『……っていう夢を見たのよ』
私が今みたいな姿になったのは、一体いつからだろう?
ううん、本当はわかっている。私が小学生の頃、一冊の漫画に出会った。
それは可愛い主人公がカッコいいヒーローと恋をする、オーソドックスな恋愛漫画。何気なく立ち寄った書店で、新刊にも関わらず隅にぽつんと一冊だけ置いてあった。
どうしてそれに惹かれたのかわからない、だけど足を踏み入れた途端、私の目はその漫画に吸い寄せられるように釘付けになった。手に取るまでそう時間はかからなかったと思う。
初めて自分で買った漫画。今でも大切に取ってある。
家に帰り、何度も何度も読んだ。隅から隅まで読み尽くした。
その漫画の中に、私には好きな登場人物がいた。
主人公じゃない、ヒーローでもない。その好きな登場人物とは。
主人公の友達の、カッコよくてクールな女の子だった。
なんでも自分で出来て、主人公が持ち寄る相談も簡単に解決策を見つける。そんな『デキる』女の子に――――私は憧れた。
次の日から、その女の子になるべく立ち振舞を変えた。当時の豹変っぷりは両親も度肝を抜かれたと思う。だけど理由が漫画と知るやいなや、両親の心配は露と消えた。
おそらく、飽きれば元に戻ると思ったんだろう。特に反抗期というわけでは無かったので、子供の自由な思想を阻害しない方法を選んだのだ。
だけど私が成り切る期間は、一年続いた。一年続いたかと思うと、更に二年続いた。
二年から三年へ、そして四年、五年。その頃には両親は私の『元』を思い出せなくなっていた。カッコいい、デキる女の子になろうとしていた『私』が、皆が見ている『私』になった。
クラスでは委員長に相談するべき事柄も、何故か私に相談が届いていて。クラス全体を仕切るのを、何故か先生に任されたりも。
後悔はしていない。なりたい『私』になれたのだから。
だからだろうか、恋というものを知らないのは。ああ……そういえば、漫画でも友達だけは相手役となる男の人は出てこなかった。孤高で、クールで、全て自分で出来てしまうパーフェクトな女子。
好かれるのではなく……頼られる、心強い友達。
それは中学校に上がっても、高校でも――――職場でも。なりたかった『私』は、皆が求める『私』になっていた。
同期よりも多く割り振られる仕事。そこに不満はない、けれど。
あの漫画の主人公みたいなふわふわした同僚は、私の半分以下の仕事量。そう、いつだって好かれるのは主人公みたいなキャラクターで、頼りにされるのは友達のような『私』。
もしも、漫画を初めて見た時に、友達にではなく主人公に憧れていたのだとしたら、どうなっていたのかな。
皆に好かれる女の子だったかな、それとも結局今みたいな『私』になっていたのかな。
重ねて言うけれど、後悔している訳じゃあない。
これはただの妄想、今とは違う世界線に思いを馳せる、眠る前のほんの頭の中のお遊びだ。
だけど、今は妄想に走る前にふと思う。
主人公みたいなキャラクターは、彼を助けることが出来たかな?
学生時代の友人とは全て疎遠になり、いま唯一友人と呼べるのは年下の彼だけだ。
大きな苦悩を持った彼を、助ける存在にはなれるのかな?
