悪の勇者と親愛の魔王 7
起きたアリスに、魔王は泣きついた。
それが一番アンタらしいぞ、魔王。もはや魔王としての威厳は微塵も無いが。
これで、俺と魔王の約束は果たされた。
俺はアンタの娘の引き蘢りを直した。だから、俺がこの城に居る理由は無くなったのだ。
約束通りならアンタを殺しても良いだろうが、それは、俺がアンタを殺したかったらの話だ。
俺は二人から背を向け、部屋を出る。
魔王を殺すのは、止めだ。
そんな事をして、一体誰が幸せになれるだろう。
アリスと再会出来た。それだけで、俺がここまでやってきた意味はあった。
それじゃあ、この親愛なる魔王家族のために、俺は帝国に喧嘩を売ろう。
と、思っていたのだが。
「勇者よ。アリスに無理をさせたくはない。執事として、支えてやってはくれないか?」
魔王が泣きついて来たので、それも無理であった。
自分の居場所が取られた、と言う恨みがましい目つき(涙付き)。対してアリスは、懇願するように上目遣い。
俺に、断るような余地はなかった。
エリス同様気を利かせたのか、魔王はそそくさと部屋を出て行った。もしかすると、枕を涙で濡らしに行ったのかもしれないが。
せめて起こすくらいはしてあげろよ、と思いながら、俺はアリスの手を取り、アリスが立つのを手伝った。
「大丈夫か、アリス? 十年も眠っていたんだろ?」
「大丈夫です。……ユートが支えてくれますよね?」
にこりと微笑んだアリスに、逆に俺がぶっ倒れそうだった。
塔から出て、城を歩き回っている途中、アリスは言った。
「ユートは辛くありませんか? 病弱な私なんかと……」
確かに、アリスの肌は恐ろしく白い。だがそれよりも、辛そうにするアリスの顔を俺は見たくなかった。
それに、病弱が何だというのだ。
「俺は、こうしてアリスと手を繋ぐことができて、幸せだ」
俺はアリスの白く冷たい手をぎゅっと握り、気恥ずかしさから目を逸らして言った。
告白で、もう俺のライフはゼロだ。
と、不意にアリスが立ち止まる。
なんだろうと振り返ると、
「目を見て言ってください」
と、酷いことを言い出した。
正直、ガラでもない告白なんかして、俺の心臓はいつ壊れてもおかしくは無かった。手を繋いでいる今も、音が聞こえるんじゃないかというくらい激しく鼓動している。
ただ、そう言ったアリスも頬を赤く染めているのが少し可愛らしく。
つい、もっと赤くしてやろうなどと思ってしまった。
「俺はアリスと再会できただけで幸せだ。こうやって手を繋いでいる今も、夢みたいだ。……夢の中でなら、好きなことしてもいいか?」
「えっ!? え、えっと、その、そういうのは順序というのが……」
ポッと顔を真っ赤に染めてあたふたするアリスに、俺は悶え死にそうだった。
けれど、冗談だと俺が言う前に、
「ユートが望むのなら……、いつでも……良い、ですよ?」
羞恥心と恋慕の情で火照った顔で見つめられ——俺はぶっ倒れた。
目を覚ますと、エリスの部屋に居た。
どうやら、倒れたのは比喩でもなく本当だったようだ。
「アリス姉様、身体は大丈夫?」
「ええ。心配してくれてありがとう、エリス」
アリスとエリスが仲良さげに話をしていた。
優しく撫でるアリスに、照れくさそうに微笑むエリス。
「あっ。ユート、大丈夫ですか?」
と、俺が目覚めたのに気付き、駆け寄ってくるアリス。どうやら、身体はもう動けるくらいにはなったようだ。
「ああ、悪いな。……ちょっと貧血気味で。だが、大丈夫だ」
勿論嘘だ。そのためか、どうにも心配そうに見つめてくるアリス。
言えない。
悩殺されました、などと言えるはずも無い。
