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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【勇者召喚】
10/123

悪夢(3)

 村はすっかり静まり返っていた。

 確かに村人の数は少なかったし、寂れた村ではあった。でもここにはそれ相応の活気のようなものがあったと思う。何の音もしなくなった今だからこそ、そう気がついた。

 通りに広がっていたマーケットは一つもなくなっていた。勿論誰一人村人に出会う事もない。そんなカラッポの村の中、俺は美咲の姿を探し歩き続けていた。

 しかし村の中を一周しても美咲を見つける事は出来なかった。俺達がよく会っていたあの水車小屋の近くにも見当たらない。他に美咲が居そうな場所が全く思い至らず、そこで俺は自分が思っていた程美咲の事を知らないのだと気付く。

 当たり前だ。このゲームにログインしてからまだ一ヶ月も経っていない。確かに美咲と過ごした時間は、限られた物の中では長かった。でも……ただそれだけだ。


「あれ? 礼司君……」


 村のはずれをとぼとぼ歩いていた時だ。探し人は向こうの方から現れた。


「美咲、探したよ……って、あんたどっからきたの?」

「え? 鉱山の方からだよ。ほら、前にシロウ達と一緒に行ったでしょ」


 美咲は思っていたより元気そうだった。それもあり、本題が遠のいてしまう。


「鉱山で何をしてたの?」

「んーと、厳密には鉱山じゃなくて……ほら、覚えてない? 私達が鉱山に向かった道って裏道だったでしょ? 昔はね、そこを渡河出来る大きな橋があって、そこから通じている広い道から鉱山に行ってたんだって」


 言われて見ると、確か俺もそんな事を考えていた気がする。予想は的中していたのか。


「橋はね、姫様達が村を守る為に落としたんだって。結構大きな橋で作りもしっかりしてたから大変だったって言ってた。今でもあそこには支柱が残ってるんだよ」

「そうだったんだ。ちゃんと調べてなかったからな……って、村を守る為?」

「そう。竜はあの川の向こうから来るんだって。それで万が一急に竜が現れた場合、あの川を渡っている間に逃げようって考えだったらしいね」


 確かにあの川は流れが速く、中央部はそれなりの深さがある。川幅も四十メートルくらいはあるか。よほど相手が巨大でなければ、渡河には時間を要するだろう。


「……なんてね。そういう情報を聞いて、自分の目で竜が来るであろうルートを確認してたんだ。見れば何か名案が思いつくかもって思ったんだけど……」


 首を横に振る美咲。その笑顔は流石に少し疲れて見えた。


「なんとかしなきゃって気持ちばっかり強くて、結局どうにもならないんじゃ意味ないよね。今日も結局わーってあちこち走り回ってきただけだったよ」

「……意味があるかどうかはわからないけどさ。走り出せるだけ、美咲はすごいよ」


 真っ直ぐ彼女の顔を見るのは気恥ずかしかったので、川の方に歩きながら語る。彼女も特に何も言わず、俺の後をついてきてくれた。


「俺はさ……。いつもどうにかしなきゃって、このままじゃ駄目だってわかってるのに、結局何も行動出来ないんだ。ただ黙ってじっとして、嫌な事が通り過ぎてくれるのを待っているだけ……それでいつも気付いたら手遅れになってた」


 確かに美咲の言う通り、今は人気のない村のはずれには川に続いている大きな道があり、その先には橋の支柱らしき物が幾つか水の中に見え隠れしていた。


「仕方ないとか、自分は駄目だとか……言い訳ばっかりしてさ。いや、自分が駄目なのは事実なんだけど……まるでそれは他人のせいだとでも言わんばかりに目を逸らしてた」

「礼司君……。礼司君は、駄目なんかじゃないよ」


 振り返る。正直、そんな事を言われても何も心には響かない。何せこいつは俺の事なんか何も知らないのだから。でも……。


「少なくとも私は礼司君がいてくれて随分助かってるんだよ。私は礼司君の過去は知らない。でも、ここに来てからの君は知ってる。だから私は何度でも言うよ。君は駄目なんかじゃない――って」


 拳を握り締める。なんだか目の奥が熱くて、情けないやら悔しいやら、複雑でどろどろとした気持ちが湧き上がってくる。


「こういう時……どんな風に言えばいいのかな。俺は……どうするべきだろう?」

「笑えばいいんじゃないかな。それで、ありがとーって、そう言えばいいんだよ」


 美咲は至っていつも通りだった。昨日の事なんてまるでなかったみたいに。だから安心して、嬉しくて……同時に申し訳なくなった。


「昨日はごめん……。俺、あんな事言うつもりじゃなかったのに」

「ああ、やっぱり気にしてたかー。うん、全然いいんだよ。あれは……うん。私が図々しかったと言いますか、気が回っていなかったと言いますか……とにかく、礼司君が気にするような事はないんだよ」


