『え? うん、そうだけど……?』
「早乙女くん、土曜日出張に行ってくれないかな?」
は?
帰り支度をしていた頃に、課長に呼び止められた。
って、今なんて言った? 出張?
「私、ただの事務なんですけど……」
「だから?」
「いや、だからって……」
営業でもないのに、事務が出張に行って何をするんだろうか。そもそもすることあるの?
「まあ、頼むよ。仕事が出来るキミが行ってくれれば円滑に話も進むと思うんだ」
「そもそも、何のための出張なのか知らないんですけど」
「詳しいことは彼から聞いてちょうだいな。じゃ、私は帰るから、お疲れ」
え、いや、ちょ。
私の疑問の声は誰かに丸投げして、自分は早々に退社していった。
お疲れ様でーす、という誰かの声を背中に残し、私は呆然とする。
……彼? 彼って誰? 誰に聞けばいいの? というか私に拒否権は!?
…………あるわけないかぁ。これも悲しき社員の定めというべきかな。しょうがない、行くのはしょうがないとしても、一体誰に聞けば良いんだろう?
「……あのー」
「きゃわぁっ!?」
背後から声を掛けられ、驚きに飛び上がりながら距離を取る。
あ、確かえーと……営業の片岡さん、だっけ。
「何かご用ですか?」
咄嗟に佇まいを正し、いつも通り対応するけれど、さっき驚いてしまった汚点は消せない。
「すみません、明日からの出張なんですけど……」
ペコペコと頭を下げながらタブレットを手渡してくる。
そこにあるのは、新商品のプレゼン用のレイアウトだった。というか昨日の夜私が校正したやつだ。
「明日明後日と、県外の取引先にプレゼンしに伺うんですが……早乙女さんにも、同行してもらう話になっていると思うんです……けど……?」
なるほど、同行する理由はわかった。けれど。
「どうして私が?」
さっきも言ったように、私はただの事務員。する業務といえばファイリングや編集、電話対応や来客への対応。営業とは無縁の職務内容なんだけれど。
「いや……課長が指名したと聞いてるんですけど」
……あの課長。説明が面倒だからって丸投げしたな……。
恨みの一つや二つもいいたいところだけれど、片岡さんに言ってもしょうがないし……。
ここは大人の対応。清濁併せて呑み込んで……いや、今回に限っては『濁』しか無い気もするけれど、ええい、とりあえず呑み込むぞっ!
「――では、明日何時に何処で?」
来客対応への営業スマイル。裏では恨み辛みが渦巻いているけれど、それは脇へポーイ。
「え、あ、は、はい。明日十時に駅前でどうですか?」
「はい、わかりました。宿泊場所の予約などの進捗は?」
「それはもう済んであります……ええと、ここです」
少し安めのビジネスホテル。まあ、会社から出てるお金ならしょうがないか。
「承知しました。じゃあ本日はお疲れ様でした」
帰って五十嵐くんに電話しよう、そうしよう。このストレスは彼にしか発散できない、うん。
だっていうのに。
「あ……あの、早乙女さん! よかったらこれから一杯どうですか!?」
「…………私、ですか?」
自分のことを指差すと、コクコクと頷いていた。まあ、この会社に早乙女って私しかいないんだけど。
でも、なんで?
「い、一緒に仕事するの初めてですし……親睦を深めるのも、いいかと思いまして……予定があるなら! いいんですけど……」
後半は何やらモゴモゴしていて聞き取りづらかったけれど。
……ん~…………このままじゃ五十嵐くんに愚痴ってばかりで嫌な思いさせちゃうかもしれないし……少しくらいならいいかな?
