悪の勇者と親愛の魔王 6
あれから早いもので、二年の月日が流れた。
未だに俺は魔王の城に住ませてもらっている。
各地の魔物が暴れることが少なくなったためか、休みに帝都に戻る俺に、さっさと魔王を倒せ、などという者はいなかった。むしろ、少ないにしろ存在している暴れる魔物を倒してくれという、魔王そっちのけの依頼があるくらいだった。
その依頼のため、時には魔王の城を長期空けたりもしたが、結局俺はエリスの世話係として魔王の城に滞在していた。
いつ頃からだったか、突然エリスが妙に俺に引っ付くようになって、やきもちを焼いた親馬鹿魔王と派手な戦いをしているが、おおむね問題ない。俺にかけた魔法の所為で、一方的に傷つく魔王は、どこか悔しげだった。
だが、未だに俺は彼女の情報を手に入れていない。
「——っ」
と、物思いにふけっていた俺に、後ろから抱き付いてくる者が。
「ユート! 今日のご飯はなぁに?」
「エリス……お前、最近幼児化してないか?」
「べっつに~。それはユートの躾がなってないんでしょ?」
何でもいいが、背中から離れてくれ。あと、頬擦りするのも。
二年の月日が経ち、エリスは大きく成長した。二年前は俺の胸くらいの背の高さだったが、今では俺より少し低いくらいで大分大きくなった。
それで抱きつかれるのだから、溜まったもんじゃない。胸が当たってる。
「お仕置き、する?」
「…………」
ニコニコと笑うエリス。その笑みは、心底楽しそうだった。
最近、エリスが小悪魔に見えてきた。
ああ、魔王の娘だったか。
「勇者ぁああ!!」
そんな俺たちを見て、魔王がきれたのも、もはや日常だった。
その日常の終わりは唐突だった。
「ところで勇者よ、貴様、いつになったら我が娘の引き籠りを治してくれるのだ?」
「……は?」
夕食後、魔王に残された俺は、その言葉で固まった。
引き籠り?
何か、変な胸騒ぎがした。
「お、おい、魔王。エリスはお前の娘じゃないのか?」
「何を言っておる勇者。エリスは儂の娘だ。次女だ」
何かが、繋がった気がした。
「重症なのは長女、アリスのほうだ。ある日突然、城の東の塔に引き籠ってな。それっきり出て来ないのだ」
「待て、魔王。お前はエリスの部屋に俺を案内しただろ?」
俺は魔王の城に住みながら、ほとんど城を見てはいない。城の掃除は魔王がやっているのだから。俺が来る前は、ほとんど魔王が家事をやっていたという。そんな家政婦まがいの魔王に俺は詰問する。
もしも。
もしも俺の予想が正しければ……。
「うむ、それは少々説明不足と言うものであったか。何、話は簡単だ。『姉様に会いたければこの私を倒してからにしろ』とな、エリスが言うもんだから」
「魔王!!」
俺は渾身の力で魔王を殴りつけた。
それはただの予感に過ぎなかった。ただ、その事実はあまりも、盲点だった。
「ユート!? どうし——父様!?」
吹っ飛ばされた音で食堂に戻って来たエリスは、ぐったりと項垂れる魔王を見て駆け寄っていく。俺はそれを視界にとどめながら、城の東にあるという塔へと向かった。
「ユート! そっちは駄目!」
後ろから魔王を見捨てたエリスの声が聞こえてくるが、俺はそれを無視して走る。
二年だ。
俺が魔王に雇われてから今日で二年、俺は大陸中を探し回った。
妙に鮮明な記憶から再現した絵を使って、行く先々で探して回った。
だが、誰も知らないと言った。
こんなに美しければ、どこかの王族なんじゃないかとも言われ、勇者の権力を使って各国の姫や王妃にも会ってきた。それでも、見つからなかった。
塔の最上階まで上り詰めた俺が見たのは、魔法陣が刻まれた扉だった。
彼女が攫われたのは、魔王が飼っているというドラゴンだっただろ。
俺は何を忘れていた。
「はぁ……はぁ……、ユート……どうしちゃったの?」
「エリス。この扉は?」
息も絶え絶えなエリスに、俺は尋ねる。
時間が惜しかった。
失った時間を取り戻そうとするかのように、俺は急ぐ。
「……それは」
エリスが、凄く悲しそうな——辛そうな顔をし、俯く。
けれど、それも一瞬。顔を上げ、エリスは扉に近づいた。
「……これは、アリス姉様の部屋」
どこか愛しそうに扉を触れるエリス。
魔法陣が淡い光を放っていた。
「十年位前かな。姉さまは、この部屋に籠った。待つの、って言ってね。対象者以外には開けられない魔法をかけたこの部屋に」
そう言って、エリスは俺を見た。
「ユートが探していたのは……姉様?」
解からない。
何せ俺は、彼女の名前すらも知らなかったのだから。
仮に、エリスの姉、アリスが俺の言う彼女だったとして、彼女は俺に気付くのか?