 美咲は笑顔だった。本当に気にしていないみたいに振舞っている。だけどそれが俺には逆に……見ていて辛く、そして悲しかった。


「……謝るついでに言わせてもらうよ。美咲……俺に変な気を遣ってるなら、そんな事をする必要はないよ。俺はあんたに気遣ってもらいたいわけじゃないんだ」


 驚きの表情で黙り込む美咲。だけどもう、ここまで来たら言いたい事を言ってやる。


「あんたは確かに強引だったさ。初対面からぐいぐい人の心の中に踏み込んでくるわ、遠慮も容赦もなくて……皆をばんばん引っ掻き回してさ。正直、なんだこいつって思った事は一度や二度じゃなかったよ」

「う……」

「だけど……だけど俺は、それでいいと思ってた。あんたは少なくとも誰に対しても真っ直ぐで誠実だった。いつも一生懸命だった。そんなあんただからこそ、俺は手助けしたいって思ったんだ。誰かに頼まれたからじゃない。俺はそれを自分で決めたんだ」

「礼司君、それは……」

「いいから黙って聞きなさい」

「はいぃ」


 咳払いを一つ。心臓がやけに激しく鼓動を刻んでいるのが自覚出来る。当たり前か。こんなに誰かに対してちゃんと気持ちを伝えようとするなんて……初めてなのだから。


「あんたから見れば、俺は精霊も役立たずだし戦闘も出来ない、他の連中みたいに目的意識もない、頼り無い奴だったかもしれない」

「そ、そんな事!」

「ええい黙っとけ! それでもな……だからってな。俺はあんたに守ってもらいたくもなかったし、あんたに庇ってもらいたくもなかったし、何をするにもあんたに頼っていなきゃいけないなんて、そんなのは嫌なんだよ」


 それが俺の正直な気持ち。俺は……俺はいつも、美咲と対等な立場に居たかった。


「あんたのそれは優しさじゃない。むしろ余計なお節介なんだよ。そうする事で俺が嫌な気分になるとか、そういう風には考えなかったんだろうけどさ」

「……うぅ。ごめんね、礼司君……」


 美咲はすっかりしょげてしまっていた。今まで一度も見た事がないくらいがっつり落下した肩を見て、少し申し訳ない気分にもなる。


「だから俺は……そういう風にあんたに気を遣わせる……弱い自分にイラついてた」

「礼司君……」

「あんたはただのお節介焼きで俺の気持ちなんかわかっちゃいなかった。でも俺はあんたに悪意がないと理解していながらイラついてたんだから、あんたより性質が悪い。俺はただ……あんたや他の皆に嫉妬していただけなんだ」


 美咲はいまいち俺の言わんとしている事が理解できていない様子だった。俺はもう諦めて、ここからの恥の上塗りは考えない事にした。


「だからさ……俺は、女の子の前でいいカッコしたかっただけなんだよ。なのに俺には何も出来なくて、その女の子にむしろ守られてる……超カッコ悪くて、あんまりにも情けないもんだから……逆ギレしちゃったっていう、それだけのすげえダッサい話なんだよ」

