11.7 皇帝ジギスムント(3)イングランドの審問官
皇帝の呼び出しが功を奏したのか、それとも不吉な前兆なのか。
ジャンヌの異端審問はある時期から非公開となった。
もともと弁護人さえいない不利な裁判だったが、それでもジャンヌは誠実に小気味良く答弁していたようだ。正攻法で少女を攻めきれなかった審問官たちは、密室をいいことに違法な責め苦を与えているかもしれない。
「そうとも限らぬぞ」
ああだこうだと想像をめぐらせては気を揉む私と違って、ジギスムントは楽観的だった。
「異端審問を中止したのは、少女をバーゼルに移送するためかもしれん」
「……そうですね」
「神聖ローマ皇帝の命令を無視するほど愚かではあるまい」
「おっしゃる通りです」
「余を舐めたらただではおかん!」
5月28日、皇帝の呼び出しに応じてイングランドの使者がバーゼルに到着した。異端審問を主導する司教ピエール・コーションの腰巾着のような男で、自身もパリ大学代表として審理に参加している。
「ほーれ見ろ。余の言った通りになった!」
ジギスムントは上機嫌で、イングランドの使者ジャン・ボーベールとの謁見に臨んだ。
ピッコローミニの計らいで、私も謁見する広間の控室に入れてもらう。
隣り合う部屋の暖炉を一本の煙突で共有し、物音や声を盗み聞きしやすい構造になっているのだ。
「皇帝陛下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう……」
形式通りのあいさつの後、皇帝への貢物が運び込まれてくる。
「余が一番楽しみにしている貢物はどうした?」
「はて、何のことでしょう。足りなければすぐにでも取り寄せます」
「あの娘はどこだ。連れてきて献上するるように命じたはずだが」
ジャンヌは来ていなかった。
「皇帝陛下が所望したあの娘は、非常に興味深い《《見せ物》》です。しかしながら、アレはまぎれもなく神と教会に背く異端者です。高貴にして清らかなる皇帝陛下および教皇聖下に近づけるべきではありません」
「異端か否かはこちらで決める。実物を見てみないことには話にならん」
「私はここに来る直前まで、ルーアンで開廷中の異端審問に参加しておりました。あの娘と直接対峙し、司教のもとで厳正な質疑応答を繰り広げてまいりました。差し支えなければ、この若輩の意見を申し上げてもよろしいでしょうか」
ジギスムントは発言を許可した。
私も息をひそめながら聞き耳を立てる。
「あの女は非常にずる賢い。女に特有のずる賢さがありました……」
ジャン・ボーベールはパリ大学で教養と神学の学位を取得している著名な学者のひとりだが、学問と理論で凝り固まった冷徹な人物で、自分こそが真理を体現しているという自負と高慢さが鼻につく人物だった。
プライドの塊みたいな学者が、山育ちで字も書けない少女にたびたび反論されて言葉に詰まった。上司のピエール・コーションの目前で恥をかき、失望され失脚する恐怖から、ジャンヌを政治的にも個人的にも激しく憎むようになっていた。
「バーゼル公会議には、フランス王を自称するシャルルとかいう男が来ているようですが」
話題が自分のことにおよび、背筋に緊張が走る。
「皇帝陛下におかれましては、あの邪悪な男がささやく諫言に耳を貸されませんように。あの男もまた、異端の娘とともに《《もうすぐ》》この世界から消え去る運命なのですから」
私が聞き耳を立てていることには気づいてないはずだが、隣の広間から含みのある奇妙な笑い声が聞こえた。
(※)ジャン・ボーベールのジャンヌ評「あの女は非常にずる賢い。女に特有のずる賢さがありました……」は、のちの復権裁判の証言から採用しました。
ジャンヌ・ダルクの復権裁判は、百年戦争終結後……
シャルル七世が晩年にやったことで、この小説の中で取り扱いできるかわからないため先取りしました。でも、この時期にボーベールが英国政府代表としてバーゼル公会議に出席していたのは史実です。





