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第4章 聖者の決断

食堂全体が騒然となった。椅子が倒れる音、怒鳴り声、泣き声が交錯する。


暴動が起こる。そう確信した。


その時だった。


「もういい」


静かな、しかし食堂全体に響く声が聞こえた。


全員が振り返ると、車椅子の田村老人が立ち上がろうとしていた。78歳、元会社員、要介護。追放リストの最上位に載っていた人物だった。


「静かに聞け」


田村老人の声には、不思議な威厳があった。罵声の飛び交っていた食堂が、一瞬で静まり返った。


「わしはもう、十分に生きた」


老人は震える足で立ち上がった。娘が支えようとしたが、彼は優しく手を振って制した。


「妻の花江も先に逝った。息子の健一も核攻撃で死んだ。この三年間、避難所でずいぶん苦労をかけた。残った命、わしの命で、未来ある若い人たちが生きられるなら、本望だ」


食堂が水を打ったように静まり返った。


追放派の住民も、怒りに燃えていた反対派の住民も、全員が田村老人を見つめていた。


「わしは出て行こう」


田村老人は俺を見つめた。その目には、怒りも恨みもなかった。ただ、深い理解と、そして慈悲があった。


「だが孫の太一のことは頼んだぞ、田中くん。そして、この場所で生きる者たちよ、この命を無駄にしないでくれ。もう争うな」


泣き崩れる娘の肩をポンと叩いて老人は車椅子をゆっくりと動かし、避難所の出口へと向かい始めた。



「おじいちゃん!」


12歳の孫、太一が泣きながら車椅子にしがみついた。


「いい子にしてるんだよ」

田村老人は孫の頭を撫でた。

「おじいちゃんの分まで、たくさん生きるんだぞ。勉強して、立派な大人になるんだ」


「おじいちゃん、行かないで...」


「太一」

老人は孫の目をじっと見つめた。

「人間はいつか死ぬ。でも、その死に意味を持たせることができるなら、それはとても誇らしいことなんだ」


俺は言葉を失った。これが俺の「合理的判断」の現実だった。数字の向こうには、こうした人間がいたのだ。


愛する孫のために、共同体のために、自ら死を選ぶ老人。


「田村さん...」

俺の声が震えた。


「田中くん」

老人は俺に微笑みかけた。

「あんたを恨んじゃいない。娘を守りたい気持ち、わしにも分かる。だから、その娘さんを大切にするんだよ」


言葉が胸に突き刺さった。恨まれる覚悟でいた。

なのに切り捨てようとした俺に文句の一つすら言っていない。

俺は涙が止まらなかった。


田村老人の行動に続き、別の住民が立ち上がった。


重い病を抱える息子を持つ母親、佐々木花子だった。教師、45歳。120点で生存グループだったが、彼女は息子のことを思っていた。


「うちの息子、雄介は...歩くこともままならない」


彼女は涙を流しながら、頭を下げた。息子の雄介は22歳だが、生まれつきの障害で車椅子生活。75点で追放リストに入っていた。


「追放されるなら、息子ではなく私を。どうか、この子の命だけは助けてやってください」


「お母さん...俺の事はいいから...」

雄介が母親の手を握った。


「だめよ、雄介。あなたを失ったらどのみち生きていられないわ。私の分まで、頑張って生きるのよ」


佐々木花子は立ち上がり、息子に背を向けた。


「みなさん、雄介をよろしくお願いします」


そして、また一人、また一人と、追放リストの人々が立ち上がった。


85歳の元小学校教師、松井おばあちゃん。

「わたしは役目を終えました。後は子供たちの未来のために」


癌を患う60代の元建設作業員、高木。

「家族のために。もう痛みからも解放される」


足の不自由な50代の主婦、小林。

「みんなのために。私の分まで生きてください」


心疾患を患う70代の元公務員、山本。

「若い人たちに生き延びてほしい」



彼らは皆、誰かを守るために、未来を託すために、自ら死を選択した。


「やめてください!」


反対派の住民の一人が叫んだ。


