちゃくちゃだよな」
『無限無意識の集合体なんだ、仕方ないだろ。俺の個性だってお前から分けてもらったモンであって、本来は自らが世界の一部だと自覚した上で世界の拘束から逃れる事なんざできねぇよ』
肩に張り付いたウサギの頭部のような甲冑から聞こえる声にレイジは苦笑を浮かべた。
そう、この精霊は世界の意思の一つ。そしておそらく唯一、あの群体の中から個を獲得した存在だ。
他の精霊にも意思はあるだろうが、ミミスケとは少し違う。ミミスケは自らがあの群体の一部であると客観的に理解した上で、あれらとは異なる一つの生命としての自我を持っている。
「お前もあれの一部ならなんとかしてほしいもんだけどね。ザナドゥ君?」
『そうできるならそうしたいんだがな。見ての通り、俺は異端として排除されてる存在だ。それと、俺の名前はミミスケだ。そういう風に名付けられたからこそ、俺には個が存在する』
あの無限に広がる全ての世界の意思達一つ一つに名前はない。個はない。だからこそあれらは群体であり、ザナドゥと総称するに相応しい。
だがミミスケは違う。まだミミスケがただの精霊であり、ここまで高度な人間性を持たなかった頃。彼に突然訪れた、他の精霊とは違う奇跡。
『“名前”だ。俺にミミスケなんてくだらん名前をつけたミサキがいなかったら、きっと俺はお前と分かり合う事も、世界から独立する事もできなかった』
その時初めてこの精霊は“他人”から承認されたのだ。お前はお前だと。そう言って笑った彼女が火を灯したのはレイジも同じこと。
『俺達はどっちも彼女に意思を貰った者同士だ。死んだ魚みてぇな目をしてた俺とお前が、今は世界を救う為に戦う事ができる』
「ああ。それも全てミサキのおかげだよな」
『ミサキだけじゃねえ』
「『みんなのおかげだ』」
二人は同じじゃない。人間と精霊で、人間と世界で、だけど同じ意思を持ち、別々の個を重ね、願いを、祈りを一つにする事が出来る。
世界が望んだミサキという光を独り占めしたこの闇は今や確信している。これこそ、この瞬間にこそ、これまで自分が存在した意味があるのだと。
二人は一つの身体で駈け出した。座を経由して世界とのつながりを深め、今はザナドゥの総体から多くの力を引き出す事が出来る。
「お前以外のザナドゥを全部ぶっ潰せば、お前がザナドゥそのものになれるんじゃないか?」
『いやそれは無理だな。俺は確かにまだザナドゥの一部だが、あれ全部潰すのは無理。世界ってのはお前一人に消滅させられるほど小さいもんじゃない』
「だったらやっぱり、対話するしかないか」
『ああ。人間が何か、世界が何か。その二つの存在が分かり合う事が出来るのかどうか。奴らに証明してやれ』
レイジの存在を察知したザナドゥの総体が振り返る。そして体中から無数の光線を発射した。
一瞬で降り注ぐ光の雨をかいくぐり、時にマントで弾きながらレイジはシロウへ駆け寄る。合流したシロウは既に満身創痍に見えたが、レイジと肩を並べると小さく笑う。
「レイジ、やったか! いや、わかってたぜ。俺への力の供給が明らかに強くなったからな。ミユキ達はどうした?」
「無事だよ。勿論オリヴィアもケイオスもね」
ニヤリと笑い拳を突き出すシロウ。レイジはそれに自らの拳を合わせる。
「あとはあいつをどうにかするだけだ。シロウ、ここから先は俺がやる」
「何言ってんだ、最後まで付き合うぜ。お前を守るって、JJにもロギアにも約束したんだからよ」
「……ありがとう、シロウ。だけどあれを止められるのは俺だけ……厳密には、ミミスケだけなんだ。だからやっぱり、俺が一人で……」
「それ以上グダグダ抜かしたらぶっ飛ばすぜダチ公。お前じゃなきゃダメだなんて事、もう分かってんだよ。だからこそお前の道は俺が作る。お前の背中は俺が守る」
強く熱い言葉だ。シロウがこうやって励ましてくれる度、レイジは挫けそうな心を奮い立たせてきた。
シロウはいつでも味方だった。それがどんなに嬉しく、どんなに支えになってきたことか。
そんな二人へザナドゥは無数の光を集め、極大の閃光を放つ。身構えるシロウだが、レイジは対照的に目を閉じリラックスした様子だった。
「シロウがいてくれて、本当によかった」
