第29話 真犯人は誰だよお爺さん
泉堂
「私ってさぁ……」
木下
「なんでしょうかお嬢様?」
泉堂
「ううん、なんでもない」
それはある晴れた秋の日曜のこと。
特にすることのない暇人高校生代表である俺と高瀬は、何の目的もなく町中をふらついていた。
まだ夏の名残がある空気を吸いながら、行き当たりなイベントが発生するのをまったく期待しないで歩き続ける不毛な時。その間、何かするわけでもなく、他愛ない世間話に興じる程度のことしかしていなかった。
そうして、とある家の前に差し掛かったところで、俺達は和装の非常に頑固でおっかなそうな爺さんが、門の前で睨み付けてきているのに気が付いた。
その人に俺が何かをしたというわけじゃなく、ましてや面識があるわけでもなかった。
だから変に気にすることもなく、その前を通り過ぎようとした時。
「待ちなさい」
何故か呼び止められることとなった。
はて、なんだろうか?と高瀬と顔を見合わす。それは非常に訝しげな表情と次第に変わっていき、お前何かしたのか?と互いに疑いの目を向ける。
ほんとこいつは人のせいにする浅ましい奴だよ。俺も人のことを言えたものではないけど。
「いいから君達こっちに来なさい」
手招きされて渋々近づいて爺さんを見据える。
いかにも曲がったことが嫌いだと主張しそうな感じの老人だ。経験上あまり関わりたくはないだよなぁ。わけも分からず叱られるとか冗談じゃないぞ。
「なになに?急になんだっての爺さん?」
「……」
高瀬が文句ありげに言っても黙っている。まるで品定めをされているかのような気分だ。
蓄えた顎髭を撫でながら、爺さんは表情を険しくしていった。
雲行きが怪しい。今日は秋晴れなのに、雷が落ちてくるんじゃないか?と第六感が危惧している。いや、でもなぜだ?
しばらく睨み合いにも似た状況が続くと、爺さんは一度頷いて話し出した。
「近頃ここらでインターホンを悪戯する奴がいる」
ピンポンダッシュをされてるってことだろうか?
「ついには昨日うちもやられてな」
「だそうだ。高瀬、謝れ」
「なんで!?」
「とりあえず謝っとけばなんとかなるんだよ」
「悪いことは全部僕みたいな感じにしないでくんないかな!?」
「んんっ!」
俺達のやり取りに嫌気が差したのか爺さんは咳払いをしてきた。
少し場を和ませようとしたんだが失敗したようだ。いかん、むしろ空気はさらに張り詰めてしまった。
そもそもどうしてこのご老人は見ず知らずの俺達をここまで睨むのか。
あれか?最近の若いもんはなってねえよ、ってことですか?
「いいや、君ではない。悪戯したのは女だった」
「それでそれと僕達に何の関係があるんすか?」
そう高瀬が尋ねると爺さんは俺の方を指差してきた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。大人の嫌な世界を見てきて腐った目じゃ見にくいかもしれないけど、木下はれっきとした男なんすよ!」
「誰が腐った目だ!それくらい見れば分かる!わしが言いたいのは、その女がこやつと歩いているのを商店会で見たということだ!バカタレが」
高瀬、俺は時々お前が凄いやつだと思う時があるよ。
誰に対しても物怖じしないその度胸。できればこれからも維持してくれ。お前が犠牲になることで幸せになる人達がきっといるから、将来的に。
しかし、俺と一緒に商店会を歩いていた女とは?
そもそも俺は女子と仲が良いというわけじゃない。よってどう考えてもその女というのは限られてきてしまうわけだが……できることなら、この名前は出したくないなぁ。
あいつがそんな幼稚な奴じゃないって信じたい。いや、絶対にしない。だが、胸を張って違うとも言えないから困ったものである。
もう少ししっかりしてくれれば泉堂家も将来的に安定して……待て待て、俺は何を心配しているんだ。あくまで親の借金返済のためにあそこにいることを忘れるところだった。全部返したら泉堂家とはおさらばして、晴れて綺麗な身体で自由になる。
そういえば仕えはじめてからもう四ヶ月経ったが、あとどれくらい借金があるんだろうか?
