スプリング・ガール
二年前に初めて書いた作品です
これは桜が開花し始めたとある春のお話。
秋人の日課は、春から始めた早朝のジョギングである。
走り始めたころはそうでもなかったが、だんだんと走る面白さを見出すことが出来るようになってきた。
特に、ここのところはかなり楽しいと思えるようになっていた。なぜなら、公園の至る所に生えている桜が一斉に花開き始めたからだ。きれいな景色を見ながら汗を流すのは、やはり心地いい。
その日も秋人は、桜に見惚れながらいつものように公園のロードコースを走っていた。
だからだろう。秋人は、前から人が近づいて来ているのに気がつくことが出来なかった。
「キャッ!」
ぶつかる寸前で秋人はやっと気がつき、なんとか避けることに成功した。
しかし、驚いた相手は尻餅をついてしまった。
「すみません。よそ見してて。大丈夫ですか」
そう言いながら秋人は手を差し出した。
秋人がぶつかりかけた相手は自分と同い年くらいの女の子だった。
「いえ、こちらこそすみません」
彼女は少し戸惑いながらも、秋人の手には頼らず、自力で立ち上がった。
よくみると彼女はかなり可愛い部類だった。上の中ぐらい、と言ったら失礼か。ファッション雑誌に載っていてもおかしくない。
つい秋人が彼女のことをまじまじと見つめていると、彼女が思い出したように訊ねてきた。
「あなた、私のことが見えるの?」
「へ?」
秋人には意味がわからなかった。
「どういうこと?」
すると彼女はハッとした表情になり、
「あっ……、ううん。なんでもないよ。気にしなくていいから。」
慌てて取り消すように、彼女は答えた。
「いやでも、ちょっと気になるんだけど。よかったら教えてくれないかな」
しかし答えの代わりに返ってきたのは、早口の自己紹介だった。声色にもかなりの焦りが伺える。
「そうだ、はじめまして。私は千春。あなたは……、見たところジョギングの途中かな? いつもここに来てるの? っていうより、まずあなたの名前を教えてくれると嬉しいかも」
あきらかに、秋人の質問には答えまいとしている。きっと「言いたくない」という意思表示なのだと、秋人は解釈した。無理に問いただすのは良くない。
そこで秋人は千春の質問に丁寧に答えようと思った。誰だって、好みの異性には好印象を与えておきたいものである。
「俺は秋人。千春ちゃん……だっけ? の予想通り、俺は今ジョギングの真っ最中。最近始めて、いつもこの公園で走ってるんだ。運動不足解消のためにね。この季節になると公園が桜の花で綺麗なピンクに染まるから、とっても楽しいよ。そういう千春ちゃんは朝早くから何してたの?」
「えーと、じゃあジョギング。あ、別に千春って呼び捨てにしてくれてかまわないよ。ねぇ、秋人君はいつもこの時間に走ってるの?」
なぜ『じゃあ』なんだ?まぁ、いいか。
「千春もジョギングなんだ? でもいつもは見ないな。もしかして、今日が始めてだったりする? あと、俺は基本的にはもう少し早くから走ってるかな」
千春ははにかみながら、
「そう。今日から、ダイエットしようと思ってね。でも一人で走るだけじゃつまらないから、出来れば一緒に走ってくれる人がいればいいんだけどね」
「よければ俺が付き合うよ。どうかな?」
「本当っ? 嬉しいっ! ありがとう」
千春は文字通り飛び跳ねながら喜んでいた。
「あっ、いけないっ。俺そろそろ帰らないと遅刻しちゃうよ。悪い。また明日この時間に会おう。場所は……」
「丘の上にある桜の下なんてどうかな」
「いいね。そこにしよう。じゃあ、また明日」
「わかった。また明日ね。ばいばい」
こうして次の日から、二人のジョギングデートが始まった。それからは朝が待ち遠しくなり、秋人にとって充実した毎日となった。
そうして数日が経った。桜のシーズンも終わりにさしかかり、若葉が芽を出し始めた頃。
その日の朝の千春はいつもとは違い、「おはよう」と挨拶を交わしたきり、一言もしゃべらなかった。
秋人が話しかけても相槌をうつだけ。しかも走るペースは遅くなるどころか、むしろ普段より若干早いくらい。だから体調が悪いわけではなさそうなのだ。そういう意味では少し安心した。
