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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【虚ろなる者たち】
101/123

願望の怪物(4)

「精霊器が……消える!?」


 両手から消えた借り物と本物の願いに目を見開くJJ。精霊器が消えたのは彼女だけではない。この場所にいるすべての勇者、そしてバウンサーの手の中から精霊器は消失してしまった。

 精霊の加護を受けなければ勇者はただの人間と変わらない。特に体を鍛えているわけでもないJJがまともに戦いなどできるはずもなく、魔物としての力が消えない遠藤を前になすすべがないのは歴然であった。

 しかし精霊器が消えなかった遠藤にもまた異変は起きていた。突然苦しみだしたかと思えば、その全身から黒い光をまき散らし倒れこんでいる。


「遠藤……!? 一体何が……?」

「遠藤!」


 倒れた遠藤に駆け寄ろうとするイオを捉え、慌てて駆け寄るJJ。そのまま飛びつくようにして二人共に大地を滑ると、先ほどまで二人がいた場所に遠藤の攻撃が着弾する。


「え、遠藤……!? どうしちゃったんだよ!?」

「バカ! どうみたってまともな状態じゃないでしょ!? あんたも精霊器使えないんだから、今何かされたら一撃で即死よ!!」

「だけど……だけど遠藤が!」

「今更取り乱すんなら、最初っから素直になっときなさいよ! ほんっとバカね!!」


 がなるJJから視線を逸らすイオ。その手をつかみJJは無理やり立ち上がらせると、そのまま遠藤から遠ざかるように走り出す。


「とにかく今は撤収! カイゼルーーーーッ!!」

「JJかぁ!! すまんがこっちもどうにもならぁん!!」


 天使の集団から走って逃げてくる仲間とバウンサーの入り混じった連中を見てJJは何とも言えない表情を浮かべた。

 双方から前進してきた二組がぶつかるようにして合流し背中合わせに構えるが、精霊の力がないのではどうにもならない。万全ならば余裕で倒せたはずの天使さえ、今は致死の強敵だ。


「あんたらは精霊器が使えるかもしれないという我ながらご都合主義の可能性に賭けたかったけど……万事休すか。ていうかなんでバウンサー連中まで消えてんのよ?」

「私とて混乱している! ま、まあそもそも我々も召喚の仕組みは君たちと同じだから、確かにそういうことなのかもしれないが……!」


 慌てる氷室に使えないなと言わんばかりに溜息をこぼすJJ。遠藤は追いかけてきていないが、天使には取り囲まれてしまった。


「クリア後に急にあらわれたわけのわからない相手に殺されるなんて、そんなのアリかい!?」

「うぅむ……さぁて、どうしたもんかねぇ?」


 タカネの叫びに腕を組むカイゼル。と、その時、上空から何かが墜落してきた。また新たな天使かと思いきや、そこに降り立ったのがミユキを抱きかかえた魔王アスラであるとわかり誰もが仰天する。


「ミユキとアスラ!? 何故お姫様だっこされてんの?」

「JJ! 皆さん、無事でしたか!」


 腕から降りて駆け寄るミユキも精霊器は持っていない。しかし先の様子を見るに魔王の力は失われていないようだ。


「……何がどうなってんの? ミユキは魔王を倒してないの?」

「いえ、倒しました。魔王のコアを砕いて、彼女を“解放”したというべきでしょうか……。とにかく、今の彼女は味方です」


 背にした大剣を抜き、天使目がけてふるう。すると魔王の力は健在といわんばかりに炎の刃が一閃、天使の軍勢を薙ぎ払った。


「故あって助太刀する。友の友ならば我が友、それが大切な友達であるミサキの教えだ」

「あいつキャラかわってない?」

「いろいろあって……」


 魔王はコアを砕かれた事により、魔物のストッパーとしての力を失った。逆に言えばそこに割いていた分の力を今こそ余すことなく発揮することができる。

 フェーズ3の最後に見せた真の実力をここで振るうのに戸惑いはない。掌に作り出した火炎を次々に発射し、大爆発で天使の軍勢を焼き払っていく。


「今のこの身がどこまで持つのかはわからん。だからこそ最初から渾身で行かせてもらう」


 コアを破壊されたことなどなかったので、この体がこの後どう消えていくのかはさっぱりわからない。

 だが最後まで残されたこの力を使い、今の自分にできることをしようと決意した。

 熱風に髪を揺らしながら笑みを浮かべるのはうれしかったからだ。もう何を否定するためでもなく。死ぬためでもなく、剣をふるうことができる。

 大切な友達を守るため、この体に宿った彼女がそう教えてくれたように生きられる。もう空っぽな自分ではないから。


「どのような道理で貴様らがこの結末を穢すのかは知らぬ。だが……ならばこそ容赦はしない。さあ、殺しあうぞ……虚無なる者たちよ!」


 ノリノリで天使を撃破する魔王の勢いはもはやだれにも止められない。わけのわからない状況にJJは目を細め、こめかみを軽く揉んだ。




「なんで人助けをするのかって? うーん……? なんで……。なんでと言われると、私にもよくわからないわけですが……正直、ちゃんと考えているわけじゃないから。自然とそうしたいからしてるだけっていうか……理由なんかないよ、うん」


