第20話 補習は真面目にお嬢様
ついに夏休みに突入のお嬢様達!いったいどんな夏休みとなるのか!?真貴はどんな苦労を強いられるのか!?必見!とまではいきませんのでヨロシク!
夏休みというのは何と言うかあれだ。夏の期間の休みだから夏休みと言う。当然ながら学校や仕事に行かず休んでいるのが正しい態度であるはずなんだが、なんてことだろう。俺はその休みに学校に来るという夏休み理念に背く愚行を犯してしまっている。まったくもって無駄なエネルギーの浪費だ。
補習が行われているという教室を目指し廊下を進んでいく。今日の校内はやけに暑い。私立で冷房設備が整ってはいるものの、節電とやらで夏休み中は何かに使用する教室でしか冷房が効いていないからだ。
公立なんて今でも扇風機が頑張ってる教室があるそうじゃないか。とてもじゃないがその場に留まる気にはなれないな。
冷房の無い教室で自分が力尽きている場面を想像しながらややテンションが落ちていく。
だいたいあれだ。今日ホントは学校へ来る気なんて午前8時台にはまったく無かったのだ。
五日間の補習へ行くためにブツブツと文句を垂らしながら家を出るお嬢様を気分良く見送って、さぁこれから何をしようか?とりあえず二度寝じゃね?と思い立ち自室のベッドへ潜り込んだ。そしてその一時間後、わざわざしてこなくてもいいのに学校からの呼び出しコール。屋敷の電話をあれほど恨めしく見つめたのはこれからさきもそうはないだろう。
そうこうしてダラダラと歩いていると目的地に辿り着く。目的地と言っても二階の一年C組の教室だ。このクラスのお馬鹿三銃士しか補習のペナを受けてないしな。
ドアの前に立つとその隙間からは冷房の涼しい空気が漏れてきていた。入りたいという気持ちと入ったら帰れないんだろうなぁという気持ちが葛藤を数秒してドアノブに手を掛ける。
この後俺が何をしたかというと、特に変わったこともせず普通にドアを開けたのだ。それ以外に何がある?
ゆっくりとドアを内側へ押して中に顔を出すと担任とお嬢様、高瀬、佐原の補習組の三人。そして三坂がいた。
全員が一様にして俺を無言で見てくる。これは学校に誰かが遅刻して行ったときによく目にする光景で様々な思考が混じった視線が一気に貫いてくる。要するに、非常に気まずい状況なのだ。
ひとまず冷房も効いていることもありドアを閉める。まったく、なんで補習組でもない俺がこんな視線を浴びなきゃならんのか。
お嬢様は、なんでここにいんのこのバカは?みたいな感じで軽く口が開きっぱなしになっており、高瀬は苦笑いを浮かべつつひらひらと俺に手を振り、三坂はまるで人類の底辺を見るかのようなジト目を向け、佐原は今にも笑いを吹き出しそうになっている。
なんだよこれは。俺がかなり惨めな立場に置かれてんじゃないか。と言うか、佐原さんよ。誰のせいでこんなことになってるとお思いで?お前が何とかするべきだろうが!
そう内心で叫びつつ席へと向かうが担任に呼び止められた。
「木下、ちょうどよかった。悪いがこいつらを見張っていてくれないか?今は問題プリントをやらせてんだがこれから少しばかり集まりがあってな」
「はぁ…」
曖昧な返事にも満足したらしい担任は俺に壇上の椅子を譲ってさっさと行ってしまった。
職務怠慢、と言いたいところだが、徳の足りない精鋭達を相手に一時間以上渡り合ってたんだから何も言うまい。教師も教師で夏休みには仕事やら集まりがあるらしいからな。この補習は担任にとっても勤務外労働でしかないんだろうし。
しかし見張っていてくれとは…。それなりに手を焼いているみたいだ。
まぁ見てるだけなら対して労力を伴うわけでもなし、断る理由も特に無い。学校まで来て何もしないというのもさすがにあれだ。
なんとなく壇上に上がって椅子に座る。教師用の座りやすいデスクチェアはやはり座り心地が抜群だった。前を一望して今ここで言うべきことを言葉にする。
「はい、今から俺が先生です。とりあえず、お前ら、余計なことはするな、プリントだけを見てろ、手を動かせ、俺は寝る」
真面目に見る気が微かにもないと宣言。
「はーい、木下先生!」
「なんだね佐原君、速やかに黙りなさい」
「飽きました」
こういった生徒がいた場合というマニュアルが欲しいくらい面倒な生徒の常套句だ。
こういう生徒は本当は分かってたりするんだよ。言ってもやらなきゃならないことはやらなきゃならないってさ。だが、そこを敢えて口にして言ってみることで自分自身を律しようとしているんだ。生徒の心理ってやつを理解しようとすることから教師の仕事は始まってるんだよ。