「女の子って……私の事?」


 もう黙って頷いてやった。笑われよーがバカにされよーが、もう構うものか。こいつにはハッキリ物を言ってやらにゃわからんのだ。


「そっか……そういう事かあ。それは……うん。私の配慮が足りなかったねー」


 あんまりしみじみいう物だから、もう自分の顔が真っ赤になっていくのが明らかにわかった。嫌な汗がじっとりと滲む掌。美咲はそれにそっと手を伸ばした。


「確かに今の礼司君はかっこ悪いね。でも、すごくかっこいいよ!」

「は……はあ?」

「自分のそういう暗い気持ちをちゃんと受け止めてさ。駄目な自分、ちゃんと見つめてる。そういうのってすごくかっこいいと思うな」

「だから、そういうお世辞はいいって……」

「お世辞じゃないよ。私の目をちゃんと見て」


 俺の手を手繰り寄せ身体を寄せる美咲。いつも通りの近すぎる距離。俺は久しぶりに彼女の瞳を真っ直ぐに……本当に真っ直ぐに見た。

 綺麗だ――素直にそう思った。まるでマンガやアニメみたいだ。瞳の中に星が見えそうなくらい。そんな筈はないのに……とても透き通って見えた。


「ね? 嘘なんかついてないでしょ?」


 これが目力というものか。有無を言わさず頷かされてしまった。

 美咲はそっと身体を離し、それから静かに溜息を吐いた。それは決して嫌な溜息ではなく、まるで身体の中から余計な力を吐き出したみたいに、その後の笑顔は柔らかかった。


「……ごめんね。そんな嫌な気持ちにさせちゃったのに、全然気付かなくて」

「いや、だから……それは俺がただ情けない奴だったってだけで……」

「うん、わかってるよ。でもね……私、いつもそうなんだ。自分は良かれと思ってるんだけどね。空回りして、周りの人を傷つけて……もっとちゃんとしなきゃ、ちゃんとしなきゃって思えば思う程、上手くいかないんだ」


 空を見上げる美咲の横顔は普段より大人びて見えた。寂しげな瞳は流れる雲を目で追いかけて、けれど実際にはずっと遠く……もう戻れない過去を見ているようだった。


「それってさ……美咲が俺にリーダーをやらせようとした事と関係ある?」


 少し躊躇った後、彼女はゆっくりと頷いた。


「私ね。高校生の時、剣道部の部長だったんだ。ちっちゃい頃からずーっと剣道やってたものだから、それなりに強くてね。全国大会にみんなでいくぞーなんて盛り上がっちゃってさ。皆がどんな気持ちで練習してるかとか、そんな事はなーんにも考えてなかった」


 そこにどんな過去があるのか俺にはわからない。わからないし……多分、そこに踏み込んでいく資格もないのだろうと思う。でも、想像は出来る。

 美咲はやはり、ずば抜けた才覚の持ち主だったのではないか。美咲の戦いぶりが明らかに素人離れしていたのには、やはりそれなりの理由があるのではないか。

 美しく誰にでも分け隔てなく、明るく朗らかで……そして剣の才能に恵まれた美咲。そんな彼女がどのような軋轢を生み、どのような衝突をしてきたのか。それは……なんとなく想像がつく。

 俺は自分がかっこ悪くて情けなくて、何をやっても駄目だと思っているから余計にそう思うのだ。美咲は……俺みたいな奴にしてみれば眩しすぎるんだ。自分の弱いところを刺激されるみたいで、何故か心がざわざわする。


「大事な友達や後輩をね、いっぱい傷つけちゃったんだ。最後まで道場に来てたのは私だけだった。一人で練習してね。そうやって一生懸命やっていれば、いつかみんなわかってくれるって……いつか自分の気持ちが届くって、そういう他人の善意に縋ってた。伝えようと、理解しようとする努力が足りないのは私だったのにね……」


 一人で練習を続ける美咲を他の部員はどう思っただろう。俺だったら……まるで“あてつけ”だなんて考えたかもしれない。我ながら陰湿な発想だが、険悪な関係になっている同士の場合、想像もどうしても同じ方向を向いてしまうものだから。


「だからここに来て、本当の私を知らない人達に出会って……もしかしたらやり直せるかもって思ったんだ。失敗を取り返せるかもって。自分には部長の資格はないと思ってたから、何か違う形で……皆が一つになって、笑顔になる。そんな瞬間を見たかっただけなのかもしれないね」


 そっぽを向いたままの美咲は目尻を指先で撫で、振り返って笑った。


「でも結局またやっちゃった。同じ失敗を何度も繰り返しちゃって……本当、だめだなあ。こんなつもりじゃなかったのになあ。うまくいかないなあ……」

「美咲……」

「私、本当は全然正直じゃないよ。礼司君の事かっこ悪いなんて言えない。本当は自分の中に……礼司君を身代わりにしようって考えている気持ちがあるの、知ってた。嘘吐いて、誤魔化して……自分の嫌な気持ちから逃げようとして笑ってたんだから……」


 今の美咲に笑顔はなかった。ただ悲しげに俺を見つめている。でもそれが恐らく彼女の本当の顔なのだろう。これまでの笑顔は……強がりと前向きな気持ちがそうさせていただけ。彼女の全てではなく、一部に過ぎなかった。

