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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【愛にすべてを】
109/123

世界(3)

*一件のメッセージがあります*


クピド

「元勇者連盟の皆様へ。手の開いている人は今直ぐテレビをつける事!」




「これって……もしかして織原君なんか?」


 テレビを通じて、そしてネットを通じて情報は拡散する。

 それは誰の手にも届き、誰の目にも触れる。望めば情報を誰でも得ることが出来る社会だからこそ、価値を持つ瞬間はある。


「美咲の妹と一緒に訪ねて来たっていう?」

「せやね。ザナドゥってゲームで、なんや色々あったって。HMD妹ちゃんに送ったんウチやから心苦しい限りやけど、協力はするって約束したかんな」


 高級マンションの一室でジャージ姿の女子大生はパソコンに向き合う。唇を舐め、高速でタイピングを繰り出すのは、この出来事を拡散する為だ。


「ネット中に動画上げて、カキコんだる!」

「まあ、私達がなにもしなくてもとっくに拡散されてるけどね」


 小奇麗にした今風の女子大生はケータイ――ユニフォンを取り出しSNSを起動する。タイムラインはこの異常な出来事のうわさ話でもちきりだ。


「ただ拡散するだけやあかんのやって。想いを込めて初めて意味があるんだとか」

「想いねぇ……まあ、正直眉唾だけど……それで美咲が戻ってきてくれるのなら」

「せやね。サキやんが戻ってきてくれるのなら、えんやこーらっと!」




*一件のメッセージがあります*


カイゼル

「今、俺達を代表してあの世界と決着をつけようとしている奴らが居る。俺も現地にいるにはいるが、やれる事が特にねぇ。だからお前たちに頼む事にした」




「織原さん……」


 祈るような気持ちで手を胸の前で組む少女がいた。とある青年の部屋、小さなコタツに入り、小さなテレビを食い入るよいうに見つめていた。

 傍らには一人の女性が座っている。女性もまた待ち人に祈りを捧げていた。テレビには映っていない。だが、想い人はあの世界で戦っているはずだ。


「どうか、シロウを宜しくお願いします……どうか……どうか、ご無事で」

「きっと大丈夫よ、あの子達なら。私達に出来る事は特にないけど……でも、ここで祈る事に意味があるんだって」


 少女の頭を撫でて微笑む女の胸中もまた穏やかではなかった。それでも今は信じ続ける。信じる事が彼らの力になると、そう教わったから。


「葵……必ず無事に帰るのよ。あのバカを連れて……!」




*一件のメッセージがあります*


タカネ

「このまま知らんぷりを決め込めば、この世界がどうにかなっちまうかもしれないんだ! あたし達のやってきた事が、全て台無しになっちまう! そんなのイヤだろう!?」




「テレビ、見ているかい? 深雪を……美咲を変えた彼が、今あそこで頑張っているよ」


 病院の一室、男は自らの部屋で小さなテレビを見つめていた。受話器の向こうから声は聞こえなかったが、思えば何年ぶりのやりとりかもわからないのだ。ある意味当然の事だと言えた。


「子供達は成長している。大人の時間が止まっている間にね。僕達は彼女たちに未来を示せなかった。だから今、彼女らを応援する権利すらないのかもしれない」


 白衣の男は目を瞑る。あの日家を出た長女と、そこから始まった次女とのすれ違い。それを是正する事も出来なかった自分の弱さと無力さに想いを馳せて。


「それでも僕はもう一度、親らしくある事を努力する。彼女らのような誇り高き娘を持てたことを堂々と語れるように。だから僕は彼を信じる。そうする事が彼の力になると聞いたから」


