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事件現場

【事件現場】

 

 二月三日、午前一時に携帯電話が鳴った。俺は自宅でぐっすりと寝ていたが、リリリンという軽快で人をドキリとさせる音で起こされた。電話は部下の佐々木からだった。全く、こんな夜中に……。嫌な予感しかしない。

「どうした?」

藤堂(とうどう)さん。事件だそうです」と部下の佐々木が言った。

「こんな吹雪の夜にか?」

「ええ、殺人事件です」

「現場は?」

「『ペンション()()野依(のい)』です」

「どこだ、そこは。この吹雪で行けるのか?」

「山奥にあるペンションです。この吹雪だから朝にならないと無理でしょうね」と佐々木が言った。佐々木も眠そうだった。

「犯人は?」

「まだ見つかっていないようです」

「今から署に向かうよ。そこで詳しく教えてくれ」

「はい。分かりました。気をつけてくださいね」と佐々木は言った。彼は外の天気のことを気にしているのだ。

「知っているよ」と言って俺は電話を切った。


 朝になって、俺たちはようやく事件が起こったというペンションへ向かった。署から四十分も離れた山奥だった。天気は快晴で、山の方の吹雪もおさまっているようだった。

「本当に僕たちの管轄なんでしょうか?」と佐々木は安全運転を心掛けているのか、ゆっくりとアクセルを踏みながら言った。

「そんなことより、犯人は誰なんだろうな」

「分かりませんよ。まだ現場にも行っていないし、話も聞いていないんですから」

「二月三日の午前零時五十分に(いそ)(だい)香代(かよ)が、自身が泊まっている部屋で死んでいるのを友人が発見」と言いながら俺はタバコに火をつけた。

「そうです」

「頭を何かで殴られた跡があった」。タバコをもう一口。

「そうです」

「部屋の窓は開けられていた」

「そうです」

「ちっとも分からん。やっぱり現場に行くしかないんだな」

「もちろん、そうです」

「俺がもうちっと頭が良かったら安楽椅子に座りながら解決できたのかもしれんな」

「名探偵でも無理ですよ。これだけの証拠じゃ」

「その通りだな」と俺は言って、口を閉じた。


 ペンションは予想より大きい木造の建物だった。大きな三角屋根をもった二階建てで、中にはいくつも部屋がありそうだった。だが、それより俺が驚いたのは隣にあった駐車場だった。日本には不似合いなアメリカ車を、二十台はとめることができそうな広い駐車場だった。そこには十台ほど車がとめてあった。その中の二台はパトカーで、もう一つは署の車だった。他の車の屋根にはまだ雪がこんもりと積もっていた。

 玄関に行くと既に制服を着た警官が立っていた。彼は右腕の二の腕を水平にすると、指先まで伸ばして帽子につけた。綺麗な敬礼だ。俺は左手を上げて彼に合図した。

 玄関から中に入ると、すぐ目の前にこぢんまりとしたフロントが現れた。フロントには一人くらいしか入れそうにない。フロントの左手には一度右に折れまがった階段があり、玄関から入って、右手と左手には同じ大きさの両開きのドアがあった。ペンションの中は山奥に似合わず、どこかざわついていた。殺人事件が起きたのだから当たり前のことだろうが。

「藤堂」と、上の方から声がした。階段の手すりから上半身を出している同僚の中島(なかしま)だった。

「現場に入ってくれ」と彼は言った。

俺は靴を靴箱に入れ、現場となった部屋へと向かった。

階段を四段上ると、右に曲がり、そこからまた階段を登り、左を向くと一本の長い廊下についた。後ろを振り返ると、そこからは玄関が見えた。中島が立っていた場所だ。

長い廊下の両側には五つずつドアがあった。磯台香代の遺体がある部屋は、左手の手前から二つ目の部屋。部屋番号は二○二だった。

部屋に入ると、風が正面から吹いてきた。部屋に入って正面には横に少し長い長方形の窓が見えた。大きさは俺の両腕を伸ばしたくらいだろうか。風のせいで窓の両脇にある白いカーテンが揺れている。

部屋では鑑識が指紋などの情報を集めるためにせっせと動いていた。彼らはハケで壁や物の表面をなぞっていた。何か見つけただろうか。

 遺体はまだそこにあった。正面にある窓、左の壁につけてあるベッド、右の脇に寄せてあるソファとテーブル、背もたれ付きの椅子、それらのちょうど中間に遺体はあった。鼠色の毛布が被せてある。

「見てもいいですか?」と佐々木は言って、白い手袋をした手を合わせた。そして毛布をめくった。

 磯台香代は側頭部を何かで殴られていた。その部分は陥没しており、渇いた血でどす黒くなっていた。顔面の左側も同じく血で染まっていた。床のカーペットはその色で染まっている。

「報告された通りだな。即死だろうか」

「いや、失血死みたいだな。詳しいことは解剖されてからだが」と中島は言った。

「それにしても窓が開けられていたわりには、雪も、水たまりもないな」

「ああ、それなんだが、真田という被害者の友人が閉めたらしい」

「分からなくもないですね。現場はそのままにしておいてもらいたいですけど」と佐々木は言って、手帳にメモをとった。

「窓を見せて貰おうか」と俺は言って、窓に近づいた。

 俺が窓に近づくと鑑識官の一人が寄ってきた。

「窓には被害者の指紋は残されていませんでした。真田という男の指紋だけでした」

「指紋をふき取った跡は?」

「ありません」

 犯人は指紋をつけないように開けたのか、もしくは開けたのも閉めたのも真田というやつだけなのか……。

「あと、窓の縁の上の部分、ここですね」と鑑識官は言って窓縁の上の部分を指差した。窓を閉めたら見えなくなってしまう部分だ。「ここに被害者のものと思われる血がついています。それと窓の上の壁にもついていますね。右のカーテンにも」

