第9話.暇なんですね羽川さん
今回はメイドの羽川さんに視点を当ててみました。
いつもとは違う物語となっています。
いきなりだが、土曜日というのは何だか不思議な曜日だと俺は思う。うちの学校は私立のため公立と違って土曜日にも学校がある。つまり週六日で学校へ行っているということだ。
しかし、土曜日というのは半日で終わるなんともありがたい日。半日だけ学校へ行って午後は自由になるこの日は授業中でさえふわふわした感じになる。学校にいる間は、午後は遊びに行くだの部活に行くだので会話が弾むのだ。それが土曜日なのである。
まあここで定番通り俺はどうのこうのという話になるのだが、それは簡単に、やることもないので泉堂家の屋敷のバルコニーで小説を読んでいる、とでも状況説明をしておこう。
普段のここは俺のくつろぎスペースとなっており、いつも心地よい風と陽射しが俺を癒してくれる。まったくもってホント素晴らしい場所だ。
今日もその癒しスペースで午後の一時をダラダラとしている俺。するとそこへある侵入者が現れた。
「あら、真貴君でしたか」
アラサーが来た。いや、メイドの羽川さんだ。
その幼く見える容姿と説明し難い性格で結婚ができない羽川さんだ。
「ふふっ、何か失礼なことを考えていますね?」
読心術も習得済みだと?
「まさか」
「そうですかぁ。では、そういうことにしておきましょう。ここ失礼しますね?」
そう言って羽川さんは俺が座っている向かい側に座った。
あざとい顔でニコニコしながらこっちを見ている。何か企んでんじゃないだろうか?いい加減に勝手な新薬開発と人体実験は犯罪であると教えた方がいいのかもしれない。
しかしながら、羽川さんは何を言うでもなく、机に肘を付き、顎を手のひらに乗せて庭の広がる方へ顔を向けた。表情は愛らしい笑顔のまま。
なんというか、こうして見るとやはりアラサーとは思えないほど若い。俺達と同じくらいか、背も低いから下手したら年下?
いかん、変なことを考えているとまた心を読まれかねない。この人の能力を人並みと考えるのは愚だ。
「今日は本当にいい天気ですねぇ」
のほほんとした声で羽川さんが言った。
「そうですね」
俺も普通に答える。
「吹いてくる風が気持ちいいですねぇ」
「そうですね」
なんだこの利益の無い会話は?
「このまま寝ちゃいそうですねぇ」
「暇なんですね羽川さん」
「暇なんですねぇ。午前中に仕事も終わらせちゃいましたし、夕方まですることがありません。だから真貴君に遊んでもらいますぅ」
そう言うと羽川さんは両手をうんと上に挙げて背伸びをした。いつもは隙も見せない人が今日はやけに無防備である。
これが素の羽川さんなのか、それとも俺を試しているのか。考えるのが面倒のためすぐに分析を諦めた。深く考えなくていいものがこの世には腐るほどあったりするのだ。
「今日はお嬢様の姿がありませんねぇ。真貴君知りませんかぁ?」
「学校の友達と遊びに行ったようです」
そう、ようやく佐原と遊ぶことをお嬢様は決断したのだ。五日もかかった。
「そうですかぁ。それはとても良いことですぅ」
羽川さんは風になびく髪を掻き上げて耳の裏へと持っていった。
「ところでお嬢様は最近どうですか?」
前の日曜にも聞かれた気がする問い掛けだ。毎週聞かれるのだろうか?そんな毎度毎度お嬢様を見ているわけでもないというのに。
「特に何もありませんよ。あえて言えば調理実習があれほど面倒だとは思わなかったとでも言っておきましょうか」
「今週もご苦労様ですぅ。真貴君がいてくれてメイド一同とても助かっていますよ。前はお嬢様の御世話で他の仕事がおざなりになってしまうことがザラでしたから」
要するに自分達の身代わりができて嬉しいということなのだろう。
しかし、なんだ?そこまでお嬢様は手の掛かる奴だろうか?俺としては思ったほどではないような気がするんだが。
「お嬢様が幼い頃はとにかくヤンチャでして。今でもこうして目を閉じると思い出されますわぁ」
そう言って羽川さんは目を閉じた。え?10年前の回想だと?