 受話器の向こう、女もまたテレビを見ていた。まだ準備中の店に人気は無く、女は黙って食い入るように画面を見つめていた。


『願わくば、君もまたもう一度親として努力してくれる事を祈る。そして……共に祈ってほしい。僕達の娘が、再び笑顔を取り戻せるように』




*一件のメッセージがあります*


クピド

「世界の壁を超えるには、相応の力が必要よ。だからその力を集める為に力を貸してほしいの。これから手順を説明するから、皆手を貸して頂戴!」




 携帯電話を手に多くの人々が空を見上げていた。同じ空。関東の空に浮かぶあの神域を。

 逃げ出してしまった勇者達が。未だ諦めきれずに足掻き続ける彼らを想う。迷いと苦しみと葛藤の中、テレビの向こうに映る今を信じて――。




「なるほどね……大体事情はわかったわ。要するに、あそこまで空飛んで行けばいいのね?」


 ロギアから事情を聞いたJJは頷き、直ぐに新庄に指示を出す。


「鳴海機関ってのは特務機関でしょ? ヘリの一台や二代くらいあるでしょ、回しなさい」

「簡単に言ってくれるなぁ……まあ用意するけど。少し時間もらうッスよ?」

「直接乗りつけたとしても転移出来るかどうかはやってみなければわかりません」

「それでも行ってみるしかないだろ?」


 レイジの強い意思の篭った言葉に頷くJJとロギア。JJはすぐさまメリーベルに連絡を取り、屋上の安全確保を依頼する。


「救世主君も丸腰じゃ危ないから、コレ」

「……うおおおおっ!? 銃刀法違反ですよ新庄さん!?」

「んな事この緊急時に気にしてもしょうがないッスよ」


 拳銃を手渡され震えるレイジ。ロギアは十二単のようなドレスを次々に脱ぎ去り、裾を破いて動きやすい格好を作る。


「私もできるだけ境界の近くまで同行します。手間をかけますが、上空まで連れて行って下さい」

「でも、近づけば天使の迎撃を受けるかもよ? ロギアも今は戦えないんでしょ? 危険だよ」

「……今更何を間の抜けた事を。危険だろうがなんだろうが行くしかないのでしょう? 全く、自分の事をすぐ棚にあげる。それはあなたの悪癖です、救世主」


 ジト目でビシリと指差すロギアに思わずのけぞるレイジ。JJはカチカチを高速でケータイをいじっていた手を止め、氷室に残りの指示を出す。


「ここの守りはあんたに任す! ミユキとイオとシロウの身体はあんたが命に代えても守んなさいよ!!」

「承知しています。ロギア、レイジ……あの方を……黒須室長をどうか宜しくお願いします」


 笑顔を浮かべ、サムズアップするレイジ。氷室も苦笑を浮かべ、それから親指を立てて返した。

 一方、ビル内を駆けるメリーベルは階段を一気に飛び上がり、鉄扉を蹴破って屋上へ出る。そこでは鳴海機関の構成員が銃で天使に応戦していたが、足止めにもなっていない。

 幸い天使はこの慣れない異界の構造に困惑しているし、目的は召喚装置の破壊だ。近隣の無関係な民間人を攻撃はしていないし、機関員の殺傷にも拘っていない。


「下がってなさい。ここは私が何とかするから」


 ぐっと足に力を込め、一気に駆け出す。その初動で足元のコンクリが剥離し、破片が空を舞った。

 その身体はとうに生身ではない。黄金の鎧を纏った拳は天使の身体を轟音と共に貫き、一撃でその生命活動を停止させる。


「流石にレーヴァテインまでは使えないけど……ま、十分か」


 天使が繰り出す槍をかわし、僅かに雷を纏った蹴りを放つ。天使の纏う鎧が砕け、また一体がその形を失い光と消えた。


「こんな時、ナツルかスバルでも居てくれればラクなんだけど……ないものねだりしてもね」


 落ちていた機関員のサブマシンガンを拾い、引き金を引く。銃弾を浴びても天使は簡単には倒れない。が、まともに突っ込んで包囲されては流石に分が悪い。


「ほら、さっさと立てなおして。纏まった弾幕なら天使を止められるわ」


 メリーベルの登場でなんとか持ち直した機関員が銃撃で天使を牽制する。メリーベルはそれを横目で確認しつつ、階段を振り返る。


「さてと……主人公が来るまでにここは片付けておかなきゃね」




 ――バウンサー、東雲の動きには特別脅威を感じられない。

 実際問題、彼女の挙動は人間の域を出てはいない。魔王アスラが超人のそれだとしたら、東雲はただの人間だと断言出来る。

 しかし東雲は一発もアスラの攻撃を受けず、逆に東雲の拳をアスラは防ぐ事が出来ない。その拳もまたただの拳なのだが、何故かアスラは一撃浴びる毎に深刻な損傷を自覚していた。


「アスラッ!!」


 口から血反吐を吐きながらも立ち続けるアスラ。呼吸一つすら乱してはいないが、ダメージは重なっていく。


「驚いたな。私の拳をこう何度も受けて立っているとは」

「生憎頑丈さは桁違いでね。……ミユキ、ここは私が抑える。お前たちは先へ進め」

「でも、それじゃああなたが……」

「心配は無用だ。こう見えても魔王でね。それよりもこうして足止めを食っているほうが問題だ。君達が精霊器を取り戻せば逆転もできよう」


 すうっと息を吸い、より意識を研ぎ澄ます。大剣を両手で握り締め、その柄から切っ先まで神経を張り巡らせるように。

 元々魔王は作られた命、その存在意義はつまるところ兵器だ。剣とは常に一心同体。軽く振るった刃は先ほどまでとは重みが圧倒的に異なる。空を裂いた衝撃は重く、構え直された刃は強い威圧感を持つ。


