エピローグ
凄く眠くて、声もよく聞こえなかった。
ほんの少しだけ、いつもと違うあいつの声がした。
声の質が違うんじゃなくて、口調とかそれに含まれる感情が違う。あたしが聞いた事のない声だった。
聞いちゃダメだ、そう本能的に思える声だった。
多分、声はちゃんとあたしの耳に届いていたけれど、あたしの本能がそれを認識しまいとしていたんだと思う。
なんか知らないけど迎えに来てくれた、それが嬉しくてすぐにでも駆け寄りたかった。
けど、今近づいたら、もう何も元には戻らないような、そんな予感がしていた。
だからあたしは、そのまま寝ていようと思ったのに。
身体が、勝手に動き出していた。
あたしが近づいて行くのに、レイは気付かない。
あたしが近づくのにも、ナイフを持っているのにも、レイは気付かない。
逃げてと叫びたいのに、口も動かない。
取り返しのつかない事になると、何でかあたしは思っていた。
呼吸も足取りも、あたしの身体でないように、暗殺者のように動く。全てを制御されたような感覚が、気持ち悪かった。いつの間にか首に掛けられた金色の首輪が、どうしてか凄く気味悪かった。
唯一正常に機能している耳も、レイの声を拾えない。
代わりに、あたしが聞いたのは。
『こいつを刺せ!』
という、ルミナスと名乗った男の命令だった。
人を刺したのは、初めてだった。
ナイフがレイの身体を貫いた瞬間、一瞬だけ炎が燃え広がり、レイの身体を飲み込んだ。
「え……あっ、……う、そ」
現れたのは、小柄な黒髪の少年だった。
あたしと対して年も変わらない、妙に幼く見える少年。十人が十人、男らしいと言うよりは可愛らしいと言いそうな細く整った顔立ち。今はその顔に苦悶が刻まれていたが。
目が合った。
飲み込まれそうなほど深く黒い瞳だ。見つめていれば、その暗闇に取り込まれてしまうと錯覚を覚えるほどに。
けれど今は、少年の表情に目が行った。
痛み。
確かに、少年の顔は苦痛で酷く歪んでいる。
だけど、そうじゃない。
それは肉体的な痛みじゃなくて、心の部分での痛みを受けたような、そんな風に見えた。
少年はふらふらと支えを求めて歩き出して、窓に寄りかかる。
あたしはもう、少年を見ていなかった。
あたしが今まで見ていたのは、一体なんだったの?
あいつは、レイに化けていた? 一体いつから? あたしと最初に会ったときから、レイと言う人間は上辺でしかなかった? あたしを助けに来てくれたレイは、あいつの変装?
それに——あたしはあいつとどこかで会ったような気がする。
解からなくなる。
視界で、炎の塊が動いた。
あたしはただ呆然とそれを眺めていた。どうしようとも思えなかった。
思考が停止していた。
「——っ!?」
不意に、炎があたしを包み込んだ。
じわじわと何かが消えていく感覚があたしを飲み込んでいる。
これは——他人に迷惑を掛けつづけたあたしへの天罰なのだろうか。
胸が苦しかった。大切なものを失ったような、胸にぽかりと穴があいたような痛み。
何にしてもあたしは、どうしてだか解からないけど、あいつが——レイが一体なんなのか解からないけど、助けに来た人を刺してしまったのだ。
裏切ったのだ。
天罰なのだろう。だからこんなに苦しいのだ。
けど。
それにしてはなんだか、とっても心地いい温かさだった。
ぺしぺしと、頬を叩かれた。
「ん……あれ?」
「あっ、気が付いた? リン! この人も無事よ!」
「やっぱり。これで全員無事みたいね」
その感触に目を開けると、双子がいた。
金髪をポニーテイルにした凛々しい顔の——けど服が残念な——そっくりさん。
あれ? あたしは……生きてるの?
気が付けば、金の首輪は消滅していた。
それどころか、身を清めたようなスッとした感覚がある。
―――――――――――――
ごめん。
「……んっ」
あの人の声が聞こえた気がして、私は目を覚ました。
見慣れぬ天井に、温もりのない部屋。
そうだ、私は何故か寝てしまって、マモルはルミナスの屋敷に……。
「……マモル?」
起き上がって、よく片付いた研究所を探すけど、マモルの姿はない。連れ戻しに行った、フィーの姿もない。
ほんの少しだけ、不安になる。彼もまた、私のようにあの男に捕まったのかと。
けど大丈夫。約束した。
戻ってくると、離さないと、彼は言ってくれた。
だから大丈夫、きっと戻ってくる。
それに、彼は私なんかよりもずっと凄い。
浄化と消滅を操る、『愛と情熱の戦士』だと苦笑いで語っていたのだ。
大丈夫、私は待っていればいい。それで、彼は帰ってくるはずだ。
けれど、いくら待っても、彼は帰ってこなかった。
これで第二章が終了です。
次回は、勇者の物語。
このタイミングでやった方が良いと思い、変更させていただきました。ご迷惑をおかけしました。