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7番目のシャルル、聖女と亡霊の声  作者: しんの(C.Clarté)
第二章〈モン・サン=ミシェルの戦い〉編

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2.4 シャルル七世の秘策(1)天からの使者

 モン・サン=ミシェルをはじめ、きわどい戦いが頻発しているが、私は「曽祖父ジャン二世捕虜」の教訓から戦地へ赴くことを止められていた。

 使者が知らせに来るまで、戦いの経緯も結果もわからない。

 落ち着かない日々だったが、公務とは別に、私生活で事件が起きていた。


 私ことシャルル七世一行は、ラングドック三部会を首尾よく終えて、ロワール渓谷近郊にある城へ帰ってきた。

 風光明媚で緑ゆたかな環境は、子供の頃から気に入っていて何度も慰められてきた。

 しかし、今回ばかりは私の心に響かない。

 外が美しく、光がまばゆいほどに、心の陰影が濃くなっていく。


「お帰りなさいませ」


 暗い気持ちで馬車から降りると、妻で王妃のマリー・ダンジューが臣下らしく礼をして出迎えてくれた。私は呆気に取られたが、次の瞬間、足早にマリーに接近した。


「どういうことだ。出迎えはいらないと伝えたのに!」

「そうはいきませんわ」

「少し前、先触れにも伝えたんだ。城内で休ませるように、体を大事にって……」


 ヨランド・ダラゴンを優雅と形容するなら、娘のマリーは礼儀正しく謙虚だった。

 結婚して世継ぎの男子を産んでからも、その性格は変わらない。


「一刻も早く、陛下にお目にかかりたくて。わたくしのわがままを通しました」


 マリーは片目をつぶって「だから、先触れを叱らないでね」と付け足した。

 私たちに直接・間接的に仕える人たちのことまで、こまやかに気を配る。

 しかし、マリーらしい振る舞いが、今は痛々しかった。


「何かあったらどうするんだ……」


 マリーは初めての出産で長男ルイを、翌年に次男ジャンを産んだ。

 私たち夫婦は子供ができやすく、まもなくマリーは三人目をみごもった。

 長男には父親と同じ名をつける習慣があったが、私は息子たちに亡き兄二人の名を授けた。

 マリーに「では、三男はシャルルと名付けるのですか」と問われたが、私は首を横に振り「フィリップにする」と予告した。これはヴァロワ王家初代の名である。

 慣例に反し、私自身の名を息子につけなかったのは、自尊心の低さと劣等感の現れだろう。

 狂人王と呼ばれた父王シャルル六世や、廃嫡されたシャルル七世の名を継がせたくなかった。

 マリーは私のコンプレックスに気づいていたと思うが、何も言わなかった。


 妊娠中のマリーと子供たちを残して、私は南フランスのラングドック三部会へ出席していた。


「ふふ、陛下は心配性ですこと」

「当たり前だろう」


 かつて私は、10歳から婚約者だったマリー・ダンジューを王家の災難に巻き込みたくないがために、婚約を破棄しようと考えた。

 しかし、マリーは私の境遇をすべて知ってなお、正式に結婚して共に生きることを望んだ。

 私に降りかかる災難は不幸ではない、神から大いなる試練を授かったのだと言ってくれた。


「侍医が言うには、たまには気晴らしも必要なんですって」


 私はいつも悲観的で不安を抱えていた。

 人生で何度も災難に見舞われると、幸福なときも災いの影を感じるものだ。

 前向きで聡明なマリーは、私が抱える影を何度も振り払ってくれた。しかし、今度ばかりは——


「外は風が冷たい。体が冷えてしまう」

「ええ、みんなそう言うの。でも、わたくしは外の新鮮な空気を吸いたくて……」


 マリーは、「わたくしは平気よ」と強がるように笑っていたが、無理をしているのは明らかだった。


「マリー、ごまかすのはやめよう」

「ええ、そうね。申し訳ありません、陛下の御子を死なせてしまいました」


 その言葉を口にした瞬間、マリーは微笑みを浮かべたまま、涙をこぼした。


 子供を産み、育てることは、王侯貴族でも難しい。

 特に15世紀ヨーロッパは、黒死病をはじめとする疫病と死がはびこる時代だった。

 私たちの長男ルイは健やかに育っていたが、次男ジャンは一歳になる前に天へ帰ってしまった。

 我が子を亡くしたショックからか、もはや男児か女児かもわからないが、マリーは三人目の子「フィリップ」を流産した。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「違う、そうじゃない。マリーが私に謝るのは筋違いだ。だって、私たちの子供じゃないか!」