そこに思わぬ助け舟が——、
「当たり前でしょ。ユートは私の王子様だもの」
「それはエリスが勝手に言ってる事でしょ? ユートはどうなんですか? 誰の王子様が良いですか?」
「あっ、ずるい! 自分が有利だからって」
「ずるくありません! 私が寝ている間、ユートと一緒にいたんでしょ?」
——入ってこなかった。これではむしろ海賊船だ。
火花を散らす二人に、先ほどの仲良さげな雰囲気は無い。
俺が起きた途端、仲が悪くなったこの姉妹に、ただならぬ恐怖を感じていた。これは、俺がいるとまずいのではないかと。
そしてそれは、ただの勘違いではなかった。
エリスの部屋から出て、城の中庭へと俺達は移動した。
逃げ出すように。エリスの目が、どうにも怖かった。
中庭は、なんとなく俺達が出会った場所を思い出させる、自然溢れる所だった。
「お父様は心配し過ぎなんです。私が病弱だからって、幽閉されてるも同然だったんですよ。だから私は、ちょっと外に出かけたんです。そこで——」
「俺と出会った?」
ええ、とアリスは笑みを見せた。そして、不意に指と指を絡めてくる。
俗にいう、恋人つなぎと言う奴だ。
混乱する俺。笑みを深めるアリス。
「あ、アリス?」
「良いじゃないですか。……相思相愛、ですよね?」
どうしてこの姉妹は、俺が困るようなことを言ったりしてくれるんだろうか。俺の独占欲とか、情欲とかを煽るような事ばかりしてくる。実に悪魔的だ。
ああ、魔王の娘だもんな。
残念な事に俺は、例え弄ばれているのだとしても、この生涯を捧げても良いと思えていた。
「ユート、今失礼な事考えませんでしたか?」
「え? いや、別に……」
俺の返事が気になるのか、アリスは話し出した。
「ユート、知っていますか? 魔族は人間よりも長寿なんです」
「ああ、それは知ってる」
魔王は約千五百年生きているんだったか? だがアリスは十八で、俺と同じ。
……嫌な予感がして来た。
「魔族の恋は、一度火が付くともう止まらないんです。逆に、全く火がつかない人も居ますけど、それでも長寿ですから、そのうち燃え上がるような恋をします」
その話を今する必要はあるのだろうか?
もう少し、時間をあけてからでも良いのでは?
俺に落ち着く時間を下さい。
「お母様は、凄く遅かったんです。お父様もそこそこ遅かったでしょうか。それで私達姉妹と、お父様達とは年が離れている訳です」
なるほど。それは分かった。
ただ、なんか誘導尋問に似た雰囲気を感じているのは、どうしてだろう。
心無しか、アリスが俺の腕にぴたりとくっついているような気が。
「でも、恋をする年齢と言うのは、人間と同じなんです。そして長寿だから、諦めないんですよ」
ああ、言いたい事がなんとなく分かった。
そして理解した。
俺は、それを言われたら、本当に死んでしまいそうだという事が。
けれどアリスは、もう止まらない。
魔族の恋は、一度火が付くと止まらない。
繋いでいた手を離し、ぱっと俺の前に躍り出て、にこりと微笑む。
その笑みは、これまでの笑みとはひと味違う、魔性の笑みのよう。
そして、アリスは言った。
「私、ユートを取られたくないんです」
「——っ」
唇に、柔らかいものが触れた
今まで感じた事の無い、甘美な快感に、ただ驚く事しか出来なかった。
キスされた。
「んっ……。これで、ユートは私のもの、ですね」
と、小悪魔チックに笑うアリスは、やはり魔王の娘だった。
もう……ダメだ。
父さん、母さん、俺はどうやらとんでもない人に恋をしてしまったようです。
「私が眠っていた十年間分、濃厚な時間を過ごしましょう?」
それは、なんという悪魔の誘惑だ?