1 聖別されし者③
手順通りに俺は、神官様に促されるまま清めた水で手を洗い、真っ白の手ぬぐいで丁寧にぬぐった。
普段なら遠くから眺めているだけの『七色の聖水晶』――聖堂の奥で陽の光に輝く、見る角度で虹色にきらめく大きな水晶――を安置している、一段高い床へと導かれた。
「万物の聖なる母・大地の女神たる我らがアシーアよ。貴女様の小さな愛し子がひとり、本日七歳の誕生日を迎えました」
朗々と響く声で神官様は、聖水晶へ祈りの言葉を捧げる。
「幼き魂は未だ、大気の精霊に誘われれば存在を虚しくする可能性の濃い、儚い命しか持っておりません。このか弱い幼子へ、ぜひとも貴女様の祝福を授けて下さいませ」
神官様に目顔でうながされ、俺はぎくしゃくしながら前へ出る。
聖水晶のそばで立ち止まると
「両手を前へ出して」
と命じられたので、言われた通りにする。
「聖水晶に触れた後、私の言う通りに繰り返なさい、いいですね?」
「は、い」
緊張しながら震える俺の両手首をつかみ、神官様は、俺のてのひらを複雑に角張った聖水晶にピッタリとつけた。
それは硬くひんやりとしていて、普通の石や岩とはどこか違う、今まで触ったことのない感触だった。
「リチャードの子・アルフレッド」
「り、リチャードの子・アルフレッド」
どもってしまったが、俺は堂々と神官様の言葉を繰り返す。
いやまあ、親父と自分の名前を言っただけだがな。
「聖母神・アシーアへ、七歳詣でのご挨拶を申し上げます」
「聖母神・アシーアへ、ななつもうでの、ごあいあつをもうしあげます!」
若干噛んだが、ガキなら目こぼしできる範囲だったのだろう。
神官様はかすかに苦笑いをした一瞬後、俺の手首を通して神聖魔法の魔力を水晶へ注いだ。
光の魔法とも呼ばれる神聖魔力を操れる『聖別されし者』のみが、聖堂で正神官と呼ばれる職務につける。
それは田舎の聖堂でも同じだ。
「幼子へ祝福を賜りませ!」
静寂。
恐ろしいばかりの静寂。
辺りには何もない。
ただ真っ白な、上も下もない真っ白な、この世のものではない空間に俺は立っていた。
いや。
そもそもこの状態を、『立っている』といえるのか?
『浮かんでいた』とでもいう方が正しいかもしれない、だって踏みしめるべき大地がなく、ひたすら真っ白な中にいたのだから。
『リチャードの子・アルフレッド』
とても優しい、それでいて突き放すような冷たさを底に秘めた、不思議な女の人の声がした。
『七歳の佳き日を迎えられたことを寿ぎましょう。お前は勇者の資質を持つ者。この先、精進して心身を鍛え、悪しき夢を鎮めるために生きなさい。私はお前を祝福します』
(……は?……え? え?)
思いもかけない言葉。
その時の俺は、何をどう判断していいのかわからず、ポカンとするしかなかった。
「我らが聖なる母・アシーアよ! なんと、アルフレッドは勇者の資質を持つ者だと仰せられるか?」
ひどく耳障りなガラガラ声が、だしぬけに俺の後ろから聞こえてきた。
思わず顔をしかめたが、一瞬後、これは神官様の声だと気付く。
女神様の声の後で聞くと、人間の声などやかましいだけなのだと知る。
『アルフレッドは勇者の資質を持つ者。正しく、真っ直ぐ、健やかに育てなさい』
音楽的なまでの声で女神はそう言うと、ふっと、気配を消した。
俺の人生はその瞬間、何もかも変わってしまった。
俺は『聖別されし者』。
しかも、『聖別されし者』の中でも希少とされる『勇者』の資質を持つ者。
まったく思いがけないことに、(呪いと紙一重の)希少な資質を持つ者……だったことがこの日、明らかになった。
聖堂から帰る道、俺は、うつむいて靴の鳴る音を聞きながら歩く。
家族も皆、どこか放心したように黙って歩いていた。
何故か不意に、近所のガキたちと一緒に文句を言いながら、木の枝を振り回して畑の鳥追いをした日のことを思い出した。
もう俺は、兄弟や近所の友だちと一緒にあんな日々を送ることは出来ないんだ、と、卒然と覚る。
うっとうしい『お手伝い』の日々が、まるで美しい夢の景色のように思い出され、じわっと涙がにじんだ。