「スロースターターでな。そろそろ本気で行かせてもらおう」


 目を見開き、魔力を放出しながら飛び出すアスラ。衝撃で吹っ飛びそうになるイオをシロウが抱きかかえる。

 次々に繰り出される、かすっただけで致命傷に至るアスラの剣を東雲は僅かな動きだけで回避する。まるで“剣の方が勝手に避けている”としか思えないような奇跡的な挙動だ。


「征け!! これまでの全てを無駄にしない為にッ!!」

「……ミユキ、走るぞ!」

「アスラ……どうか無事で!」


 最後まで迷っていたミユキだがシロウが手をとり走りだすともう振り返る事はなかった。追撃を仕掛ける東雲の前に立ちはだかり、魔王は血の紅を引いた唇で笑みを零す。


「貴様が前の私を倒したというのなら、是非もない。どうせこの乱痴気騒ぎもこれで終幕。ならばリベンジマッチと洒落込むのも悪くはなかろう」

「何度やっても君では私には勝てんよ、魔王」


 拳と剣が激突する轟音を背にミユキは前を向いて走り続ける。神域へ続く門をくぐれば、後は城の外壁に続く階段を登るだけだ。

 神域はパンデモニウムほど広くはない。単純な空中に浮かぶ巨大な岩場の上に簡単な未知と外壁が存在しているだけだ。神の座というのがどこにあるのかはわからないが、目の前にある階段以外に行路は見当たらないのだから、後はここを走るしかない。

 階段を進み、幾つかある足場となる浮石に差し掛かった時だ。正面の階段を猛然と駆け下りてくる大きな黒い影の存在を察知する。

 まるで巨大化した蜘蛛のようなその外見は、既知の物ならば直ぐに把握する。遠藤の精霊、クリア・フォーカス。それがバウンサーの姿で変化したものだと。


「遠藤の精霊……というか、あれが遠藤そのものなのか?」


 足を止めるシロウ。蜘蛛の怪物は大きく跳躍すると勇者たちの目の前に轟音と共に着地する。その口から出たのは答える言葉ではなく、怪物らしい咆哮であった。


「遠藤……! やっぱりバウンサー化が加速してる! ハイネと同じで原型を留められてないんだ!」


 黒い影を纏った鋭い前足を振り上げ、それをまるで鎌のように振るう。シロウは少女二人を背後に突き飛ばし、自らは屈んでそれを回避する。


「こいつは俺が相手をする! お前らは先行け! んで、精霊器を取り戻して助けに来てくれ! 流石に倒すのは無理だ!」

「でもシロウ……相手はバウンサー化してるんだよ!? 生身のシロウじゃ直ぐ殺されちゃうよ!!」

「こう見えても目はいいんでな。それに化け物になってるなら動きも読みやすい。こいつがマジのおっさんだったら俺も負けてたろうが……今の遠藤にゃ負けねぇよ!」


 振り下ろされた足を横に跳んでかわすシロウ。そうして振り返らずに叫ぶ。


「行け! 長くは持たねぇ!!」

「……イオ!」

「…………くそっ! わかったよ……死ぬなよシロウ!! それから……遠藤も……」


 後半は消え入るような声だった。ミユキに手を引かれ走りだしたイオは何度も振り返り、やがて迷いを振り払うように目尻に浮かんだ涙を拭った。

 怪物と化した遠藤は咆哮を上げ二人を追いかけようとするが、シロウはその脇腹に拳を叩き込む。相手は鉱石の蜘蛛、ダメージなど期待できるはずもなく、その拳から血が流れても、それでもシロウは遠藤を睨み続ける。


「――おっさん!! あんたを助けようって必死になってる奴がいる! あんたの帰りを待ってる奴が居る!! あんたがどんなになっちまっても、あんたを想っている奴がいる!」


 前足と後ろ足をせり出し、回転するように薙ぎ払う。その一撃をよけきれず脇腹を切り裂かれ、シロウは血を流しながら叫ぶ。


「今の俺に出来る事は、ダチの到着を信じて待つ事。そして……あいつらの祈りが届くように、ここであんたを止める事だッ!」


 咆哮を背中で浴びながらミユキは階段を駆け上がる。その道中、浮遊している周囲の岩場で空を見上げているハイネを見かけるが、ハイネは全くこちらに気づく気配がない。


「ハイネ……? あいつ何やってんだ?」

「妨害されるかと思いましたが……こないならこないで好都合です。ここは放置しましょう」


 二人が階段を上がりきると、今度は神域の内側に向かって続く大穴とそこに降りる為の螺旋階段が姿を見せた。少々うんざりした様子のイオだったが、ミユキは直ぐに階段を降り始める。

