悪の勇者と親愛の魔王 10
マモルは大きな病気にかかることもなく、健やかに成長していった。
たった一つ、前世の記憶があるという問題を抱えていることを除いて。
俺たちは殆ど気にはしていなかったが、どうやらマモルは深く悩んでいたようだ。
マモルが魔王だと解り、それで打ち明けられたが、何も変わりはしなかった。
なにせ、前世の記憶があると言う割には、マモルはあまりにも泣き虫だったのだ。
可愛い。
打ち明けられてからマモルは、勉強というよりは、研究に近いことをしていた。近所の子供とよく小さな魔石を集めていたが、あれで実験をしているとは思わなかった。
よくアリスと魔術の話をしていたが、大人と子供とは思えない白熱した論争になっていた。
それも、長くは続かなかったが。
「……良い奴だな、あいつは。俺にはできねーよ、他人のために泣いて笑って喜ぶなんて」
「だろ? 俺の自慢の息子だ」
「で、そいつが魔王で、殺さなきゃならないってさ、嫌な世界だ」
マモルが連れて来たレオという少年は、大人びた少年だった。
そして——、
「どうやら本当に勇者のようだな」
俺がそう言うと、レオはきょとんとした顔をする。それは幼い少年の表情で、やはりまだ六歳なのだと改めて思った。
「・……ああ。だから、あいつの父親のアンタに話をしに来た」
年齢に見合わない沈んだ顔で、レオは語りだした。
「帝国に魔王がここの村にいるのは、もうバレてる。そして、先代魔王と違ってまだ子供だって事もあって、勇者以外でも殺せると踏んでいる。魔王を殺せるのなら、三千人の兵士を投入する気だろう。……だから、逃げてくれ」
「どういうことだ?」
尋ねると、レオは真剣な顔つきで俺見てきた。
本当に、六歳とは思えない。
「俺はあいつを殺したくない。だから、俺が残って兵士を倒す」
何を言い出すかと思えば、なんてくだらないことを。
やはりこいつはガキだ。
「お前は、俺達を誰だと思っている?」
「はぁ?」
突然そんなことを言った俺に、レオは怪訝そうな目を向けてきた。
どうやら知らないようだ。
「先代魔王を殺したのは、俺だぞ?」
「はぁ!? 何、ってことは、先代勇者かっ!?」
俺は頷き、アリスが魔王の娘であることも打ち明けた。
「……残念だ。俺の代で勇者システムは無くなったと思っていたんだがな。それが、まだ六歳の少年に使われるとは思ってもいなかった。すまない」
「そっか、そうだったのか……」
レオはその真実に呆然としていたが、すぐに表情を引き締め俺に尋ねてきた。
「先代は、魔王を殺したんですよね?」
「敬語は止めてくれ。今更過ぎる」
俺は一度そういって、一拍間をあけて話をした。
魔王は決して悪役などではなく、二人の娘の父親であったということ。
俺が殺さなくて済むように、なんとか根回しをしたこと。
だが魔王が呪われていて、殺されなければならなかったこと。
俺を勇者システムから解放するために、魔王が殺されに来たことを。
話を聞いて、レオは言った。
「先代は、魔王を殺したくなかった。けど、殺さなきゃならなかった、ってことか?」
頷く俺に、それなら、とレオは言う。
「じゃあ、俺が魔王を助けられたら、俺は先代よりすげえ勇者って訳だな?」
レオは、六歳の少年に見合った笑みを浮かべた。
「いいから行け!」
俺は平然と、俺を貫いた剣を引き抜き、その剣で兵の足を切り裂いた。
後ろは振り向かない。
俺の後輩が、上手くやってくれているだろう。
「なっ……」
驚く兵士達など構わず、傷口が音を立てて回復していく。
数秒後、俺は傷一つ無い姿になっていた。
見れば、アリスも同様に傷が治っている。アリスの魔法だ。
「聞けランベルグの兵ども! 俺の名はユート! 魔王を倒し、世界を平和に導いた勇者だ! そして、何千何万回と死地から甦った男だ! 死地へ赴く覚悟がある者は出て来い!」
俺の名を聞き、兵士達がざっと音を立てて後ずさりした。
その間に、俺はアリスと話す。
「悪いなアリス、変なところに付き合わせちまって」
「良いんですよ。夫婦ですから。それに……ユートとマモル無しじゃ、私は生きられませんから」
俺たちはしばし見詰め合い、くすりと笑った。
さあて、それじゃあ自慢の息子が生き残ることを祈って、暴れますか。
解かっていた。
『勇者システム』に、大きな欠陥があったことは。
クローンが、完全でないのだ。
確率は低かったものの、五感に欠陥などがあった。
味覚や嗅覚はそこまで支障は無かったものの、触覚や視覚は魔王討伐に支障をきたすから、生まれてすぐに死んで、体を取り替えたものだ。
俺はそれを、生まれた時点での欠陥だと思っていたが、最近になって気付いた。
これは、時間と共に露になるだけなのだと。
一年前から、味覚がなくなっていた。
半年前から、臭いがわからなくなっていた。
一ヶ月前から、目が見えにくくなっていた。
一週間前から、左手が思うように動かなくなっていた。
こんなに長時間同じ体を使ったことは無かった。だから、気付かなかったのだ。
解かっていた。
アリスが何の意味もなく、ただ塔に引き篭もっていたわけではないことは。
病弱だったのだ、アリスは。
呪いで弱った魔王の子供。それが運悪く引き継がれたのだ。
既に限られた命だった。だから、俺に再会するまで、塔に引き篭もっていた。
限られた命を、俺と一緒に生きる時間により長く当てるため、塔で眠っていた。
あとどれほど持つのか、俺にもアリスにもわからない。
ただ、母親の呪いの大半を引き継いでいるアリスは——もう長くない。
あれから何時間経っただろう。
だが、兵士達の数は減らない。魔王を倒すため、帝国は最大戦力を投入したと言うことか。
魔力も残り少なく、息も絶え絶えだった。
「アリス……、一言いいか?」
「何、ユート?」
追い詰められた俺たちは、残された魔力を拡散させる。
以前俺がやった、魔力の暴発。死体を残したくはなかった。
ここまでだ。
俺は最期に笑った。
「俺はアリスに出会えて、再会して、一緒に暮らして、全てが最高に幸せだった」
アリスも一緒に笑った。
「私もユートに出会えてから、ユートを待っている間も、ずっと幸せでした。ありがとう」
最期に笑えるなんて、なんて最高の人生だっただろう。
唯一の心残りは、マモルのことだが、あの勇者なら、任せられる。きっと大丈夫だろう。
辺りを埋め尽くした魔力は、とても温かいものだった。