「そんな...そんなのおかしいです!なんで自分から死ななきゃいけないんですか!」


しかし自主的な犠牲者たちは、静かに微笑んでいた。


「おかしくなんかない」

田村老人が振り返った。

「これが、わしたちの選択だ。誰かに殺されるんじゃない。自分で選ぶんだ。それが人間の尊厳ってもんだろう」


高木が続けた。


「俺は癌で、どうせ長くない。だったら、この命で誰かが助かるなら、それでいいじゃないか」


松井おばあちゃんも頷いた。


「わたしは85年生きました。辛いことはたくさんあるけど、子供たちには、希望をもって生きてほしいんです」



30人に達するまで、次々と住民が立ち上がった。全員が自主的に、愛する人のために、共同体のために自己犠牲を選んだ。


最後に立ち上がったのは、意外な人物だった。


山田健太郎だった。52歳、配管工、健康。110点で確実に生存グループに入っていた。


「山田さん?」

俺は驚いた。


「田中...俺も行く」


山田は妻と息子を見つめた。


「でも、あなたは生存グループに...」


「関係ない」

山田は首を振った。

「俺は…どうしても無理だ。誰かを犠牲にしてまで生き続けることはできない」


山田は続けた。


「それに俺が出て行けば、誰か一人は追放されずに済む。それでいいじゃないか」


俺は震えていた。


これは俺の計画ではなかった。冷徹な合理的判断のはずだった。でも現実は、人々の自己犠牲によって実現されようとしていた。



追放派の住民たちも、罪悪感に打ちのめされていた。自分たちの「残酷」な選択が、他者の「愛」によって実現されることに気づいたのだ。


反対派の住民たちも、ただ反発するだけでは何も守れないことを知った。本当に大切なものを守るためには、時として耐え難い選択が必要なのだ。



もう誰も反対しなかった。彼らの決意があまりにも美しく、尊いものだったからだ。


でも、それがかえって残される者たちの心を重くした。


「田中さん」


田村老人が最後に俺に声をかけた。


「わしらの犠牲を無駄にしないでくれ。そして、忘れないでくれ」


俺は涙が止まらなかった。


「すみませんでした...すみませんでした...田村さん、みなさん、本当に...」


「謝らなくていい」

老人は微笑んだ。

「あんたも辛かったんだろう。娘さんを守りたい気持ち、親ならみんな同じだ」


佐々木花子も俺の前に来た。


「田中さん、明日香ちゃんを大切にしてくださいね。私も娘がいたら、きっと同じことをしたでしょう」


高木も俺の肩を叩いた。


「お前が決断してくれたおかげで、残った人たちは生きられる。それでいいじゃないか」


松井おばあちゃんは、明日香に声をかけた。


「明日香ちゃん、お勉強頑張るのよ。おばあちゃんたちの分まで、たくさん学んで、立派な大人になるのよ」


山田は俺に最後の言葉をかけた。


「田中...俺はあんたを恨まない。でも約束してくれ。この選択を間違いにするな。俺たちが死ぬ意味がなくなる」


彼は妻と息子を抱きしめた。


「パパ、行かないで」

息子が泣いた。


「男だろう。泣くな」

山田は息子の頭を撫でた。

「パパの分まで、ママを守るんだ」


30人全員が、恨み言一つ言わずに避難所を出て行った。


最後に小林主婦が振り返った。


「みなさん、幸せに生きてください。私たちのことは忘れないで、でも悲しまないで。私たちは、みなさんのために人生の意味を見つけられたのですから」


重い扉が閉まる音が響いた時、残された97人全員が泣いていた。


彼らは俺たちに、人間の尊厳とは何かを教えてくれた。


死を恐れることなく、愛する者のために自らを犠牲にする勇気。


それは俺の合理的な計算を遥かに超えた、人間の崇高さだった。


避難所は静まり返っていた。


97人全員が、30人の魂の平安を祈っていた。


そして、その犠牲を無駄にしないよう、精一杯生き抜くことを誓っていた。



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