だから、後悔はしていない。むしろ――助けることが出来た『私』を、誇りに思うのだ。
――――――――――
「…………っていう夢を見たのよ」
「夢!? 思ってることじゃなくてですか?」
「いや、思ってることは思ってるんだけどね、まさか夢にまで見るなんて……」
週末のファストフード店、ポテトをつまみながら早乙女さんが言う内容は、過去の回想を夢に見た……という一風変わった内容だった。
漫画のキャラクターが好きになるのは理解できる。だけどなろうとする人は初めて見たかも。
ひょっとしたらとても稀有な存在なのかも、そう思うと早乙女さんの顔を凝視している僕がいた。
「ちょ、ちょっと……あんまりジロジロ見ないで。今日はいつもより化粧薄めなんだから」
あまりにも不躾な視線過ぎたのか、顔を赤くしながら目を背けられた。
「ご、ごめんなさい。でも、綺麗ですよ」
「えっ……」
失礼な態度をしていたことを申し訳なく思い、フォローするために僕は矢継ぎ早に言葉を続ける。
更に真っ赤になった早乙女さんには気付いていなかった。
「肌が綺麗だからでしょうか? 薄い方がより透明感があって、とっても可愛いですよ?」
「あ、ああ、あ、ぁっ…………!」
と、僕はここで早乙女さんが耳まで真っ赤なことに気付く。
顔を背け、横顔すらも手で隠し。見えているのは赤くなった耳だけ。
その状態で十秒くらい……かな? 大きく深呼吸をした早乙女さんの表情は、まだ少しだけ赤かったけどさっきほどじゃあなかった。
「…………本当に、五十嵐くんと話してると、女子と一緒にいるみたいに思えるわね」
「そ、そんなあ……」
僕としては、薄い方が似合うって言いたかったんだけれど……。
「何処でそんな言葉を覚えてくるのかな」
少し頬を膨らませ、横目で軽く睨んでくる早乙女さんの表情はとても可愛らしい。
いつもはカッコいい彼女でも、褒め殺しには弱いみたいだ。覚えておかなくちゃ。
「クラスの中では女子の中に紛れ込んで擬態しているので、自然とそういう会話が多くて……」
「…………ああ、なるほどねー。女っぽいのも大変ね」
「僕は女っぽいんじゃないです、男らしくないだけで」
今度は僕がむくれる番だった。
「あ、ごめん……でも、そんなに違うかな……?」
「全然違います。例えるなら……」
と、視線を彷徨わせ……一つの物に目が留まった。僕は指でつまみ上げ、早乙女さんに見せる。
「このポテトと、冷凍食品のポテトくらい違います」
「…………美味しいメーカーもある、ってこと?」
「確かに………………って、そうじゃなくってっ」
何かで例えて納得させてみたかったけれど、上手くいかなかったみたいだ。
他に何か無いかと視線を巡らせるけれど、思いつくものは何も無くて。早乙女さんがクスクスと笑う声で僕の視線は彼女の笑顔へと吸い寄せられた。
「ごめんごめん、気にしてるんだもんね」
「はい、気を付けて貰えると助かります」
ちょっとだけ膨れ顔で言うと、早乙女さんは笑顔で頷いた。
「はい、気を付けます」
「…………」
その笑顔が綺麗で、僕は少しだけ見惚れてしまう。だけどすぐに気を取り直して、元の本題へと戻ることに。
「そ、それより……主人公みたいなキャラクターだったら助けられなかったかも……って言ってましたけど」
「え? うん」
「僕は、助けてくれると思いますよ」
「……そうかな?」
甚だ疑問、といった感じだけれど、僕は断言できる。助け方に程度の違いこそあれ、中身は早乙女さんなんだから。
早乙女さんである限り、そういった正義感は消えない、はず。
「はい、だって早乙女さんですから」
「私、だから……」
理解してくれるかはわからない。だけど理解してくれなくても良い。僕はそう信じている。
「ありがとね」
いえ、と短く言って少し顔を背ける。今になって、自分がどれだけカッコつけたことを言ったか自覚しはじめていたから。
「カッコよかったじゃん」
そう言って僕の頬をつつく早乙女さん。振り払うことも出来ずに、僕はされるがまま。
「……あ、もうこんな時間かぁ」
「本当ですね……」
店内にいると気付かないけれど、外を見れば空も暗くなり始めていた。
昼ごろから夕方までなので、時間はあっという間に過ぎてしまう。それが楽しければ尚更だ。
「あ、五十嵐くん。お願いがあるんだけど……」
「はい、なんでしょう?」
食べ終わったゴミを片付けながら、背中越しに早乙女さんの言葉を聞く。
「来週……早く会うことって……出来るかな?」
「たぶん大丈夫ですけど……?」
僕の声を聞いて、早乙女さんの声は明るくなる。
「良かった、じゃあね、えっと……遊園地に行かない?」
「遊園地……?」
小さい頃行ったっきりの、テーマパークの総称だった。
「うん、昔行ったことはあるけど、大きくなってから行ったことないから」
「良いですね、行きましょう」
「やったっ! じゃあ、また来週ね!」
こうして。
来週の予定も決まり、お互い別れて帰路につく。
「…………」
来週のことを考えていると、少し浮かれていることに気付く僕だった。