 だからこれもまた彼女の一部。知るはずのない俺に齎された新たな一面。これも彼女、笹坂美咲の真実なのだ。


「ごめんね礼司君。それと……ありがとう。自分の気持ち、正直に伝えてくれて凄く嬉しかった。少しだけ……ちょっぴりだけね。なんだか、救われた気がするんだ……」


 首を横に振り、彼女の手を取った。今度は俺から。初めて俺から、彼女の手を握る。


「美咲……俺の目を見て」


 細い身体を引き寄せ、顔を近づける。彼女がいつもするように、真っ直ぐに。ただ真っ直ぐに……気持ちを込めて、彼女の目を見つめる。


「俺はそれでも、美咲に会えてよかった」

「礼司……君」

「俺! それでも美咲に会えて嬉しいよ! 今でも気持ちは変わらない! あんたを助けたいと思ってる! あんただって確かにかっこ悪いかもしれない。でも……正直にそういう気持ちと向き合えるなら、十分じゃないか!」


 我ながら、かなり恥ずかしいセリフを口走っているという自覚はある。

 だが今だけは。美咲の熱意が移った今だけは。こんな恥ずかしい事だって言える。


「誰かに決められた事じゃない。俺は俺の意思で、美咲と一緒に居たいんだ」


 美咲がいつも相手の目を見る理由がわかった。

 美咲がいつも……相手の手を握り締める理由が、俺にもようやくわかった。

 瞳を見つめれば、想いはきっと通じる。掌を握り締めれば、熱はきっと伝わっていく。それはそう。きっと……誰かに祈る事なのだ。相手に必死に、願いをかける事なのだ。


「最後まで諦めずやれる事をやろう。俺とあんたの……二人だけだとしても」

「礼司君……」


 じっと見ていたからわかる。美咲の瞳が涙で潤んできているのが。


「私は今凄く……ものすんごーく感動しているんですが……」

「はい」

「失礼でなければ、思いっきりハグしたいと思うのですが……」

「はい……はいっ?」

「ハグ! ハグ・ミー・プリーズ!」

「……えー。そんな英語で大丈夫か?」


 飛びついてきた美咲を抱きとめる。こんな事現実では一度も味わった事がないので、それはもう頭の天辺から爪先まで、余す所なく緊張した。

 美咲の身体の柔らかさとか、髪の香りだとか、もう一切何も感じる事は出来なかった。非常に勿体無いような気もするが、それは女性経験がゼロである自分が悪いのだ。って、俺は一体何を考えているんだ。少し落ち着け。童貞宣言してどうする。っていうかそもそも誰にしてるんだ。


「ありがとう礼司君……! 最後まで一緒にがんばろうね!」

「お、あ、お……おう!」


 抱き合っていたのは多分本当に僅かな時間だったと思う。だが俺にはもう永遠の事のように思え、どちらかというと拷問の類であった……。

 ようやく開放されたと思い深々と息を吐き出していると、美咲は時計を確認しながら困った様子で笑う。


「やば、もう時間だね」


 そういえば今日はログインするまでに時間を無駄に過ごしてしまった為、三時間も猶予がないんだった。見れば確かに残り時間は五分程しかない。


「あーあ。もっと礼司君と相談したい事がいっぱいあったのになあ。一日三時間って短すぎるよね……」

「仕方ないよ。そういうルールなんだから」


 俺も今日はもう少し美咲と話をしていたかった気分だ。これまでとは違って、少し自分に正直に……ラクな気持ちで彼女と接する事が出来る気がしたから。

 結構残念に感じている自分に苦笑しつつログアウトの準備を始めた時だ。唐突に美咲が手を叩き、びしりと俺を指差して言った。


「ねえ礼司君、“りんくる!”やってる?」

「“りんくる!”か。やってるけど?」

「じゃあ、戻ったらそれで朝までお話しよう! 私のアカウント教えるからさ!」


 “りんくる!”というのは、今流行しているSNSの一つだ。多機能なツールでやれる事は数多あるが、メインはミニブログとしての機能、それから多人数でも可能な通話機能である。以前から存在していた幾つかのSNSが合併するような形で新たに数年前から開始されたサービスで、俺のケータイやパソコンにもインストールされている。

