第18話 父との約束
辺りは徐々に明るさを取り戻しつつあった。
私は警戒しながら下へ降り、茂みに隠しておいた荷物を引っ張り出した。
ケンタウロスたちはその後も度々この下を通りはしたが、しばらく経つと来なくなり、結局見つかることはなかった。
あれから一睡もしていない。というより、流石の私でも木の上で寝られるわけがなかった。
(これから何処へ行こうかな。やっぱり一旦、昨日のギルドへ戻るのが一番よね)
私は荷物を背負い、歩きながら考える。
父は私が巡礼修行の旅をするにあたり、二つの条件を出してきた。
一つは、一緒に旅をしてくれる仲間を見つけること。
普通は同志(パーティ)数人と一緒に巡礼をするのが基本である。まだ修行中ということもあり、一人旅では私のように魔物に襲われても、まともに戦うことができないからだ。
私の場合はこの一週間で、逃げる手段だけはマスターしたような気がする。
しかし逃げてばかりでは、当然修行にならない。他人との連携プレイも立派な鍛練なのである。
実は昨日のギルドでは仕事を探すついでに、パーティ募集中などの張り紙がないかもチェックしていたのだが、生憎それらしいものはなかった。そのため、今日は自分から募集をかけてみようかと思っているのだ。
本当は旅に出る前、村のギルドでも出発する数日前から募集をかけていたのだが、結局それに応じてくる者はいなかった。あのような小さな村だから、旅人もあまり通らないのである。
そしてもう一つは――。
ぐぅ。
突然腹が鳴った。
そういえば昨日のギルドで食事をして以来、一切何も口にしていない。
この音でそのことを思い出した私は、早速朝食を摂ることにした。
昨日のようにいつ魔物が現れるかは分からなかったが、暗闇の時と違って明るいほうが逃げやすいし、「腹が減っては軍はできぬ」とも言うし。
私はそこら辺にある手頃な切り株に腰を下ろすと、荷物から干し肉一枚と乾パン一個を取り出した。これだけでも朝食としては十分である。
(そうだ。父さんに手紙を送らなくちゃ)
私はちぎった乾パンを口の中へ放り込み、携帯していた水筒の水と一緒に喉の奥へ流し込むと、荷物の中から紙とペンを取り出した。
父からのもう一つの条件は、毎日手紙を送ることだった。
娘を一人で旅に出すのである。父親としては、やはり心配なのだろう。
私はこの一週間、それが日課となっていた。
『父さん、ソーマへ。
私は無事です。
これからカタトス町のギルドでパーティを募集しようと思っているので、仲間ができたらその時にはお知らせします。
エリスより』
このような内容のものを切り株の上で書くと、そのまま紙を二つに折った。それに向かって手をかざし、意識を集中させる。
「運風換質」
一瞬で紙は煙のように消えたのだが、再びその姿が同位置に現れる。
この術は風属性のもので、別名『等価交換術』とも呼ばれている技である。
手許にある対象物と、別に存在する目標物とを入れ替える術なのだ。
つまり今、目の前にある紙は先程私が書いたものではなく、術により遠方にあった別の紙と交換されてここに現れたことになる。
一見便利な技のようにも見えるのだが、あまり実用性はない。
何故なら交換できる物は同等の物に限られているし、尚且つ手許の物と交換したい目標物の位置を正確に把握していなければ、成功しないからだ。
父は半年前にこの術を私に会得するよう命じた。この術をマスターしなければ、旅には出さないとまで言ったのである。
一般の術士が使用する「道具」と「精霊」に相性があるように、「術士」本人と「精霊」にも相性というのがある。つまり道具を選ぶ際には、使用者と属性の相性も考慮しなければならないということだ。
それは道具を使用せず、全ての属性を使うことができる精霊術士でも、例外ではなかった。
父によればこの術は、通常約二~三日程度でマスターできるものらしい。
私と特に相性が良いのは、風属性である。
だから三日もかからず、或いは一日くらいでマスターできると高を括っていたのだが、しかし半年近くもかかり、ついこの間ようやく会得できたばかりだった。
どうやらこの術ばかりは、属性の相性とは全く関係なかったようである。
父は訓練時から、いつも同じ場所に手紙を置いていてくれた。だがその位置を特定するのが特に難しく、なかなか成功しなかったのだ。
そして今回も目の前に現れたこの紙は、父がその場所であらかじめ用意してくれた手紙である。
『エリスへ。
旅は順調に進んでいるかい。
一緒に旅をしてくれる仲間は見つかったか?
エリスは方向音痴だから、巡礼地にきちんと導いてくれるような、信頼できる仲間を見つけないといけないよ。父さんは、それだけが心配です。
父より』
(父さん、本当に心配性だなぁ。それに私は父さんが言うような、方向音痴じゃないってば)
思い掛けない場所へ、たまたま高確率で行ってしまうことがあるだけだ。
父の勘違いに不満を抱きながらも、多少角張り気味に書かれているいつもの見慣れた字が、不意に滲んでしまったため、慌てて顔を擦った。
私は読み終わった手紙を丁寧に荷物の中へ仕舞うと、再び自分自身を奮い立たせるかのように、森の中を歩き始めたのである。