第19話 とある少女の憤慨
あと数日で夏休みへと突入しようというこの時期。学期末のテストが終了し学園内は解放感に満ちた空気が流れていた。
生徒は夏休みに何をするやら部活はどうだとかで和気あいあいとして盛り上がり、先生達でさえ一段落がついたことで気が抜けているようにも見える。
それも仕方の無いことだろう。なんせあの夏休みが間近なのだ。かくいう俺だって去年までなら来るべき長期休みに胸を踊らせていたもんさ。
学生にとっての夏休みというのがそれほど魅力的なものであるのは、日本で育った者なら誰もが理解することができる。
そんな幸せが校内を埋めているというのに、俺はあまり見たくない光景を目の当たりにする羽目になってしまった。
昼休み。ドゴッ!ドゴッ!と二階の廊下に響き渡る鈍い音。震動と衝撃で揺れる掲示板。そして壁殴り代行をしているかとでも言いたげに拳を突き出している女子生徒。
拳が正面に繰り出される度に音は響き金色の髪が舞い踊る。それは夏の陽の光を浴びて髪自体が輝いていると錯覚を引き起こしてしまいそうなほど幻想的にも見えた。
さて、少しばかり回りくどい前置きはこれくらいにしておくとして本題に入ってみるとしよう。
要するに我がクラスの委員長を務める佐原がややご機嫌斜めのようだ。
こういう時、男子はどういう行動を取るべきか?その答えは至って簡単だ。関わらないようにすること。
持ち前のスルースキルを存分に発揮して何事も無かったと自分に言い聞かせつつ通りすぎる。これが一番正しい行動だ。
だって面倒くさいだろ?怒っている女子に声を掛けるなんてことは男子にとってかなりハードルの高いことなんだよ。それに周りの生徒もドン引きしているってのにそこへ介入する労力を俺は払う気にはなれない。俺も他の生徒と同様顔を伏せてささやかな平穏を掴もうじゃないか。
「木下君、お声を掛けてくれてもいいんじゃない?」
平穏は掴みきれなかったようだ。過ぎ去ろうとする俺を引き止めたのはもちろん佐原。
渋々ながら顔を向けると、女番長がおいたをしたお調子者男子に折檻をする直前のような薄笑いを浮かべる表情をしてらっしゃった。自分で言っててなんだがどんな顔だよ?
「悪いな。厄介ごとには首を突っ込まないことにしてるんだ」
「友達の不幸を厄介ごと扱いにするっての?」
「お前が不幸かどうかなんて端から見てわかるかよ。掲示板に文句でもあるのかと思ったくらいだ」
掲示板を殴ってたしな。それもなかなかの威力で。
「じゃあ聞いてよ、マジで聞いて?ほら、なんでそんなに荒れてるんだい?ってさあ。でないととりあえずムカつく!」
ドゴッ!
「話を聞いてやるからひとまずその拳を止めろ。罪無き掲示板が割れる」
殴るのを止めた佐原にどうしたのかと聞くと地団駄を踏みながら言ってきた。
「今まで大概のことは我慢してきたけど今回だけは許せねえっすよ!」
「我慢なんかしたことあったのか?」
「疑問に思うのそっち!?」
佐原にとって的外れな問い掛けだったようだ。
いや、だってねえ、普段生きたいように生きている佐原が何かを我慢してるなんて誰も思うまい。以前俺はこいつのことを気さくな奴だとかお節介だとか評したがそれは大きな間違いだったようだ。
自由奔放でやりたいようにやって生きたいように生きている自由人。それが佐原という人間である。
「それで何に対して怒ってるんだ?」
「先生達にだよ!」
「先生?」
はて?佐原が憤慨するようなことを教師総出でしてしまったのだろうか?佐原の様子からして相当なことなんじゃないか。
「たかがテストで全科目赤点だっただけで貴重な夏休みに補習へ来いとかほざきやがんの!」
「ん…?」
「なんの権限があってって話だよ!いやがらせだ!こんなこと許せる!?」
「先生達はお前の点数が許せなかったんだろうな…」
何を憤っているのかと思えば御門違いな逆ギレをしていたとは…。他の奴が話を聞いてたらどういう対応をしていたのかな?