 ダリア村で収穫を手伝うミサキに問いかけると、彼女は真面目に考えた後にそう返答した。だがそれは考えるまでもない答えだったらしい。


「理由なんかないんだよ。私が私だからとしか言い様がないかな。自分が気持ちよく生きる為に、自分が好きな自分で居るためにする努力って、うまく言葉には出来ないけどさ。必要だからしてるんだけど、意識してやるような事でもなくて……うーん、ごめん、上手く言えませんなぁ! って、それがどうかしたの?」




 ミサキはこの世界を救う救世主となる人材だった。しかし彼女はその才能を生かすことなく、仲間のために命を落とした。

 アンヘルはその時その現場に居合わせた。そして――彼女を救うすべをその手にしながら、それを行使しなかった。

 もちろん、それは許可なくできることではなかったし、その時のアンヘルに命令以外の行動をとるなんて選択肢はなかった。けれどそれは心を持つようになり、己を知るようになり、少しずつ彼女の中で重く固まって行った。

 ミサキの死に苦しむレイジを救いたくとも出来る事などなにもなかった。もしも戻れるのならばあの日のあの時に戻って、彼女を救いたい。そうする事できっと、彼は笑顔を取り戻すだろうから。

 けれど過去に戻ることは出来ない。レイジは一人で戦い続け、自分に頼ろうともしてくれない。彼は優しく、優しいからこそ甘く、他人を巻き込もうとしない。

 それはもう誰も失いたくないから。誰かを失う苦しみに、きっと次は耐えきれないと知っているから。そんな彼の重荷にしかなれない自分が歯痒く、いつも切なかった。

 ――あの日、あの時。たった一度自らの意志で掟を破り、すべてをなげうっていれば、きっと彼女を救えた。

 自分よりずっとレイジに希望を与えられるあの人がそばにいてくれれば、それだけ彼は幸せだったのだ。

 そう、自分よりも……何もできず、うまく人として思いを伝えられない自分よりも。彼女が生きていることこそ、希望だったのに。

 罪の意識は芽生えた時にはどうしようもないものだった。それは決して購うことは出来ない。だからきっと最後まで、本当の最後のその時まで使うまいと決意していた。けれど今、その制約を自らの意志で……破る。


「私が私である為に……自分が自分を好きでいる為に……!」


 アンヘルの持つ杖、リピーダは精霊器ではない。かつて神が天使に与えた、人の為の奇跡。

 アーティファクトはこの状況においても魔王の持つそれと同じように効果を発揮する。異世界人ではなく、“世界”の力に依存しないからこそ、今のアンヘルにできることがある。


「蘇らせるって……本当にそんな事が出来るのか!?」

「はい、できます。たった一度だけしか発動できない、できそこないの力ですが……」


 にこりと微笑みながら杖を正面に構えるアンヘル。祈るように目をつむるとオリヴィアの体を光が包み込む。

 傷が癒え、肌には生気が戻っていく。これは本当に命をよみがえらせ、死をひっくり返す力なのだとレイジもわかった。だが……。


「アンヘルは……どうしてその力をこれまで使わなかったんだ?」


 女は答えない。だが答えはもうわかっていた。

 レイジはアンヘルがちゃんと心を持った一つの人格であると知っている。だからこそ思う。彼女が何の理由もなく、力を使うことをためらう筈がないと。

 そしてアンヘルの体は今、急速に“薄く”なり始めていた。そう、まるで精霊器がゆっくりと消え去ったように――アンヘルの体もまた、少しずつ塵と消えていく。


「……よせアンヘル!! その力は君自身の命を削ってる!!」


 気づいて慌ててアンヘルに飛びつく。腕をつかみ、杖をつかみ愚行を止めようとするも、今となってはアンヘルのほうが何倍も力が強い。


「流石はマスター、お見通しですね」

「君が言ってた策って……じゃあ、魔王の代わりに自分が身代りになるつもりだったのか!?」

「そうすれば……わたくしが消えて、本当の意味でのミサキ様の体が戻ってくる。マスター、あなたの願いに少しだけ近づける……」


 唖然としたのち、レイジはうつむいた。そうして肩を震わせ首を横に振る。


「違う……それは違うよアンヘル。俺は確かに過去をやりなおしたかった。だけど! それは今目の前にあるものを失ってまで叶えたかった願いじゃない!」

「承知の上でございます。それでもマスター……命には、優劣があります。最早人に害する存在でしかなくなった天使と、この世界の王であるオリヴィア。どちらの命がより重いのか、それはご理解いただけますね?」