そもそも借金がいくらあるとかも知らないし、結局夏休みは実家に帰らずに終わって父親にも聞けなかったしなぁ。
電話とかだと問い質す前に切られる可能性もあるわけだから直接本人に聞くべきなんだが……。今さらになって自分の面倒臭がりな性格が憎たらしい。
夏休みくらい帰っとけよ、まったく。
今度思いきってお嬢様の親父さんを捕まえて聞き出してやろうか。
「おい、木下。木下っ!」
「へ……あっ?」
「なに呆けてんのさ。僕にだけこの人の相手をしろってのかい?」
おっと、そうだった。今はピンポンダッシュされた爺さんに絡まれてる最中だったな。
なんか俺と一緒に歩いてた女子が犯人だとかなんだかだったか?一緒によくいるという観点では、該当者が約一名あがってるとこだが、言わない方がいいだろうって考えてたんだった。
ふぅ……この爺さんまだ睨んでくる。犯人を見つけるまで諦めないぞと言わんばかりだ。こんな気迫を纏わせてお嬢様を問い詰めさせるわけには。もしもだ、間違って認めてしまったら大事になる。
はぁ……これなら不良とかに絡まれた方がまだいい。人目の無いところに連れて行って拳で語ってやれば済むことだからなぁ。
いくらなんでも、何も不徳を働いていない人を、ましてや老人を実力行使で黙らせるわけにはいかない。それもうこっちが犯罪を犯してるから。傷害罪だから、どう見たって。
爺さん相手にどう対処するか考えていると、その爺さんが俺に尋ねてきた。
「君の知り合いにこうした悪戯をしそうな心当たりのある者はいないかね?」
女性という限定が無ければ高瀬を突き出せばいいだけのことなんだが。
「つーか、木下。お前よく堂々と女子と商店会とか歩いてんな?佐原か?姫香ちゃんか?それとも小鳥ちゃんか?他の女の子か?マジで異端審問会に突き出してやろうか?」
名前を出してきた高瀬に頭痛がしてきた。
「佐原……?姫香……?」
ほーら爺さんが核心に迫ろうかという感じになっちまったじゃないか。これはもう誰か一人でも呼ばないとマズイぞ。
「いいか高瀬?俺はお前がクラスの男共が考えているほど女子と仲が良いわけじゃないんだ。いい加減分かってくれ」
「言葉はいつでも真実を曲げて発せられるものさ」
「なに悟った人間みたいに言ってんだ。女子と一緒に、なんてことは俺にはほとんど無い!」
「それはいずれ審問会で議論するさ」
もう勝手にしてくれ。
締観を込めて溜め息をついてみせる。
もうホントうちのクラスの男はなんなんだろう?いつもあれだけ何も無いと言ってるのに尋問してきやがってからに。いつか本気で拳で語らなきゃならん時が来るのかもなぁ。
勝てるか?男子全員に?
まぁ、頑張ればなんとか……なっちまうんだよな。うん、絶対に。
いずれ来るだろう聖戦を思いながら、俺は高瀬に一つの提案を耳打ちした。この爺さんは誰か呼ぶまで開放する気がないようだから仕方無かった。
「佐原を呼ぼう」
「まさか、あいつがやったとか思ってんのかい?」
途端に高瀬の表情が険しくなった。なんだよ、佐原を提示したのがそんなに気に入らなかったのか?
もちろん俺だってあいつがやったなんて微塵も思ってない。どちらかと言えば、善悪の思慮には長けた奴だと思っている。
「そういうわけじゃない。他に呼べそうな頼れる奴がいないんだ」
「姫香ちゃんは?」
「睨んで迫られたらやってもないのに勝手に認める危険性がある」
「小鳥ちゃんは?」
「後々に永遠と俺達が毒の餌食になりかねない」
「羽川さんは?」
「殺される」
まごうなき本心。佐原以外はある意味で危険に満ち溢れている人間ばかりだ。
高瀬は苦笑してそれを承諾した。「あいつも傷付きはするんだけど……」という高瀬の呟きも聞こえて躊躇いそうになったが、一人女子を呼ぶことを爺さんに告げる。間違いなく犯人じゃない佐原を。
うわぁ、俺って最低だぁ。佐原にボコボコに殴られるのも覚悟しておこう。俺が完全に悪いわけだしな。
それでも、最も俺とよくいるお嬢様を呼び出すわけにはいかないんだ。それに佐原なら笑って許してくれそうだし──と浅はかなことを考えていた。
というわけで、携帯で佐原を呼び出した。
「てなわけで、思い当たるとしたら……こいつなんですけど」
「何のこと?」
なぜ呼び出されたのか不思議がっている佐原。
すまん、後でいくらでも謝るから、なんでも償うから、と内心申し訳無さで冷や汗が出ていた。
「違う。わしが見た女は金髪ではなかった。この娘はインターホンを悪戯した女じゃないな」
「だったら俺達は知りませんよ。俺と歩いてたって、通行人が被ってただけじゃないんですか?」
「うぅむ……」
爺さんは唸って何か考えているようだ。そうかもしれないと考え直しているのかもしれない。
それならいいんだ。と、安堵していると。
「高瀬、木下君……」
地獄の底から響くような声がした。
「へ……?」
そちらを向こうと顔を動かしたところで──。
ばちんっ!ばちんっ!
