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失恋の翌日も、出社する  作者: 朝倉 ひより


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5/7

失恋を語る夜

 仕事が終わる頃、外はすっかり暗くなっていた。

 時計を見ると、定時を少し過ぎている。


 今日は、珍しく一日をやり切った感覚があった。

 疲れているのに、頭は冴えている。そんな日だった。


「このあと、少し時間ありますか」


 帰り支度をしていると、高橋さんが声をかけてきた。


 一瞬、迷う。

 断る理由はない。でも、理由をつけて会うほどの余裕もない。


「……少しだけなら」


「じゃあ、駅前で」


 それだけで話は終わった。


 店は、駅から少し離れた小さな居酒屋だった。

 賑やかすぎず、静かすぎない。仕事帰りの人たちが、思い思いに過ごしている。


「飲めます?」


「少しだけ」


 最初の一杯は、ビールにした。

 グラスを口に運ぶと、喉の奥が熱くなる。


「最近、忙しそうでしたよね」


 高橋さんが、つまみを取り分けながら言う。


「……そう見えました?」


「ええ。無理してる感じが」


 その言葉で、胸の奥が少しだけ緩んだ。


 しばらく、仕事の話をする。

 取引先の愚痴、上司の癖、どうでもいい雑談。


 笑っている自分に、少し驚く。

 こんなふうに笑うのは、久しぶりだった。


「美咲さん」


 グラスが半分ほど空いた頃、高橋さんがこちらを見る。


「話したくなったらでいいんですけど」


 視線が、まっすぐだった。


 逃げ場はある。

 曖昧に笑って、話題を変えることもできる。


 でも、そのままにしておくのも、少し違う気がした。


「……失恋、したんです」


 声は、思ったよりも落ち着いていた。


 高橋さんは、何も言わない。

 ただ、続きを待っている。


「長く付き合っていて……突然、終わりました」


 言葉にした途端、胸の奥がじんわりと痛む。


「理由も、ちゃんと聞けなくて。

 終わったんだって、頭ではわかってるんですけど」


 グラスを見つめる。


「まだ、追いついてなくて」


 沈黙が落ちる。

 重くない、受け止めるための沈黙。


「……それは、きついですね」


 高橋さんは、それだけ言った。


 同情も、慰めもない。

 でも、否定もしない。


「ちゃんと、好きだったんですね」


 その一言で、喉の奥が熱くなる。


「はい」


 短く答える。


 泣かなかった。

 涙は出なかった。


 でも、胸の奥で固まっていたものが、少し溶けた気がした。


「話してくれて、ありがとうございます」


 高橋さんは、そう言ってグラスを置いた。


「仕事に影響出るほどだったら、言ってください」


「……はい」


 帰り道、夜風が心地よかった。

 駅まで並んで歩く。


「今日は、助かりました」


 私が言うと、


「こちらこそ」


 と返ってきた。


 改札前で立ち止まる。


「また、明日」


「はい。また明日」


 家に帰って、電気をつける。

 静かな部屋。


 それでも、昨日までほど、怖くはなかった。


 失恋は、終わっていない。

 でも、誰かに言葉にしたことで、ちゃんと「過去」になり始めている。


 私は、少しだけ前に進んでいた。


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