2.1 悩み多きフランス王(1)
幼君・英王ヘンリー六世の摂政ベッドフォード公は、トロワ条約を根拠にブルゴーニュ公とブルターニュ公をイングランド陣営に引き込み、私ことシャルル七世を孤立させようと企んでいた。
アルテュール・ド・リッシュモン伯が、重要なキーパーソンだった。
リッシュモンはブルターニュ公の弟で、ブルゴーニュ育ちだ。
そして、現ブルゴーニュ公フィリップの幼なじみでもある。
リッシュモンとブルゴーニュ公の姉、ベッドフォード公とブルゴーニュ公の妹——二組の政略結婚で婚姻(閨閥)関係を強化したかに見えたが、リッシュモンが私に臣従したために、イングランド陣営は穏やかではいられない。
1425年、リッシュモンが大元帥に叙任された年。
イングランド軍は、イングランド支配下のノルマンディーとブルターニュの境界にあるサン・マロ湾の小島モン・サン=ミシェルを集中攻撃した。
モン・サン=ミシェルは、大天使ミシェルのお告げで礼拝堂が建てられた伝説で知られている。
平時は、信心深い巡礼者たちと、巡礼者目当ての商人たちが行き交う聖地だが、実はフランス西海岸を守る要塞のひとつだ。島の内側は重層構造の修道院で、外側は軍事施設がぐるりと取り囲んでいる。
小さな島とはいえ、もし、モン・サン=ミシェルが陥落してイングランドに奪われたら、人々は「シャルル七世は大天使の加護を失った」あるいは「大天使は英仏二重王国を支持している」と見なすだろう。
6月10日、ブルターニュ側の港町サン・マロの守備隊がイングランド艦隊を攻撃して勝利した一方で、8月2日にル・マンの町が敵の手に落ちた。
モン・サン=ミシェルは海からの猛攻撃に耐えていたが、イングランド軍は対岸の内陸部——隣接するアンジュー地方へ侵略の手を伸ばした。
「陸地から物資を送るルートを断ち、イングランド軍が海上封鎖すれば、小島は孤立する。どれほど強固な要塞でも、中にいる人々は飢えてしまう……」
私の陣営は、海上の小島で消耗戦を強いられ、さらに内陸の攻防戦で兵力が分断されていた。
限られた兵力と物資を、どのように運用すべきか。
これは正解のない難題で、答えを間違えれば甚大な被害をこうむる。
「私はどうすれば……?」
ヴェルヌイユ戦の悪夢が、脳裏をよぎる。
私はブルターニュ公へ救援を求めたが、ブルターニュ公は「ブルトン人の領主たちと相談してから決める」と言って、動こうとしない。
もともと、歴代ブルターニュ公は、英仏間できわどい駆け引きをして「半独立」を貫いてきた。
素直に協力してくれるとは思わなかったが、私には駆け引きする材料が何もない。
「なぜ、私に相談してくれないのですか!」
めざといリッシュモンは、異変に気づくと、勝手にいろいろ調べたらしい。
私は胃痛による拒食で寝込んでいたのだが、リッシュモンは王の寝室まで押しかけてきて憤慨した。
「大元帥、少し遠慮してもらえないか」
私は、侍医が処方した「胃にやさしい薬草茶」を飲みながら抗議した。
「休んでいる時に、貴公の小言を聞きたくない」
「これが、休んでいる状態とでも?」
リッシュモンは、床に落ちていた書類を拾い上げた。
私はベッドテーブルに筆記具を持ち込み、ベッド上には地図や戦略の書き付けが散らかっている。
「勝手に触るな! それ以前に、寝室に押しかけてくるな!」
「押しかけていません。侍従の先触れがあったはずです」
「先触れとほぼ同時に入ってきたくせに!」
「難しい案件を寝室に持ち込んで、お一人で悩んでいるからです。私は強引な手段を取らざるを得ない」
リッシュモンは「寝室に引きこもっても、これでは心身が休まらないでしょうに」と言って呆れているが、私が引きこもるのには理由がある。
宮廷に出るときは身なりを整えなければいけないし、王らしい振る舞いを求められる。
涙目で胃液を吐き、髪をかきむしる姿を人目に晒すわけにいかない。
「私は大元帥です。陛下を守り、助言するためにお仕えしています」
散らかった書類を整理しながら、リッシュモンは「私になんでも相談してください」と言った。
リッシュモンは分かっていないようだが、こうして強引に踏み込んできて、こまかいことで叱責するから、つい遠ざけたくなるのだ。彼は頭が良くて礼儀正しいのに、どことなく無礼で、いつも私の神経を逆撫でする。
「対英政策、特に軍事関係は私の専門分野です。力になれると思います」
「ふん、何か妙案があるとでも?」
「ブルターニュ公は私の兄です」
リッシュモンは「私を使者としてブルターニュへ派遣してください。兄に直談判して兵を出させます」と進言した。
ああ、その手があったかと思いながら、心のどこかで「そんなに簡単に上手く行くものか」と冷ややかな声も聞こえる。
(きっとまた、予想もつかない恐ろしいことが起きて、私の代わりに誰かが命を落とすのかもしれない。そうでなければ、誰かが私を欺いてひどいことを——今度はだれが? だれを?)
