第26話 料理は火力じゃねえよお嬢様
泉堂
「私の出番はなんでこんなに少ないのかしらね。今回からやるわ、私」
木下
「じゃあしばらくはお嬢様が中心ということで…」
泉堂
「え…。や、やっぱりしばらくしてから頑張る…」
夏休み、俺はなんとも言えない解放感に満ち足りていた。
只今理由不明確な夏期補習への強制参加を乗り越え、清々しい気分で今日という日を過ごしている。貴重な休みをおバカ三銃士の監視に費やしてしまった分、何もない今を満喫しなければ。もはやこれは義務に等しい。
何もない日々に万歳。何でもない日に万歳、だ。
俺は肩書き上で召し使いという非常に有り難くない上に謎な立場に置かれている。どう視点を変えようが両手を上げて喜べるものではないが、まったくと言っていいほどその責務を全うする気が俺にはない。だからそこらにいる普通の高校生のように昼近くまで惰眠を貪ることもやる。
そう、俺は至って普通の高校生。むしろこれこそ夏休みの在りし学生の姿だ。ぜひ貪ろう。何が悲しくてこのクソ暑いのに部屋から出なければならないんだ。断固拒否!夏休みという文字をよく見てみろ。夏に休むから夏休みと書くんじゃないか。しっかり家で大人しく休息を取らないのはもはや法を犯すも同義。純然たる日本人の俺はただ素直に従おうじゃないか。夏休み万歳。
と、静かな自室で夏休みを讃えていると携帯が鳴り出した。アラームじゃなく着信。聞き慣れたはずの着信音が寝起きの耳にはかなりこたえる。もう騒音レベルに着信アリだ。
時刻は午前七時。ディスプレイには羽川さんの名前が。
どうやら俺の快適夏休みは目を覚まして十分足らずで終了のようだ。なんだろうな、このやかましい母親に起こされた後のような気だるさは。
いつまでも鳴らしておくわけにもいかず通話ボタンを押して耳に当てる。いつものゆったりバージョン羽川さんの清らかな声が耳をくすぐった。
『真貴君、いつまでも寝てちゃ駄目ですよぉ。そろそろお嬢様を起こしてあげてくださいなぁ』
「…はい、わかりました」
『言っておきますけどぉ、お嬢様におかしなことをしちゃいけませんよぉ?』
「嫌だな、俺がお嬢様相手に何かするとでも?何があっても放置できる勢いですよ」
『ふふふ、そうですか。ではそちらはよろしくお願いしますね』
通話の切れた携帯を閉じて机に置く。ベッドから勢いつけて身体を起こす。平日の月曜がやってきたかの如く面倒な気分に少し浸っていた。
今この屋敷に使用人は一人としていない。夏の社員旅行らしきものに行ってしまったからだ。普通は数人残していくとのことだが、今期は俺がいるため全員で旅行。いいように使われてる感が否めない。
今更と諦め部屋着を着替えて廊下に出た。
たとえ夏休みとて俺の日課は変わることがない。いつも通りのルートで屋敷を歩きいつも通りにお嬢様の部屋の前へやってきた。まるでRPGのモブキャラのようだと常日頃思う。俺は主役向きじゃないから一向に構わないが、何か?
最低限の礼儀として部屋の扉をノックする。ちなみにこのノックに返事が帰ってきたことは俺の記憶上一切ない。
もうすでに当然という言葉と諦観が当てはまり過ぎて日常化してしまう状況にもめげることなく無作法に扉を開けてしまう。これはワイルド過ぎて普通の女子だったら驚愕のあまり張り倒されてしまう行為だ。
しかしながら泉堂家の御令嬢である姫香お嬢様は、その類い稀なる怠惰から他のメイドから白旗を上げられ、俺に起こされるという事態に陥っている。羽川さん達は仕事だと言っているが、単に面倒だからお前やっとけ、と訳してもらって結構だ。
それなりに広い室内にやたらと大きなベッド。何度か引っくり返して肘に爆弾を抱えそうになったことがある。骨と筋肉に負担が掛かるから小さなものに変えるよう進言しようか。
寝息をたてるお嬢様に歩み寄る。そこには起こすのも躊躇われる寝顔。西洋の詩人なら天使に例えるかもしれない。
そうなんだ。黙っていればお嬢様は超絶可愛い。好みに関係無く男を振り向かせる魅力を備えている。いや、褒めすぎなんてことはないぞ。他に褒める所が無いだけだ。
さて、いい加減起床してもらうとするか。はい、ここでご紹介いたしますのがこの30センチのプラスチック製の物差し!両端を持って曲げてみると…どうですかこのしなやかなカーブ!反発性も当然抜群です! え?説明だけではイマイチ解りませんか?いいでしょう、実演します。
まずは先程のように物差しの両端を持ちます。いいですね?ここから限界までしならせます!大丈夫、そう簡単に壊れるようにできてはいませんのでご安心ください!