 他にも色々と流行しているSNSは存在しているが、“りんくる!”はまあ、学生御用達ツールの中の一つであると言っても過言ではないだろう。


「リアルに戻ってからって事か。まあ確かにそれなら時間制限もないね」

「うんうん。そうと決まればそうしましょう。時間もないしね!」


 こうしてログアウト間際、美咲は一方的に俺に“りんくる!”のアカウントを伝えていった。

 リアルに戻った俺は真っ暗な部屋の中でケータイを取り出す。アプリを起動し、フレンドリストに美咲のアカウントを追加するまでそれほど時間は掛からなかった。

 暗い部屋でベッドに仰向けに転がったまま美咲のアカウントを見つめる。何故か直ぐに通話をする気にはなれなかったのだ。

 ゲームの中ではあんなに気さくに話が出来るのだが、これが現実となると何かが違ってくるような気がして尻込みしているのだ。全く我ながら情けないやつ。

 そうやって悩んでいると、向こうからかけてきたのだろう。着信が入った。フレンド登録さえ成立してしまえば向こうからもかけられるという事をすっかり失念していた。


「も、もしもし?」

『あ、礼司君? 笹坂ですけど……はじめまして』


 電話越しなのでいつもと少し調子が違う気がしたが、それは間違いなく美咲の声だった。恐らく時間も影響しているのだろう、元気一杯ではなく、抑えた口調であった。


「はじめまして……。なんか通話だと変な感じするな」

『そうだね。ちゃんと現実にいる人なんだって、わかって少し安心したかも』

「なんだそれ……でもまあ、気持ちはわからなくもないかな」

『あはは。ねえ、それじゃあ早速これからどうするか相談しよ。ダリア村を守る会を結成する時だよ』


 こうして美咲は予告通り朝までザナドゥの話を続けた。俺はそれに付き合い、眠い目を擦りながら朝日が昇るまで彼女と言葉を交わした。

 正直……とても楽しかった。だから徹夜でも苦痛ではなかった。誰かとわかりあうという事が、気持ちが通じるという事がこんなにも楽しいなんて……思いもしなかった。

 翌朝。一睡も出来なかった俺は電車に乗ったところまではいいがそのまま降りるべき駅を寝過ごしてしまい、ばっちり遅刻を果たす事になったが、それはまあ、自業自得である。




 それから俺と美咲は双頭竜と呼ばれるボスが現れるまでの数日間を奔走した。

 何とか手を貸してくれる人たちを探してみたり、双頭竜をどうやって倒すか二人で考えてみたり。しかしそれが実を結んでいない事は明らかだった。

 JJは戦闘に参加しない、今回は見送るべきだという考えを曲げなかったし、シロウも一人でボスを倒すと言って聞かなかった。遠藤のおっさんは……正直何処で何をしているのかすら不明である。

 そんな中唯一俺達に協力する姿勢を示してくれたのは、意外にもアンヘルだった。

 彼女は俺と美咲に協力すると約束してくれた。なぜそのような結論に至ったのかはわからない。彼女が何を考えているかというのは、俺達には検討もつかない事である。

 しかし仲間が一人増えたという事実は幾許か俺達を勇気付ける光となった。状況は殆ど好転しないままその時を迎え……俺達は竜が通過するであろう平原にて敵の襲来を待ち受ける事になった。

 その日はまだ日の高い時間帯にログインしたが、空はどんよりと曇っていてまるで俺達の不安を反映しているかのようだった。

 少しだけ風が強く、草木はそれに抗うようにぐらぐらと揺れている。俺と美咲、そしてアンヘルの三人は言葉少なくその場に佇んでいた。


「結局、手を貸してくれたのはアンヘルだけだったね」

「そのようでございますね」

「もう一度だけ確認するけど……美咲。本当にこの三人だけで戦うの?」


 この確認はもう何度目だったか。俺は何度も美咲に質問した。これでいいのかと。他に道はないのかと。しかし彼女の心はもう決まっていて、帰って来る言葉も同じであった。


「うん。私はダリア村を守る。例え相手がどんなに強かったとしても」

「美咲……」

「礼司君はさ。あの村の事、どう思ってる?」


 腰から提げた剣に手をやりながら考える。あの村は……それは思い出深い場所だ。

 俺達にとって、この一ヶ月に満たない時間の殆どがあの村での記憶である。村の人たちとも既に知り合いになってしまったし、ただのNPCの村という風に割り切れるほど他人事ではなくなってしまったような気がする。


「私もね、わかってるよ。あの村が小さい村で、壊れた所で直せばいいって事。NPCっていう、ただのゲームの中の存在に過ぎない人たちの世界だって事」

「だったら、どうして?」

「お姫様はあの村が大好きで、あの村の人達が大好きで、いっつも村の中を走り回ってお手伝いしてる。小さくて、狭くて、見方によっては寂しい場所だけど……そこに住んでいる一人一人に意味があって、役割があって、記憶があって……想いがある」


 俺も……そうだ。もう、彼らに出会ってしまった。

 鍛冶屋のいかついゲール爺さん。カラっとした性格の服飾店のネルおばさん。

 いつも姫を心配しているじいやに……最後まで姫を想って死んだアレスという騎士。みんなただプログラムされて動いているだけかもしれない。けれど、この世界にとって決して無価値な存在等ではない。彼らには役割があり、生きる意味がある。


