3. 形式だけの結婚式
それから、数か月の期間をおいて行われた結婚式は、ひどく静かなものだった。
再婚という事情もあり、列席者は近親者と最低限の関係者のみ。
華やかな装飾は抑えられ、祝宴も簡素なものになると、事前に聞かされていた。
むしろ結婚式なんてしなくていいくらいに思っていたし、ウエディングドレスなんて正直面倒だ、という感想のほうが先に立つ。
(立っている時間、長くない?座り仕事が長くて最近筋力衰えてるのよ…)
そんなことを考えられる程度には、気楽だった。
現代ではフォト婚ですら面倒、という友人もいたくらいだ。
イネスとしては、親の顔を立てることと、さすがに王族の結婚式なのだからやらないわけにはいかない、という程度の認識でいる。
国が決めた政略結婚であり、こちらはアラサー。
王太子はバツイチで子持ち。
現代ならまだ若い年齢だが、この世界ではそうではない。
二十歳前後で結婚し、三十歳には子どもがいるのが当たり前の価値観だ。
(そう考えると、私って本当に気ままに生きてきたわよね)
話を受けたあと、イネスは塔へ伝書鳩で事情を伝え、引き継ぎを早々に済ませて公爵家へ戻った。
前王太子妃が亡くなってから三年という時間があり、準備期間がなかったわけではない。
王太子と前王太子妃が国民的に人気であったこともあり、すぐに再婚話を持ち上げなかったのは、ある意味で誠実な判断だったのだろう。
それでも、王子の成長と、まだアラサーである王太子に後添えが必要になることは、誰の目にも明らかだった。
再婚相手の候補は様々な角度から検討され、その中で筆頭に挙がったのが、イネスの家――アルデンヌ家である。
塔での積み重ねや信頼もあり、イネスの人柄が王家に害をなすことはない。
少なくとも、混乱を招く存在ではない。
婚約歴もなく、異性関係もないまま女性ばかりの塔に身を置いていたことも、ある意味では都合がよかったのだろう。
もっとも、前世ではそれなりに異性と付き合った経験もあり、現代的な知識も頭に入っている。
結婚そのものに、過剰な幻想を抱くこともなかった。
結婚した友人たちから聞く生々しい生活の話を思い出すと、
(ああ、大変そう)
という感想が先に立つ。
だからイネスの役割は、王太子の後添えとして名を連ねること。
それ以上でも、それ以下でもない。
白いヴェール越しに見える王太子――ジョエル殿下は、いつもと変わらない表情をしていた。
姿勢は正しく、視線は落ち着き、声も穏やか。
完璧なお人形。
ステンドグラスに描かれた女神の微笑みに似ている。
ちらっと横を盗み見しても、やはり完璧な顔。
(……大変な立場よね、この人も)
そう思う程度の距離感は、ちゃんとある。
最近、予言の夢を見ていないことに、ふと気づく。
最後に見たのは、ヒロインが亡くなる未来――十年前、彼らの結婚後の光景だった。その際、あの前世でみた公式ファンブックの光景も見えた。
誓いの言葉は、滞りなく進んだ。
名前を呼ばれ、答え、指輪を受け取る。
一つひとつが決められた手順通りで、余計な感情が入り込む余地はない。
「――最後に、誓いの口づけを」
司祭の声が、淡々と告げる。
その瞬間、ほんの一拍だけ、空気が揺れた気がした。
ジョエル殿下が、わずかに息を吸う。
イネスの手を取る指先に、力がこもった。
冷たい。
手袋越しでも分かるほど、ひどく冷えていて、わずかに震えている。
(……意外と、繊細なのね)
再婚とはいえ、公の場だ。
気負う理由はいくらでもある。
イネスはそう解釈し、深くは考えなかった。
彼がゆっくりと距離を詰める。
慎重で、完璧で、壊れ物に触れるような動き。
唇が、軽く触れた。
それだけだった。
(……はい、終了)
拍手が起こり、式は何事もなかったかのように進んでいく。
イネスはヴェールの下で、静かに瞬きをした。
拒否する理由も、動揺する理由もない。
役割を一つ、果たしただけだ。
控室に戻ると、ジョエル殿下は一歩距離を取って立っていた。
背筋が、ほんの少しだけ硬い。
「……問題は、なかったか」
「ええ。滞りなく」
「……そうか」
それ以上、言葉は続かなかった。
(会話が続かないわね、まあ無理にしなくてもいい雰囲気だから気が楽だけど)
これからも、必要な距離を保っていく。
踏み込まず、踏み込ませず。
ドレスの裾を整えながら、そう思った。
この結婚に、始まりはない。
明日からは王太子妃としての役割を淡々とこなすだけ。
働いていた塔から、王宮へ移る。それだけ。
……まあ、可愛い子どもができたのは、予想外だけれど。
写し絵で見せてもらった王子は、ヒロインにそっくりな愛らしさだった。
(かわいい。絶対かわいい)
学園時代、ヒロインには好印象を持っていた。
愛想がよく、努力家で、嫌味のない、完璧なヒロイン。
その子どもなら、きっと可愛いに違いない。
会える日を思うと、それだけが少し楽しみだった。




