11.8 皇帝ジギスムント(4)司法取引
「イングランドには失望した!」
ジャン・ボーベールの諫言を聞いたジギスムントは、あからさまに不機嫌になった。
「本音を言えば、シャルルのことはどうでもいい。だが、あの少女はどうしても手に入れたかった……!」
私が盗み聞きしているのを知っていながら、そんなことを言い始めた。
間を取り持つピッコローミニが動揺しているのが伝わり、私は片目を閉じて「大丈夫だ」と合図を送り、唇の前に人差し指を立てた。こちらの存在に気付かれてはならない。
一見、耄碌じじいを装っているが、おそらく皇帝はわざと聞かせている。
ボーベールが焦りを滲ませながら、皇帝をなだめようと言い繕った
「皇帝陛下のご所望とあらば、ぜひとも叶えて差し上げたい。しかしながら、あの娘は『救国の聖女』などと持て囃されてますが、私どもの見立てでは間違いなく異端者、魔性の女です。かかわれば、国が傾く一因となりましょう」
ボーベールの見立ては、私が知っているジャンヌ・ラ・ピュセルの印象とはかけ離れている。
魔性の女というのは、私の実母イザボー・ド・バヴィエールみたいなタイプだと思う。人を誘惑し、心をかき乱して翻弄する「傾国の美女」だ。
フランスは、ジャンヌの導きで再び立ちあがろうとしている。傾国とはまるで正反対で、そもそもあの子は「美女」と呼ばれる容姿ではない。素朴で可愛らしいのは確かだが、美女というのはどちらかというとアニエス・ソレルのような——。
「あの娘さえ手に入れば、あの忌々しいフス派を根絶やしにできたのに……、予定が狂ったわ!」
ジギスムントは歯ぎしりしながら愚痴をこぼした。
バーゼル公会議で話し合う予定だった二大テーマは、ここ数年来、皇帝と教皇を悩ませている「フス戦争の終結」ともうひとつは「英仏百年戦争の調停」だ。
「愚物にはあの娘の価値がわからないようだから、余がじきじきに教えてやろう」
ジギスムントの算段では、ジャンヌを公会議に連れてくることで二つの問題が同時に解決するはずだったという。
「ジャンヌ・ラ・ピュセルを十字軍に参戦させ、プラハ大学に居座るフス派を一挙に殲滅する。その後、余は聖女の導きでローマへ行軍し、歴代皇帝と同じく教皇聖下の手で聖別式を挙行するのだ!」
その言葉を聞いて、ようやく合点がいった。
ジギスムントの本音はジャンヌを救うことではなく、ジャンヌの名声を利用することだったのだ。フランスで私とジャンヌが成し遂げたことを、神聖ローマ帝国とローマ教会で再現しようと考えたのだろう。
「シャルル王の『少女を救いたい』という願い、イングランドの『少女を消し去りたい』という願い、そして余の悲願……! 今、ここに少女がいればすべての願いが叶い、すべての問題が解決したのだ。それをこの……バカちんがぁーーーー!!!」
皇帝は怒り任せにボーベールをしばき始めたため、私は聞くに耐えなくなりその場から離れた。
*
これは司法取引だ。
ジギスムントの計画は理にかなっている。
しかし、ジャンヌが言うことを聞くだろうか。
そもそも私はジャンヌを引き渡せと言われて、素直に献上できるだろうか。
戦争から離れて心穏やかに暮らしてほしいと思っているのに、言われるがまま、新たな戦禍に巻き込んでいいのか。
それでも、悪意にまみれた異端審問で責められるよりずっとマシなのかもしれないが。