俺にはまったく想像ができないため自分なりの対応をさせてもらうとする。
「まぁ補習は大変だよな。頑張りな、んじゃ」
「お待ち」
行こうとすると肩を掴まれて逃げられなくなった。
もういいだろう。いくら俺に愚痴を言おうがお前の補習という現実は変わらないんだよ。
やれやれと思いつつまた顔を向けると佐原は拳を握り締めていた。なに?殴られんのか俺?と少しばかり警戒する。
それとは別に佐原が騒ぎすぎて周囲からの視線がハンパないものとなっていた。俺は話をするなら場所を移動しようと提案し、そうして移動したのが四階の空き教室。人気が無い所だと言っても俺に他意は無い。ただ俺が時おり有効活用している場所だってだけだ。
屋上なども考えたが暑いため却下。冷房が稼働している校内が一番である。江戸っ子とかじゃないんで。
二階から四階へ移動する労力を考えると面倒なことこの上ないが、やたらと注目を集める心配がないだけ随分マシなことだ。
そこに置かれていた椅子は冷房によって程よく冷えていた。そのひとつに腰を下ろす。
軽く息を吐き話を聞く体制を整えると佐原へと視線を向ける。当の本人はさっきの続きとでも言いたげに同じように拳を握り締めていた。
「とにかく私は先生をぶっとばさなきゃ気が済まないの」
「委員長にあるまじき発言だな」
なんでこんなのが委員長やってんのかが解らない。憶測だけで言うなら、やはり周りからの人望が厚いから自然と中心となる立場に就くのかもしれない。俺だったら全力で拒否るもんだがな…委員長とか。
「委員長だからって良い子であると決めつけるのはよくないよ。そう言った偏見が世の中を悪い方へ悪いへとねぇ…って、そういう話じゃねえですよ」
少しおどけた様子で佐原は続ける。
「ぶっとばすってのは軽い冗談として…そもそもなんで夏休み?ってこと。中間の時みたいに放課後にやればいいのにさ」
「そうしないと夏休み中に勉強しないって先生達も充分承知してるからだろ?」
「何それ!?馬鹿にされてるってことだよね!?」
「それ相応の点数をお前が生み出したってことだよ」
先生方も暑苦しい夏に教室に来たくはないだろうよ。生徒から離れて僅かながらも休息を得られるはずだったんだ。なのに佐原のように驚きのレッドゾーンを叩き出す奴が出てくる。さぞ頭を抱えたに違いない。
そうした先生の苦労を知らないであろう佐原の気持ちも解らなくはないが、ここは努力不足だったと認めて補習を受けるべきじゃなかろうか。面倒だが佐原を少々諭す必要がありそうだ。
「いいか佐原。先生達だってなにもいやがらせをしたいと思ってるわけじゃないんだよ」
「だったらなんのためにこんな馬鹿げたことを?」
「お前本当にいやがらせでやってると思ってたのか」
そんな先生だったら俺だって嫌だわ。
「先生達も佐原のことを心配して補習をやるんだ。少しでも良い成績を残させてやって、お前の将来に役立つようにな」
「余計なお世話ってやつだよね」
「それでもその世話をしなきゃならないのが教師の仕事なんだよ」
俺は将来的に教師になろうなんて微塵にも考えてはいないが、中学の時の担任に淡々と教師の苦労というやつを聞かされたことがあるため大変さの理解はあるつもりだ。
その話を聞かされたのは指導室であり、先輩と少しばかりいざこざを起こして指導を受けていた時だ。とてもしみじみとした感じで担任が語っていたのを覚えている。
あれは早く帰りたくて時計を何度もチラ見したもんだよ。担任の先生は話が乗ると長いんだもんな。同じ内容を三度リバースしはじめた時は叫びたくなったぜ。
「て言うかだね、私としては今の教育の在り方に疑問を感じずにはいられないんだよねぇ」
「ほぉ、その疑問とは?」
佐原は近くにあった椅子へどすんっと座り腕組みをした。
「テストで点取れりゃ偉いのかってこと。数字が大きければいいんすか?数字だけ見てればいいんすか?そんな数字主義じゃ未来の日本はさぞ創造性に欠けたつまらん社会になってることだろうねぇ。そうは思わんかねワトソン君?」
