非情の収集家と憤りの焰 9
「なっ」
一瞬だった。
僕は、熱くなりすぎていたのだ。
だから、直前まで背後に誰かが忍び寄って来たのに気付けなかった。
何かが、僕の腰の辺りに接触したのを感じた。
そう知覚するのと。
僕がルミナスを燃やしたのは同時。
「「——がぁっ!?」」
全身を焼けるような痛みが走った。あまりの激痛に、ルミナスを掴んでいた手が離れる。ルミナスも燃える身体で暴れ回っているが、僕はそれどころじゃない。
体中で炎が踊り狂っているような感覚。足がまともに体を支えられず、ぷるぷると震えている。
「いっ!!!!」
鋭い痛みが下腹部を襲ってきた。『怠惰』の魔法で痛覚の体感時間はゼロ、僕が痛みを感じる事などあるはずがないというのに。
だが確かに、腰の辺りに鋭い痛みが走っていた。
意識が——霞んで行く。
あまりの痛みに、それこそ、この世界に生まれて初めての激痛に、僕の意識は飛んで行きそうだった。だが、今ここで意識を失うのはまずい。
痛みで足取りが覚束無い。視界がぼけて見える。集中が続かない。
そんな意識の中、なんとか僕が視界に捕えたのは——。
「まじ、か……よ」
腹に突き刺さったナイフ。
そして。
突き刺された僕は、レイではなく——愛と情熱の戦士でもなく——魔王の僕だった。
魔法が解けていた。
更に。
「え……あっ、……う、そ」
手を血みどろにしたフィーが、ナイフから手を離した。
フィー。
助けに来た少女。
信じていた者に裏切られたような、自分のやった行為が信じられないような、困惑と絶望に染まった顔。
そして、僕は見た。
そのフードの口から覗くのは、金色の首輪。
隷属の首輪を。
「あ……がぁ……」
あまりの痛みに足が支えを求めて勝手に動き出す。
ふらふらと後ずさり、僕は窓になんとか支えてもらって立っていた。
僕がふらついて歩いた道には、目を背けたくなるような赤い道。そして終着点である窓にも大量の血痕が付着した。刺された場所、未だフィーが呆然と立っている場所には血溜まり。
そして、一人高笑いしている男が居た。
「はははははっ!! やっぱり、君も『愛と情熱の戦士』らしいね! 丁度良い死に方だろ!?」
コレクター、ルミナス・レイフォードだ。その身を取り巻く炎は消えていない。
炎に身を焼かれながら、ルミナスは声高々に言う。
魔法の炎は、現実の炎と違いじわじわとその存在を奪って行くのだ。
奴に与えられた猶予、と言っても良い。
「『模写のナイフ』、刺した相手の魔法をコピーするナイフだ。それは、あのレイを殺したナイフだ!」
焼けるような痛みは、複写魔法が解けたのは——『憤炎』。
レイの魔法か。
「そのナイフはお前に刺さった! ならそのナイフは今、お前の魔法を模写している! それさえ手に入れば、私は——『魔王』だ!」
はははははっ!! とルミナスは笑う。
狂気、としか言いようのない笑い声だ。
自分が死にかけていると言うのに、奴には目先の強大な力しか見えていないのだ。
痛みで朦朧とする意識の中、それでも僕にはやるべきことがあった。
大丈夫、僕が発動していた魔法は全て消滅したが、もう一度発動出来る。魔法自体が消滅させられた訳じゃない。
けど……足がふらついて満足に立ってもいられない。
魔法は思考して発動するもの、集中が続かない。
この出血量、痛みをゼロにしたところで状況は変わらないだろう。怪我を無くした所で、失った血は戻っては来ないだろう。
——なら。
「っ!! させるか!」
なんとか右手に灯した『憤炎』に反応し、ルミナスが駆け寄ってくる。
炎の塊が、僕へと突っ込んでくる。
結局、僕には人の存在を速攻で否定するような憎悪を抱けなかったのか、ルミナスの炎は速度が遅い。レイのように、一瞬で人間を消滅させるような炎を、僕は使えなかったのか。
だが、ルミナスが死ぬのは目に見えている。
だから。
僕は最後の力を振り絞り、『憤炎』を発動した。
「——っ!!!?」
炎上したのは、フィーだった。
突如燃え上がった自分の身体に、驚く事も忘れてフィーは転げ回った。
「どこを狙っている!」
突っ込んでくるルミナスを見て、これで良いのだと、思いっきり後ろへ倒れ込んだ。
ガシャリ、と背後のガラスが砕け散る。
ガラスに支えられていた僕の身体は、その穴から落ちて行く。
暗く闇のような海に、落ちて行く。
魔王には実に丁度良い場所じゃないかよ。闇の中なんてさ。
と。
「ナイフを渡せぇええええ!!」
ルミナスが落っこちて来た。
いや、お前は——どこまで『強欲』なんだよ。
背中に強い衝撃が走り、身体を突くように冷たい海水が包み込んだ。細かい泡が僕を包み、海水が傷口に染み渡り、痛みに悲鳴を上げようとして、ゴポリと口から泡と共に血が溢れた。
暗い。上か下かも分からぬ夜の海中は、真っ暗で何も見えやしない。
後を追って来たルミナスも、フィーやルミナスの召使い達がいる屋敷も見えない。
もう、何も見えない。