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侍女の微笑

リンレイ王女の滞在は二週間を予定していて、その間には学校や病院などの公共施設をはじめ、教会や文化施設、伝統工芸に関わる職人の工場など、多くの場所を訪問する予定である。


アイヴァンは事前準備に追われ、常に王女とその随行員たちの動向に気を配りながら必要な手配に奔走していた。もちろん全てサディアス王子の御指示という建前で。


手配は完璧に近く、王女一行が訪れる度に訪問先の人々は歓迎の意を表し、相変わらず顔を隠し、自ら声を発することはないが、彼女の凛とした振る舞いで、徐々に好感を持たれるようになっていった。しかし、その背の高さと体格は依然として好奇の目が絶えなかった。


滞在四日目、博物館の視察の途中でサディアス王子と王女や随行員たちが少し離れた場所で休憩を取ることになった。この博物館は美しい庭園が隣接されており、王女の目を楽しませるだろうと選んだのだった。


アイヴァンはその間に次の訪問先の確認などをしていたが、不意にサディアス王子たちの声が耳に入った。


「まったく、日常会話すら通訳が必要だなんて、あの王女は馬鹿なのか?」


声は抑えているようだったが、軽蔑的な感情は明らかった。

普段であればサディアス王子のわがままが始まったと思うのだが、今回ばかりは同意せざるを得ない。リンレイ王女は公用語ですら通訳に返事をさせるほどで、親善も何もない状態であった。


「鬼人族というのは見た目も醜い上に、頭も悪いのか」

「彼らは全ての能力が腕力や筋肉に向かうのでしょうね」


周囲にいたサディアス王子の側近たちも諫めることもなく、同調するように頷いて嗤う。


「だが、一人美しい女がいたな」

「殿下も気づかれましたか?」

「あぁ。この国には見ない顔立ちだが、なかなか美しかった。あの黒髪も触り心地が良さそうだったな」


聞き耳を立てていたアイヴァンは、すぐに歓迎式典の時に見た少女のことだと気づいた。


「あの女が王女であれば、私も相手をしてやったんだがな」

「確かにあの美しさなら……」


しかし、サディアス王子はすぐに冷笑を浮かべた。


「だが、あの女は一本角だった。鬼人族が人族の妾か何かに産ませた庶子か何かだろう。一晩くらいなら相手をしてやってもいいが、それ以上の価値はないな」


その言葉に側近たちも再び嗤い声を立てた。アイヴァンは彼らのやり取りを耳にしながら、その浅はかさに呆れて物も言えなかった。


確かに鬼燈国の一行の中で、あの美しい少女だけが角が一本しかなかった。他の者はリンレイ王女を含めて二本角がある。事前の資料にも鬼人族は二本の角があると記載されていた。恐らく王子の言う通りなのだろうが、内面を知りもせずに相手の出自を測り、下卑た物言いで辱めようとする醜悪さに嫌悪の感情が湧き上がる。


そもそもサディアス王子の婚約者はフリーダである。元々フリーダを放置して様々な女性と懇意にしていた王子だが、まさか他国の王族とどうこうなろうなどと考えているとは思いもしなかった。


もし、リンレイ王女がサディアス王子の好みの美女であったなら、フリーダを捨てて妻に迎えたというのだろうか。最愛の妹を蔑ろにされていい気分はしない。動じていないフリをして、アイヴァンは王子達から距離を取ったのだった。




アイヴァンは近くに誰もいないことを確認し、小さく息を吐いた。

懐中時計で時間を確認し、ベンチに腰を下ろす。出発の時間にはまだ余裕がある。


このベンチは王女達が休む四阿(あずまや)に近かったが、別に構わなかった。王女一行がアイヴァンを咎めることはないだろう。この数日行動を共にしただけだが、鬼燈国の人々はアイヴァンの働きを認めてくれている節がある。皮肉な話だが、自国の者たちと過ごすよりもずっと呼吸が楽だった。


緑陰が心地よい空間を作り出している。昼前の柔らかな日差しが庭園を照らし、園内に流れる池の水面を輝かせていた。微風が木々をそよがせ、清々しい香りが辺りを漂っている。


アイヴァンはしばしこの居心地の良さに浸り、心を落ち着けようとした。するとしばらくして、静かな足音に気づいた。そっと視線を移すと、そこには鬼人族の少女がいた。歓迎式典で見かけた、サディアス王子たちが噂してた美しい少女だ。


「貴女は……」


アイヴァンが声をかけようとすると、少女は小さく会釈をして応えた。


「御挨拶が遅れました。私はリンレイ王女の侍女を務めるスズと申します」


そう言ってスズはアイヴァンに微笑んだ。

彼女の黒い瞳はまるで星空のように輝いており、その中に吸い込まれそうな感覚を覚えた。長く濃い睫毛が影を落とし、微かな光が反射して輝く様子も芸術のように思える。整った鼻筋は高貴さを感じさせ、顔全体のバランスが完璧だった。


彼女ほどに美しい人を、アイヴァンはこれまで生きて来た中で見たことはなかった。


「アイヴァン様の働き、実に見事でした。王女殿下は大層御喜びです」


浮かれた心は叩き落され、一気に血の気が引くのが分かった。

アイヴァンは鬼燈国から不興を買うのを避けるため、サディアス王子の伝令係の態で仕事をしていたつもりだったが、露見していたとは。いや、所詮は未熟者の浅知恵だったのだと目の前が暗くなるのを感じた。


戸惑うアイヴァンを置き去りに、スズは更に続ける。


「王女殿下はアイヴァン様の細やかな心配りに大変感謝しております。貴方がいなければ、色々と支障が出ていたことでしょう。ですが、公に貴方に感謝することは難しいと私を遣わしたのです」


全てを見通した上で、ヴェリアスタの茶番に付き合ってくれているのか。リンレイ王女の寛大さに感謝しながら、アイヴァンは胸を撫で下ろす。そしてすぐに意を決して謙虚に応じたのだった。


「王女殿下の賢明なる御英断と御配慮のお陰でございます。私はサディアス王子殿下の命を受けたに過ぎません。何ら褒められるようなことではありません」


そう言うとアイヴァンは小さく会釈する。


「ただ、このように非公式ながら、王女殿下よりお言葉を賜れましたことは、この上ない光栄でございます。私どもヴェリアスタは鬼燈国との友好を望んでおります」


誠実なアイヴァンの言葉を聞き、スズは一層笑みを深めてみせた。

潤んだような艶やかな唇が弧を描く。白磁のようなつるりとした頬に赤みが差すと、少女らしい可憐さにアイヴァンは自身の胸が高鳴るのを感じた。見惚れてしまっていたことに自覚したアイヴァンは、無意識の内にスズから視線を逸らす。


「貴方様の誠実な御気持ちは十分に伝わりました。私も同じように友好関係を築くことを望んでいます」


初心な反応をするアイヴァンに対し、スズは優しく微笑んで答えた。


「この訪問が成功するようにお互いに助け合いましょうね」


その後、二人は庭園を散策しながら、時間の許す限りお互いの国や文化について語り合った。スズの豊かな知識と穏やかな話し方に、アイヴァンはますます彼女に惹かれていくのを感じた。スズもまた、アイヴァンの真面目さと優しさに心を開いていったのだった。


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