「では、一杯だけ」
「っ……!! は、はいっ! 行きましょう!!」
食事も兼ねて大衆居酒屋へ。
……なんだけど、一言で言うならば。
楽しくなかった。
不自然な沈黙が続いたり、かと思えば片岡さんの自分語りが始まったり。
沈黙したままも辛いので彼の趣味について話を広げたりもしたけれど、興味がないので……これがまーつまんないこと。
「早乙女さんは週末何されて過ごしてるんですか?」
週末は女の子みたいな若い男の子と毎週のように遊びに出かけてますぅ~。
……なんて言えるわけもなく。言ってしまったが最後、彼にも私にもあらぬ疑いと噂が飛び交うに違いない。
「運動や……読書、ですかね?」
そんな感じに、お茶を濁すようなことしかいえなかったり。
飲むお酒があんまり美味しくないのは、お酒が悪いから……じゃないんだろうなあ。
……あー、早く五十嵐くんと話したいなぁ。
………………
…………
……
苦痛とも思えた飲み会は終了。家まで送ろうかと言われたけれど、冗談じゃない。
まったく酔うことも無くシラフそのものだったため、丁重に辞退させていただいた。
帰宅するなり靴を脱ぎ飛ばし、リビングのソファーに座ってスマホをセット。
そしてビデオ通話を……開始、っと。
少し待った後、スマホには五十嵐くんの顔が映された。あー……やっぱり癒やされるなぁ。
「あ、もしもしー? 五十嵐くん、ただいまー」
自然に笑顔になるのがわかった。そして手をふりふり。
『おかえりなさい早乙女さん。……あれ? なんか顔が赤くないですか?』
え、嘘?
まったく酔った感じがしなかったんだけど、顔だけ赤くなってる? 思わず頬に触れてみたり。あー、手が冷たくて気持ち良い。
…………いやいや? なんか少し酔ってきた気がするよ? 心なしかフワフワしてきて、なんだか楽しくなってきた。
土曜日が仕事になってしまったことを伝えると、五十嵐くんは少し寂しそうにしていたけれど来週にずらしてくれた。
きっと、自分も部活でキャンセルしちゃったこともあるしなぁ……とか考えてるんだろうなぁ。可愛いなぁもう。
彼を見て安心したことで、酔いが急速に回り始めたんだろう、自分でもどうしてかわからないけれど、水を飲むところをこれ見よがしに見せつけたりしていた。……マジでなんで?
酔ってないはずだったのに、急に眠くもなってくるし……やっぱ癒しの存在だなぁ。
その日は会話もそこそこに、通話を終了。
ふわ……お風呂入って寝ようかな……。
――――――――――
「おはようございます」
朝十時。予定時間通りに片岡さんと駅前で合流した。
「お……おはようございます。あ、えっと……それ、持ちますよ!」
それというのは、私が持ってきていた着替えや仕事道具一式が入ったカバンのこと。
「大丈夫です。私物ですから」
丁寧に辞退して、構内へと向かうことにした。
電車の中でも大した会話はなく、私はプレゼン内容のチェックを繰り返していた。
といっても私がプレゼンをするわけじゃない。私がするのは精々円滑に進むための裏方のような作業ばかり。
サンプリングを用意しておいたり、プロジェクターに表示するフォルダの整理をする。それくらいなもの。
確かに、私がいた方が片岡さんは楽に商談に入れるだろう。だけど……これ、本当に私必要だったのかな?
うーん、まあ……商談に専念してもらう……という意味では必要なのかも?
こうして一泊二日の急な出張は、淡々と仕事をこなして終了するのだった。……これって、代休ついたりしないのかな?
そして帰ってきた日曜日の夜、明日も仕事だったけれど、私は五十嵐くんと話したくて仕方がなかった。
『…………もしもし?』
スマホに映った五十嵐くんの表情は……あれ、なんか暗い?
「もしもし? ただいま五十嵐くん!」
気の所為かもしれない。私はあまり深く考えていなかった。
「いやー、本当に疲れたよ~。まさか二日間の休日返上で働かされるとはね」
これでも明日普通に仕事があるっていうのが驚きだよね。まあ、行かなきゃいけないんだけど。
だけど、五十嵐くんからの返答は特に無かった。スマホを見ているわけでもなく、唇を少し噛んで伏し目がち。
「……あれ? もしもーし、五十嵐くん?」
パッと顔を上げたかと思うと。
『…………仕事だったんですよね?』
「え? うん、そうだけど……?」
あれ? 言ってなかったっけ? いや、言ったはず。
妙なことを言うんだね、仕事だったんですよねって……。仕事じゃなかったら私は五十嵐くんと遊びたかったんだけどな。
今日は全然、スマホを――私を見てくれない。
『ごめんなさい、今日はちょっと体調が悪くて……』
え? そう言いながらスマホに伸びる指が……。
「五十嵐くん? ちょっと、あれ、もしもし?」
……切れた。
今日はどうしたんだろう?
本当に体調が悪かったのかもしれない。うん、きっとそう。
明日の夜にもなれば、いつも通り通話をしよう。そうしよう。
………………だけど、今の私は知らない。
これから何週間も、彼と連絡がつかなくなることを。