 責める気はなかった。マリーの体調を気遣ったつもりだったのに。

 私は言葉もなく、ただ泣き崩れるマリーを支えることしかできない。


 各地の戦いのこと、三部会のこと、予算のこと。王国は難題が山積みだ。

 私は公務のことで頭が一杯で、私自身もあちこちに移動していたから、次男が死んだ時も、マリーが流産した時も、そばについていられなかった。


「自分を責めてはいけない。亡き我が子のために何かを捧げるなら、夫婦そろって義務を負うべきだろう?」

「わたくし、何かいけないことをしてしまったのかしら……」

「そんなことあるものか!」


 もし、親の罪のために子供が犠牲になったのだとしたら。

 きっと、罪を償う必要があるのは私なのだ。

 少女時代のマリー・ダンジューは、何不自由なく幸せだった。彼女に罪はない。

 私の心に満ちる暗い影は、マリーの心まで侵食し始めたのだろうか。


「神よ……」


 これ以上の不幸は耐えられない。

 いままで何度もそう思ってきたが、降りかかる災難に終わりが見えない。

 せめて、マリーとルイだけは守りたかった。誰にも——たとえ神であろうと奪われたくない。



***



 妻子の幸福と健康を望んでいるが、マリーが主張する「外での気晴らし」は私も大いに賛成だ。

 城内に引きこもっていると、ますます悲観的な気分になる。

 礼拝堂で長い祈りを捧げてから、私たちは庭園に出て散歩した。


「気分はどう? 寒くない?」

「平気よ。今は、体も心も陽だまりにいるみたいに温かい」

「あの子たちのおかげだろう」

「そうね……」


 長男のルイは無類の犬好きで、城下で牧羊犬の子が生まれたら一頭もらう約束をしていた。

 待望の子犬がやってくると、ルイはとても喜び、弟のように可愛がった。

 幼い息子と子犬が庭園で遊んでいる様子を見守りながら、私は「もしかしたら、あの子は父よりも子犬を愛しているかもしれない」と思った。

 さっき、久しぶりに対面したというのに、ルイはそっけなくて私は少し傷ついたのだ。

 公務を疎かにすることはできないが、息子に関わる時間をできるだけ増やしたい。


「ルイ、ジャン、フィリップは却下だ。シャルルも遠慮したい」

「聞くところによると、家畜を敵の名前で呼んでいたぶる人もいるそうよ」

「そういう悪趣味な名付けは好きじゃない」

「王太子の遊び相手にふさわしい名前がいいわ」

「賢い犬といえばリリエンタールかなぁ」


 子犬と戯れる我が子を見ながら、夫婦水入らずで犬の名付けについて話し合った。

 こういう他愛ないひとときが心にしみる。

 いままで何度も不幸を乗り越えてきた。傷ついても立ち止まっている暇はない。

 きっとこれからも災難は起きるだろうし、何度も傷つくのだろう。

 だが、今、この瞬間は間違いなく幸福だといえる。

 苦しみが多いからこそ、優しいひとときが愛おしい。


 ふいに、頭上に影を感じた。


 リリエンタールが可愛らしい鳴き声で吠えている。

 まだ子犬だというのに、主人のルイを守ろうとしている。勇敢で高潔な犬だ。

 弟分に呼応するように、ルイがまだ判別できない言葉で何か言っている。

 私とマリーも、同じ方向を見上げていた。

 私たちを取り巻く侍従と侍女も、つられるように天を仰いだ。


「何でしょう。この辺りでは見かけない奇妙な鳥です」


 侍従長ラ・トレモイユが眉をひそめた。

 処刑されたジアックの代わりに、リッシュモンが連れてきた人物だ。


「マリー、すまない。もう行かなくちゃいけないみたいだ」


 視線の先に、黒い大鴉(レイブンクロウ)が飛翔していた。

 一部の人間しか知らない秘密の通信手段で、私たちは通称「コルネイユ」と呼んでいる。

 頭上で何度か旋回すると、コルネイユは城の尖塔へ消えた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「天からの使者」というのは赤ちゃんのことかと思ったらコルネイユのことだったのですね。 続きが気になります。
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