「わからないよ! そんなのわかるもんか!!」

「では、このまま彼女を見殺しにするのですか? わたくしにはそんな事……もう、出来ません」


 光が強まっていく。それはリピーダの持つ本当の力。

 自らの存在する力を他人に分け与える力。だからこそ回復の力とて多用することはできず、これまでも温存し続けてきた。

 天使の技は自己犠牲の上で成立する奇跡だ。もしも人をよみがえらせることができるとしたら、それはたった一度きり。自らの命をすべてなげうって、やっと届くかもしれない夢。


「わたくしはミサキ様を見殺しにしました。そばにいただけじゃない。わたくしならば消えゆく彼女をこの世界にとどめることができた。希望をつなげることができたのです。それをわたくしはしなかった。それがわたくしの罪」

「違う! 誰かが死んで誰かが救われるなんて、そんなのは間違ってる!」

「それを……マスター、あなたが言うのですか?」


 思わず息を呑む。アンヘルは顔を寄せ、レイジの腰に手を回し、まるで芸術品のように美しい瞳で語る。


「マスターのやっていることはこういう事です。他人のためなら自分はどうなってもいい……ええ、あなたの言う通り。こんなものはエゴです。ただの自己満足に過ぎません。わたくしが犠牲になってオリヴィアを救ったとして、彼女が喜ぶはずもありません」

「あ……う……」

「マスター、あなたは救われる側の気持ちを何時も無視している。だから……届かないのです。あなたには、だれの声さえも」


 思わず打ちのめされるようだった。つい先ほどミミスケに言われたのと同じこと。他人を拒絶している……だから聞こえるはずの彼女の声が聞こえない。

 そうだ、きっと彼女はこんなことを望まなかった。彼女たちは、きっとレイジが犠牲になることを望まなかった。

 彼女らが望まなかったことに彼女らの力を使おうとして、それが十全であるはずがないのだ。そんな事、当たり前に気づけたはずだったのに……。


「マスター。わたくしは……あなたに希望を持ってほしかった。あなたを救いたかった。けれど、わたくしにできるのはこんなことだけ。こんな事なんの意味もない、問題の先送りに過ぎない。それでもマスター、わたくしは……」


 レイジの手を取り、女は涙を浮かべながら微笑む。その力はもう弱弱しく、地に零れ落ちた杖が放つ光にすべて解けて消えてゆくのだとわかった。


「わたくしは、あなたを救いたかった……。あなたにもう一度笑ってほしかった。だから……どうか、気づいてください。そしてもう一度……立ち上がってください。過去ではなく、未来のために。それが何の意味も価値もなかったわたくしがあなたに伝えられる、最初で最後の……心の願いです」

