第16話
クスクスと笑うアンネリーゼを前に、秋雨は歯を食いしばる。
握る拳は硬く、ただ殺意だけが支配していた。
アンネリーゼの両隣に立つ異形の化物。
その腹には美波子と永礼の苦悶に満ちた顔が浮かんでいる。
秋雨は地を蹴る。
バシャンという音が響く。
水之業・陰型――水鏡渡り。
アンネリーゼの背後を再び取り、秋雨は右手を突き出し、更なる術を繰り出す。
水之業・陽型――水天球・変形、水串。
小倉駅では球体からの槍を伸ばす変形だった。しかし、今回は水天球自体を一本の槍に変形させ、破壊一点に全てを注いだ一槍。
「うーん、また後ろを取るのぉ? 芸がないよねぇ?」
振り返りざまにアンネリーゼは右手で払うように水串に触れる。
瞬間、槍を形成していた水が崩れ落ちる。
「ほぉら、お父様が行っちゃうよぉ!」
バコォ――鈍い音。
永礼の顔が浮いた化物の触手が秋雨に突き刺さった。
貫かれてはいない。ただの殴打。
しかし、人間の身体に痛みを植え付けるには十分だ。
秋雨の腹から口へと空気が吐き出される。そして、そのまま吹っ飛ばされ地を転がった。
「う~ん、良い線いっているけどぉ、まだ足りないかなぁ?」
頬に右手の人差し指を当てながら、アンネリーゼは言う。
「人類は憎しみによって進化するって思うの。ほら、この世界における科学技術の進歩も戦争ありきじゃないなぁい? 何だっけ……インターネットぉ? それも元は戦争の通信技術らしいよねぇ?」
アンネリーゼの両脇に件の化物が並ぶ。
「だ・か・ら、君にはとことん私を憎んでもらってぇ、人類として一つ上のフェーズに上がってほしいかなぁ?」
「――何を言ってんだ、お前……」
「難しい話だったかなぁ? でも、この二人のお陰で君は私に一つの感情を向けているよねぇ。それは実に好都合なんだよぉ?」
言っている言葉は理解できる。
だが、アンネリーゼの言葉の意味を、秋雨には理解しがたいことだった。
人類の進化だの、一つ上のフェーズだの、そんなことは秋雨にとってはどうでも良いことでしかない。
「そんなことの為に、母さんと父さんを殺したのか?」
「殺したぁ? いやいや、この通り姿形は変わっているけど、生きてるよぉ。 あ、でも個人の意思は無いから死んでると言っても良いのかなぁ?」
口元を隠しながらクスクスと笑うアンネリーゼ。
「ふざけるなよ!」
立ち上がり、秋雨は叫ぶ。
この女には倫理観の欠片もない――秋雨は理解する。そして、何一つの罪悪感も抱いていない。
「いったい何が目的なんだ、お前」
鋭い目つきでアンネリーゼを睨みながら、秋雨は問う。
「うーん、私たちとしての目的は人類の一つ上のフェーズへと上げること。私個人としては君の歪む表情を観たいってところかなぁ? ちなみに今は後者だねぇ。あ、勿論だけど、前者の目的にも絡むことでもあるから、君には期待もしてるんだよぉ?」
「糞が!」
秋雨は指を鳴らす。
大気中の水分が目視できないほど細い糸となる。そして、それは小刻みに振動し、アンネリーゼへと奔る。
水之業・陽型――水糸裁断。
それは小倉駅で賽の目状に切り刻んだ術。
本来は広域殲滅を主とする術ではあるが、秋雨は糸を一極集中することで単体性能を格段に向上させていた。
「見えてるんだよねぇ?」
アンネリーゼはそう言った後、唱える。
「千匹の仔を孕みし森の黒山羊」
アンネリーゼの目の前に黒い雲が現れ、秋雨の放った術を吸収した。
「何だ……それ……」
秋雨は目を見開き、絶え絶えに問う。
アンネリーゼの前に浮かぶ黒い雲。その中に何かがいる。
「これはねぇ、私が使える唯一の力なんだぁ。言っちゃうと、私の母星で信仰されていた神の一部を行使できるって感じかなぁ?」
常識の範囲外。
全てを超越した何か。
そこには狂気が在った。
「さぁて、もっと私に良い顔を見せてよねぇ? それともまだ足りなかったりするぅ?」
アンネリーゼはそう言うと、化物の腹――永礼の顔を思いっきり殴り潰した。
血飛沫が舞う。
同時に永礼の悲鳴が、秋雨には聞こえたような気がした。
「アンネリーゼぇェ……」
「そうそう、その顔だよぉ! さぁ、もっともっと見せてよねぇ!」