さて、ここがポイントです。しっかりと相手の額に狙いを定めましょう。間違っても額より下を狙わないようにしてくださいね。笑えないことになりますので注意です。
さあ、固い決意と共に額から遠い方の手を離してみましょう。せーのっ!
バチンッ!!!
「いってぇッ!!」
どーですか一発でお嬢様をも起こすこの威力!これぞまさに目が覚める代物でしょう。
では、皆さんまた来週ここでお会いしましょう!
Thank You!
「ちょっとなにすんのよバカ真貴!」
「あっ、起きました?」
「そりゃ起きるでしょうよこんなんされりゃ!」
額を押さえて涙目で訴えてくる。どうやらこの起こし方はお嬢様に効果抜群らしい。低レベル草タイプへのかえんほうしゃ並に。いけない、それはもう戦闘不能だ。起きないどころか瀕死になる。お嬢様取扱い説明書に更新しておこう。
「毎度毎度のことだけどもっと優しさに溢れた起こし方できないわけ?」
それは普通に起こして起きる人が言えることだ。早々にベッドから退くよう促し、白いシーツを取って丸める。
俺の仕事というわけじゃないが、他のメイドがいる時はこうして毎度シーツを代えている。だから皆が旅行に行ってしまった今日は俺が洗濯して干して畳んでタンスへ収納しなければならない。うわぁ面倒だ。
お嬢様はそんな俺にはお構いなしにだらだらと部屋から出ていく。寝間着のままだが羽川さん不在の今、お嬢様を咎める者はいないためそのまま行ってしまった。
まぁ、いいか。皆が旅行ということはお嬢様は誰にも怒られない。そしてそのだらしなさをスルーした俺も怒られない。何事も過干渉はいかんよ。相手を想うなら自律させなきゃ。お嬢様だって高校生だ。いつか自分でも……うん、間違いなくこのままだろうな。
シーツを洗濯機に突っ込んで洗剤入れてスイッチを押す。さすが高性能なものを使っている。静かだ。少し離れたら動いているのも分からなくなるくらい。うっかり洗濯していたのを忘れそうだ。逆に不便かもしれない。
さて、これから朝食を作らなければならない。俺もさっきまで寝てたから二人分だ。いつもならメイドが先に俺のも作っといてくれるからな…。
やたらとでかい台所に行くと何かカチャカチャと物音がしていた。覗くとなぜかお嬢様が寝間着のままエプロンをして食材を出していた。ふむ…パジャマの上にエプロンはアリか、それともナシか。今度高瀬と論議する必要があるな。今のところお嬢様のせいでアリに傾いている。
とりあえずその議題は置いといて声を掛けよう。
「お嬢様ここで何をしているんですか?つまみ食いを咎めるつもりは毛頭ないですけど…」
「誰がつまみ食いよ誰が。ふふん、今日は他に誰もいないでしょ?だから私が朝ごはんを、作る!」
やめていただきたい。あの某青いロボットを友とする昼寝大好き眼鏡少年ばりの突発的なやる気は危険すぎる。その例の通りろくなことにならないのは目に見えている。
かと言ってやめろと言ってもやめるお嬢様ではない。普段何もやらない奴に限ってやる気になったら止まらない法則だ。本当に厄介だ。厄介すぎてこのまま好きにさせてみようと間違った選択してしまう。いざバッドエンドルートへ。
二十分ほどして──。
なんでだろうというかやっぱりなというか、調理されてできたのはぼろぼろした黒い物体とこれまた黒い焦げた板の欠片のようなもの。それらが皿に盛られている。これはもう調理じゃなくて錬成だ。どうしたらこんなのできるんだよ。
「あの…お嬢様?この焦げた板みたいのは…」
「……焼く前は食パンと言われてたわ」
「ぼろぼろしたのは?」