地面に倒れてしまうほどのビンタを喰らった。
なんで?なんてことは考えない。むしろ当然だと、俺達は頭の中じゃ理解していたから。
頬を抑えて見上げると、視界の端に驚いて目を丸くした爺さん。そして目の前には目尻に涙を浮かべて怒気を露にしている佐原。
「そこ……正座」
袖で涙を拭いながら言う佐原に「はい……」と従う他無い俺と高瀬。町中の人通りある道路に正座することになった。
ボコボコになるよりマシだと考えよう。
「二人は……私が犯人だって決めつけて呼んだってわけなの?」
腕を組んだ佐原が問う。
「いや、それは……」
高瀬が何かを言おうとしたのを俺は制した。
お嬢様を表沙汰に出さないためとはいえ、佐原を呼ぼうと提案したのは俺だ。責は全部俺が受けるべきだ。
「本当に悪い、佐原。俺が佐原を呼ぼうって言ったんだよ。全部俺が悪い」
「木下……」
弁解はするな高瀬、と視線を送る。
「私が犯人だって?」
「いやそれは違う。他に女子で呼べる奴がいなかったというか……佐原に頼ろうとしたんだ。後で何でもする、まだ殴り倒してもいい、許してほしい」
頭を下げた。人の目があったがそれを気にしている場合じゃない。
こうやって静かに怒られるより、いっそのことズタボロに殴られた方が楽かもしれないと真面目に思ってしまった。
頭を下げ続けていると上から溜め息が聴こえた。
「もういいよ。顔を上げて木下君」
言われた通り顔を上げると佐原は困ったような笑みを浮かべていた。
「もう、らしくないことしちゃったじゃん。頼ってくれたってのは嬉しいし、うん、許してあげる」
「マジで?」
「マジだよ。でもいい?私だってこういうことされたら悲しいんだからね?そこを今回のことでわかってほしいなぁ……てね」
「ああ、本当にごめん」
本当に安堵して、もう一度頭を下げた。
「さっ、立って!ほら高瀬も立ちなって」
佐原は本当にいい奴だ。そこに俺は甘えすぎていたのかもしれない、と深く反省した。おそらく人生最大の反省になるだろう。
「で?お爺ちゃん、その犯人ってまだ誰かわからないんだよね?」
「あ……ああ」
呆気にとられていた爺さんがひとつ咳払いをした。
「まぁ今のを見てお前さん達やその周りの者ではないと確信を持てた。しかし、犯人をこれからどうやって特定するか……」
困った顔で首を捻る爺さんに対して佐原はニヤリと笑って見せた。
なんだろう、この寒気のする頼もしさは。
「それならこの佐原ちゃんにまっかせなさい!近いうちに犯人を取っ捕まえてあげちゃうからね!」
「そんな約束して大丈夫なのか?」
高瀬がらしくなく心なしか心配げだ。
「私の繊細な心に傷をつけた元凶だからね。捕まえてやらないと私の気が済まないって」
眩しい笑顔で言っているが、内心穏やかじゃないのがなんとなく分かった。敵にしたくないよなぁ、いやこれホントに。
その数日後、何をどうしたのか佐原によって犯人が捕まった。
近所の平均より少し背の高い中学生の少女だったとのことだ。その中学生は、すぐに泣きながらあの爺さんとその近所に謝りに行ったらしい。
泣きながらって……はは。




