1 聖別されし者①
一番最初に俺の運命が変わったのは、満七歳の誕生日を迎えた春だ。
俺は、どこにでもある田舎の村の、小麦畑に囲まれた農家の三男として生まれた。
特に金持ちでもなかったが、じいさんばあさんに若夫婦、そして子供の4、5人くらいならそうキリキリしなくても食っていける、中程度には豊かな家だった。
物心のついた頃、俺は、兄弟や近所のガキどもとその辺の野原や川べりを走り回って遊び惚けていた。
農村の子供なんて、どこでも皆そんなものだろう。
穂が熟す時期の鳥追いや、刈り入れの時期の手伝いなんかは(強制的に)させられたが、それ以外はほったらかし。
農村の大人は忙しい。
丁寧に子供の面倒をみたり、いちいちかまってくれる者などいない。
昼飯やオヤツはそれなりに各々の家で用意されるが、基本それだけ。
村のガキどもはガキどものコミュニティの中で、なんとなく順送りに育っていく。
そこで揉まれているうちに社会性みたいなものを覚えてゆく、昔からそんな感じで子供が育つ村だった。
要するに、平和な村だったんだよな。
……もう帰ることもないが。
村のガキたちのコミュニティでよく話されていたのが、『次は誰が【七歳詣で】か』という話題だった。
「来月、アルフレッドは七つの誕生日だよな」
隣の家のジャックが嬉しそうに言う。
こいつは兄貴と同い年だから、今年で九つになる筈。
この村では十歳を超えると親と一緒に仕事を始めるのが普通だから、ジャックがお気楽なガキでいられるのも今年が最後だ。
なんでも、ヒトは七歳までは精霊に近い存在で、簡単なきっかけで大気に溶けやすい……要するに死にやすいってことだろうが、七歳を超えるとしっかりと人間になると言われているのだそうだ。
無事七歳の誕生日を迎えられた子供は、人間としてこの国で暮らしますという挨拶を、村の聖堂で万物の聖なる母・大地の女神アシーアへすることになる。
子供が挨拶すると女神が応え、その子に応じた祝福を授けてくれるのだとか。
祝福といっても大抵の子は、『この先も健やかに暮らしなさい』という、通り一遍の言葉がかけられるだけだ。
そう言えば、かつて特別な祝福を受けた子がこの村にもいたそうだが、もうずいぶんと昔の話で、じいさんの世代の話だ。
その子は王都へ連れていかれ、おっそろしい訓練の果て、大人になると特別な仕事についたのだろうとじいさんは言う。
祝福された『聖別されし者』の仕事は過酷だから、短命である場合が多い。じいさんと同い年だったその人は、おそらくとっくの昔に死んでいるだろうなと、寂しそうな目でじいさんが言っていたことを、俺は今でも、妙にはっきりと覚えている。
まあとにかく。
その一連の儀式を、俗に【七歳詣で】と呼ぶのだそうだ。
満七歳になった子供が神官と一緒に、村の聖堂にあるご神体・七色の聖水晶に触れる、のが手順らしい。
聖水晶は普段、聖職者以外は触れてはならないことになっている。
一般人が触れていい機会は、この【七歳詣で】と婚姻式だけ。
二年ほど前、俺のすぐ上の兄貴が【七歳詣で】を済ませた。
兄貴は、親が仕立てた一張羅を着、コチコチになりながら村の聖堂へ連れていかれ、ゴチャゴチャやってたのを薄っすらと覚えている。
子供心にも、なんだか大変そうだなァと思ったが、同時に晴れがましいものも感じ、祝われてチヤホヤされている兄貴がちょっと羨ましかった。
今年は自分の番だと思うと、なんとなくウキウキする。
本人以外の子供にとっては【七歳詣で】の儀式など、ぶっちゃけどうでもいい。
【七歳詣で】を終えて家に帰ると、儀式を終えた子供はその日、人間として女神に認められたお祝いとして、とっておきのご馳走やお菓子をふんだんに食べさせてもらえることになっている。
その時、お裾分けとして村の子供たちにもたっぷりご馳走やお菓子が振る舞われるのが、この村の古くからのしきたりだ。
ガキどもの興味は当然、そちらに集中している。
「お前んちはいつも、メープルシロップと胡桃が入ったクッキーと、蜂蜜入りの焼き菓子が出るよね?」
兄貴の時に振る舞われた菓子は、確かそうだった。
「蒸した鶏や樽漬けの猪肉、蜂蜜塗って焼いた鹿肉、白パンもどっさり!」
ジャックのひとつ下の弟・ダニエルも、よだれを垂らしそうな顔で言う。
村で白パンは、蜂蜜入りの焼き菓子と同じくらいの贅沢品だ。
お祝いの日くらいしか食べられない。
軽く首を傾げ、俺は言う。
「うーん。樽漬けの猪肉は多分あるし鶏は絞める予定だって聞いてるし、白パンもきっと焼くけど。鹿肉はないと思うな。去年の秋に獲れた鹿肉は、冬の間に全部食っちゃったもん」
「え~。マジか~」
ダニエルがあからさまにがっかりし、そのしょぼくれた様がおかしくて、皆でぎゃはぎゃは笑った。
ウチは敷地の裏手に豊かな山を持っていて、その山にいいサトウカエデの木があったから、普段からメープルシロップはふんだんに使えた。
また、じいさんが半分趣味で養蜂もやっていたから、蜂蜜にも不自由しない。
さすがに蜂蜜入りの焼き菓子はそうそう食べさせてくれなかったが、炒った胡桃にメープルシロップをからめた菓子は、オヤツとして普段から口にしていた。
ウチは、甘いものに関しては、近所のガキどもから羨ましがられる家だったのだ。
今思うと裏山は本当に豊かで、時期になると太った猪や鹿も狩れたし、渓流では脂の乗った魚もよく釣れた。
獣たちが太っているということは、きのこや木の実やベリー類も豊富ということだ。
天気の良い秋の日などに鼻歌まじりで山へ入れば、小さなかごはすぐ山の恵みでいっぱいになったものだ。
思えば、大して金はないが、家族みんながたっぷり食べるのに不自由しない、そういう環境であり家だった。
つまるところ幸せだったのだと、後になって俺は知った。