11.9 ジャンヌの本心(1)恩人か恋人か
ノルマンディーの首府ルーアンで異端審問が始まってから三ヶ月経つ。
現地での武力行使、バーゼル公会議の外交工作——。ジャンヌを救出するために思いつく限りの手段を講じてきたが、皇帝の計略はもっとも現実的な策だと思う。
「フランス王、浮かないご様子ですね」
ピッコローミニの写本作りは着々と進んでいる。
完成したら、シャルティエの追悼を兼ねて遺作『希望の書』を読み合う文学サロンをやろうかと考えている。義弟シャルル・ダンジューは幼い頃の読み聞かせを覚えていて「公会議に出席している他の皆さんにも声をかけてみます」などと言っていた。
「もしや、シャルル王の《《いい人》》でしたか」
「ん?」
「例の少女のことです。皇帝陛下があれほど所望しているのですから、イングランドは大慌てで連れきますよ。もう少しの辛抱です」
ジャンヌを救うためにバーゼルに来たのでしょうと図星をつかれる。
当初からばれていたのだろうし、いまさらごまかしても意味がない。
皇帝も、フランスの情勢には無頓着で、単に利害が一致したから味方になってくれただけだ。そのことに不満はない。外交とはそういうものだ。
「最大の願いが叶うのにご満足していただけない……。饗応役としては由々しきことです。矜持に関わります」
よく見ているなあと、苦笑した。
「私の想像を申し上げると、あの少女はシャルル王の恋人ではないかと」
「なぜ、そう思う?」
「貴族や有力者の娘ならともかく、ただの村娘なら捨て置いても王に文句を言う者はいないでしょう。それなのに、シャルル王は危険を冒してバーゼルを訪れ、気難しい皇帝陛下に取り入り……、すべては『恩人を救うため』だと仰せでした」
「その通りだ。私の恋人というのは飛躍しすぎだけどね」
ピッコローミニは口をつぐんでそれ以上何も言わなかったが、代わりにシャルル・ダンジューが「そうでしょうか」を割り込んできた。
「オルレアンは救われ、陛下はランスで聖別式をした——。ジャンヌの使命はこれで終わりです。あれ以来ずっと持て余して、軍の指揮権まで取り上げたのに、陛下がジャンヌを手放すことができないのは、あの子を愛しているからでは?」
私は即座に「そんなことはあり得ない」と断言した。
故郷の村に帰ってもいいし、貴族として宮廷に残ってもいい。
将来のことは、ジャンヌの好きにさせるつもりだった。私の意思で引き留めたりなんかしない——と思ったが、今の私は「ジャンヌを皇帝に渡す」ことを不愉快に思っている。確かに、矛盾しているかもしれない。
「ぼくの見立てでは、ジャンヌは陛下に求愛されるのを待ってましたよ」
「シャルロットくん、貴公は恋愛物語の読みすぎだ」
「メーヌ伯と呼んでください。陛下はにぶいんですよ。マリー姉様のことだって……、まあこれは別の機会にしましょう」
「人の恋路を邪推するのは失礼だよ。そもそも、ジャンヌは故郷に婚約者がいるはずだ」
そうだ。シノンで謁見することが決まってジャンヌの素性を調べた時に、親が決めた婚約者がジャンヌを連れ戻そうと訴訟を起こしたと聞いた。
ならば、やはりジャンヌは故郷に帰すべきだ。皇帝にそのことを話して、十字軍に連れて行かないように懇願しなければ——。
「知らなかったんですか」
「何がだ」
「ジャンヌはとっくに婚約破棄されてますよ」
雷に打たれたような衝撃だった。
ジャンヌはそんなこと言ってなかった。
オルレアン包囲戦の後、刺草織りの布地を贈って「結婚衣装を作るといい」とすすめた時も無邪気に笑っていた。結局、あの布はジャンヌが聖別式で着る男装用の服に仕立てられた。
あれ以来、私の前ではいつもあの服を着ていたような気がする。
「使命が終わったのに、なぜ陛下のそばを離れなかったのか。なぜ泣きながら戦い続けるのか、傷つきながら戦いをやめないのか……? 真実はひとつしかありません」
シャルル・ダンジューがいうには、私は人の気持ちに鈍感すぎて、それゆえにたくさんの人を傷つけているらしい。
「たくさんの人って、他に誰がいるんだ。マリーか?」
「たとえば、大元帥とか。……まあ、陛下がおっしゃるように全部ぼくの《《邪推》》ですけど」
思い当たる節がないわけじゃない。
悩みがちなのに人の心がわからないなんて、自己嫌悪だ。