「……アンヘル!」

「さようなら、マスター……」


 それは献身の力。

 自己犠牲により、何かをひっくり返す力。

 己を知らない空虚な天使にはきっと使えなかったはずの力。だからそれはすべて、レイジたちのお蔭だった。

 一人きりで心を知らない孤独な天使。彼女は心を得たからこそ、この力を使うことができたのだから。

 女はまるで人間のように穏やかに微笑み、レイジの頬に唇を当て、その体を抱きしめようとして――光の粒となって消えた。

 漂う無数の光はふわりと舞い上がり、一気にオリヴィアの体へと雪崩れ込む。レイジは腕をすり抜けた重さを思い出すように掌を握りしめ、きつく歯を食いしばった。


「意味が……ないって? 価値なんかないって? バカいうなよアンヘル……そんなわけ、ないじゃないか……。君がいたから、俺は……俺はっ!!」


 オリヴィアとアンヘル。その命のどちらかしか救われなかったとして。選ぶことなんて、できなかった。

 どちらが正しいとか間違いだとか、そういうことじゃない。これは心根の中にある願いの問題だ。

 アンヘルは自らの願いに準じて無茶をした。願望を叶え希望をつなぐ為に身を投じたのだ。そんな愚かなことができる生き物なんて、そんなもの、人間しかいないじゃないか。


「俺のために君は……いつも無茶をしてくれたのに……俺は君に、何も……っ」


 裏切り者と呼んだ彼女が、少しだけ悲しげに眉をひそめたのを覚えている。

 希望はまだあると、すべてをなげうって現実世界へやってきてくれたアンヘルがいたから、もう一度歩き出せた。

 自分の傍にはいつも彼女がいてくれたのに。何一つ、彼女のことなんてかまっている余裕なんかなくて。

 だからただ戦ってばかりですべてを拒絶していた自分に、たった一度だけ彼女がくれた過ちを正す光。これは命を賭した献身。それは、オリヴィアを救う為だけじゃない。

 誰かのために何かをなげうつことの愚かしさと美しさを、たった一人伝えたかった人に伝えきった彼女が残した、希望の光だった。


「……ぅ、う……? レイジ……様?」


 ゆっくりと瞼を開いたオリヴィアが上体を持ち上げると、レイジは黙って少女の体を抱きしめた。


「レ、レイジ様? どうして……泣いているのですか?」


 もう絶対になくしちゃいけない。彼女の死を絶対に無駄にしてはならない。

 自分のために、そして誰かのために。今もう一度己の魂に問わねばならない。自分の願いはなんなのか。その為に何をどうするべきなのかを。


「レイジ様……あったかいですけど、すこし恥ずかしいです……」

「……ありがとう、オリヴィア。ありがとう……アンヘル」


 すっと立ち上がり、少年は上を向いて。涙を拭いたその瞳には、悲しみでも怒りでも憎しみでもなく、ただ強さだけが宿っていた。


「……泣いたりわめいたりあきらめたり立ち上がったり忙しい人ですね」


 肩をすくめるロギアをまっすぐに見据えるレイジ。神と救世主、二人が再び対峙したまさにその時だ。ふわりと、二人の間に降り立つ人影があった。

 なぜここに、このタイミングで現れたのか。さっぱり理解できず、しかし二人同時にその名前を呼ぶ。


「「 ケイオス!? 」」


 そして互いに驚き、互いの目を見つめ、それから同時にケイオスへと視線を移した。

 ケイオスは風にふわりと浮かんで落ちてきた。つまりそれは彼は精霊器の力をつかえている事を意味している。


「どういう事ですかケイオス。説明していただけるのでしょうね?」

「やあロギア。終末にはいい日だね。……そしてレイジ君、お疲れ様。君のおかげで世界との交渉は滞りなく上手くいったよ」

「え? 俺の……?」


 ロギアから目を反らしレイジへと向き合うケイオス。軽く両腕を広げ、その背にロギアがそうしたようにありとあらゆる精霊器の翼を広げ。


「見ての通り、僕がこの世界の新しい神様だ」


 唐突な展開に驚きを隠せないロギアとレイジ。そんな二人を前にケイオスが指を弾くと、レイジだけではなくロギアの体まで光に消えていく。


「な……一体何をしたのですか、ケイオス!?」

「ログアウトさせてあげてるんだよ。ここまでは惣介おじさんとロギア、君の作ったシナリオだった。でもここからは誰のシナリオでもなく、世界の行く先は世界そのものが決めるんだ。だから君たちには一度帰ってもらいたくてね」

「ケイオス!!」


 駆け寄るレイジとロギアに片手ずつをかざすと、同時に二人の体を強力な重力が襲った。一歩も動けず地べたに這いつくばる二人を一瞥し、悠々と彼が向かったのは起き上がったばかりのオリヴィアの元であった。


「――お迎えにあがりました、我が王よ」

「……え? ケイオスさん?」

「この世界は、この世界の人間によって統治されるべき。そして君はこの世界で唯一王の資格を持ち、そして覚醒した存在。故に――僕は君を世界の王として、神の座に招待しようと思う。もう少し単刀直入にいうと……君を“新しい神様”にしたいんだ」


 また驚きのあまり絶句する三人をよそにケイオスはそっと片手を差し伸べる。オリヴィアは震える瞳でそれを見つめていた。


「ケイオス、どういうつもりだ!?」

「どうもこうも、これでやっとこの世界は独り立ちできる。僕はね、レイジ君。誰かに救ってもらう、そんな一方的な救済でしか成り立たない世界なんて間違いだと思う。だから僕は何度も足を運んで、地道に世界と交渉を続けてきたんだ。そして……漸くそれが実を結んだ」