「この世界がゲームだって事はわかってる。でもね、そこに無意味なものなんかないよ。駄目な人なんて、不必要な人なんていない。彼らが一生懸命に生きている事は、誰にも否定しようのない事実なんだから」

「だから村を守るの? 彼らの為に」

「その為に私達が居るんだって、今はそう思ってるよ」


 清清しく告げる美咲につられて笑ってしまう。確かに……野暮な確認だったか。


「わかった。付き合うよ、あんたのやり方に」


 自分に何が出来るのかなんてわからない。でも最初から諦めてしまったら、それこそ何にもならない。だから今は――やれるだけやってみるだけだ。


「……来ました」


 アンヘルが呟いたのは、丁度空から雨粒が落ち始めた時だった。

 灰色の空がもう我慢出来ないと零した無数の雫。それは平原にゆっくりと勢いを増しながら降り注ぎ、俺達の視界を遮る。

 遠く、まだずっと遠くに大きな影が見えた。けれどここからでもはっきりとその存在を認識する事が出来る。巨大な――あまりにも巨大な。それは蠢く闇であった。

 他の魔物の例に漏れる事無く、その肉体は漆黒で出来ている。二つ存在する竜の頭、その額には二つの赤い結晶が見て取れた。

 これまで遭遇した魔物と同じ。あれが恐らくあの魔物の心臓部なのだろう。だがそれは既知の種とはあまりに異質。薄暗い平原の中をゆらりゆらりと首を擡げ、結晶は赤く、そして眩く光を放っている。

 直感的に理解した。あの光はあの魔物の生命力そのものだと。つまり、あの化物が持っている力の大きさそのものだと。

 これまでの敵とは違いすぎる。赤い光で弧を描きながら、竜は確かに近づいてくる。


「あれが……ボス」


 背筋がぞくりと震えたのは寒いからじゃない。単純に俺は恐れていた。

 あんな物とこれから戦わなくてはならない。その現実がたまらなく恐ろしかった。

 地鳴りが聞こえる。今こうしている間にもあの化物は近づいてくる。

 確信がある。あれが村に到達したが最後、ダリア村は跡形もなく破壊しつくされるであろう。村人達は帰る場所を失い、俺達は間違いなく敗北の二文字を突きつけられる――そんな確信が。


「あんなの……村に入れるわけにはいかない……」


 呟いた美咲の声は震えていた。当たり前だ。怖くない筈がない。


「美咲……本当に……あれと、戦うの?」


 本気で逃げ出したかった。それくらい、あれは……あれは普通じゃない。どう考えたって無理だ。人数が多ければいいとかそういう問題じゃない。あれは、無理だ。


「今ならまだ間に合う……JJの言う通り、今は引くべきじゃないのか……?」


 そう進言したのは勿論怖かったからだ。当然だ。それはある。だけど……。

 それ以上に明確にイメージ出来てしまったのだ。あの化物に蹂躙され成す術もなく地べたに横たわる、冷たくなった美咲の姿を。

 ――嫌だ。俺は、嫌だ。

 まだ美咲と話したいことが沢山ある。このゲームだってまだ続けていたい。ここで負けたら……死んだら、それで全部終わってしまう。美咲に……会えなくなってしまう。


「逃げよう、美咲……!」


 強引に美咲の手を掴んだ。振り返った美咲は……一度も見た事のない弱弱しい目をしていた。不安と恐怖、今すぐにも逃げ出したいという気持ち……それをただ決意だけで押し込めて、なんとかここに留まろうとしていた。


