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第6章 それぞれの十字架

1年が経過し、地上の放射線レベルが安全域に達した。松本の測定では地上の放射線量は居住可能レベルまで低下していた。俺たちの計算は正しかった。


地上への移住が始まってからも、97人全員が30人の死を背負い続けていた。


新しい町を建設する作業で、住民たちはそれぞれの想いを表現した。


佐々木雄介は母親を失ってから、誰よりも懸命だった。車椅子でも建設作業に参加し、「お母さんの分まで働く」と言って誰よりも熱心だった。


田所医師は松井おばあちゃんが愛用していた薬草園を再現し、伝統的な治療法の研究を始めた。

「松井先生の知識を絶やしてはいけない」と言いながら。


技術者の井上は田村老人から教わった細かい調整技術を詳細にマニュアル化し、後継者の育成に力を入れた。「田村さんの技術と経験を次世代に伝える」ことを使命としていた。


みんな、死んだ人たちの想いを受け継ごうとしていた。


でも同時に、全員が深い罪悪感を抱えていることも事実だった。


「俺たちに生きる資格があったのか?」

「あの人たちの方が、人間として立派だったんじゃないか?」

「ほんとにこうするしかなかったのか?」


夜になると、そんな問いが住民たちの心を苦しめた。


特に、追放に賛成していた住民たちの苦悩は深かった。自分たちのとった選択が、他者の犠牲によって実現されたことの重さが、いつまでものしかかっていた。


一方で、追放に反対していた住民たちも複雑な気持ちを抱えていた。最終的には30人の自主的な犠牲を受け入れてしまった自分たちへの自問自答が続いていた。


全員が、それぞれの形で責任を感じていた。



―――そして町の建設から一年が経った。


97人全員が生き残り、新しい生活を始めていた。農業が軌道に乗り、工業も復活し、小さな学校や診療所も完成した。


数字上では完璧な成功だった。30人の犠牲で97人を救った。生存率76%。極限状況としては驚異的な数字だった。


しかし俺たちは知っている。この町が30人の犠牲の上に成り立っていることを。


町の中央広場には、大きな慰霊碑が建てられた。30人の名前が一人ずつ刻まれた黒い石碑。


俺は毎朝、その前に立つ。


「田村一郎、佐々木花子、高木健二、松井ツル子、山田健太郎...」


一人一人の名前を読み上げる。顔を思い出す。最後の言葉を思い出す。


忘れない。忘れてはいけない。


13歳になった明日香は、もう子供ではなかった。30人の死の重さを理解し、それを背負って生きることを覚悟した少女だった。


「パパ、私たちは間違ってたの?」


彼女がある日聞いてきた。


俺は長い間考えてから答えた。


「パパには…分からない。明日香が大人になったら答えが出るかもしれない」


「おじいちゃんたちは、私たちを恨んでるかな?」


「恨んでないよ」

俺は娘を抱きしめた。

「田村のおじいちゃんは最後に言ったじゃないか。『この命を無駄にしないでくれ』って」


「だから、一生懸命生きなきゃいけないの?」


「そうだ。おじいちゃんたちの分まで」


住民たちも、それぞれに30人の死を背負って生きている。


毎月命日には町全体で追悼式を行う。30人の好きだった歌を歌い、好きだと言っていた料理を作り、彼らの思い出を語り合う。


それは義務ではなく、自然発生的に始まった習慣だった。30人への感謝と愛情の表現だった。


ある夜、佐藤が俺を訪ねてきた。


「田中さん、あの時のことをどう思いますか?」


俺は長い間考えてから答えた。


「正しかったとは思っていません」


「では間違っていたと?」


「間違っていたかも分かりません。でも、彼らのおかげで今があります」


佐藤は頷いた。


「そうですね。それだけは事実です」


俺は慰霊碑を見つめた。


「はい。俺たちは救われたわけじゃない。生かされたんです。30人の犠牲によって」


「生かされた...」


「正しかったかどうか、それに答えがあるのかすら分かりません」


佐藤は深くため息をついた。


「一生迷い続けるのですね…」


「はい。でも、それが人間として生きるということかもしれません」


正しい選択など、最初から存在しなかったのかもしれない。


ただ、間違いかもしれない選択の責任を、生き残った全員で背負っていく。


それが今の俺たちに残された道だった。


愛する者を守るために下した選択。その代価として失った30の命。


俺たちはその十字架を背負い、最後まで歩き続けるだろう。


それが、生存者に課せられた永遠の責任なのだから。



―――それから十年が過ぎた。


明日香は23歳になり、新しい町で教師をしている。子供たちに勉強を教えながら、時々30人の話をする。


「昔、この町には素晴らしいおじいちゃんやおばあちゃんたちがいたの。その人たちが、みんなの未来のために自分の命を捧げてくれた」


子供たちは真剣に聞いている。


「その人たちのおかげで、今の私たちがある。だから、絶対に忘れてはいけないのよ」


俺は町の技術管理者として働いている。毎日機械の調整をしながら、彼らのことを思い出す。


住民たちも、それぞれの人生を歩んでいる。結婚し、子供を産み、新しい家庭を築いている。でも全員が、30人のことを忘れていない。


佐々木雄介は結婚し、二児の父になった。母親の名前を娘につけた。「花子」という名前に、母への愛を込めて。


田所医師は薬草研究を続けていて、松井おばあちゃんの知識を現代医学と融合させた治療法を確立した。


井上は多くの後継者を育て、田村老人の知恵を次世代に伝承にする事を役目としている。


みんな、30人の遺志を受け継いでいる。


町の中央広場の慰霊碑は、今でも毎日誰かが花を供えている。30人の命日には、町全体で追悼式を行う。


新しく生まれた子供たちも、30人の物語を聞いて育っている。愛と犠牲の意味を、幼い心に刻んでいる。


俺たちは気づいた。


30人の死は無駄ではなかった。彼らの犠牲によって、俺たちは人間として大切なものを学んだのだ。


命の重さ。愛の大きさ。そして、生きることの責任。


今の町には、以前の避難所にはなかった温かさがある。住民同士が助け合い、困った人がいれば必ず誰かが手を差し伸べる。


それは、30人の愛の遺産だった。


彼らが最後に見せてくれた、人間の美しさ。その記憶が、俺たちの心に根付いているのだ。


ある日、明日香が俺に言った。


「パパ、私は間違ってなかったと思う」


「・・・」

俺は答えることが出来なかった。


「みんなが死んだのは悲しい。でも、その命を受け継いで、こうして生きている私たちがいる。それは、間違いなんかじゃないと思う」


俺は娘を誇らしく思った。まだ子供だった彼女が30人の死の重さを背負いながら、それでも前向きな答えを出した事を。


「そうだな」

俺は頷いた。

「俺たちは、みんなの想いを受け継いでいる」


「うん。だから、これからも大切に生きていこう」


慰霊碑の前で、俺たちは静かに手を合わせた。


俺の責任は、いつまでも消える事はない。

それでも懸命に生きていく。

いつの日か俺の命が尽きるとき、

彼らのように、生きた意味を見つけられるように。


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