「ねぇ羽川、見て見て!」
「はい、なんでしょうかお嬢様?」
「私今日かけっこで一番だったの!それでね、金色のメダルもらったの!」
「まあ、それはスゴいですねぇ」
「えへへ、今からね羽川にも私の走りを見せてあげるから!」
「えっ!?お、お嬢様!もう外は暗いから危な…」
「わあぁー!」
「お嬢様!お嬢様お待ちください!おじょ…おいコラ、アホガキ!!」
回想終了。
「うふふ、あの頃が懐かしいです」
「そ、そうですか」
羽川さんの素が回想で解ったような気がする。
嬉しそうに思い出を楽しんでいる羽川さんには悪いがこっちは楽しくない。知らなくていいことを知った時、人というのはあまりにも無力だと実感させられたからな。
一通り思い出を楽しめたのか羽川さんは満足そうな表情で両手を膝に置きこっちを向いた。愛らしい容姿の中に滲み出る清楚さが俺を釘付けにさせる。お嬢様といいこの人といい、またっく、眼福過ぎる。もしかして俺ってリア充?
多少自分らしくないことを考えていると羽川さんが口を開いた。
「最近になってようやく手が掛からなくなったんですよ?それがなんでか分かりますぅ?」
突然の問いによく考えず適当に「さぁ?」と答えた。
「それは真貴君が近くにいるからですよぉ」
何故に?という思いが顔にでも表れたのか、羽川さんは俺を見てクスッと笑う。
「じゃあここからは少し真面目に話をしましょう」
羽川さんから語尾が伸びる口調が消えた。笑ってはいるが、いつもと違って俺の緊張感を煽らせる。
「お嬢様にとって真貴君はなんですか?」
「召し使いです」
「そんなことを聞いてるんじゃありません」
ピシャリと言われ自分の中に多少の焦りが出た。
お嬢様にとって俺は何なのかと言われれば召し使いという答えしか出ない。他に何がある?いや、何もないのだ。
「少し困らせてしまいましたか。では、私がお答えしましょう」
わざとらしく咳払いをして羽川さんは続けた。
「真貴君はお嬢様にとって男の子なんですよ」
「はぁ…?」
よく分からん。
「反応が薄いですね」
「いや、だって…」
男子だからなんだと言うんだ。
「つまりですね、と言う前に、真貴君は可愛い女の子が近くにいたらどうしますか?」
「どうもしませんね」
「嘘です。無意識のうちに姿勢を正すなりするはずです。人間であるかぎり、男と女であるかぎり、それはどうしようもないのです」
そう論付けされてしまうと何も言えない。羽川さんの言っていることは否定する所が無いのだ。俺だってそういう経験が無いと言えば嘘になる。というか、毎日そんな感じじゃなかろうか俺は?
「つまり、年頃の少女であるお嬢様にも同じことが言えるわけです」
「そういうもんスかね?」
「はい、そういうものなんです」
羽川さんは何の意味があるのかにっこりと笑った。
「刺激、ですよ真貴君」
「刺激?」
羽川さんは頷く。
「そうです。知っての通りお嬢様は今まで友人らしい友人もいませんでした。もちろん、男友達なんてのは皆無です。そこに真貴君という同い年の、それも男の子が現れ、近くにいる。これ以上の刺激があると思いますか?」
あると思います、とは言えない空気だよなこれ。言ったら言ったで言葉で追い詰められそうだし。
「お嬢様も真貴君と同じように無意識のうちに自分の行動を自制しているんですよ。真貴君に女の子としておかしな所を見せないように」
「でもやってましたよ?おかしなこと」
学校の屋上で叫ぼうとしたり。
「あれは習慣のようなものでしたから。真貴君に言われてからはやってはいないはずです」
確かに。最近のお嬢様はおかしな行動を取るようなことはしなくなった、ような気がする。あくまで気がするだけだ。
「お嬢様は真貴君が来てから確実に成長しています。長い間お嬢様を見てきた私が言うんですから、間違いありません。」
全部真貴君のおかげです、とこそばゆいことを言って相変わらずの笑みを向けてくる。
しかし、次の瞬間からその笑みは口元だけになり目は細められた。緊張感が異様に高まったことを察知せざるを得ない。
「ですが、だからこそは私は危険を感じました」
「……危険、ですか?」
「はい、その危険というのは二つ。一つはお嬢様が真貴君に頼りっきりになってしまうこと。そしてもう一つは…」
戦慄を覚えてしまうような鋭い視線を向けてきた。背中に寒気を感じるほどの視線は、恐らく椅子から立つことすら許してはくれないだろう。俺のナイスな午後の一時がとんでもないことになってしまっている。
「あなたがお嬢様に邪な思いを持ってしまうこと」
「……え、あ、いや、それは、ありえませんって」
「そうですか。まあ、その言葉を信じましょう。これが何よりの証拠」
そう言って羽川さんがスカートのポケットから取り出したのは何やら見たことのある小瓶。それを丸テーブルの上に置いた。
はて、これは俺の部屋のどこかにあったはずだが、なぜここに?そもそも俺の部屋のどこに置いといたんだっけかこれ?