などと言った教師の鏡とでも言うべき思考など小指の爪先ほどにも持ち合わせていない俺は「そうか、それは大変だな」と他人事全開で受け流した。
俺のその行為に鼻につく溜め息をつきがら首を振る輩が約一名。高瀬である。
「木下、それじゃ観客は劇場から出てっちまうよ。ここはアドリブを交えたボケをかますべきさ」
「高瀬にして良いこと言うじゃん」
珍しく佐原が高瀬を誉めていた。
「お前らとショートコントするために来てんじゃないんだよ。なんで来てるかと言うと……それもまた言うほど理由が見つからないんだが…」
自分がなぜここに来ているのか根本的な理由が無い。今更ながらそこに疑問を感じていると、どこからか小馬鹿にしたような「ハッ」という音が聴こえた。どうやら佐原とお嬢様の間を陣取っていやがる三坂からのようだ。
「用も無いのに学校に来るなんて頭が沸いてるとしか思えませんね。コンニャクふにゃふにゃ脳みそが暑さで溶けましたか?」
真夏でも三坂の毒舌は絶好調である。
「面倒だからあえて触れなかったが三坂、どうしてお前はここにいる?」
学年トップが補習なんて引っ掛からないだろうに。
「あなたに理由を言って何になるんです?」
「何にもなんないな」
「なら余計な時間を取らないでください。私だって別に夏休み初日から誰も一緒にいられる友人がいないからここにいるわけではないんですから……はっ!?」
自分で隠すべき事実を吐露していることに気付いたらしい。
「………」
「なんですかその沈黙と目は?」
「いや、三坂も大変なんだなぁ、と」
「大変!?はぁ!?私は全然寂しいとかそんな程度の低い悩みなんて持ってませんからぁぁぁああまた余計なことをぉぉ…」
一人頭を抱えて苦悩する三坂を尻目に俺は宣言通り顔を机に伏せて寝に入った。担任が来るまでこうしてよう。何も俺に完璧な監視を期待しているわけじゃないんだろうしさ。要はこいつらが問題を起こさないように見てろってことだ。
学習面に至っては三坂もいるわけだから俺に解んないから教えてくれと言ってくる奴もいないだろう。三坂が高瀬に教授するなんてことは万が一にも無いかもしれないが、そこは高瀬自身に頑張ってもらおうか。そもそも俺は人に何かを教えられる技量は持ち合わせていない。
「木下先生!」
佐原がそう呼んだ。もうこの先生の件はやめたいんだが。
自分で始めときながらそんな後悔をしつつ眠気満載の顔を起こす。佐原は選手宣誓さながらにピシッと手を挙げていた。
「なんだ佐原。もう先生ごっこは俺の中で自然消滅をだな…」
「姫ちゃんが寝てるよ!私も寝ていい!?」
「いいわけねえだろうが。おい、泉堂起きろ。人生の中で一度はやってみたいことベスト30に入るチョーク投げの的になりたいか?」
とは言ってみたものの完全に眠りこけているお嬢様は起きる気配がない。先の俺と同様に両腕を枕にして顔を伏せている。規則正しく上下する背中はもはや絶対に起きないとアピールしているかのようだ。
ああ…俺も時に授業で睡魔に敗北を喫するが、壇上にいるとこうまで気になるものなのか。心の内に今まで出会った教師達へ謝罪しながら立ち上がる。今は補習中だ。無理にでも起こさねばなるまい。後で担任から俺に苦情が来ても堪らないしな。
重くダルい体を立ち上がらせて泉堂へと歩み寄る。
小さな寝息をたてて気持ち良さそうに惰眠を貪っているのは見ての通り。よくもまあ、あの短時間で堕ちれるもんだ。また遅くまで夜更かしでもしてたんだろ。
「………」
「どうしたの?」
佐原は小首を傾げた。
「いや、どう起こしたもんかなと…」
「そんな悩むとこじゃないじゃん。肩を揺らせば起きるっしょ?」
「それがそうもいかないんだよ。肩を揺らして起きるなら毎朝無駄な苦労なんかしな──ん?」
言い終わる間も無く誰かが俺の肩をガッと掴んだ。誰だろうと考えるまでもなく自分の視界に入っていない約一名を脳内検索。該当者は無論高瀬だ。
顔だけ向けると顔を伏せて震えている高瀬。掴まれた肩に少々痛みを感じる。その肩を掴む奴の右手は握り込むように力が入っていった。痛いんだが…。
「お前…」
唸るような低い声が高瀬から発せられた。
「お前…毎朝…この寝顔を…見てんのかぁぁぁあ!?」
涙を流すな、叫ぶな、顔が近いんだよ気持ち悪い。どんだけ悔しさを滲ませてんだよこいつは。
そのまま血の涙でも流しそうな勢いに若干引いてしまった。
「お前って奴は…役得過ぎるよ!」
役得ってのはつまり召し使いだからこそあるメリットが存在するということなんだろ?そういった意味じゃ役得だと言えなくもないが、それ相応のデメリットもあるんだ。
