第3章 分裂する共同体
翌日から、俺たちは秘密裏に準備を進めた。30人の居住区域を徐々に分離する計画を進めようとしていた。
今日もいつも通り食料の配給が行われ、子供たちが笑い声をあげていた。誰もが、これから起こる地獄を知らないまま。
そのはずだった。
「大変です!」
松本が会議室に駆け込んできた。
「住民たちが大騒ぎしています!追放リストのことが漏れました!」
俺は愕然とした。内密で進めると決めたはずだった。
「誰が...」
松本が答えた。
「吉田さんが、食堂で住民たちに全てを話したそうです」
俺は拳を握りしめた。吉田は約束を破ったのだ。
急いで食堂に向かうと、そこには騒然とした住民たちがいた。
「本当なのか!30人を殺すって!」
「誰が決めたんだ!」
「リストを見せろ!」
吉田が住民たちの前に立っていた。
「皆さん、評議会は住民に相談もなく、30人を追放することを決定しました」
住民たちがざわめく。
「これは我々全員の問題です。勝手に進めていいはずがありません」
俺が食堂に入ると、全ての視線が俺に集中した。
「田中!」
誰かが叫んだ。
「これは本当なのか!」
俺は冷静に答えようとしたが、その前に吉田が続けた。
「田中は皆さんには真実を知らせず、秘密裏に30人を始末するつもりだったんです」
「始末って...」
住民の一人が震え声で呟いた。
「そうです」
吉田の声が会場に響く。
「30人を放射能汚染された外に追放する。事実上の死刑宣告です」
食堂が地獄と化した。
「人殺し!」
「そんなことが許されると思ってるのか!」
「お前が出ていけ!」
俺は叫んだ。
「みなさん冷静になってください!落ち着いて!」
しかし、もう手遅れだった。吉田の暴露によって、避難所は完全に混乱におちいった。
大騒ぎのなか、俺は吉田に近づいて問いかける。
「なぜ約束を破ったんですか!?」
吉田は静かに答えた。
「約束?俺は人を殺す約束など、初めからしていない!」
「あなたのせいで、避難所はめちゃくちゃになる!」
「めちゃくちゃ?」
吉田は首を振った。
「これが正常な反応だ。人間として当たり前の反応だ」
「でも解決策はないんですよ!」
「それでも、みんなで話し合うべきだった」
吉田は俺を見つめた。
「お前は間違っている、田中。人間を数字で割り切ろうとするお前は、絶対に間違っている」
俺は反論できなかった。
俺たちへの罵声が飛び交うなか、吉田が住民に対して、勝手なことはさせないと約束する事で騒ぎはなんとか収まった。だが住民たちの不信は高まっていた。
結果として、避難所は二つの派閥に分裂した。
**追放派**:田中を筆頭に、医師の田所、技術者たち、そして追放リストに載っていない住民の多く。「現実的な判断」「生存のための選択」を主張していた。
**反対派**:追放対象者とその家族、そして「人の命に優劣はない」と主張する住民たち。「人道的配慮」「全員で生き延びる方法を探すべき」と訴えていた。
両者の間の空気は日に日に険悪になっていった。
食料配給の際、反対派の一人が「お前らが食いすぎなんだろ」と追放派を睨みつけた。
追放派の住民は「お前らだって同じだろう」と応酬する。
共用スペースで両派閥の住民がすれ違う時、露骨に顔を逸らし合う。子供たちまでもが、大人の対立を感じ取って萎縮していた。
明日香が俺に聞いてきた。
「パパ、なんでみんな怒ってるの?」
俺は答えられなかった。娘を守るために作った基準が、共同体を引き裂いているのだ。
「大丈夫だよ」
俺は明日香の頭を撫でた。
「すぐに終わるから」
でもそれは嘘だった。対立は日に日に激化していた。
追放派の技術者が「あいつらがいると士気が下がる」と不満を口にした。反対派の主婦たちは「子供たちの前でこんな話をするなんて」と憤慨していた。
廊下で追放対象者の一人と顔を合わせた時、俺は目を逸らした。彼の視線に込められた絶望と恨みを見るのが辛かった。
翌日の夜、反対派の集会が開かれているという報告が入った。
「何を話し合っているのでしょうか?」
鈴木が心配そうに聞いた。
「分からない…」
俺は答えた。
「でも危険な兆候です」
実際、翌朝から反対派の住民たちの態度がより攻撃的になった。
「人殺し評議会」という落書きが壁に書かれた。食料配給の際、追放対象者の家族が「私たちには配給する必要ないでしょう?どうせ死ぬんだから」と皮肉を込めて言った。
避難所の空気は、日々重苦しくなっていった。
事態の収拾を図るため、俺は全住民を食堂に集めた公開討論会を提案した。
「民主的に話し合いましょう」
俺は冷静を装った。
「全員が納得できる解決策を見つけるために」
その日の夜、127人全員が食堂に集まった。東側に追放派、西側に反対派が陣取り、中央に評議員席を設けた。
空気は既に殺気立っていた。
「それでは、率直な意見交換を...」
佐藤が司会を始めようとした時、反対派の一人が立ち上がった。
「意見交換?笑わせるな!」
それは清掃員の中村だった。65歳、軽い認知症。60点で追放対象者の1人だった。
「俺たちを騙して…殺そうとした奴らと今さら話し合いだと?」
追放派の住民が反論した。
「殺すんじゃない!生き残るための苦渋の選択だ!」
「苦渋?お前らは安全圏にいるくせに!」
討論会は、互いの不満をぶつけ合う場と化した。
「親父が死ねばいいってのか!」
追放対象者の家族が叫んだ。
「仕方ないだろう!」
追放派の住民が声を荒げた。
「全員で死ぬよりはマシだ!」
「誰が決めたんだ、その基準を!」
「数字を見ろよ!このままじゃ半年しか持たない!」
「じゃあお前が代わりに出て行け!」
「馬鹿言うな!俺はここで役に立ってる!」
罵声が飛び交い、議論は完全に平行線をたどった。
俺は必死に状況をコントロールしようとした。
「冷静になってください! 感情的になっても解決しません」
「冷静…?」
追放対象者の娘が立ち上がった。
「家族が殺されかけてて、冷静なやつがどこにいるのよ!?」
会場がざわめいた。
「あんたと娘は安全なんだろうな、田中?」
反対派の住民が俺を指差した。その言葉が俺の心臓を直撃した。確かに明日香は追放リストに載っていない。俺が基準を作ったからだ。
「基準は公正に...」
俺が反論しかけた時、反対派の住民が俺に向かって歩いてきた。
「公正?笑わせるな!」
彼は拳を握りしめていた。
「お前らだけは絶対に安全な基準を作りやがって!」
反対派が俺に掴みかかろうとした瞬間、追放派の住民たちが立ち上がった。
「やめろ!」
「暴力はダメだ!」
しかし反対派も負けていない。
「田中を守るのか!」
「こいつがリストの提案者だ!こいつは…人間の敵だ!」
食堂全体が騒然となった。
椅子が倒れる音、子供たちの悲鳴、大人たちの怒号が入り混じり、シェルター全体が狂気に包まれていく。
暴動が起こる。もう、この流れは止められない。