 神域の内側には白い光が満ちている。階段も空中に浮かぶ結晶のようなもので、その果ては見えない。空間的には底が見えてもおかしくないはずなのだが、まるで歪んだ次元に存在するかのように、神域の最奥は果てなかった。

 やがて太陽の光も差し込まないほどの奥深くへ到達し、入り口であった穴がとても小さくなった頃。真っ白な空間を降りる階段が途切れた。そこには虚無ではなく、間違いなく白い光の床が存在している。恐る恐るその存在を足で確かめながら降り立つと、今度は横に向かって広がる回廊が二人を待っていた。


「この空間どうなってんだ? 明らかに外から見た神域より広くねぇか?」

「どちらにせよ、あの向こうが神の座という事でしょう」


 ここまで急ぎの長距離移動にすっかり息の切れた二人だが、ゴールは目前だ。白く巨大な、10メートルはゆうに超える扉。その手応えはまるで雲のようで、疲れた少女二人の腕でも簡単に押し開く事が出来た。

 内側にはこれまでとはまた少し違った雰囲気の空間が広がっていた。磨きぬかれたガラスのように周囲を反射する床、その奥に巨大な光の球体が浮かんでいる。

 球体の周囲には無数の白い棺桶が浮かび、それらはまるで球体を守るようにくるくると不規則な回転をしている。いや、棺桶はそこだけではない。見れば壁一面に無数の棺が浮かび、まるでそれがこの部屋の限界を定めているかのようだ。

 球体の前には神と世界が対話するための椅子がひとつ、ぽつんと佇む。その上にロギアと同じ白いドレスを纏い、仮面をつけた人物が腰掛けている。傍らにはケイオスの姿があり、闖入者に気づいたのはケイオスの方だった。


「やあ。誰かがこっちに向かっているのは気づいていたけれど、君達か」

「ケイオス……!」

「怖いな。そう睨まないでくれ。僕にも色々と事情があってね」

「言い訳があるのならば聞きましょう。しかしそれは異世界への侵攻を止めた後です。二つの世界がつながれば、法則が交じり合い、境界は砕け全ての世界とのリンクが生じてしまう。そうなれば何が起こるかわからないのですよ?」

「知っているよ。でも、それの何がいけないのかな?」


 腰に手をあてケイオスはあっけらかんと微笑む。それから僅かに逡巡し、カツン、カツンと靴音を立てながら二人に歩み寄る。


「二つの世界の境界が取り払われ、そして世界を守っていた境界の消失により、全ての平行世界と上下世界の壁が取り払われる。それが世界の望んだことならば、正当な進化じゃないか」

「進化……? 本気でそう思っているのですか?」

「確かに、最初は多大な混乱が世界を襲うだろう。人も大勢死ぬだろうね。だけどそれは最初だけだ。やがて複数の世界が交じり合った事による新たな文明、新たな人類の誕生により、技術的特異点を超えるだろう。人も世界も進化する。それを留める事こそ、不自然な事じゃないかな?」

「あなたは……二つの世界を繋げて、世界を進化させる。そんな馬鹿げた目的の為に……?」

「馬鹿げた事かな? まあそうかもしれないね。でもこれは僕達の世界でもこれまで当たり前に繰り返されてきた進化のプロセスじゃないか。それにこれは僕一人が望んでいる事じゃないんだ。むしろ僕は、彼女の願いを叶えようとしているだけ、と言っていい」


 背後で手を組み、ゆっくりとケイオスは視線を光球へ、そしてその傍らに座った人物へと向ける。まるで案内を待っていたかのように女はゆっくりと席を立った。


「僕はね、正直な話、どっちでも良かったんだ。ただ、世界の望む未来を見てみたい……それだけでね。君達はもしかしたら僕が全ての黒幕みたいに勘違いしているかもしれないけど、そんな大それた話しじゃないよ。最初から僕は世界と対話したって言ったよね? この状況を望んでいるのは世界そのものなんだよ」


 世界は変化を望み、死を繰り返した。そしてオリヴィアという人間の覚醒により、変化を確信した。

 だがそれでも世界は滅んでしまった。オリヴィアの覚醒により世界は変化したにもかかわらず、それでも世界は死を願った。それはなぜか?


