第54話 エリスの不安
「これがもし書きかけのマーキングだとしても、この印はアレックスにもあったのよ。アレックスには魔物の術が効かないはずなのに、それって変じゃない?」
私はあの戦いの中で、アレックスが魔物の術を術文も使わずに防御している姿を何度か見かけていた。
それなのに魔物が付けたとしか思えないこのマーキングだけは、彼の腕にもあったのだ。彼女は魔物が唱えるはずのない術文も唱えており、そこから推測すればこの印が特殊なものであることは間違いないだろう。
「それにサラと呼ばれていたあの魔物、中位のリチャードの態度を見る限りでは、上位クラスとしか考えられないのよね」
「上位クラスですか~? でもそのような魔物が~自らこのような場所に~下りてくるものなのでしょうか~??」
それは確かにもっともな疑問である。
上位クラスはこちら側から手を出さない限り、攻撃をしてこないと言われているのだ。勿論断言はできないが。
しかし中位クラス以下とは違い、上位クラスの殆どは表舞台には出てこない。噂では全体的に絶対数が少ないらしく、数えるほどしか存在しないという話だった。
中位クラスが人間と対等、或いはそれ以上に渡り合える能力を持つのなら、当然上位クラスはそれ以上の力を持っていることになる。彼らが私たちを本気で潰そうとすれば、容易に実行できるくらいの能力はあるはずだ。にも拘わらず現在まで、ヒトが滅ぼされるということはなかった。
世間に流れている噂では、ヒトに興味がないから干渉してこないとか、普段は人間に擬態して生活し、裏では総攻撃の準備をしているだとか、いろいろな説もあるが真実は定かではない。上位クラスというのは、未だに謎の部分が多いのである。
「例えあの魔物が上位クラスじゃないにしても、私たちが得体の知れないマーキングを付けられたっていうことに、変わりはないのよね」
私は腕に付けられた部分を服の上から擦りながら、地面へ向かって再び溜息を吐いた。
どんな効力なのか分からない術をかけられるなど、勿論私には初体験のことである。とばっちりとはいえ、得体の知れないモノを付けられれば恐らくは誰でも不安になるはずだ。
私は一刻も早くその不安を取り払うため、こうやって自力で調べているわけである。
アレックスが持つ特殊な力のことも術医に話せれば良かったのだが、それを言うことはできなかった。例え英雄の話をしたとしても、鼻先で笑われるのがオチだからだ。
最悪「魔物」と疑われてその場で捕らえられるか、或いは処刑されるかもしれない。アレックスは「魔物ではない」と否定していたが、私は未だに半信半疑のままだった。
「この印のことは~今度サラ様に逢った時~直接訊いてみれば良いと思うのですが~」
「え?」
「あの方が去り際に~言っていたじゃないですか~また逢うことになるって~。あのお方に~また逢えるのですよ~」
「! 一体いつ会う約束したって言うのよ。それに訊いても素直に教えてくれるとは思えないし。ていうか私、二度と遭いたくないんだけど」
魔物の名に「様」を付けて呼ぶなど、エドはやっぱり変わっている。しかも何故か頬を染めつつ嬉しそうな表情で、彼女のことを話しているのだ。
その態度が気になった私は、声のトーンを落としながら訊いてみた。
「エドまさか、あの魔物のことを好きになったの?」
ヒトと魔物は異種族だが、場合によっては恋愛関係に発展することもあるらしい。当然の如く肉体に大差ない者同士なら、間に子を儲けることも可能という。もっとも、私には全く理解できない話なのだが。
「それはどうでしょう~」
エドは何故か意味深気味に笑みを浮かべながら唄う。
「でもあの方のおかげで~僕は洞窟で~最高傑作とまではいかなかったですが~曲を一曲作ることができました~」
要するにエドは「曲の制作」という当初の目的を達成したことで敬意を表し、例え魔物であっても「様」付けで呼んでいるということなのだろうか。
「僕はまた逢いたいです~。実をいうとアレックスさんが~羨ましかったのですよ~。あの方に~足蹴にされていましたし~」
「え」
私は最後の言葉で歩みを止めた。
「……あれ、エリスさん~どうされました~? 僕から離れないでください~また迷子になりますよ~」
「迷子になんかならないってば。それよりあんたに、そっちの趣味があったなんて……」
「あ、エリスさん~その道は違いますよ~。なんで僕から離れて~逆方向へ行くのですか~?」