誰がワトソンだ。
「点数が高ければ偉いとは言わんが、実際点を取れてる奴は頑張ってんの。それ相応の努力をしてんだよ」
「んもぅ、木下君はどっちの味方なの!?」
「俺に迷惑を持ち込まない奴の味方だよ。だいたい佐原はちゃんとテス勉やってたのか?」
俺の問いに佐原は右手を降って、「んなわけねえっての」と答えた。この金髪はホントに…。俺は呆れ尽くし溜め息を吐くことしかできなかった。俺とて真面目な方じゃないはずなんだけどな。
「私さぁ、勉強の才能ってやつが無いんだと思うんだよね。やっても全然長続きしないしさ」
「それはただ単に集中力が無いだけなんじゃ…」
「いやいや、自慢じゃないけど集中力はあるよ?遊ぶことに関しては三日三晩寝ずの集中力を発揮するし」
三日三晩ってどんだけ遊ぶネタがあるんだよ。ネタが尽きたらまたループしたりすんの?ザ・エンドレス。
「その集中力を勉強に活かせば?」
「簡単に言うけどその変態的モチベーションを生み出す術を知りませんな私は」
泉堂が言いそうな台詞だなと正直思った。類は友を呼ぶという言葉があるが、まさにその通りかもな。
「勉強に時間を割くとか人生のムダ…って、そういう話をしたいわけじゃなくてさ。夏休みの補習はなんとかならないのかなぁって、ねぇ?」
「ねぇ?って、俺に言われても困るな」
「木下君、理事長へのコネとかは!?」
「ない」
「理事長に物申す手段は!?」
「知らん」
俺はただの召し使いというだけで上へのネットワークは一切無い。矢野さんあたりにはあるかもしれないが、こんなくだらないことを進言するのは非常に申し訳無いと思う。
理事長へ直接話を通すという手もある。しかしあの人はまったくと言っていいほどあの屋敷にはいない。俺だって会ったのは召し使いとして屋敷へ行った初めの一回きりだ。
「諦めて補習を受けるんだな」
「うえぇ〜い」
佐原はつまらなそうに目を泳がせていた。
「で、補習喰らった奴他にはいるのか?」
「学年中で私と高瀬と姫ちゃんオンリー」
「さすがとしか言えん精鋭達が揃ったな」
しかも同じクラスの奴だけで三人も。おバカ三銃士とか異名が付けられそうだ。先生達はいかに三銃士と立ち向かうのか?ヤバイ、俺が拡散させそうだ。むしろしたい。
「ああーもう、こんな話してたら一言言ってやりたくなってきたよ!私ちょっと行ってくるね!」
「え?あ……」
止める間もなく佐原は駆け出して行ってしまった。
しばらく椅子に座ったままお嬢様はまた羽川さんに叱られるんだなぁっと、とりとめのないことを考えていた。ふと腕時計をみるとあと十分やそこらでチャイムがなる頃になっていた。
「さて、いくか…」
一度背伸びを挟んで椅子から立ち上がる。ふぅっと軽く一息ついて空き教室から出た。廊下はまだ昼休みの賑やかさが残りその中を教室へと足を運ぶ。
あと数日でこの賑やかさがしばらく消えるのかと思うと不思議な感じがするが、夏休み中にここへ来る予定は一切無いため俺にはあまり関係がない。休みが終わればまた同じ賑やかさが戻って来るんだろうしな。
そうだ、夏休みは少し召し使いとしての仕事に暇をもらって家に帰ってみよう。母親の顔も見ておきたいし父親にも問い詰めたいことが満載なんだ。文句も言ってやりたいしな。
夏休みの予定を自分なりに組み立てていると階段を降りようとしたところで校内放送があった。
『生徒の呼び出しです』
声からしてうちの担任だ。クラスの奴が何かしたんだろうか。
『一年C組の木下真貴。至急職員室へ来なさい。夏休みの補習について話があります。繰り返します。一年C組の…』
「なんで…?」
『夏休み』『補習』という単語からとある一人の金髪少女の顔が浮かんだ。
佐原のやつ俺の名前を出しやがったな!つーかマジで文句言いに行ったのかよ
恐ろしい行動力だ。
ここで呼び出しを無視するわけにもいかず、俺は理不尽に飛び火してきた面倒に応じて職員室へと向かうのだった。