地獄の使者は金の獅子と出会い……
雪は降っていないものの、強風が辺りを支配していた。
強風に煽られ漆黒のマントが翻り視界の端で踊っている。
街の南に建つ時計塔の屋根上、ヘル・ザ・ブラックは広がる景色を仮面の下で見下ろしていた。
彼の視線の先には、イズラーテ領の象徴と言える建物があった。
ヘル・ザ・ブラックはそれを無表情で見つめながら、空中に身を投げる。
すぐに彼の姿は、冷たい闇に呑みこまれて消えた。
「ヘル・ザ・ブラックはまだ捕まらないみたいですね」
クラウディウスは向かいに座るラヴカに神妙な面持ちで語りかける。
「ああ。まったく、どこに潜んでいるんだか。あの吹雪の間に死んでいてくれれば助かるんだが、死体が見つからないところをみると生きているんだろうな」
ラヴカが大きくため息をつく。
「次の標的さえわかっていれば、なあ……」
自分の手で必ず捉えて見せるのだが。
「それが分かっていれば苦労はしないでしょう、誰も」
「ただ、言ってみただけだ。いちいち返さなくていい」
そう、彼の言うとおりそれがわかれば苦労しないのだ。
そしてラヴカもそれを分かっている。これはただの愚痴だ。
「それより、ラヴカ殿あなたはこれから会議なのでは? ヘル・ザ・ブラックのことで頭がいっぱいなのは分かりますけど、仕事を疎かにしてはだめですよ」
自分より年若いクラウディウスに諭されたラヴカは、肩をすくめて小さく笑った。
「お前に言われなくてもわかっているさ」
「でしょうね。ああ、ほら、痺れを切らしてナウルがやってきましたよ」
部屋の外で、荒々しい足音が鳴り響く。
数度のノックの後、返事もまたずにナウルが怒りの形相で部屋へと入ってきた。
「ラヴカ様、いいかげんに議会室に来てください! 議員のみなさんがお待ちなんですから!怒ってらっしゃるんですよ、みなさん。ラヴカ様お一人が遅れてらっしゃるので」
ラヴカが愉快そうに笑った。
「あの貴族たちは、待たされることになれていないからな。あいつらはいつも権力を振りかざして、自分が権力を支配権を握っていると思い込んでいる。だから、自分より権力のある者に付き合わせられることが不服なんだろう」
「ほらほら、いいですから余計な事言ってないで早く足動かしてください!!」
ナウルがラヴカの背を押し無理やり廊下に押し出し、クラウディウスに一礼してから扉を閉めた。
クラウディウスは彼らの声が遠のいていくのを聞きながら、くすりと笑った。
「全く、……あの二人は」
顔を軽く伏せて笑ったクラウディウスは、小さく息を吐き出し天井を見上げる。
否、彼は天井を見つめているのではなく、ただ宙を見つめ何かを考え込んでいるようだった。
クラウディウスは、背を完全に椅子に預けると、息を細く吐きながら目を閉じた。
彼の瞼裏に幼き日の記憶が浮かんでは消える。
あの日を迎えるまでの温かな記憶がよみがえる。
家族の笑い声。兄弟、親戚と庭で駆け回り遊んだ日々――――…………
……い……ちゃ……
クラウディウスは瞼を震わせると目を開けた。
思いでに浸るあまりどうやら眠ってしまっていたようだ。
どのくらい、時間が経ったのだろう。
クラウディウスは部屋をぐるりと見回した。
彼の追想の余韻を、鋭く響いた音が打ち消す。
「……? 何が……?」
クラウディウスは、訝しげに扉越しに音の聞こえた方向を見つめた。
議会室では、仏頂面の貴族議員たちが勢ぞろいしていた。
顔には出さずに心の内で笑いながらラヴカは一番上の席に着いた。
彼が椅子に座るなり、貴族議員たちの一人が声を上げた。
「領主様お一人だけやけに遅いお出ましでしたが、よほど領主様はお忙しいのでしょうなぁ」
「ええ、大変ですよ。ですからみなさんにも仕事を分けて差し上げたいくらいです」
ラヴカは、彼の皮肉にも嫌な顔一つ見せず、笑顔で言葉を返した。
「さて、みなさんのお時間を余計に取らせてしまったようですし、早々に議題に取りかかりましょうか」
机のに肘をつき腕を組んだラヴカは、笑顔で貴族議員たちに言う。
これは彼なりの皮肉だったが、貴族議員たちのほとんどがそれに気付いていないようだった。
「では……」
貴族議員の一人が紙に書かれた案件を述べていく。
それを聞きながらラヴカは胸の内で毒づく。
(こんなことを話し合ったところで、こいつらの思い通りにことが進むだけだ……こいつらの利益になるように)
ここはそういう国なのだ。
領主という名の地位にいても、結局どう足掻いても自分の力では、貴族にかなわない。
磨かれた大理石の机を眺めながら、誰にも気づかれないように、ラヴカは嘆息した。
貴族の議題を読みあげる声を半ば音楽のように聞き流しながら、それが終わるのを待っていると鋭い音が聞こえ、空気が震えた。
「?!」
一瞬何が起こったかわからなかった。だが、磨かれた大理石に赤いものが伝うのを見た瞬間ラヴカは悟る。
