13. 王太子の決断
それは、ある朝の執務室でのことだった。
重厚な扉の向こうでは、すでに会議が始まっている。
旧貴族派、文官、軍務担当――
いつもより人数が多く、空気も重い。
イネスは、本来なら同席しなくてもよい立場だった。
だが、今回だけは違った。
「……王太子妃にも、聞いてもらう」
そう言って、ジョエル殿下は私を招いた。
円卓につくと、視線が一斉に集まる。
探るような目。
値踏みするような目。
そして、明確な警戒。
(……ここまで、来たのね)
誘拐未遂の件は、すでに「事故」として処理されている。
だが、実際には水面下で、確実に動きがあった。
「新興貴族数家の資金の流れに、不審な点が見つかりました」
文官が報告書を読み上げる。
「武器の横流し。傭兵との非公式な契約。
いずれも、王家への忠誠を口にしながらの行為です」
沈黙が訪れる。
誰もが分かっている。今回の件が、偶然ではないことを。
ジョエル王太子は、新興貴族たちの顔を順に見渡した。
「……処分は、慎重に」
そう切り出したのは、年嵩の貴族だった。
「急激な動きは、国内の不安を招きます」
「王太子妃を前面に出すのも、いささか急すぎませんか」
その言葉に、イネスは口を挟まなかった。
けれど、ジョエル殿下の表情が変わったのを、見逃さなかった。
「急とは?」
低い声。
「王位継承者が狙われた。
それこそ、国の危機ではないか」
ジョエル殿下の視線が、鋭く走る。
「今回の件は、未遂事件ではない。国家の存亡を揺るがす事件だ」
「……」
「国家に反逆の意思があると、私は判断する」
彼は、立ち上がった。
王太子としての威圧感。
完璧に整えられた姿勢と声。
だが、そこにあったのは冷酷さではなかった。
「これ以上、家族を脅かす存在を、黙認しない」
その言葉に、会議室が静まり返る。
「王家に刃を向けた者は、例外なく厳罰に処す」
明確な意思表示だった。
イネスは、その背中を見ていた。
そこには、王者としての風格をまとったジョエル王太子がいた。
会議は、そのまま結論へと向かった。
処分案は可決され、関係者は段階的に排除される。
終わったあと、私は一人で回廊を歩いていた。
足音が、後ろから重なる。
「……怖くなかったか」
ジョエル殿下の声だった。
イネスは足を止め、振り返る。
「正直に言えば」
少し考えてから、答えた。
「はい。少し」
「……そうだろうな」
彼は、私の隣に並ぶ。
「それでも、止めなかった」
「ええ」
私は立ち止まり、彼を見る。
「私は、覚悟を決めています」
「……」
「殿下と、お気持ちは一緒です」
彼は、わずかに目を細めた。
「……君は、相変わらずだ」
「何がでしょう」
「逃げ道を残しながら、最後には私の前に姿を現す」
意味が分からず、イネスは瞬きを繰り返す。
ジョエル殿下は、ふうとため息をついた。
「イネス、君は……ずっと眩しすぎる」
一瞬の沈黙。
参ったようにイネスを見つめ、やがて、静かに言った。
「……君を、さらに危ない立場に追い込むかもしれない」
「いえ。それは承知しております」
「それでも――」
ジョエルは、はっきりと言った。
「これからは、一番に私を頼ってほしい」
その宣言に、胸が小さく跳ねる。
「……反論は?」
「ありません」
ジョエル殿下が微笑んだ。
それはまるで、眩しい光のようで――イネスは、思わず目を細めた。