「覚えてますよねこれ?前の日曜日に渡しておいた惚れ薬です」
「まあ、そうですね…」
「失礼を承知で昨日真貴君の部屋で見つけ出し回収しておきました」
だからここにあるのか。てか、何勝手に人の部屋に入ってんだこの人は?息子の部屋を掃除するお母さんですか?
「この中には錠剤を十粒入れておきました。それが一粒も減らずに残っていたのは評価に値します」
だから使ったら犯罪なんだって。バレなきゃ犯罪にならない主義のあなたにはわからないのかもしれないけども。
「もし一粒でも減っていたら、お嬢様に服用するようなことがあれば、真貴君を叩き出さなければなりませんでした。男はこういうものを手にするとすぐ化けの皮が剥がれますからね」
羽川さんは手にした小瓶を見せつけるように揺らしながら言った。この人は男性に何か恨みでもあるんじゃないかと思わせるほどの雰囲気で。
「でも、それを真貴君は使わなかった。私の誘惑の言葉もあったのにです」
そう言えばそんなことも言ってましたね羽川さん。
「さらに、この小瓶があったのは真貴君の部屋の目立つ低い本棚上」
「それが…?」
「人間の心理上、その気があればこうした物は人目がつかず、自分だけが分かる所に隠してしまいます。誰にも取られたくありませんし、無くしたくもないですからね。真貴君も、保健体育の参考書(エロ本)を隠した経験がおありでしょ?それと同じです」
何も言わないが否定はしない。なんだよこの納得させる論付けは?思わず頷いてしまいそうだった。
「真貴君はそれをしなかった…」
そうして羽川さんは元の柔らかい優しい笑みを向けてきた。
「そんな真貴君を私は信じます。信頼足り得る人なんだって、私は信じます。だから、これからもお嬢様をよろしく頼みますね」
俺は小さくだが確実に頷いた。
「少しかっこつけすぎちゃいましたね私」
羽川さんは苦笑混じりに言った。なんだかえらく信頼を得てしまったものだ。これじゃあ召し使いを止める日も遠くなる。止めるなんて言った日には羽川さんに何をされるか分かったもんじゃない。
一つ溜め息を吐いて羽川さんの方を見ると小瓶のフタを開けて錠剤を口にしていた。
「ちょっとちょっと、羽川さん何してんスか!」
「え?何って、何でしょうかぁ?」
口調も戻り可愛らしく小首を傾げている。
「だってそれ惚れ薬…」
ここで羽川さんに迫られても困るんだが。
「あはは、これは錠剤に似せたラムネだから大丈夫ですよぉ。おひとついかがです?」
「は?」
「敵を欺くならまずは味方から、ですよ真貴君」
「いや、使い方違ってますし、敵って誰と戦ってんですか」
羽川さんはニコニコしてラムネを食べるだけで何も言わなかった。年相応ではないはずの笑顔につい和んでしまう。いかんぞ、この人はアラサーなんだから。騙されるな。
ふと、羽川さんの真剣な問いにもう一つの答えが浮かんできた。これを言うべきか言わざるべきか、ほんの少し葛藤して言うことに決めた。この答えが一番相応しいと思うから。
「羽川さん」
「はい?」
「俺がお嬢様の何なのかっていう問いなんですけど、まだ答えがありました」
「聞かせてくださいな」
穏やかな表情で俺を見る。羽川さんは案外聞き上手かもしれないと思った。
「綺麗事に聞こえるかもしれませんけど、俺は、お嬢様の…あいつの友達なんです。だから友達が傷付くようなことはしないし、絶対にしたくないです」
聞いた羽川さん少しキョトンとしていたが、微笑んで目を瞑って二度頷いた。
「ふふっ、かっこつけすぎですよ真貴君」
初夏の日差しが包む温く心地が良いバルコニー。そこは小さな会話をするには格好の場所だ。何でもというわけではないが、なんとなく普段話せないことも話せてしまうそんな場所だ。
そこであった俺と羽川さんの会話。日差しに溶けていくかのように誰も知られずにいるのだろう。
こうして、一人の召し使いと一人のメイドの土曜の午後の一時は過ぎていくのだった。