『人は絶世の美女を目の前にすると、理性を失うものである』
雲一つない空、見上げると鳥が数羽群れを作って飛んでいた。
風が吹く、清涼な風が僕の胸を通っていって、残ったのは河川敷の草の香り。
とっても清々しい気持ちだ、こんな日に行う部活動はさぞ気持ちの良い――
「んじゃ、さっさと終わらせてパチンコ行きてーから、ちゃっちゃとやっちまうぞー」
怠惰に浸かりきった土井先生の言葉で台無しになったとさ。
「…………」
予定通り、週末は動研のフィールドワークにやってきた。家を出るまでは面倒に思っていたけれど、いざ外にでてみると、これが中々案外楽しい。
早乙女さんと会う以外はほとんどが家に引きこもっていたから、見晴らしの良い場所がこんなに気持ちが良いって知らなかった。
さて、皆はもう作業に入ってるみたいだし、そろそろ僕も………………。
「あの、土井先生」
「なんだ、っつーか瀬戸はどうした」
「たぶん……急用が出来たんだと思います」
自主休校と言う名の急用が。
「これ、何すればいいんですか?」
部活動必須の学校に置いて、籍を置くだけの部活はそう多くない。
どの部活も熱心に活動していて、時折校舎に垂れ幕が掛かっているのを見たことがある。
吹奏楽部が何かに優勝したー、とか、野球部が何かの何かに出たー、とか。
そんな感じの熱血感溢れる空気とは程遠い教師、土井先生が顧問を務めるこの動植物研究部以外。
「何ってお前、動植物を研究するんだよ」
呼んで字の如し。なるほど、だけど僕が知りたいのはそうじゃなくて。
「言っとくがな。籍を置いてるってーのに全然来なかったのはお前と瀬戸くらいだからな。他の奴らは存外真面目に来てる」
「そうなんですか?」
ああ、とダルそうに頷いて、草の上に寝転ぶ土井先生。
「言ってしまえば、これも研究よ。手入れされた草の上の寝心地はどんなもんか、ってな。ふぁ~……とっても気持ちいい…………」
……そのまま寝てしまうんじゃないかな。大きなあくびと共に目を閉じる土井先生。
ダメだ、この人は当てにならないみたいだ。他の人に話を…………。
皆がいる方向へと視線を向けると、それぞれが視線を落として屈み込んでいた。一見すると落とした小さなナニかを皆で探しているような光景だけど……。
「あの、すみません」
全員の背中越しに声を掛けてみるけれど。
「………………」
誰も何も言わない。背中はまるで岩のよう。
男子が四人、女子が二人。それぞれがグループを組むわけでもなく、散らばってスタンドプレイに専念しているみたいだ。
研究……研究ね……。
研究、特定の物事について知識を駆使し、調査や実験を行って詳らかにすること。
そして研究対象は動植物、つまり動物と植物。
土井先生よりも少し離れた場所に腰掛け、物言わない岩のような背中を眺める。
時折もぞもぞ動いていることから、岩でないことは確かだけれど。コミュニケーションはどうやっても取れそうもない。
…………もう、これで良いんじゃないかな。
「土井先生、土井先生」
「んぁ……? なんだ?」
「出来ました」
スラスラと紙に研究内容と結果を書いて先生に手渡す。
寝ぼけ眼を擦りながら、僕が渡した紙に視線を落とす土井先生。
「えー……なになに……? 『部活動におけるスタンドプレイについて』……」
僕が書いた内容を読み上げていく。
「『チームプレイを必要としない研究活動では、比較的単独行動を好む傾向に見られる。友好関係を結んでいないと、特に顕著に見られる』…………」
動物、つまり人を観察、研究した結果だ。研究対象が人間であっても問題はないはず――
「却下だ」
「…………」
どうして、とは言わない。やっぱり、って感じかな。
「こんなもん出したら俺が顧問クビになるわ」
紙を突き返される。何をすればいいかわからなかったため、半ばヤケクソに書いたものだっただけに、僕は素直に消しゴムで全部消していく。
「別に仲良くする必要なんてないけどよ、表面上は協力関係って感じじゃねえと、俺の査定に響くんだよな」
「あけすけすぎませんか」
それに、ずっと背中を向けているのは彼らなんですけど……。
どうしたものか、と嘆息すると。
「あ、いた。五十嵐くーん」
