1 聖別されし者⑤
本来、【七歳詣で】で子供が聖別されし者だと判明するのは誉れであり、この上なくめでたいことである。
が、事実上これは親にとって、まだ可愛い盛りである七つの子供を、有無を言わせずに奪われるということでもある。
『聖別されし者』とされた子供は、もれなく速やかに王都の大神殿へと送られ、以後、余程のことがあっても親許へ帰ることはない。
かなり昔からのきまり事だ。
一度親許から離された子供はその時点で、地縁血縁から切り離される。
以後、親きょうだいが危篤になろうと、実家や生まれ故郷で思わぬ不幸が重なり、家族や親戚が路頭に迷うような事態に陥ってしまったとしても。
本人に知らされることはない。
『聖別されし者』は聖母神たる女神・アシーアの眷属。
故に『聖別されし者』は生まれ育った地縁血縁を断ち切り、もっと広い、公の為に生きるべし。
親兄弟や生まれ故郷へ過剰な思い入れや愛情を持つことは、天命をゆがめることになりかねない。
この無情なしきたりがまかり通る、一応それが建前になる。
が、要するに『聖別されし者』が親兄弟や故郷の人間から、必要以上に当てにされる……つまり。
金をたかられたり新事業等を起こす際の広告塔にされたり、悪質な場合は詐欺に名前を使われるのを、防ぐ意味が大きい。
嫌な話だが、古い時代からその手のトラブルは多いらしい。
『聖別されし者』はその持って生まれた資質を正しく磨き、発揮することで、並の者では不可能なことを成し遂げる。
そういう者は当然、それなり以上の社会的な地位と、地位にふさわしいだけの報酬が国から与えられる。
王侯貴族でなければ手にすることのない財を、我が子が、兄弟姉妹が、甥や姪が手にしていると聞けば。
十人が十人ではないにせよ、つい良からぬことを考えてしまうのが人間というもの。
邪な欲にかられる血縁者から『聖別されし者』の心身を守る意味からも、この無情な決別は断行される。
そして、まず最初に『支度金』という名目で親(もしくは保護者)へ、年収にかなり色を付けた金が大神殿……つまり国から、どんと支払われるのは。
子供を奪われる慰謝料の意味合いと同時に、ぶっちゃけ、手切れ金でもある。
今後お前の子供は公の財産で、お前の家族ではないから心せよ、と。
俺は勇者として『聖別され』たのだからそこそこ以上、年収の数倍から十倍近い支度金が親に支払われたのだろうと思われる。
具体的にいくらなのかは知らないが、あの時、親父が顔色を変えていたんだから、田舎の農村でぼんやり暮らしていたら到底お目にかかれない、すごい金額が支払われたのは間違いない。
その金がどう使われたのかあるいは使われなかったのか、その後の彼らが幸せだったのか不幸せだったのか、俺は知らない。
成人後もあえて知ろうとしなかった。
知っても虚しくなるだけだからだ。
彼らが幸せに暮らしたのなら、ホッとすると同時にモヤモヤと妬ましくなるような気がするし、不幸せだったなら哀しい。
哀しいが、俺にはどうすることも出来ない。
『支度金』が莫大だったせいで、続き柄もよくわからないような親類縁者にたかられたり、村で普請やら何やらがある度に多額の寄付を迫られたりした可能性もある。
俺が『聖別されし者』だったせいで家族に厄介をかけることになっていたとしたら(そして九割九分、厄介をかけているだろう)いたたまれないが……それもやはり、俺にはどうすることも出来ないのだから。
ガキの頃はその辺の機微をよくわかっていなかったから、大人になったらこっそり村へ帰り、家族と会おうと密かに楽しみにしていた。
しかし成人する頃には、そんなふわふわした夢をあきらめるようになっていた。
『聖別されし者』は誉れ高い役目を担うが、それと同じだけ、市井で平凡に生きる者にとっては厄災にもなり得る。
特に『勇者』などという魔を狩ることに特化した『聖別されし者』は、普通の人間と深く関わってはならない。
『勇者』とは『夢魔』――封印された魔王が見ている夢……つまりは破壊衝動や呪いの化身――を、眠りの中へと戻す者。
逆に言えば、『夢魔』がいなければ必要のない存在だ。
俺すなわち『勇者』が市井で活動するということは、そこに『夢魔』がいるということに他ならない。
『勇者』というのは『夢魔』の対として生まれた、ある種の呪われた者。
少なくとも俺はそう思っている。