「美咲っ!」


 だからきっとここで強く手を引けば彼女を退かせる事が出来ると、そう思った。実際何事もなければそうなっていただろう。けれど……そうはならなかったのだ。


「ったく、あれくらいの奴相手にビビリやがって。やっぱりお前らじゃ無理だな」


 振り返るといつの間にかそこにはシロウの姿があった。彼は俺達三人を一瞥しながら追い抜くと、自らの精霊を纏い遠巻きに竜を眺める。


「あれがボスか。へっ、おもしれー……どれだけ強いか試してやるよ」

「待てシロウ、一人じゃ無理だ! せめて俺達と協力して……!」

「んだあ? レイジ、てめえまであのパツキンクソチビと同じ事言うのかよ。ふざけやがって……あんなもん俺一人でも十分だっつーんだよ!」

「シロウッ!」


 猛然と駆け出すシロウ。呼び止める声は彼には届かなかった。

 俺達もその後を追いかけるが、シロウの足の速さは図抜けている。あっという間に俺達を振り切り、竜の眼前に立って見せた。


「図体だけのサンドバッグだろ? これまでの奴とは違うって所を見せてくれよな!」


 しかし竜はシロウを意にも介さぬ様子で前進を続けている。既に構えを取っているシロウだが、全く襲い掛かる気配のない竜に拳をわなわなと震わせた。


「てめえナメてんのか!? どいつもこいつもふざけやがって!」


 駆け寄り真正面から胴体を殴りつけるシロウ。赤い炎が吹き上がり、お決まりの爆発音が響き渡った。

 シロウが放つ強烈な打撃。あれが直撃すれば大半の魔物は一撃で消滅する。だが――そいつは違っていた。

 シロウの拳を受けても傷一つない。黒く揺らめく輪郭はしかし鉄壁。歩みを止めた竜はそこで初めてシロウの存在を認識し、二つの首を彼へと向けた。


「こ、こいつ……マジか!? 面白くなってきやがった!」


 左右の拳に纏った精霊が眩い光を放ち、炎がシロウの腕を包む。そのままシロウは強化した拳を次々に繰り出し竜を滅多打ちにした。

 一撃ごとに爆発する拳。それが何十発も連射される。周囲にはまるで爆撃を思わせる轟音が鳴り響き、俺達はそこに近づけずにいた。


「す、すご……流石シロウ、あれなら……」

「いえ。効いてないようでございます」


 冷淡な声で告げるアンヘル。見れば確かに、そこには絶望的な現実があった。

 煙幕が晴れた時、そこにはやはり無傷の竜の姿があった。シロウも流石にこれには驚いたのか、肩で息をしながら眼を丸くしている。


「シロウ、逃げてッ!」


 美咲が叫んだのとほぼ同時。竜は二つの口を開け、唐突に吼えた。

 空を突き破るような咆哮――。それは一瞬で俺達の心の中を恐怖で満たした。震える大気。足が膝から崩れそうになるのを、何とか気力で持ち堪える。


「クソが……俺は……俺は逃げねえよ! 相手が誰だろうとなあ!」


 背後に飛び退き構え直すシロウ。その動きを見ていた竜は、彼が動き出すよりも早く右の首を伸ばし、巨大な顎で襲い掛かった。

 その俊敏性はこれまでの緩慢な動作からは全く予想出来ない程だ。首を縮め、伸ばして襲い掛かる。この動作が移動に比べると明らかに尋常ではなく速い。

 シロウがそれに反応出来たのは彼がこれまで何度も魔物と戦ってきた戦闘に特化し人間であったからだろう。それと多分に運の要素も孕んでいる。とにかくシロウは噛み付いてくる竜に対し、片足で下顎、両腕で上顎を押える事で耐えていた。


「ぐ……おぉっ!?」


 何とか顎を押さえ噛みつかれぬようにと耐えるシロウ。その目の前で赤い光が湧き上がり、シロウの身体を一瞬で吹き飛ばした。

 ドラゴンならお決まりの攻撃、ブレス。口の奥から炎を吹き出し、竜は無防備なシロウに大量の炎を浴びせかかったのである。

 俺は……もう叫びもあげられなかった。間違いなくシロウが死んだという確信があったからだ。

 ブレスを浴びた大地は赤熱し、ガラス状に変形している。あれがどれ程の高熱で、どれほどの勢いで噴出したのか、正直な所俺にはハッキリとはわからない。だが、あれが致死性の物であったかどうかくらいは見ればわかる。


「シ……シロウ……?」

「いえ、まだです。シロウは生存しています」


 アンヘルの声ではっとする。見ればシロウは確かに炎で吹き飛ばされてはいたが、何故か無傷。地面の上で既に立ち上がり体勢を立て直しつつあった。

 なぜシロウが無事だったのかはわからない。ただ問題は既に立ち上がったシロウに竜も対応し追撃の構えに入っているという事だ。

 龍は二対の首でシロウを捉えている。そして交互に口を開き、巨大な火の玉を発射した。次々に繰り出される炎の球体に対し、シロウは拳を叩き付ける事で相殺している。


「炎を弾いてる!?」


 いや、しかし冷静に考えればそれは不自然ではない。何せシロウは炎を操る精霊を有しているのだ。彼が自らの炎で負傷する事がないように、炎と名のつくものであればシロウは全て無力化出来るのかもしれない。そうでなければ生存の説明がつかない。


「だとしたら……シロウなら勝てる?」


 淡い期待が胸を過ぎったその直後。竜は左右に伸ばした口からブレスを放出。対角上から繰り出される炎の嵐に飲み込まれ、シロウの姿は完全に消えてしまった。

 だが……シロウは死ななかった。予想通り、彼は炎を切り裂いてまた姿を現したのだ。いける。シロウの能力ならばこいつには相性がいい。まだ可能性は残されている――そう考えた直後である。