突然の襲撃に、議会室にいた貴族議員たちは悲鳴を上げ、扉へ向かって駆けだす。
「追い、待て!!扉に向かうんじゃない!!」
ラヴカは議会室の柱の影に素早く隠れ襲撃者から身を隠し、怒声を上げた。
扉を今目指せば格好の標的になるだけだ。
ラヴカの思っていた通り、貴族議員たちは扉の前に着く前に、悲鳴と共に次々と床に倒れ伏していく。
「くそっ!」
ラヴカの頭上を弾丸が掠めた。頭をかがめ襲撃者の姿を捜す。
「一か八か取りあえず……」
ここを出なければ殺される。
ラヴカは剣を抜いて、扉を目指した。
弾丸が一直線に自分目がけて降ってくる。剣を盾にし弾丸を弾いてラヴカは進む。
と、突然弾丸の雨が止んだ。
「……?」
ゆっくりと剣を降ろそうとしたその瞬間に、風が吹いたのかと錯覚するほどの疾さで仮面の襲撃者に喉元に剣を突きつけられていた。
ラヴカはごくりと喉を鳴らして、笑った。
「……お前、ヘル・ザ・ブラックか」
仮面の男――ヘル・ザ・ブラックは何も語らない。しかし、彼の言葉の代わりに、鈴が小さな音を立てて揺れた。
「殺せ。……希望としては、なるべく一発でやってくれるとありがたい」
「何を言っているんですか!」
叫び声と共に扉が勢いよく開けられる。
二人は突然の乱入者に顔をそちらへ向けた。
「おい……!お前なんで……来るんじゃない、逃げろ……」
自分の死が迫っても顔色一つ変えなかったラヴカだったが、クラウディウスの姿を見るなり血相を変えた。
「ラヴカ殿こそ、簡単に生きることを諦めないでください。まだやることがあるでしょう!」
クラウディウスは、ラヴカに向かって叫んだ。
「……貴様、領主のラヴカ・ステイ・ルーか」
剣先を喉元に突きつけたまま、ヘル・ザ・ブラックはラヴカに問うた。
「……そうだが? それがどうした。殺すのを止めてくれるのか?」
「……」
「っ……!」
剣が動く。
ラヴカは死を覚悟した。
しかし。
彼の予想に反して、剣は彼から離れ鞘に収められる。
「ラヴカ殿!!」
クラウディウスがラヴカに駆け寄る
「……どうして殺さない?」
自分を殺さず距離を取ったヘル・ザ・ブラックに、訝しげにラヴカが問う。
「お前には関係ない」
ラヴカの問いは、短く切り捨てられた。ヘル・ザ・ブラックは背を向けその場を去ろうとした。
それまで口を閉じ成り行きを見守っていたクラウディウスが、ヘル・ザ・ブラックに語りかけた。
「……あなたは、なぜ貴族ばかりを手にかけているんですか? それも悪名高い貴族ばかり。あなたが以前殺害した貴族の中には、貴族の中でも悪評が立っていた人物が多くいた。それに、ここにいる彼らもそうだ。この地方では、彼ら、貴族たちは民を虐げ痛めつけてきた。それに、あなたは何故かラヴカ殿だけは殺そうとしなかった。何故です?」
彼の言葉がヘル・ザ・ブラックをその場に留まらせる。
「……」
「……ラヴカ殿は、この地方の民の信頼が厚く、民に他の貴族たちのように残虐な行いはしない。だからでしょう?」
ヘル・ザ・ブラックは答えない。
「……もしかしたら、あなたは私たちと同じことをしようとしているかもしれない」
「クラウディウス!」
ラヴカがそれ以上何も言うなと視線で述べてくる。
だが、クラウディウスは金の髪を揺らし静かに首を振った。
「……どうせばれてしまうのは時間の問題です。彼がもし貴族の誰かに雇われて行っているにしても、彼がこの領内でこれだけ貴族を殺せば赤棘隊がやってくる、というよりやって来ないわけにはいかない。そうなれば、私の存在も明らかになる。その前に戦力を整えて置かなければ」
「……だが……」
「大丈夫ですよ。今ここで私は殺されるわけにはいかない。だから、彼に私の正体を明かすんです」
ヘル・ザ・ブラックが静かにクラウディウスと向かい合う。
「私の名は、クラウディウス・エシル・ロドア。先王マルストング・ルース・ロドアの息子」
「……!」
クラウディウス・エシル・ロドア。
それは殺されたはずの王子の名だ。
生きていたのか。
「あなたも今のこの国を崩壊させるために動いているのでしょう。だとすれば、私たちの目指すところにそう違いはないはず。どうでしょう、私たちと協力してみるというのは」
クラウディウスはそう言うとヘル・ザ・ブラックに手を差し出す。
「……」
沈黙が降りる。
二人が交渉決裂か、と思ったその時。
ヘル・ザ・ブラックのその手が動いた。
ゆっくりと彼がクラウディウスの手を取ったのだ。
「――――よろしくお願いします」
クラウディウスは今日一番という笑顔を浮かべ、ヘル・ザ・ブラックの手を強く握った。
クラウディウスの正体判明。
勘のいい人はもうわかってたかもしれないですが。
さて、アクションとか、その他もろもろとかこの後はいっぱい詰め込みますw