狂信の誓い (父視点)
虐待表現が含まれています。
苦手な方は飛ばしてください。読まなくても本編を読むのに支障はありません。
アイヴァンの父親、ギルバート・ソーンヒル伯爵は城の庭園を歩きながら、王族の居住区を見つめていた。
彼の心はいつも一人の女性に向けられていた。それは王妃ユリア、その人だった。
若かりし頃、伯爵家の嫡男とはいえ一介の騎士に過ぎなかったギルバートが初めてユリアを目にしたのは、王太子の婚約披露の場であった。彼女の美しさに多くの若者たちは心を奪われた。微笑むだけで、部屋中の空気が和らぐような、そんな女性であった。
しかし、彼女の生まれは子爵家で、王家が貴賤結婚を許すなど前代未聞だと大半の貴族たちは反対したが、当時は王太子であった国王が強行したのだった。ギルバートも最初はそんな一人だった。
そんなある日、周辺国からの暗殺者が王宮に侵入し、王族を狙ったことがあった。
ギルバートは護衛任務中であり、その危機に際して身を挺して王妃ユリアを守ろうとした。暗殺者の放った毒矢が彼の肩に突き刺さり、致命的な毒が体内に広がり始めた。
『ユリア様、お逃げください……』
意識が薄れゆく中でギルバートは言った。
しかし、ユリアはその場を離れず、彼の傍らに膝をつき、手をかざした。彼女の手から発せられる温かな光がソーンヒル伯爵の体を包み込み、毒が浄化されていくのを感じた。
『貴方の勇気ある行動を誇りに思います』
そう言って微笑んだユリアを見て、彼は決めたのだ。彼女のために生きることを。
王家が他の婚約者候補たちを切り捨ててユリアを選んだのは、彼女が聖なる力を持つ者であったからだ。ユリアの持つその力は奇跡と呼ばれるほどであり、彼女の存在は王家にとって非常に重要だった。反対派の貴族たちもユリアの輿入れを、この事件をきっかけに支持するようになったのだった。
以来、ギルバートはユリアのために数多くの任務を遂行した。
彼の忠誠心は周囲からも評価され、騎士団長にまで昇進することになった。だが、彼の心は常にユリアと王族たちに向けられており、家族のことは二の次になっていた。
ギルバートと妻との結婚は政略結婚に過ぎず、彼の心は初めからそこにはなかった。
妻との間に二人の子に生まれたが、ギルバートはユリアを優先し続けた。愛想を尽かせた妻は領地に下がって、別邸で愛人と過ごしているという。それを聞いた彼は特に何も思わなかった。愛がないのだから、思い悩むことなどなかったのだ。
彼にとって、残された子供たちは単なる駒に過ぎない。王妃とサディアス王子のために生きる存在であり、それ以外の価値はない。ギルバートは自らの血を分けた子供に対して期待などしていなかった。
しかし、少しでも二人の役に立つように厳しく育て上げたのだった。
ギルバートは決して子供たちを褒めることはなかった。彼の表情も言葉も、常に氷のように冷たく、無情であった。ただ唯一、感情を顕わにしたのはアイヴァンが反抗しようとした時だけだった。アイヴァンが言いつけに背き、自らの考えで動こうとした時、ギルバートは激怒し、無慈悲に打ち据えた。
『サディアス王子のために生きることができないのなら、貴様が存在する意味など無い』
アイヴァンの顔には痛みと絶望が浮かんでいたが、その姿を見ても心を動かされることはなかった。
フリーダのことも、女だからと言って甘さを見せることはなかった。容赦無く罵声を浴びせ、拳を振り上げると決まってアイヴァンが庇い、妹の代わりに殴られ続けた。
ある日、フリーダが些細な失敗を犯した時、ギルバートはフリーダではなくアイヴァンを殴りつけた。
『貴様は馬鹿なのか!!何度同じことを言わせるつもりだ!!次に失敗すれば、貴様の兄も無事では済まさんぞ!!』
倒れ伏して動かないアイヴァンに縋りついたフリーダは床に這いつくばり、次こそはやり遂げると涙を流しながら謝罪したのだった。くだらない茶番に付き合うつもりはなかったが、それ以来、ようやくフリーダもまともになったので許すことにした。
不出来な子供たちではあったが、アイヴァンが王子付きの近衛騎士に、フリーダが王子の婚約者に選ばれた時、自らの方法が正しかったのだとギルバートは確信した。
近衛騎士の任命式の日、アイヴァンがその栄誉を受ける瞬間、ギルバートは王妃の視線を感じ取った。彼女は微笑んでいた。その微笑みは、何もかも見透かしたようなそれであった。ギルバートの胸は高鳴り、心は一瞬にして浮き立った。
(ユリア様は私の忠誠心を見抜いてくださったのだ!)
ギルバートは自分の歪んだ忠誠心が報われたと信じ、王妃の微笑みを心に刻み、ますますその狂信的な道を突き進んでいったのだった。