勝利王の書斎21:にんじんが煮えた
第十章から第十一章へ——。
《《勝利王の書斎》》は、歴史小説の幕間にひらかれる。
こんにちは、あるいはこんばんは(Bonjour ou bonsoir.)。
私は、生と死の狭間にただようシャルル七世の「声」である。実体はない。
生前、ジャンヌ・ダルクを通じて「声」の出現を見ていたせいか、自分がこのような状況になっても驚きはない。たまには、こういうこともあるのだろう。
ただし、ジャンヌの「声」と違って、私は神でも天使でもない。
亡霊、すなわちオバケの類いだと思うが、聖水やお祓いは効かなかった。
作者は私と共存する道を選び、記録を兼ねて小説を書き始めた。この物語は、私の主観がメインとなるため、《《歴史小説のふりをした私小説》》と心得ていただきたい。
便宜上、私の居場所を「勝利王の書斎」と呼んでいる。
作者との約束で、章と章の狭間に開放することになっている。
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恒例のフランスの慣用句シリーズ、現在進行中の物語に合うのはこれだろうか。
"Les carottes sont cuites."
「にんじんが煮えた」
意味は、瀕死の状態、お手上げ、手の施しようがない、絶望的な状況、万事休す——。
15世紀ごろのフランスは、長い戦乱と疫病(14世紀に始まったペスト最盛期は過ぎていたが、ヨーロッパ各国で人口激減)の影響で荒廃し、貧しい家庭では肉料理をかさ増しするために大量の「にんじん」を煮て食べていた。
煮えたニンジン(carottes cuites)は貧困のシンボルとなり、肉=死んだ動物よりも悪い状態——、すなわち「あらゆる種類の絶望的な状況」を指すようになった。
これから始まるジャンヌ・ラ・ピュセルの異端審問とその運命は、ただ死ぬよりもつらく、苦しい状況だ。
私が書くまでもない、読者諸氏もよく知っている結末に向かう。
実は生きていた——という希望的な展開にはならない。
ただ、私が何もしなかった訳ではない。
助けられなかったのは事実だが、ジャンヌを見捨てたと思われるのは心外だ。
新章では、異端審問の経緯はほどほどに、当時の私ことシャルル七世とフランス宮廷の動向を中心につづっていこうと思う。
壮大な自己弁護と受け取ってもらって構わない。
新章を読み終わったときに、それでもなお私を愚王とののしり、同じ状況でジャンヌを救出するもっといい方法があったと思うなら、ぜひコメント欄で献策してほしい。楽しみに待っている。
さて、時間が来たようだ。
これより青年期編・第十一章〈異端審問と陰謀〉編を始める。