目を開くと同時、心を奮い立たせる。胸に抱いた熱は覚悟となり、覚悟は力に変わる。
マントはレイジの右腕を覆い尽くし、装甲を作る。前に出たレイジが光に手を翳すと、まるで吸い込まれるように全ての光が収束、彼の手の中で槍を形成した。
投げ返された一撃は怪物の胸に小さく消えた直後、大爆発を巻き起こす。轟音と共に夜すらも昼に変えるまばゆい光と衝撃がレイジ達にまで波及する。
「すさまじいものだな、救世主」
それでも怪物は倒れず再生を始める。物理攻撃による破壊は大して意味を持たないのだ。
ゆっくりと声に振り返ったレイジの視線の先、東雲は収まっていく光に照らされながら、右手で引きずるように持ったアスラの身体を掲げる。
襟首を持ち上げると片手でアスラを放る。レイジはそれを抱き留め、眉を潜めた。
「……すまない、救世主。この身体を、キズつけてしまった」
「アスラをこうも一方的に……?」
見れば東雲は完全な無傷だった。衣服に乱れすらない。光が完全に消えると東雲は新しい煙草に火をつける。
「君の話はなんとなく聞いている。君ならば確かにこの状況を阻止出来るのだろうな。だからこそ、ここで倒れてもらう」
ポケットに片手を突っ込んだまま東雲はアスラを安全な場所に置いてこいとでも言わんばかりに顎で指示する。
顔を見合わせた二人は一緒にアスラを道端に運ぶと慌てて戻ってきて、何事もなかったかのようにシリアスに向かい合う。
「……ねえシロウ、なんかあの人変じゃない?」
「変だが、恐ろしく強い事は事実だ」
「聞こえているぞ? では正々堂々君達をぶちのめすが――覚悟は良いな?」
駆け出した東雲にレイジも合わせて走りだす。パンチを繰り出す東雲、レイジはそれを“逸らす力”を纏った腕で弾こうとする。
しかし次の瞬間、東雲の拳はその腕を無視し、レイジの顔面に減り込んだ。それは“挙動を無視した”としか言いようのないもので、まるで腕に接触した事がなかったことになったような、ガードをすり抜けるような強烈な一撃だった。
混乱しながらよろけるレイジに東雲は回し蹴りを放つ。これが側頭部にどうしようもないほど直撃し、レイジは派手に吹っ飛んで転がった。
「なんだ……!?」
わけが分からず口元の血を拭う。東雲の攻撃に不審なところはなかった。能力を発動したようにも見えない。そもそも精霊器だって構えちゃいない。
ただのパンチ、ただのキックだ。それがなんだかわけがわからないが、ガードできずに直撃した。あのザナドゥの攻撃さえいともたやすく無力化したレイジが、手も足も出ない。
「能力の無効化……? 違う、そういうのじゃない……なんだ? どうなってる?」
「自らの特別さにうぬぼれた者程私の拳は防げない。安心しろ、命までは取らない。ただ、全てが終わるまでそこで寝ていてもらうだけだ」
ゴキリと拳を鳴らし歩み寄る東雲にレイジは背筋が寒くなるのを感じた。しかしその道にシロウが立ちふさがる。
「レイジ、こいつは俺が倒す。悪いな、一緒に行くと言っておいてアレだが、お前は一人で自分のやるべきことをやってくれ」
「だけどシロウ、こいつは……」
「こいつとやりあうのは初めてじゃない。わかっている事もある。レイジ、お前じゃ多分こいつには勝てないってこともな」
「その言い分では、自分ならば私に勝てると思っているかのように聞こえるが」
「そう言ってるんだが?」
ニヤリと笑みを浮かべるシロウ。レイジはゆっくりと立ち上がり、シロウの背中とザナドゥとを交互に見やる。
「……わかった。そいつはやっぱり特別みたいだけど、シロウに任せる」
「おう。お前はやっぱり特別だから、あのバケモノは任せるぜ」
レイジは背中を向け走りだす。東雲はそれを止めはしなかった。というよりは、止められなかったのだが。
「さぁてと。お前の能力は正直まだなんだかわかっちゃいねえが、わかっている事もある。それを全部試させてもらうぜ」
「好きにしろ。お前を倒しレイジを追う。ただそれだけの話だからな」
互いに拳を握りしめ、敵を睨みつける二人。同時に駆け寄り繰り出した拳は、クロスカウンターでシロウの負け。
重く鋭い、女のものとは思えない拳はシロウの横っ面にめり込み、男を何メートルも吹き飛ばした。