女性の声がした。その声は何処か聞き覚えがあって。
「……あれ? 早乙女さん?」
声の方向を見ると早乙女さんで。格好がいつもとは系統が違うので、一目ではわからなかった。
身に纏っているのは白色のジャージ。髪の毛は動きやすいように結ばれていて、いつもとまるで印象が違う。
「…………っ!? ……っ!?」
そして僕の隣では土井先生が目を見開きながら口をパクパクと開閉する。
河川敷の下を見ると、背中を向けていた人たちも見上げていた。
「良かった、すぐに見つかって。もう反対側の川辺も見てたら大変だったもんね」
「どうかしたんですか?」
僕がそう尋ねると、早乙女さんは何処か悪戯めいた笑顔を見せる。
「んー、用があったわけじゃないんだけど、ただ会いたくて」
その笑顔と言葉の内容に、少しドキッとする。
僕が動揺している間も、早乙女さんは僕の制服を上から下まで眺めていて。
「へえ……制服着てるとそんな感じなんだね」
「といっても、初対面の時に見てますけどね」
あの時は僕のことを女子だと思っていたみたいだけれど。
「ああ、そういえば……でも、あの時はパンツに動揺してそれどころじゃなかったし」
「ぱ、ぱぱぱパンツぅ!?」
横で土井先生が素っ頓狂な声を上げる。そこでようやく土井先生の存在に気付いたようで、早乙女さんは笑顔を見せる。
「初めまして、早乙女と申します。五十嵐くんがいつもお世話になっております」
それはいつも僕に見せる笑顔ではなくて、何処か事務的というか……仮面を被ったかのような笑顔。
だけど土井先生は初対面、笑顔の違いに気付くわけもなく。
「い、いえいえ! 五十嵐にはいつも助けられております!!」
僕、何もしてないけどね。部活だって参加するのもかなり久しぶりだし。
「そうですか。それは良かったです」
早乙女さんは笑顔で応対、河川敷の下にいる同じ制服の子たちにも会釈をする。
その後僕を見て、ニッコリと笑う。やっぱり、他の人たちとは違う種類の笑顔だ。
「じゃ、五十嵐くんの顔見れたし行くね。それじゃ」
「え? 会いに来てくれただけですか?」
「うん? そうだよ? 今度泳ぎに行くんでしょ、だから身体づくりも兼ねて……ね」
「一人でやらなくても、僕も付き合いますよ?」
そう言うが、早乙女さんは困ったように笑みを零す。
「うん、それも楽しみだけど……疲れてみっともないところを見せられないからね。大人は水面下で必死に頑張ってるものなのよ」
体力の無さなら僕も負けない。
……のだけれど、これも早乙女さんの気遣いなんだろう。僕があれこれ言うのも野暮かもしれない。
「じゃあ、また来週ね」
「はい、また来週」
最後にお互い手を振って、早乙女さんは背中を向ける。
背筋を綺麗に伸ばして、腕をしっかりと振りながら去って行った。
「おい……おい、おいおいおいおい五十嵐!!」
「え、え……え、なんですか?」
早乙女さんが去った後、土井先生は食って掛かる勢いで僕の肩を掴む。
そして前後にグラグラと揺らす。あ、あああ、視界が揺れる。
「だ、誰だよあの美女! あんなに綺麗な女を見たのは生まれて初めてだぜ!?」
「う、うん……遠くで見てもあんなに綺麗な女の人っているんだな……」
「私もビックリした。変な扉が開いちゃいそうだったもん」
「それは閉めときなさい……いや、開いても良いけど。でも綺麗な人だったね」
いつの間にか部活の人たちも上って来ていて、早乙女さんが去っていった方向を見ながら恍惚と言葉を漏らす。
「姉か!? でも五十嵐…………早乙女? 名字が違う……腹違いか!?」
土井先生の想像がどんどんと飛躍していく。もはや妄想の域だ。
僕は深く息を吸った後、先生と他の人を見回して……指を立てる。
「『人は絶世の美女を目の前にすると、理性を失うものである』」
「だ、誰が…………いや、お前の研究結果はそれでもいいから、教えろ」
こうして、何をすればいいかわからない研究は一つの山場を越えた。
…………それで、先生たちに早乙女さんのことを言ったかどうか?
言ってないんだ。あれこれ人に吹聴して回ることでもないし…………今の関係が楽しいから、それを壊されたくないから。