 その他にも、遺体から窓に向かって、床のカーキ色のカーペットにも血が点々とついていた。

「殴った時についたのでしょうか?」と佐々木が言った。

「さぁな。だが、もしそうだとしたら窓を開けたまま殺されたことになるな」

「そうですね。吹雪なのにおかしいですね」

「つまり違う時についたのだろうな。たぶんだがな」と中島は言った。

 俺は窓から身を乗り出して外を見た。冷たい空気がさらに顔を刺した。

「昨日はもっと雪が積もっていたのかな。ここから飛び降りても大丈夫なくらいに」

「そうだろう。この窓から飛び降りて逃げた可能性もある」

「上の屋根には登れないだろうか?」

「不可能ではないだろうが、その場合、ロープか何かを使わなければならないな。屋根から窓まで届くくらいの」

「屋根までどれくらいあるだろう?」

「どうだろうな」と中島も窓から身を乗り出して上を見た。「三メートルくらいか?」

「何かあるかもしれない。雪を下ろす時に調べてもらおう」と俺は言った。だが、吹雪の日に屋根へと登るのはないかもしれないなと思った。

「まぁ、屋根を使ったのはないでしょうね。そんなややこしいことするんなら、死体の発見を促す電話を、真田の部屋にしませんよね」と佐々木が言った。

 磯台香代が殺された時に一緒にいた人物、犯人もしくは犯人にかかわりのある人物が真田の部屋に内線電話をかけていた。それを受けた真田が二○二に来て、死体を発見したというわけだ。

「そうだな」と俺は言った。

 俺は横の部屋には行けるだろうかと、さらに身を乗り出して左右を確認してみた。こちらも、ロープか何かがないと行けないようだった。窓の外側には何かを引っかける場所もなく、移動は難しく思えた。

 窓からは森が見えていた。窓から二メートルのところに幹の太い木があった。

 俺は窓を背に向け、もう一度部屋をぐるりと見回してみた。ベッドには布団と枕があった。そこにあっただろう毛布はたぶん、遺体にかけられている鼠色のものだろう。コーヒー豆のような色をしたベッドサイドテーブルにはペンとメモ帳、電話機、そして簡素なベッドライトがあった。ベッドライトは点けられていた。

「部屋のあらゆる電気は点けられていたらしい。部屋の電気も、トイレも浴室も、ここのベッドライトも」と中島は言った。

 俺はメモ帳を調べたが、何も書かれていなかった。

 部屋にある小さなテーブルには白いカップと、受け皿、そして白い錠剤が置いてあった。何かの薬のようだったが、飲まれた形跡はなかった。受け皿の上にはティースプーンと紅茶のパックがあった。カップには飲みかけの紅茶らしきものがあった。

「これらは、この部屋にあったものか?」と俺は聞いた。

「その錠剤の他は、そうだ」と中島は言った。

「入口から入って、すぐ右側にある棚にありました。電気ポットとか、インスタントコーヒーもありましたね。棚の下には冷蔵庫も」と佐々木が付け加えた。

 俺はそこを見た。確かにそこには、佐々木が言ってくれたものが揃っていた。

「そして、その隣にあるドアがトイレのドアで、その反対側、部屋に入って左側にあるドアが浴室のドアです」

「使われた形跡は?」

「両方ともあります」と鑑識官が言った。「浴室には頭髪も落ちていました。三人分です。一つは被害者のものと思われます。あと二つは、まだ分かりませんが一つは長い黒髪、もう一つは長い金髪です」

「部屋に落ちていた頭髪は?」と俺は聞いた。

「これからきちんと調べますが、五種類以上はあると思われます」

「五種類以上か……」

「ここのオーナーからの報告によると、ここに泊まっていた客、そして従業員のほとんどがこの部屋に入っているみたいですね。もしくは、前に泊まっていた客のものとも考えられます」

「ふん」と俺は頷いた。

「トイレからは何か見つかったのかな?」と俺は聞いた。

 鑑識官は「何も」と言って、首を横に振った。

「入口のドアノブに指紋は?」

「四人分の指紋が」と鑑識官が答えた。

「なるほどね」

「何か分かったんですか?」と佐々木は言った。

「何もまだ分からん。とりあえず、昨日ここにいた人物に話を聞かないとな」

 するといつの間にか部屋から出ていた中島が、ドアから入ってきた。

「二○九号室を使わせてもらえる。そこで昨日、ここにいた人の話を聞いてくれ。俺はとりあえず客への聞き込みは終わった。今から従業員の話を下で聞いてくる。藤堂は最初に客の話を聞いてくれ。客にはそれぞれの部屋に待機してもらっている。これがリストだ」と彼は俺に一枚の手書きの紙を渡すと、すぐに去って行った。階段を軽快に降りる音が聞こえてきた。

 俺は中島の書いたリストを佐々木に渡した。

「誰から呼びましょうか?」と佐々木が言った。

「まずは第一発見者から話を聞こうか」と俺は言い、二○九号室へと向かった。


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