そもそも、あれから十数年の歳月が流れ、俺も彼女も変わった。
記憶だけを頼りに、一体どう再会するつもりだったのだ、俺は。
だが、俺は何も迷うことは無かった。
「俺には解かる。絶対、そうだ」
「顔も見てないのに?」
不思議そうに尋ねるエリスに、俺は笑った。
「これは理屈じゃないんだ」
そう言った俺を、エリスは呆れたように——気のせいか羨ましそうに——微笑んだ。
「開けてみて。姉様はあの日から眠ってる。あなたが姉様の待ち人なら、この扉は開くから」
そう言って、エリスは塔を降りて行った。
気を利かせてくれたのだろう。
扉に触れた瞬間、身体を熱いものが駆け巡った。
それと同時に、扉の魔法陣が淡い桃色の光を帯び、砕け散る。
砕け散った魔法の欠片は、花びらの様で……俺は思わずその花の名を口にした。
「……サクラ?」
それは、彼女と出会った場所でいつも花を咲かせていた。
本来ならば春にしか咲かない花であるのに、その場所ではいつも咲いていた。
それはまるで、俺達の再会を祝うようだ。
扉を開け、俺はその部屋の中に入った。
ベッドが一つしかない、簡素な部屋だった。そのベッドを、月明かりが照らしている。ベッドには、一人の少女が静かに眠っていた。
十数年眠っていたというのに、その身体は俺と対して変わらない。
「ア、リス……?」
俺は少女の名を呼んだ。
アリスと呼ばれた少女は、俺の言葉にピクリと動き、そして目を開けた。
「——っ」
胸が痛んだ。張り裂けて死んでしまいそうなくらい、苦しくなった。
だがそれは、悲しみじゃない。喜びだ。
月夜に輝くプラチナブロンド。
何ものにも汚されていない純白の肌。
そして——俺を見据える紅の瞳。
自然と、目から涙が溢れ出た。
間違いなく、彼女だ。
もう会えないんじゃないか、死んでしまったのではないかと、何度も思った。
弄ばれたんじゃないかと、仲間に裏切られて思った事もある。
だがそれでも、俺は諦めずにいれた。
それが何故なのか、今なら分かる。
純朴な双眸が俺を見つめていた。
まるで、俺を覚えていないかのようだ。だが、それでもいい。
なんだっていい。再会出来たのだから。
俺は、自分の事を伝えようと思った。
ここで伝えなければ、きっと伝えられなくなると思ったから。
「……馬鹿な話だよな。名前も知らない相手と、再会の約束だけして別れるなんて。だからやはり、俺は『勇者』なんだろう。とてつもない愚か者って意味だ」
「…………」
身体を起こしたアリスが、俺を黙ってじっと眺めていた。
それはまるで、俺を見定めているような、はたまた、見極めているような。
「だけど俺は、あのときから、今日この瞬間まで、その約束を違えるつもりは無かった」
飲み込まれそうな、染め上げられそうなアリスの紅の瞳をじっと見つめ、俺は語る。
「例え君が何であろうとも、姿形が変わっていようとも、君が俺を忘れていようとも、俺は——」
恥ずかしい。
とても恥ずかしい言葉だ。だが、俺にはこの言葉以外に、俺の気持ちを伝える言葉が思いつかなかった。
大事な話だ。だから俺は、アリスの目をしっかりと見て、その言葉を口にした。
「何度だって、俺はアリスに恋をするんだ」
対して、アリスは。
「私も……あなたが何であろうと、あなたが変わっていようとも、あなたが私を忘れていようとも、私は——」
俺を恋い焦がれさせた笑顔を見せて、俺を癒してくれた優しい声で言った。
「何度だって、ユートに一目惚れします」
結局。
あの扉の魔法陣は、ある魔法に反応していたのだろう。
恋という魔法に。