「――君達だよ。君達……勇者たちの中でも特にミユキさん、そしてレイジ君がこの世界に与えた影響さ。強い感情、強い変化。希望と絶望、そこから生まれる強い力。それが世界を魅了したんだ」

「私と……レイジさんが?」

「精霊器は君達と“世界”を繋ぐピースだ。君達はその願いや祈りを代償に、世界から力を引き出している。祈れば祈るだけ、願えば願うだけ、世界はそれを理解し、知識として、経験として蓄える。そうやって世界は召喚された勇者たちの感情、意思、そして願いをトレースし続けた。そして君やレイジ君は、強い強い、どこまでも強い真っ直ぐな希望と……そしてこの上なく全てを飲み込むような激しい絶望。その両方を世界に伝えた」


 精霊器とは要は世界の一部だ。その力を、膨大なエネルギーを借り受けることで超常を現実に落としこむ。精霊とは言わば世界の意思の一端。勇者たちは常に、世界と共にあった。

 世界は精霊器を通じて人の想いの深淵を覗きこむ。そしてそこに無限に広がる可能性を知った。ちょっとやそっと、この世界の人間が自我に目覚めた程度でそれに追いつく事は出来ない。レイジの持つ激しい感情は、それほどまでに振りきれたものだったのだ。


「だから興味を持ったんだ。“こんな素晴らしい存在を生み出した世界とは、どのようなものなのだろう?”ってね」

「まさか……では……?」

「二つの世界を繋げたい……ううん。“他者と繋がりたい”。それがこの世界の願いだ。もっともっと、より深く、人間を……その人間を育んだ世界を知りたい。より強い希望を。より激しい絶望を感じたい。“世界”はもう、その興味の矛先を自分には向けていない。世界が今欲しがっているのは、自分とつながってくれる強い感情なんだよ」


 つまりこの状況はロギアや黒須が意図したものではなく。それどころかケイオスが仕組んだものですらなく。それらの企みを止めようと努力してきた勇者達の願いが引き起こしてしまった、想定外のもう一つの悲劇に過ぎない。


「結果、世界はもう自分の事を放置する事にした。世界はもう、自分を愛さなくなった。その結果、この世界はまるきり滅んでしまったんだよ。ねえ……オリヴィア?」


 仮面を外し、その下から除いたのはひどく冷えきった眼差しだった。

 オリヴィア・ハイデルトークと呼ばれた少女は、とうに大人に成長していた。もうミユキより、レイジよりもずっと大人になった。なってしまった。

 長い髪を揺らし、女は美しく、しかし凍てついた瞳でかつての共を映し出す。ミユキが思わず息を呑んだのも無理はなかった。あの女はきっと、とっくに笑顔なんて忘れてしまっていたから。


「オリ……ヴィア……」

「……久しぶりですね、ミユキ。こうしてもう一度会う日が来るとは思っていませんでした」


 椅子の傍らに立てかけられていたダモクレスの剣を手に、女はゆっくりと歩む。ミユキはその一挙一動から目を逸らせない。


「――以前、この世界は失敗作なのではないか……と。あなたに打ち明けた事を、覚えていますか?」


 胸がこんなにも切なくなるのは、少女が大人になるまでの数年間を側にいてあげられなかったから。

 彼女がこんなにも美しく成長してしまったのは、きっと夥しい数の絶望を見てきたからだとわかってしまったから。


「私は……今になってようやく確信しました。私達がいかに無意味で……いかに愚かな存在であったか。そして理解しました。もう、こんな事は終わりにすべきなのだと」


 鞘から抜かれた美しい剣はあの日と変わらず光を弾く。女は片手でその剣を握り、切っ先をゆっくりと持ち上げ。


「だからもう、終わりにしましょう。これ以上、誰かが涙を流す事も……終わらない苦しみに囚われる事も、もう、二度と、ないように」

「オリヴィア……」


 女は悲しげに、少しだけ昔と同じように笑い。それから音もなく、地を滑るようにしてふわりと、しかし尋常ならざる早さでミユキへと迫る。

 繰り出された剣を回避できたのは、偶然でも実力でもなく、単純にオリヴィアが加減したからだ。しかしそれも次はない。次の一撃は、今度こそ、本気で命を取りに来る。そう、刃の煌きが伝えていた。


「オリヴィアッ!!」

「ごめんなさい、ミユキ。だけどもう……こうするしか、ないんだよ」


 繰り出された刃。目を見開くミユキの胸に、吸い込まれるように突き刺さる。

 溢れ出る血を浴び、それでもオリヴィアの瞳は冷たく凍てついている。ミユキはその手を掴み、震えながら膝を着き、後悔を噛みしめるように目をつむり、引きぬかれた刃と共に流れる血と共に、ゆっくりと、地べたに崩れ落ちた。

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