 炎に包み込まれたシロウは恐らく何も見えない状況に陥っていたのだろう。頭上から振り下ろされた竜の尾に対し、彼の反応は遅すぎた。

 出来る事と言えば咄嗟に腕を構えて防御する事。だが竜の長く太く巨大な尾は地鳴りを残し、シロウの小さな身体を完全に地面へと叩き伏せてしまった。


「――あ」


 呆けた声を出したのは、あまりにも呆気ない結末だったから。

 シロウの反応はあの状況にしては上出来だった。相手が普通の魔物なら耐え切れただろう。だが竜が軽く尾を退かした後に残されていたのは、地面に減り込んで血塗れになっているシロウの姿であった。

 やばいと思った。直感的に彼はこのままでは死ぬと理解した。

 しかし竜は最早シロウには興味がないと言わんばかりに前進を再開する。シロウを叩き潰した時もそうだ。まるで虫を踏み潰すかのように、なんの躊躇もなく、なんの想いもなく、ただ鬱陶しそうに叩き潰す。あの怪物とシロウの間には、それくらいの差があった。

 ずしんずしんと、竜が歩く音が聞こえる。こちらに向かって来るのが見える。その状況はきちんと頭では理解しているはずなのに、俺の足は地面にへばりついて動く気配がない。


「……アンヘル、シロウを助けてあげて! あのままじゃシロウが死んじゃう!」

「しかし……」

「私があいつの注意を引き付ける! だからアンヘルはシロウを助けて、この場から出来るだけ離れて!」


 無言で頷き杖を取り出すアンヘル。竜を避けるように大回りでシロウの元へと向かった。

 美咲はヤタローを刀の状態で取り出し鞘から解き放つ。土砂降りになりつつある雨の中、美しい切っ先に迷う瞳を宿し、彼女は一歩前へ踏み出した。


「美咲……駄目だ。あれには……あれには勝てない!」

「礼司君……」

「シロウで駄目だったんだ、見ればわかるだろ!? 俺達にはどうにもできないよ!」


 ――あれ?

 俺は……何を言っているんだ?

 今俺は……ただ自分が逃げたいからという理由だけで喚いている。

 さっきまでやれるだけやってみようとか、美咲を助けようとか考えていたくせに。今はもう完全にそんな事はどこかへ消えてしまっていた。

 逃げたい。逃げたい。ただこの場からどこか遠くへ逃げだしたい。

 怖かった。怖くて怖くて仕方がなかった。さっきから歯は噛み合っていないし、肩も足も震えているし、指には力が入らない。


「もうやめよう、美咲! 逃げるんだよ、今すぐ!」


 それでも歩き出そうとする美咲の手を掴む。彼女は振り返らないままそんな俺の手に自らの手を重ね、首を横に振った。


「大丈夫だよ。時間を稼ぐだけ。皆が逃げられたら……私もちゃんと逃げるから」


 ――だから心配しないで。彼女はそう言って笑った。

 俺は……この数日間何をしていたのだろう? 確かに決意を新たにしたつもりだった。美咲のお荷物にならないようにと、出来る限りの努力ってやつをこなしたつもりだった。

 なのに今は全く彼女の後を追いかけようなんて気にはなれない。心臓が破裂しそうなくらい高鳴っている。自己嫌悪で吐きそうだ。なのにどうして……足は動かないんだ?

 さっきから何か煩いと思ったら自分の呼吸の音だった。まるで呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに、俺の口はだらしなく開いたまま十分な筈の酸素を求めている。

 剣に手をかける。抜けばきっとこれはするりと抜ける。戦う為に努力してきた結晶がこの剣には詰まっている。

 みんなとの思い出。この剣を作る事に手を貸してくれた人たちの気持ち。姫様の期待。色々なものが詰まっている。なのに俺は、何時まで経ってもそれを抜けずに居た。


「俺は……無理だよ……」


 がくりと膝を着き、きつく目を瞑る。


「俺には出来ないよ……美咲……」


 自分がこんなにも情けなくて、駄目なやつだなんて思ってもみなかった。

 結局俺は……織原礼司という人間は。

 好きな女の子一人助けられない、クソみたいな男でしかなかった。

 目を瞑り、ただ目の前の現実から逃げ出したその瞬間、俺は勇者としての資格を、彼女の隣に立つというその資格を、自ら放棄してしまったのだ――。

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なつかしいやつです。
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