11.家族として
その夜の出来事は、王宮に大きな混乱をもたらした。
表向きには、何事もなかったかのように処理された。
王子は無事に保護され、王太子妃も軽い怪我のみ。
しかも自力で帰還した。
結局、誰が犯人だったのかは、その時点では明らかにされなかった。
早急に警備体制の見直しが行われ、関係者の洗い出しと処理は秘密裏に進められる。
それだけ聞けば、よくある“未遂事件”だ。
けれど、王宮の内側にいる者たちの緊張感は、増すばかりだった。
あれは、ただの襲撃未遂ではない。
狙いは明確だった。
王位継承者であるルイ王子と、その後見となりうる存在――イネス王太子妃。
(……私が、狙われた理由)
自室の窓辺で、イネスは夜明け前の空を見つめていた。
状況を整理し、これから起こり得ることを考えていると、眠る気にはなれなかった。
新興貴族は金鉱を発見し、その資金をもとに商業圏を急速に拡大している。
力を持ち始めた家系ほど、古参の上位貴族を排除したいと考えるものだ。
そして同じく古参である上位貴族の中にも、表向きは王家に忠誠を誓いながら、内心ではイネスたちの家を疎ましく思う者がいる。
(アルデンヌ家。そして、私。)
政治的に見れば、現在もっとも王家に近しい存在であるアルデンヌ家は、邪魔なのだろう。
忠臣であり、聖女や魔法士を育成する塔とも深く繋がり、王太子からの信頼も厚い。
(……排除したい、わけね)
理解はできる。
理解できてしまうからこそ、胸が冷えた。
これまでイネスは、できるだけ騒動から距離を取ってきた。
誰とも深く関わらず、運命にも踏み込まず、
この世界の決められた流れを、少し離れた場所から見ていればいいと考えていた。
けれど、今回ばかりは、それが許されなかった。
ルイ王子の顔が、脳裏に浮かぶ。
怯えながらもイネスを信じて走った背中。
そして、心から慕ってくる小さな手の温度。
(……守ると、誓ったから)
誰に命じられたわけでもない。
最初は役割として果たそうとした。
けれど今は、ルイ王子を守りたいという気持ちが、はっきりとある。
それは親心であり、家族としての想いであり――
そして、あの人を悲しませたくないという感情だった。
コンコン、と控えめなノック。
「どうぞ」
入ってきたのは、ルイ王子だった。
侍女に付き添われてはいるが、表情はいつもより硬い。
「……イネス」
「どうしました?」
王子は一瞬、言葉を探すように視線を彷徨わせ、ぎゅっと拳を握った。
「……ぼくのせいで、いたくなった?」
胸が締めつけられる。
イネスはすぐに膝を折り、目線を合わせた。
「違います」
はっきりと、否定する。
「ルイ王子が無事だったから、私は安心して帰ってこられたのです」
「……ほんとう?」
「ええ。約束します」
王子はじっと見つめ、やがて小さく頷いた。
「……じゃあ」
「はい?」
「また、そばにいてもいい?」
迷いはなかった。
「はい、もちろんです」
その瞬間、王子の肩から力が抜けた。
ほっと息を吐く音が、やけに大きく聞こえる。
王子が侍女とともに部屋を出ると、廊下の先にジョエル殿下の姿があった。
何も言わず、ただ立っている。
けれど、その視線は、先ほどのやり取りをすべて見ていた。
王子の姿が消え、二人きりになる。
「……眠れなかったか」
静かな声。
「いいえ。少し気分が高揚してしまっただけで」
首を振る。
「それに……殿下やルイ王子を心配させたことを、反省していました」
彼の視線が、わずかに揺れる。
「もう、私だけで判断してはいけないと考え直しました。
それは、王太子妃として甘かったということです」
「……」
息を整え、イネスは言葉に力を込める。
「いえ、王太子妃としてではなく――」
「……」
「家族として、ジュエル殿下とルイ王子のために、自分自身を大切にしなければなりませんね」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かが静かに定まった。
ジョエル殿下はしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「……君は、美しいな」
「いえ、殿下にはかないません」
微笑んで答えると、彼は少し照れたように笑った。
けれど、その目に宿る温かさは、これまで見たことのないものだった。
これまでは、ルイ王子を守る守護者としての役割。
だが、もう他人ではない。
家族として。
そして、これから一緒に未来を作っていく者として。
イネスは、ジュエル殿下の傍にいるという決意を、静かに、しかし確かに固めたのだった。




