『僕を男にしてください!』
あれから、数日が経ちました。
僕は紙袋を持って、とあるマンションの前をウロウロする。
通りかかる人が訝しげに僕を見ていたけれど、気にしている場合じゃない。
「…………すう……はあ」
何度目かもわからない深呼吸。手に持った紙袋を胸に抱いて、また深呼吸。
気まずさと、緊張感で胸がいっぱいいっぱいになりながらも、僕はウロウロ彷徨い続ける。
ウロウロしていると足が痛くなってしまって、マンション前で座り込んだり。
制服を汚したくないから、お尻は地面に着けずに浮かせたまま。だけどそんな格好が長く続くわけもなく、また立ち上がってはウロウロする。
どうしよう、もう帰ろうかな。いやダメダメ、ちゃんとしないと……。
悪魔の囁きと天使の囁き。二人の声をステレオに受け取りながら、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。
その時だった、通りの向こう側から歩いてくるスーツに身を包んだ女性。
この前のお姉さん。
まっすぐ歩いて、家であるマンションへと向かってくる。
やがて僕の姿を視界に捉えたのか、僕と目が合った。
「………………」
心臓がバクバクする。
緊張から気道が狭くなって、呼吸が浅くなるのがわかる。
そしてお姉さんは目の前に。そして――
「…………」
僕の横をすり抜けていった。
……あれ?
忘れられてる、のかな。いやそれとも、もう僕とは関わり合いになりたくないとか。
確かに女性と偽って……いや偽ってはいないんだけれど……結果としてそうなってしまったのは間違いないわけで。
そんな嘘つきとは、話したくもないよね……いや、でも!
僕は思い切って振り返る、すると。
「…………」
お姉さんも振り返って僕を見ていた。
目をまんまるに見開いて、閉じた口はやがて大きく開く。
開いた口を片手で覆い隠し、空いた手の人差し指を僕に突きつけて、こう言った。
「あ、あああぁぁぁぁーっ!! あ、あの時の!!」
思い出してくれたみたいだ。それが僕にとって良い事か悪い事かはわからない。
だって、今睨まれてるし。
「……なに、何か用?」
無理もないけれど、僕のことを警戒してるみたいだ。
そんなお姉さんの前に立つ。お姉さんは僕を見て不信感を隠そうともしない。そんなお姉さんに僕は……。
「あの時は、どうもすみませんでした!」
ちょっと裏返ってしまった。
けれど、誠心誠意謝罪をするために僕の腰を直角に曲げて、謝罪の姿勢。
持っていた紙袋をお姉さんに突き出す。
「これ、あの時の服と……お詫びのお菓子です!」
女性用のパジャマで帰った時のこと。
お母さんに見つからないように隠れて家に入ろうとしたけれど、偶然玄関先にいたお母さんに見られてしまい、追求されてしまった。
その時に包み隠さず白状すると、お詫びのための菓子折り代を貰ったので、こうして買ってきた次第。
ちなみに、後から聞いた話だと、菓子折り代は僕のお小遣いからの天引きらしい。
「……男の子が着た服を、返してもらっても、ね……」
「も、もちろん洗濯はしてあります!」
「わかった……。じゃあ」
憮然とした態度で僕の手から紙袋を受け取り、お姉さんはマンションの中に入ろうとする。
あ……だ、ダメだっ、今言わないと……っ!
「お、お姉さん! お願いが……あるんですっ!!」
お姉さんの足が止まった。
しかし振り返りはしない。だから僕は、お姉さんの背中に向けて、大きく叫んだ。
僕の望みを、希望を、願望を。
「僕を――――男にしてください!!」
「へぇっ!?」
あらん限りの声で叫んだ。
それが功を奏したのか、お姉さんは振り返ってくれた。だけどどうしてだろう、お姉さんの顔は真っ赤。
「お願いします、僕……男になりたいんです!」
「あ、あのっ! キミ……!?」
また腰を折り曲げて、深々と頭を下げる。
今ここで頑張らないと、僕は一生このままだ……!
「僕、お姉さんに……男にして欲しいんです!!」
ざわざわ。ざわざわ。
通りがかりの人がざわめいているのが耳に届いた。
だけど今はそんな喧騒よりも、僕は……!