そしていつものコース一巡し終わったあと。整理体操をしていると、千春は唐突に秋人にこう告げた。
「今日の夜九時、丘の上にある一番大きな桜の木で待ってる。お願いだから、絶対に来てね」
言うが早いか、千春は走り去ってしまった。
その後姿を見送った秋人は、嫌な予感がした。
夜の九時五分前、秋人は言われた通り、丘の上にある桜の下にいた。千春はまだ来ていないようだ。
他の木はすべて桜の花びらが散ってしまっているのに対し、待ち合わせ場所に指定された桜の木にはまだ少しばかりの桜の花が残っていた。
夜の九時ちょうど。千春がやってきた。
「ごめんね。こんな遅い時間に呼び出して。でも、どうしても伝えなくちゃいけないことがあるの」
そう話し出した千春の表情はいつにも増して真剣で、必死ささえも感じさせられた。
そんな千春を見つめている秋人の中で、朝に覚えた悪い予感がじわじわと増幅されていく。拭おうにも拭いきれない変な感じ。
「信じてもらえないかもしれないけれど、これから話すことはすべて本当の話だから」
一呼吸おいて千春は続ける。
「私、本当は人間なんかじゃないの。魂だけの存在
なんだ。この桜にとりついてる。良くいえば守護霊、悪くいえば地縛霊みたいなものかな」
千春は弱弱しく微笑みながら続ける。
「憶えてる? 私たちが初めて出会った時のこと。『あなた、私のことが見えるの?』って聞いたでしょう? あれが証拠。誰にも私の姿なんて見えるはずないのに、秋人君が話しかけてくれたからびっくりしちゃって、つい訊ねちゃったんだ。でも、せっかく始めて会話出来る相手を見つけたのに、人間じゃないだなんてバレたら、きっと秋人君は友達になってくれないと思ったの。今まで黙っててごめんね」
突然の千春の告白。あまりにもいきなりすぎて、秋人は理解仕切れていなかった。しかし、理解が追いつかなくとも、千春の話だから自分でも驚くほどすんなりと受け入れ、信じることが出来た。しかしわずかに残る疑問。
「うん。信じるよ。千春のことを疑ったりするもんか。でもなんで、今日その話をしてくれたの?」
「私ね、この桜の花びらが全て散ってしまったら、消えちゃうんだ。二度と会えなくなる前にどうしても伝えておきたかったの。さよならも言いたかったし。ねぇ、最後に私のお願い、聞いてくれる?」
千春の話を聞きながら、いつのまにか秋人の頬をなみだが濡らしていた。
『最後のお願い』
なんと寂しい響きだろうか。
だから、
「なんでもいいよ。俺がかなえてやる」
ふふっと笑う千春。なぜかその笑みは少し冷たい感じがした。気のせいだろうか。
「じゃあ、私と代わってくれっていったら?」
「出来ることなら代わってやりたいよ。でもそれは俺の力じゃ無理だ。俺は神様とかじゃないからさ。ごめん」
「そうだよね。わかってる。でもその気持ちだけは嬉しいよ。ありがとう。それでね、私が本当のお願いは……」
にこにこと笑いながら秋人の目を見つめて千春は静かに告げた。
「キス、して」
秋人は何も言わず、そっと千春の肩を抱き寄せ目を瞑り、そして彼女の唇に自分の唇を重ねた。
刹那、何故か秋人の体を強烈な寒気が襲った。頭の中が真っ白になる。
唇だけは、一瞬の温もりを感じた気がしたが、すぐにそれは消えた。
強い夜風が吹き、桜の木々を一斉に揺らした。ざわざわと音がする。
桜の花びらが全て散っていった。
秋人が目を開くとそこにはもう、千春の姿はなかった。
しかし、目の前には千春ではない別の誰かがいた。
千春がいたはずの場所には、自分の体があった。
「口は肉体から魂が出入りする場所だって知ってた?私とキスしたときに、魂を入れ替させてもらったよ。入れ替わる力、私は持ってたんだ。さっき、出来ることなら代わりたいって言ってくれたよね。だから遠慮なくさせてもらったよ。だからこれは秋人君の選択。私を恨んだりはしないでよ? ごめんね。そして、さようなら……」
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