こういう声を「悪魔のささやき」と呼ぶのだろうか。
もし、私に悪魔が取り憑いているとしたら、それは疑心暗鬼を誘発する声だ。
「それとも、私を帰郷させたらブルターニュへとどまって、陛下を裏切るとお考えですか?」
私が黙ったまま考え込んでいるので、リッシュモンが言葉を紡いだ。
「私を、裏切る?」
「絶対にあり得ません!」
強い口調で断言された。
「私をもっと信じてください。臣従を誓って以来、私の忠誠心はすべて陛下に捧げています」
リッシュモンは初めに怒り、解決策を提案し、最後に「臣下として、存分に私を使ってください!」と懇願した。
拒食症、つまり「慢性的な空腹」は身体を弱めるだけではない。
心を冷やして凍らせ、頭の栄養も枯渇して、助言者の声と悪魔のささやきの区別がつかなくなる。リッシュモンを「信じる」と言うよりも「試す」ような心境で、私は大元帥に軍隊を預けてブルターニュへ派遣することにした。
「任務を遂行し、良い知らせを持ち帰ります」
「ああ、期待している」
旅立ちの挨拶を受けて、私は心の込もらない返事をした。
ブルターニュへ帰郷させたら、軍隊ごと戻ってこないかもしれない。
だから、兵力を最小限にとどめた。
「大元帥の出陣だと言うのに、兵が少なくてすまないな」
シャルル七世と宮廷に関する情報を売り渡せば、リッシュモンとブルターニュ公はイングランド方で重宝されるだろう。二人の実母は、イングランド王太后だ。
私のもとに居続けても、ブルターニュに利益はない。
「道中で傭兵団を雇います。兄が率いるブルターニュ軍と共闘すれば、兵力は十分でしょう」
リッシュモンが、イングランド陣営へ再び寝返ることは想定済みだ。
想定内だから、本当に裏切られてもどうということはない。
だが、リッシュモンのこれまでの発言が「本心だったら」と考えると、私のやり方は意地が悪い。少し心が痛んだ。
「ラングドックの三部会で、追加の戦費について審議している。決まったら、すぐに兵と物資を送る」
「陛下の心遣いに感謝を申し上げます」
「武運を祈る」
大元帥とは名ばかりで、わずかな軍隊の帰郷は、リッシュモンに恥をかかせただろう。
実際、ブルターニュ公は「弟は冷遇されている」と腹を立てたらしいが、リッシュモンは兄をなだめ、さらにフランス軍と共闘して対英戦に参加することを確約。
少ない兵力を運用し、ブルターニュ、アンジュー、ノルマンディー周辺を転戦して戦い続けた。
この事態に、イングランド摂政のベッドフォード公は、ついにリッシュモンを「反乱軍、不服従、不敬罪」と断罪し、すべての身分と権利を剥奪することを宣言した。
なお、このころから、イングランド軍では「サフォーク伯」や「ジョン・タルボット卿」など、百年戦争終盤まで何度も対決する指揮官が頭角を表している。
のちに、オルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクとも戦うので、頭の片隅で覚えておくといい。





