表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢ルートを回避した聖女ですが、乙女ゲーム終了後に王太子の再婚相手になりました  作者: 杜咲凜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/20

16.夜の教会



 その夜、イネスは王宮の回廊を一人で歩いていた。

 目的地は決めていない。

 けれど、足は迷いなく、同じ方向へ向かっている。


 静かな夜だった。

 昼の喧騒が嘘のように、王宮は深い静寂に包まれている。

 灯りの落ちた回廊に響くのは、イネスの足音だけ。


(……考えすぎ、よね)


 そう思いながらも、昼間の言葉が、何度も胸の奥で反響していた。


「君が迷ったとしても、もし少しでも可能性があるなら。

 君に近づきたい。今度こそ」


 あれは命令でも、義務でもない。

 どう考えても――愛の告白だった。


 辿り着いた先にあったのは、王宮の奥にひっそりと佇む、小さな教会。


 夜でも扉は閉ざされていない。

 祈りたい者がいれば、いつでも迎え入れる場所。


 イネスは一度、立ち止まる。

 ここに来た理由を、自分で言葉にできるか確かめるように。


(……逃げたいわけじゃない)


 それだけは、はっきりしていた。


 扉を押すと、中は思った以上に静かで、蝋燭の灯りが柔らかく空間を照らしていた。


 そして――


「……来たか」


 祭壇の手前に、ジョエル殿下は立っていた。


 わずかに目を見開く。

 けれど、不思議と驚きはなかった。


 予感があった。

 夢に見た光景。久しぶりに思い出した、予言の記憶。

 教会に佇む彼の姿。


「君が来るかどうかは分からなかった。だが……もしを、期待していたのかもしれない。いや、願っていた」


 イネスは、祭壇から少し離れた場所に立つ。

 近づきすぎない距離。

 けれど、逃げもしない距離。


「昼間の話の続きをしに来たわけではありません」


 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


「ただ……少し、この場所に来たくなっただけです」


「それでいい」


 ジュエル殿下はイネスに近づかない。

 代わりに、横に並ぶ位置を選んだ。


 祈りの席に、二人並んで腰を下ろす。


 沈黙。けれど、重くはない。


「君は、不思議な人だ」


 唐突に、ジュエル殿下が言った。


「突然、私の前に現れて。近づこうと思えば、消えていく。

 それでも、いつも私の視界の中にいる」


 イネスは何も返さなかった。

 否定も、肯定も、しない。


「私は、君を……ずっと」


 言葉が、そこで止まる。

 ジュエル殿下が言葉を選び、躊躇するのは珍しい。


 イネスは、そっと立ち上がった。

 自分で選ぶために。


 そして、一歩、彼に近づく。


「殿下」


 呼ぶと、彼は顔を上げた。


「今夜は、王太子妃としてではなく……イネスとして、ここにいてほしい」


 その意味は、はっきりと伝わった。

 イネスは、小さく頷く。


 ジュエル殿下はしばらくイネスを見つめ、ゆっくりと距離を縮める。


 距離が、なくなる。

 触れないまま、息遣いだけが交じり合う。


「逃げてもいい」


 確認の声。


「いいえ」


 勇気を振り絞り、彼を見つめ返す。


 その瞬間、ジュエル殿下の手が、そっとイネスの頬に触れた。


 冷たくない。

 震えてもいない。

 ただ、確かに熱を持った手。


 二度目のキスは、誓いのものではなかった。


 自然に、唇が重なる。


 一瞬で、離れるつもりだった。

 けれど、彼の腕が、静かに、しかし迷いなく私を抱き寄せた。


 強くはない。

 けれど、逃がさないという意思を感じる。


 イネスも無意識に、彼の袖を掴んでいた。


 胸の鼓動が、はっきりと伝わる。

 殿下のものか、イネスのものか、分からないほどに。


 口づけは長くはなかった。

 それでも、永遠のように感じた。


 唇が離れ、額を寄せたまま、彼が囁く。


「……今夜は、ここまでにしよう」


 その言葉に、イネスは小さく息を吐いた。


「はい」


 それ以上は、求めない。

 急がない。


 教会の灯りは、変わらず静かに揺れていた。

 夜は、まだ続いている。


 けれど、二人の間には――もう戻れない一線が、確かに引かれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