2. お人形王子との再会
久しぶりに戻った王都は、記憶よりも少しだけ騒がしかった。
塔での生活に慣れきった身には、人の多さも、交わされる視線も、正直なところ少々うるさい。
王宮に呼び出された理由は、予想通りだった。
「――王太子殿下の、後添えになってほしい」
重々しい言葉を、重々しい表情で告げたのは、相変わらずナイスガイのイケオジである陛下だった。
その深刻さとは裏腹に、イネスの心は不思議なほど静かである。
(……やっぱり、イケオジは眼福ね)
などとのほほんと考えてしまう程度には、冷静だった。
予言の能力が、いつまで続くのかは分からない。
物語はすでに完結しており、特殊能力である予言の力も、どこまで効力が及ぶのかは未知数だ。
過去の事例を調べた限り、役目を終えたと同時に消える例が多い。
ほかにも、結婚や出産を機に失われた者、あるいは自然と薄れていった者もいる。
前世の記憶も同様だ。
成長の過程でこの世界に馴染み、いつの間にか消えていく者も少なくない。
要するに、イネスはもう「格段に特別視される存在」ではなかった。
かつては特別視されていたイネスも、今では危険視される存在ではない。
アラサーになるまで、好き勝手に生きてきた自覚もある。
だからだろうか。
少しは役に立たないとな、などという前向きな気持ちさえ芽生えていた。
学園時代を共に過ごした友人たちは、卒業後に婚約し、結婚し、今では子どもがいる。
手紙のやり取りで、その忙しさも幸せも知っている。
同じように独身のまま働いている友人もいるが、彼女たちもまた、家族や領地、国のために尽力している。
それに比べて、イネスの人生はあまりにも気ままだ。
(……罰が当たらないかしら)
そんな不安を覚えることさえあった。
だからこそ、今持ち上がっているのが王太子の再婚話であるのは、自然な流れだった。
三年前、闇を取り込み、寿命が十年しか持たないとされていた大聖女――公式ヒロインは亡くなった。
国は大いに悲しみに暮れたが、それは変えられない運命だった。しかし、ヒロインは女神の再来とされ、天に帰ったのだろうと国民は理解した。
公式ファンブックに触れられた後日談では、悲しみの最期ではあったものの、王太子とヒロインは最後まで愛し合い、王子も誕生している。
問題は、その先だ。
そこは、公式ファンブックにも記されていない。
この国の事情を考えれば、再婚相手としてイネスの名が挙がるのも、想像できなくはなかった。
新たな鉱脈を発見し、交易を広げる新興貴族との均衡。
忠臣である公爵家の取り込み。
そして、身分が高く、独身で、政治的に安全な女性。
感情ではなく、条件の話である。
返答を急がされることはなかったが、断れない理由は十分すぎるほど揃っていた。
その日のうちに、王太子との面会が組まれた。
通された応接間で待っていると、扉が静かに開く。
「……久しぶりだな、イネス嬢」
完璧な姿勢。完璧な声色。
学園時代、身分を隠していたイネスは、彼に話しかけられても素知らぬ顔でやり過ごしてきた。
ヒロインと王太子の関係が深まるのを見て、イネスはただ、彼らが正しくハッピーエンドを迎える未来を祈っていた。
三十を越えても衰えぬ美貌。
愁いを帯びた今だからこそ、神がかった色気を感じさせる金髪に緑の瞳。
けれど――やはり、心は動かない。
無機質な美しさ、整いすぎた美。
微笑みは相変わらず計算され尽くしていて、まるで精巧な人形のようだった。
(ああ、やっぱり)
懐かしさよりも、今は安心感が先に来る。
変わっていない。
私はあくまで適切な距離を保って、事務的に接すればいい。
「お久しぶりです、殿下。お変わりありませんね」
「……そう言われると、少し複雑だ」
一瞬、言葉に詰まったように見えた。
けれどすぐに、王太子はいつもの微笑を取り戻す。
気のせいだろう。
イネスたちは向かい合って腰を下ろし、形式的な挨拶と確認を進めていく。
王太子の子どものこと。
国政への関与の度合い。
イネスに求められるのは、王太子の息子の養育役。
塔での研修成果や、学園時代のレベル上げの結果、武器を扱う程度の護身能力もある。
実務については、優秀な人材が揃っているため、イネスが担うのは公の場での役割のみ。
すでに跡継ぎはいるため、それ以上の接触も不要だという。
「……この話を受けていただけるなら、感謝する」
その声は落ち着いていて、王太子として正しかった。
「私は、役割を果たすだけですわ」
その言葉に、彼がわずかに目を見開いたのを、イネスは見逃さなかった。
「今いただいた条件で十分です。子育ても楽しませていただきますわ。
王太子のお役に立てるよう、努めるだけです」
感情はいらない。
期待もいらない。
研究はこれまで通り続けていいらしく、研究室も与えられる。
予算も、塔とは比べものにならない。
遺跡調査や立ち入り禁止区域への許可。
正直に言えば、なかなかおいしい立場だ。
王太子はしばらく沈黙し、それからゆっくりとうなずいた。
「……分かった」
完璧な返答。完璧な王太子。
――完璧だけど、やはり心は動かない。
イネスはそう結論づけ、立ち上がった。
――私たちは、やはり交わらない人生なのだろう。
(この結婚は、幸せな物語のその後の話。
私の役割は、その延長線上にある陰の存在。)
そう思っていた、この時までは。