「僕は、お姉さんが――――!!」
「す、ストーップ!!」
お姉さんは素早く僕の傍までやって来ると、僕の口を慌てて塞ぐ。
「むぐっ!?」
「と、とりあえずこっち……! って、家はダメか……そ、そうだ、ファミレス! ファミレス行こう、ね!?」
口を塞がれている僕は何も言えず、お姉さんに引きずられるように連れて行かれた。
――――――――――
「はあ……っ、はあ……!!」
最後の方は僕を抱えるようにして移動していた為か、お姉さんの息は荒い。
ここは有名チェーンのレストラン、他の席には学生たちや家族連れ、一人で来ている人もいる。
「あの……?」
僕が話そうとすると、お姉さんは手のひらをこちらに向ける。細く長い指先、手相には詳しくないけれど、きっと綺麗な手相に違いない。
「ちょ、ちょっと待って……!」
コップになみなみと注がれたお水を、お姉さんは一息で飲み干す。そうして荒い息を整えていった。
「ふう…………」
大きく息を吐いて、呼吸を整え。乱れた髪を整えて背筋を伸ばせば、僕の見たことがある格好良いお姉さんだった。
「それで? 何の話だった?」
「あの……僕を、男に――」
「ごめんストップ! 何の話かは知ってた!」
またもや手を突き出して止めるお姉さん。僕は言われた通りに口を噤む。
何度か深呼吸するお姉さんを、ぼんやりと眺める。
長いまつ毛に、綺麗な顔立ち。美人というのは、お姉さんみたいな人のことを言うんだろう。
「……それで、男にって……意味わかって言ってるのよね?」
まだ少し気持ちの整理がついていないのだろうか、少し混乱した様子だった。
だけど僕はすぐに頷く。何日も考え抜いた結果だから。
「はい。僕はお姉さんにして欲しいです」
突然お姉さんは顔が真っ赤に。何故?
「そ、そんな事言われたの……初めて。しかも、そんなストレートに……」
「これが、僕のずっと願っていたことですから!」
「ずっと!? 会ったの数日前なのに……!?」
「初めてお姉さんを見た時に思ったんです。ああ、この人しかいない……って!」
「え、それって……一目惚れ、ってやつ……よね、え、でも……それで男にって……ちょっと勇み足過ぎないかな……」
確かに、少し気が逸っているのかもしれない。けど思い立ったが吉日とも言う。この機会を逃せば、僕の願いはずっと叶えられないかもしれないから。
「そんな事無いです。僕にはもうお姉さんしかいません」
「………………そんな、でも、キミだってまだ若いんだし……」
お姉さんの顔はどんどん真っ赤に。走ってきたから暑いのかな? パタパタと顔を手で仰いでもいるみたいだし。
「だからこそ、出来るだけ早くしたいんです」
「し、したい!? そんな……私だってまだ……」
僕がこうなりたいと思う人は、今まで生きてきた中でお姉さんだけだった。
だから、僕は絶対にこの機会を逃したくないんだ。
テーブルスレスレまで頭を下げる。僕には頭を下げて頼み込むことしか出来ないから。
「お願いします! 僕は……男らしくなりたいんです!」
「キミも思春期だし、そういうのに興味がある年頃だっていうのはわかるけど……でも、そんな一回あっただけの人に……って…………………………男、らしく?」
「はい。僕が絡まれていた時に助けてくれたお姉さんを見て、思ったんです。男の人相手にも怯まない度胸、咄嗟に嘘をつける機転。どれをとっても……僕の思う男の理想像だって!」
「………………」
赤かった顔が戻っていく。良かった、もう暑くなくなったんだ。
「だから、僕に教えて欲しいんです。どうすれば、お姉さんみたいになれるのか!」
赤みが引いたお姉さんの顔は、今度はどんどんと引きつっていく。一体どうしたんだろう?
「あ、あの……?」
引きつっていた表情が、今度は怒っているような気がする。ぼ、僕……なんか、した、かな?
「…………ふ、ふうん……男にして……じゃなくて、男らしくなりたい、ね……」
お姉さんは震える手でコップを持つ。だけどその中身は空だった。
僕は即座にコップに水を注いでいく。けれど、震えるコップに水をいれるのは至難の業。
なんとか零さずに水を注げたけれど、震える手はコップの中身をテーブルの上に撒いていく。
「…………や」
「や?」
「ややこしいわね!!」
ダァン、とコップとテーブルに叩きつける。苦労して入れた水は大半がテーブルへと飛び出していった。
ファミレス中に響き渡る怒声。
それは店内の注目を一つのテーブルに集めることが容易なほどの、大声量だった。