「では、私の拘束が解除されたのは……世界が覚醒したからではなく……!?」

「そうだよ。君から僕へ権能が移る間、その僅かなタイムラグに発生したエラーに過ぎない。今やもう神域も権能も、すべては僕の手の内にある」


 歯ぎしりするロギア。だがレイジはその間もずっとオリヴィアを見ていた。


「オリヴィア……だめだ! ケイオスは君に何かをさせようとしている! 利用されるだけだ!!」

「レイジ様……」

「君には選択する自由がある。レイジ君を信じるか……僕を信じるか。君は君の願いのままに歩めばいい。僕はこの世界の選択すべてを肯定するよ」


 にっこりと笑うケイオス。オリヴィアは自らの手のひらを見つめ、それから眉を顰め。


「……ごめんなさい、レイジ様……」


 そっと、その手をケイオスの手に重ねた。


「オリヴィア……」

「私……もう、誰かの力に頼るのは嫌なんです。だから私……自分でこの世界を救いたいから……」


 オリヴィアを生き返らせたのはアンヘルだ。しかしオリヴィアはその事をまだ知らない。自分が死んでしまった事も、その直前の記憶もおそらく飛んでいるのだろう。

 だから今彼女の中にあるのはまき戻った願いだけ。それがアンヘルが彼女を甦らせたことによる罪だというのならば――なるほど。これは確かにすべてレイジの自業自得。

 誰かを一方的に救うことに意味がないというケイオスの言葉には全く納得できる。そんな風に救われることばかりしか教えてこなかったから、こうやっていざという時に選ばれない。

 涙さえ流れなかった。オリヴィアの選択を否定する権利などレイジにはなかったから。これで本当の意味でゲームセット。すべてがこの世界へ帰結する。


「安心して、レイジ君。彼女は僕が命に代えても守るし、この世界の願いはきっと僕が叶えてみせる」

「……さようなら、レイジ様……」

「オリヴィア……オリヴィアーーーーッ!!」


 二人の姿がかすんでいくのではない。レイジの姿がこの世界にとどまれなくなったのだ。

 消えていく肉体、消えていく視線。その中でレイジは涙を流しながら背を向けたオリヴィアの姿を、その魂に強く焼き付けていた――。








「………………オリヴィアッ!!」


 目を見開くと同時に叫ぶと、そこには見知らぬ天井があった。少年はゆっくり体を起こそうとし……力が入らず、やむなくベッドに倒れこむ。


「礼司!? 礼司、目が覚めたの!?」

「かあ……さん?」

「ちょっと待っていなさい! すぐお医者様を呼んでくるからね! お友達も近くに来てるのよ!」


 ああよかった……そんな風に何度もつぶやきながら退室する母親を見送り、礼司は力なくベッドの上で目を閉じた。

 ここは現実世界。自分がいるべき場所……。結局何もなせず、何も変えられず、何も救えずに帰ってきてしまった。

 だがもしかしたらそれでよかったのかもしれない。人として高望みが過ぎた願い、その代償がこの胸の痛みだというのなら……。


「――レイジ!」


 部屋に飛び込んできたのはJJ……否、ジュリア・ジョイスであった。ジュリアは少年へと駆け寄り、すぐに叫んだ。


「あんた目覚めるのが遅いわよ! あれから何日経ってると思ってんの!? ほら、早く起きて!」

「何日って……む、無茶いうなよ。しばらく寝たきりだったんだから、動けるわけないだろ……」

「それでも行くの! レイジ……ロギアがこっちの世界に来てる!」

「え……ロギアが?」

「それに、いまこっちの世界は大変なことになってんのよ! 見なさいあれを!!」


 窓辺に駆け寄ったJJがカーテンを開くと、まぶしい太陽の光が差し込んでくる。

 それと同時に少年の目がとらえたのは――空に浮かぶ巨大な黒い穴。非現実的な、超常現象の姿であった。

 渦巻く黒い光がまるで門のように空に穴を作り、その向こうには確かに見覚えのある建造物が浮かんでいる。


「まさか……神域……なのか? JJ、ここは……現実、だよな?」

「ええ、すべて現実よ」


 呆然とするレイジ。しかしすぐに気を取り直し、鈍った体に鞭を打って立ち上がろうとする。よろける足、それをすぐにジュリアが支える。


「教えてくれ、JJ。俺に何ができる? 俺は……何をすればいい?」


 頷き合う二人、そこへ母親とともに医者が駆け込んでくる。そして更に、礼司の見覚えのなかった警察の姿もあった。

 礼司はそれらの人々を前に、自分の戦いがまだ終わってはいない事を知った――。

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