寝起きの機嫌があまりよろしくないお嬢様をどう起こしたものか毎度のように思考し──シンバルとかシンバルとかシンバルとか拡声器とか──それだけで朝から余計な疲れを身体に強いる羽目になる。さらにぐずるお嬢様の物理的反撃とかが襲いかかって来るから痛い思いをすることだってあるんだよ。
とある業界では御褒美だなんだ喜ぶ輩もいるらしいが、残念ながら俺にその手の趣味は無い。全部が全部得だとというわけじゃなく、どちらかと言えば大してメリットへの比重が大きくはない役だと言える。別にやりたくてこの役に就いているわけじゃないんだが。
そういえば、いつ頃俺は召し使いから解放されるんだろうか?父親には借金の肩代わりとして売られた。それだけは解っている。問題はどれだけの金額をお嬢様の父親に借りてしまっているかだ。
肝心な事を聞いてねぇ、と日々後悔ばかり。この夏休みにきっちり問い詰めなきゃな。お前いくら借金をしてやがるんだと。
ひとまず今すべきことは高瀬を排除し、この眠り姫を起こすことだ。
俺は首を左右に振りながら高瀬の手を引き剥がす。そして多少演技くさい溜め息を見せつけながら哀れむような目を向ける。
「高瀬、前にもお前には言ったはずだ。知らないこと罪はだって」
「僕はその罪を背負ってでも自分に正直でありたい」
「おい、そのキモい流れで会話を進めるつもりなら今後お前を無視するぞ?」
「冗談だって、冗談。変化の無い不毛な会話に彩りを加えてやろうとしただけだよ」
「不毛だと思うならさっさと課題を終わらせようという気にな──」
「どぅおう!!?」
「ひゃひひひひ!」
不毛なやり取りをしていると謎の悲鳴と魔女みたいな笑い声がした。女子陣の方へ向く。そこには変な感じに身体を曲げるお嬢様と爆笑している佐原。
「佐原さん!そういうのビックリするから!」
「ふふっ、ごめんごめん」
抗議するお嬢様に佐原は軽い感じで謝った。
「いやー、つい脇腹を突いてやりたくなっちゃって」
どうやら寝てる奴が周りにやられることをされたらしい。楽しそうでなにより。
「周りを楽しくさせ、かつ泉堂さんも起こすとはさすが佐原さんです」
三坂が大袈裟に称賛する。……って、おい、こいつ。
「三坂お前何してんだ」
「何って、お疲れなご様子の泉堂さの課題を進めるという貢献ですが?」
マジで不思議そうな表情で言われる。なんでこいつ素でそういうこと出来んの?
「そういうことじゃなくてだ。お前が泉堂の課題をやってたら補習の意味が無いだろうが」
「だったら私は何のためにここにいるんですか!?」
「知らねえよ。他に友人がいないっていう諸事情しか知らん」
三坂が手にするシャーペンを奪いお嬢様に差し出す。
「ほら、ちゃんと自分でやれ」
「あ〜ぅ〜もういいじゃない。これやって何があるって言うの?」
「今日の補習が終わる」
「んな当たり前なこと聞いてねぇのよ。終わるって言っても午後もあるし。それもあと四日間も!」
「そんなのあっという間に過ぎるから」
俺の言葉に佐原が反応して立ち上がる。
「甘いよ木下君!」
なんでこうここには反論する奴が多いのか。素直に補習を続ける気はないのかと俺は呆れ溜め息をついた。
「なにが甘いんだ」
「高校生活は三年間しかないんだよ?さらに夏休みの日数はもっと少ないわけで、それを五日間の勉強に費やすなんてバカの所行っすよ!」
バカだからこんな補習を受けてんじゃないか?と言うべきか言わざるべきか迷いはしたがやめた。俺とて一学生だ。夏休みの貴重さを否定する気はない。
「けど、結局やんなきゃならないもんだ──」
「委員長として提案があります!」
佐原が再び挙手をする。
「補習なんてつまんないから今遊びたい!鬼ごっこをしよう!」
「佐原さんの提案に賛成です!」
三坂が小さな手を挙げる。
「じゃあ私もやりたい!」
遅ればせながらお嬢様も手を挙げる。
「流れ的に僕もやらないわけにはいかないよね」
悪ふざけか、高瀬も手を挙げやがった。
「ということで、わたくし佐原主催の鬼ごっこ大会を開催しまっす!」
俺はこめかみを押さえながらも止めようとしたんだ。
「お前ら、そんなことがまかり通ると思って──」
「鬼は手を挙げなかった木下君ね。スタート!」
ダダダッ、と全員が教室から走り去って行ってしまった。
残ったのは嵐が過ぎ去った後のような静けさ。プリントがヒラリと床に落ちていった。
床のプリントを拾い上げ、しばらくそれを見詰めていた。俺の口から発せられた次の言葉は誰もが予想できるものであると思う。
「………………マジか?」
それから一時間もしない内に全員(俺を含む)が生活指導室送りになったのは言うまでもない。