「……冷蔵庫に入ってた時は卵とベーコンって名だったようね」
全て過去形、昔の話。調理前と調理後で物質が変化するほどの手腕を発揮するお嬢様。驚異的ビフォアーアフターで頼んでもないのに匠が余計なことをしでかした感じだ。あれは完全に自己満足だよな?ここでのナレーションはもちろん、なんてことをしてくれたのでしょう、だ。
淡々とお嬢様は言っているがどんよりと気を落として椅子の上で正座をしている。体育座りじゃない辺りに反省の色が伺えた。
うん、まぁ俺も男だ。女子が一生懸命作った朝食を無下にしたくはない。むしろ非常に嬉しい状況に違いない、たぶん。だが男である前に人間だ。目の前の暗黒物質を口に入れるのは人として躊躇いがある。
つーかこれ食べるのやはり俺なのか?心を鬼にすればお嬢様一人に処理してもらうのもいとわなくなるが、さすがにそこまで人を捨てる気にもなれない。
なんで朝っぱらからこんな葛藤をしなきゃならんのか。解放感に満ちていた少し前が懐かしい。今更悔いても仕方無いのは分かってる。お嬢様のやる気を優先させた時点でバッドエンドルートだと確信してたじゃないか。止めなかった俺が悪い。
心の中で十字を切り、自分に言い聞かせる。これは食べ物だ。食べれるものなんだ。一見ホームセンターに売ってる木炭の欠片にしか見えなくても口にして害は無いものだ。見た目からの期待を裏切って存外ちゃんとした味になってるかもしれないぞ。
嫌がる自分を説得し、焦げた板みたいな物体にぼろぼろした黒い物体をフォークで乗せる。さぁ、期待を裏切った旨味ある味であってくれ!口に入れる。
期待通りの味だった。
「げほっ!ごほっ…!」
なんか凄い味。味というか、脳を突くような刺激といった方が正しい気がしてくる。
「ちょっ…真貴、そんなの食べるやめといた方がいいわ。ついでに味…どんな感じ?」
水で一気に流し込み素直な感想を述べる。
「す…炭を……」
感想を述べる前にまた水が飲みたくなりコップを手にする。全部飲み干す。まだ口内に苦味が残ってる気がする。
「美味しくはないですね」
あえて美味しくはないと言う。決して不味いとは言わない俺の振り絞れる優しさだ。いや、本当に優しい奴なら美味しいと言うんだろう。だがそれじゃ相手のためにならない。厳しい優しさというものだ。というか、これを美味しいとか抜かす奴は味覚がおかしいとしか思えない。優しい味覚破綻者は、ジャンル認定してもおそらく需要は低いだろう。
しかしまぁなんだ…。マンガやアニメみたいに食べた瞬間倒れるようなことはないくせに、倒れて気絶した方がまだマシだと思わせるリアルな不味さ。秋刀魚の腸の方がまだうまい、かな。
ふとお嬢様の方を見るとなんとその物体をちぎって食べていた。
「うぅ…苦っ…不味っ…」
……でしょうね。
何も言わずに水を差し出す。お嬢様はそれを受け取り飲み干した。無理をするな、とは言えない。それをしたら俺が過度の無理をしなければならなくなる。
お嬢様は失敗作を口にしながら恨めしそうにまだ残るそれを見つめた。
「べ、別にいいし!私、令嬢だから料理とかしなくても生きていけるもの」
それははたしてどうなんだろうなぁ、と思いつつわずかに残るそれを口にしていく。マジで不味い。食材を無駄にするのがもったいないと言えない凄まじい不味さだ。
一応は食べきると椅子の背もたれに身を任せてしばらく動く気にはなれなかった。お嬢様も同様に力尽きてテーブルに、ぐた〜っと体を倒している。なんだこれ?休日の朝食ってもっと爽やかなもんじゃなかったのか。
ある夏休みの早朝。それはそれは朝から気を磨り減らした一日の始まりとなった。