鴨
京都の年越しはハレの日なので、鴨蕎麦なのよ。
うふふふ。
と、毎年正月の丸餅のお出汁のレシピと共に彼は述べていた。
だが、彼の行きつけの駅前のスーパーが鴨スライスを売ってくれない年があった。
あの騒ぎの年だった。
イルカの歌が嫌いだった。
それよりも動物園の「なに、すぐに引き取りに伺います!」の軽トラでジビエだろうがなんだろうが食事費と薄給な食品で毛づやや管理の頭を悩ませては「今日はおごちそうだ」の飼育blogを読んでいる方が好きだった。
お互い変態過ぎたので「美味しく食べてね」はいっちゃダメだときつく目力で私は画面越しで言ったの。
そういうのはよそさんでしなさいと。
私が見んところでしんさい。
そしたら怒らんですむからの。
冷凍技術と冷凍食品と配送車の向上。
「冷凍焼けの安いのならエエか?」と言ってみる。
見目さえこだわらなければ。
あと、いらん詮索や心配もさせるのをいつも極力避けて言葉を選んだ。
「夏に送れん」
の理由も保存袋の有無とそこまで配送車の冷凍車に信頼がない私の嫌みもある。
「鳥はブラジルがうまいよ」
「鴨はタイがおおいね」
「鴨とオレンジソースはなぜうまいのだろう(石坂浩二スゴいね)」
「豚がくえんってことはわし田舎から大量に送られたいのししも無理なんよ。え、食いかた?塩コショウで焼いてマヨネーズぶっかけて食うとうまいよ、油が甘い。肉より油」
と怒濤に喋っていた。
「ニシンって甘露煮で無理」という母の話で彼は年越しはいつも鴨と蕎麦で鍋をしめる。
私は別の県に来てスウジュウネン経って熱い蕎麦を食えるようになった。
蕎麦はのびるとなぜ不味い。
不味い蕎麦ばかり当たっていた。
鴨蕎麦を注文する。
この地より南には柚子胡椒が頼めば出してもらえる。
大抵蕎麦に柚子が入ってはいるが。
鴨の肉はなぜ血なまぐさい味がするのだろう。
肉に近い。
そして炙り焼きの焦げ味。
私は年中蕎麦を注文する。
ザル以外は鴨蕎麦になった。
成城石井まで怯えながら探しにいた彼は「なかった」。「あるよ」の私にありがとうの卑屈な物言いはしなかった。
私たちは食の共有ができる大事同志だった。